第27話 「防衛戦」 (前編)

 前線だというのに平和な日々が続いた。演習は欠かさずあるものの、対峙している闇の勢力の侵攻がパタリと止んでしまったのだ。

 しかし、光と闇が和解することは無い。互いの神が対峙しているからだ。

「クエルポ!」

 ある日、全軍での合同演習の終わりの際、バルバトスが大隊長クエルポを呼ぶのをレイチェルは聴いた。

「話がある。後で総督府に行こうと思うのだが」

「話だと?」

 大隊長クエルポは眉をひそめて中隊長バルバトスを見詰め返していた。

「最近の敵の動向についてだ」

「良いだろう」

 レイチェルは村に帰りながら二人のそのやり取りを思い出していた。やはりバルバトスとしても、あれだけ執拗だった小競り合いを敵方が仕掛けて来なくなったのが気になったのだろうか。だが、末端のレイチェルにそれ以上詮索することはできなかった。

 そうして平和な空気の中、最近は彼女のゴブリン語は上達していた。ガガンビによれば、まだ発音に難があるとのことだが、ゴブリンの言葉で最低限の会話はできるようになった。ティアイエルも勉強会に顔を出す様になった。有翼人の少女の話すゴブリン語はさすがに流暢で完璧だった。そうやって赤竜亭で語学の授業は続いた。

「ティアイエル、屁をしたな?」

 ガガンビが人間の言葉でそう言った。

「な、してないわよ!」

 突然の言葉に有翼人の少女は戸惑う様子を見せながら反論した。するとゴブリンは首を横に振った。

「俺、耳と鼻が良いからわかる。ティアイエルは屁をした」

「してないったら!」

「した」

「してないわよ!」

 和やかな雰囲気にレイチェルは目を細めつつ、今日はこの場にいないサンダーのことが気掛かりだった。

 少年は斥候部隊に所属している。つまりは敵地付近へ偵察に出掛けたということだろうか。

 そして少年は三日後に戻ってきた。

「これは内緒だよ」

 少年は用心深く周囲を見回すと声を潜めて言った。

「ヴァンパイアロードの軍が、向こうで対立してたダークエルフの軍を打ち負かして領土を手に入れてたんだ」

 するとヴァルクライムが言った。

「そうなると、これまでのヴァンパイアロードの軍勢に、接収されたダークエルフの軍勢が加わるということか」

「そういうことだよ」

 サンダーは頷いた。

「うちの隊長が言うには、大きく膨れ上がったヴァンパイアロードの軍勢は、近日中にも、こっちを本腰を入れて打ち破りに来るだろうってさ」

 そして少年は仲間達を振り返り、更に声を落として尋ねた。

「どうする? 逃げるなら今だよ」

 レイチェルは軽く思案した。バルバトスやクラナ、それにこれまで共に戦ってきた仲間達を見捨てることはできない。そう決めて言った。

「私は残ります。皆さんは私に構わず逃げて下さい」

 そしてリルフィスが続いた。

「リールも残るよ。ここの皆は、優しい人が多いもん」

「なら決まりね」

 ティアイエルが言った。

「ティアイエルさんも残るんですか?」

 レイチェルが問うと有翼人の少女は頷いた。

「アタシの意思で残るんだから、くだらないこと言って説得しようとしても無駄よ。アンタ達はどうするの?」

 ティアイエルがヴァルクライムとサンダー、ガガンビに尋ねた。

「私も残ろう」

「俺も残るつもりだよ」

「逃げるつもりはない」

 三人が答えた。ティアイエルは冷厳な眼差しで仲間達を見てもう一度尋ねた。

「本当にそれで良いのね? 言っとくけど、ここの軍隊だけじゃ勝てる見込みの無い戦よ。きっと籠城して援軍が来るのを待つようになると思うわ。それまでの間に食料がなくなったりするかもしれない。そんな状態になるかもしれないけれど、本気で残るのね?」

 レイチェルも仲間達も頷いた。

 そうして程なくして、大隊長クエルポの声明の下、戦が始まろうとしている旨を伝える告知が村中に広まった。逃げたい者は逃げても良いということも付け加えてあった。果たしてどれだけの人間が逃げたのかは分からないが、レイチェルのいる大部屋の人数は減ってはいなかった。それよりも意気を上げていた。耐えて凌いで意地を見せてやろうじゃないかという空気が程なくして村中を包み込んだ。



 二



 敵の襲来を知らせる鐘が鳴り響いた。

「敵の数はおおよそ五万ぐらいらしいぞ!」

 あちこちで伝令の言葉を通達する声が上がった。

 敵は五万。こちらは五千だそうだ。

 レイチェル達、第一弓兵部隊は村を包む高い外壁の上で整列していた。大隊長クエルポは既に籠城を告げていた。

 近付いてくる敵兵を弓矢で射抜く。それが四方の外壁上に並んでいる弓兵達の役割だった。いつまで戦が続けられるか。バルバトスが言った。敵兵が諦めるか、今こちらに向かっている各地の領主の軍勢が到着するまで戦は続くと彼は言い切った。

 敵襲の知らせから少し経ち、光と闇を分断する遠くに見える大樹海から黒い大きな影がこちらに向かってくるのが見え、程なくして鬨の声が聴こえる頃には、前方の雪原と言う雪原を敵勢が埋め尽くしていた。

 オーク達の唱和は勢いがあり、レイチェルもだが、他の兵達を驚かせた。そして軍勢が目の前に展開した。

「人間どもに告ぐ!」

 豪華煌びやかな甲冑に身を包んだオークが軍勢の中から現れた。

「お前達にこの戦、勝ち目はない。殺されていった多くの同胞達の無念、この一戦で晴らしてくれる! 覚悟しておけ!」

「降伏勧告は無しか。元よりするつもりは無いがな」

 後ろでバルバトスがそう言うのが聴こえた。

「それはそうだ。我々は決して相容れる関係ではないのだからな」

 見覚えのある弓兵中隊長、ジュベルト・アテジクトがそう答え、彼は言った。

「光りと闇だ」

「そうだな」

 バルバトスが応じた。

「全軍、構え!」

 バルバトスが言った。その時には敵の軍勢からイナゴの群れの如く矢が外壁目掛けて打ち上げられていた。

「撃て!」

 悲痛な声が響く中バルバトスの指示が飛んだ。しかし敵の矢が絶え間なく襲ってくる。レイチェルの前の兵士が矢を受けてその場に倒れた。

 次々と味方は倒れてゆく。こちらも反撃をした。

 こうして戦が始まった。矢の応酬は続いた。こちらも跳ね橋を上げているため、敵は村に近付けないでいる。すると遥か大空に無数の黒い影がこちら目掛けて近付いてくるのが見えた。

「また飛竜か!」

 声が飛んだ。レイチェルもそう思った。以前にも飛竜に掴まり、空からこちらへオークが襲撃を仕掛けてきたことがあった。だが、今度は数が違う。雪原を埋め尽くす軍勢と同じく影は空を埋め尽くしていた。

 重たい羽音と共に大きな飛竜が現れるや、その脚に、背中に、首に掴まっていオーク達が舞い降りてくる。

「敵が侵入してきたぞ!」

 下で声が上がり、こちらでも戦いが始まった。

 敵の矢も飛竜による襲撃も止む気配がなかった。レイチェルは疲労困憊だった。彼女の目の前に矢が飛んで来ることも数え切れないほどあったが、それらは軌道が逸れていてくれた。

 そうして夜になると飛竜での攻撃は止んだ。

「飛竜は夜目が利かない」

 誰かがそう言うのを聴いた。だが、矢による攻撃は続けられた。

「オークは弓矢を使わない。だが、ダークエルフ族は弓矢を使う」

 再び誰かがそういうのが聴こえた。

「よし、交代だ」

 バルバトスが言うと弓兵達は引き上げ始めた。レイチェルもその後に続きながら外壁上に多くの亡骸があるのを見たのだった。

 代わりの歩兵が、いや、弓を持った傭兵達とすれ違う。今度は彼らが外壁上に整列した。



 三



 休めと言われても眠るわけにはいかなかった。皆そうだった。食料も、今までは食堂に赴いていたが、今度は僅かばかりの物が支給されてくるだけであった。持久戦に備え、食料を細く長くしているのだとレイチェルにも分かった。

 夜明け前に再び飛竜が空を舞い、オーク達が襲撃してきた。体躯のあるオークだが人を数人斬るのが関の山だった。あっと言う間に人間に囲まれその命を散らしてゆく。何て無益なことをするのだろうかとレイチェルは思った。そうして矢が飛来する恐ろしい外壁へと再び戻った。

「おう、レイチェル」

 バルバトスが声をかけて来た。

「バルバトスさん、休んでないのですか?」

 レイチェルが驚いて問うと相手は笑った。

「心配いらん、休んださ」

 そうしてレイチェルが敵陣を見ると、昨日よりも雪原が多く見えることに気付いたのだった。つまりは、夜のうちに敵勢が移動したのだ。たかが今では四千ぐらいのこちら側に全てを割いても仕方ないと判断したのだろう。彼らの根城ヴァンパイアロードの城へ帰ったのだろうか。いや、と、レイチェルは思った。そして考え付いた。割かれた軍勢はアビオンへ向かったのだろう。こちらの援軍を足止めするつもりか。いや、本気で落としに行ったに違いない。アビオンの兵力がどれほどかは知らないが、レイチェルはロベルト達のことが心配になった。その時だった。

 一筋の矢が鎖鎧ごと彼女の胸に突き立った。その強い勢いにレイチェルはよろめき仰向けに倒れていた。

「レイチェル!」

 バルバトスが声を掛け、顔を覗き込ませた。熱いものを右胸に感じた。そして言い様も無い凄まじい痛みが走り彼女は呻いた。

 すると誰かが彼女の持ち上げ、駆け出した。息が苦しくなってきた。

「レイチェル! 死ぬなよ! 持ち堪えろ!」

 バルバトスの声が聴こえたが、彼女はとても苦しくて応じることができなかった。視界がぼんやりしてゆく。そしてやがて黒い世界が広がった。

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