第22話 「前線へ」

 翌朝、戦死者を偲ぶ祈りの儀式が速やかに遂行された。

 レイチェルも足を運ぶべきだと思いそこに向かった。

 療養施設長であり神官のカサンドラが祈りの言葉を詠んでいる。非番の者、興味を示す者、故人と友誼を結んでいた者達などが集まったが、レイチェルが思っていたよりも参列者は多くなかった。

 場所は村の北壁付近に広がる平地だった。そこには既に無数の墓石が突き立てられていた。もうこれ以上は墓を掘る場所も無かった。荷馬車に積まれたまま折り重なり白い布を掛けられた遺骸に祈りを捧げる格好になっている。

 祈りの言葉が終わると、荷馬車はゆっくりと動き出した。遺骸はアビオンに運ばれ、そこで埋葬することになるという。参列者のささやき声が耳に入りそれを知った。

 さて、儀式はもう一つあった。

 これは正午過ぎ、埋葬の時とは違い、熱狂的な多くの観衆に囲まれ行われようとしていた。

 場所は村の中央の広場だ。そこには引き立てられたオークが一体、手枷、足枷をされ鎮座させられていた。

 久々に面白いものが見れるという噂を聞きつけ、レイチェルも足を運んだのだ。彼女は、また競りが行われるのではないかと思ったが、いざ来てみるとそれは違っていた。

「さっさと殺しちまえ!」

「やれー!」

 観衆達が叫んだ。

 オークは静かに眦を閉じ、殺されるというのに堂々としていた。

 処刑人の男が現れる。大男だった。全身に甲冑を纏い、鉄仮面で頭を覆っている。片手に引っ提げられている蛮刀が陽光を反射しギラギラしていた。

「何か言い残すことはあるか?」

 処刑人の大男が尋ねるとオークは言った。

「殺せ」

 群衆が罵詈雑言を飛ばす。大男がもう片方の手を剣の柄に添える。蛮刀が持ち上がる。

 レイチェルは顔を背けた。

 重く風をはらんだ音がし、続いて人々が歓声を上げるのを聞いた。

 レイチェルはその場を離れた。まだ熱気の冷めない観衆の声が聴こえてくる。彼女はその声から半ば逃れるかのようにして村の中をやみくもに走った。

 そうしてようやく立ち止まった。もう声は聴こえてこない。

 ふと、自分が見覚えのないところに来ていることに気付いた。遠くに建物の群れが見える。墓石の群れが目に入った。そうだ、見覚えはあった。ここは朝に戦死者に祈りを捧げた場所だった。

 そんな広大な墓石の群れの真っ直ぐ前で、佇む一人の背をレイチェルは見つけたのだった。

 黙祷を捧げていたその背が振り返る。甲冑姿のその人物には見覚えがあった。先日の競りで名剣を落札したバルバトスという男だった。その男はゆっくりと墓石の中を引き返してきた。

「やあ。見ない顔だな」

 茶色の髪をした男は低いが優し気な声でそう言った。着ている鎧こそ地味だったが、クレシェイドやエルド並みに大きな身体をしていた。そして温和で端麗な顔をしていた。

「私はレイチェル・シルヴァンスと申します。最近になってこちらへ来ました」

「レイチェルか。私はバルバトス・ノヴァーと言う。よろしくな」

 やっぱりアビオンのロベルトが言っていた男であった。腰にはこの間競り落とした大きな剣が趣のある鞘に収まっていた。

「お墓参りですか?」

 レイチェルが尋ねるとバルバトスは笑った。

「それもある。だが何よりも良いのは、ここの静けさだ。喧騒も悪くはないがな」

 レイチェルが頷くと、バルバトスが尋ねた。

「見たところレイチェルは神官のようだな」

「はい、獣の神キアロド様にお仕えしております。まだ神官見習いですけれど」

「獣の神キアロドか。珍しいな。だが、それだからこそ、真に己の主に対する純真な敬服感が窺える。死者を慰めるために祈りに来たのか?」

 レイチェルはそう言われ、顔を俯かせた。あの野蛮な儀式から逃げて来たのだ。レイチェルは思い切ってバルバトスに話すことにした。

「捕虜の処刑が行われてました。私はそれが見たくなくて逃げて来たのです」

「そうだったか」

 レイチェルは途端に溢れ出る感情を抑えきれなくなり言った。

「あんな惨いことを人が平気で、しかも喜んでやっているなんて信じられません!」

「お前の言う通り信じられん。だが、仕方がない、彼らは戦友をオークによって失われたのだから。オークの盟主はヴァンパイアだが、人と闇の者との戦いは長い歴史の中続いてきた。我々は同士だ。失われた多くの同胞もまた同士なのだ。彼らのために怒る気持ちも分からなくないかな?」

「わかりません! お互い死んでいって何になるんです!? こんな戦争、早く終わらせるべきです! 引き分けで良いじゃないですか!? お互いの土地を攻め入らないと約束すれば済むことです! なのに誰もそうしない!」

 レイチェルは声を荒げていたことに気付き少しだけ恥ずかしく思った。

 だが、バルバトスは穏やかな目でこちらを見詰めていた。やがて相手が言った。

「捕虜に会ってみるか?」



 二



 レイチェルはバルバトスの後に続いて村の中を歩いていた。村の中と言っても探していた場所は墓場の側にあった。

 地下へ続く階段がこちらを待ち受けていた。見張りの傭兵が気だるげに槍で通行を止めた。

「バルバトスさん、いくらアンタでもクエルポ大隊長の許可無しには捕虜に会わせられない」

 バルバトスは巾着袋を取り出し、そこから銀貨を数枚手渡した。

「本当に少しだけですよ」

 見張りはそう言って道を開けた。

 二人は地下へ降りた。そこは壁に掛けられた蝋燭で明るく、太い鉄格子の向こうに個別にオーク達が入れられているのを見分けることができた。

「戦場で見覚えがある。人間の勇者か」

 手前の牢に入っているオークがそう言った。すると見張りが奥から二人、駆け付けてきたが、バルバトスがお金を渡すと二人とも階段の上へと行ってしまった。

「奥まで見てみるか?」

 バルバトスの問いにレイチェルは頷き、その背に従った。

 オーク達は手枷、足枷をされ、重りを引きずっていた。だが、誰も動かず騒ぎもしなかった。まるで死を受け入れているかのようだった。

 捕虜は全部で七人だった。

「彼らに訊きたいことがあるのなら尋ねてみるといい」

 バルバトスが言った。レイチェルは頷き手前の牢に入ってるオークに声をかけた。

「死ぬのが怖くないのですか?」

 いざ目の前に来ると、何から問うべきか彼女は迷ってしまい、そう尋ねていた。

 しかし牢のオークは両目を閉じ、何も話してはくれなかった。

「怖くはない」

 そう声を発したのは一番階段側に収容されているオークだった。

「俺は明日殺される。だが、死ぬのは怖くはない」

 レイチェルが駆け付けるとオークは言った。

「我々が命乞いをするかと思ったのか、人間の小娘。我々オークはお前達軟弱な者どもとは違い命乞いはしない。誇り高い武士の種族なのだ」

「あなた方はどうしてこちら側の領地を攻めるのですか?」

 レイチェルは尋ねた。

「そんなことを訊くために来たのか? 光と闇は相容れない仲だ。闇は光を覆い尽くさねばらない。お前達の教えの中にはそれと逆のことが書いてあるだろう」

「そんな」

 レイチェルは愕然とした。確かにキアロドの教えにも他の善なる光の神の教えの中にも、光は闇を討たねばならないという教えがあった。

「神がそう決めたからあなた方は我々を侵略するのですか!?」

「それはお前達とて同じことだ。神が求めるからこそ、我々闇の一族を害そうとするのだろう」

 レイチェルは信じられなかった。神が殺戮を求め合っているということだ。それを盲目的に信じる光と闇のあらゆる種族達。神は自ら手を下さず、彼らを扇動し殺し合いを傍観している。

 キアロド様が……そんな、まさか。

「バルバトス殿、時間です」

 上の方から警備の声が聴こえた。

「待ってもう一つ! あなた方と和睦するにはどうすれば良いのでしょうか?」

 オークは笑った。

「全ての土地を差し出し、お前達が我々に隷属することだ」



 三



 レイチェルはぼんやりと考えていた。今頃は昨日のオークが処刑されている頃だろう。そのオークの発した言葉が忘れられなかった。

 光と闇の神が求めるからこそ、互いの種族を害そうとする。信じられなかった。まるで自分達は神に洗脳され踊らされ命を投げ捨てているだけではないか。

 病院に急患が運び込まれてきた。

「レイチェル、お願い」

 カレンに言われ、レイチェルは負傷者の前に赴き、傷口に手をかざした。そして聖なる魔術の旋律を詠んだ。

 が、手に白い聖なる光りが現れることはなかった。

「あれ?」

 レイチェルはもう一度、旋律を詠んだが駄目だった。

「アンタ、ちっとも治してくれないじゃないか」

 負傷者が文句を言ったがレイチェルの耳には入らなかった。

「おーい、誰か変わってくれ。このお嬢ちゃんじゃ駄目だ」

 レイチェルは何度も何度も必死に、聖なる魔術の調べを口にしたが、腕に光りは現れなかった。

「レイチェルさん」

 背後から声を掛けられ、振り返ると、そこにはカサンドラ施設長が立っていた。

「カサンドラ施設長、私、聖なる光りが現れないんです! どうしちゃったんでしょうか!?」

 レイチェルは焦って尋ねた。するとカサンドラは頷いた。

「こういう前線に来るとね、色々なことに気が付くことがあるのよ。あなたもそれに気が付いてしまったのよ」

 レイチェルは愕然としながら尋ねた。

「何にですか? 私は何に気付いてしまったのですか?」

 しかしカサンドラは首を横に振って応じた。

「それは、ごめんなさい。私の口からは言えないことなのよ」

 その日から、レイチェルは聖なる魔術の全てが仕えなくなった。治癒、聖域、浄化、どれも何度試しても駄目だった。そうなっては病院でも肩身の狭いを思いしていた。カレンは単なる不調だと言って慰めてくれたが、レイチェルのできることは病人に食事と薬をもってゆくことだけだった。

「ここに聖なる魔術が使えなくなった神官がいると聞いた!」

 病院の入り口に男が現れそう叫んだ。声に聞き覚えがある。それは初日に自分達の配属先を告げたあの男だった。

 レイチェルの心臓が激しい鼓動を打った。

「速やかに名乗り出ろ!」

 レイチェルはゆっくりと前に進み出た。

「お前か。剣や槍は扱えるか?」

 レイチェルは頭を振った。

「では弓は?」

「……持ってます」

「よし、お前は今日から第一弓兵部隊所属とする」

 前線へ赴くことになったが、そんなことよりもレイチェルの悩みは聖なる魔術が使えなくなったことだった。仲間達が合流したとき何と言えばいいのだろうか。それと自分は一体何に気付いてしまったのだろうか。レイチェルは胸のうちで仕える主に尋ねた。私は一体何故、貴方様の御不興を被ったのでしょうか。

 その問いに対する答えは無かった。

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