第21話 「強襲」
高らかに鳴り響く幾つもの鐘の音色でレイチェルは目を覚ました。
緊張が全身を走る。暗くなっていた大部屋のあちこちに灯が点り始めた。
傭兵達は愚痴りながらもせかせかと鎧を着、武器を帯びて次々部屋を飛び出してゆく。
レイチェルは鎖帷子とその上に神官の衣装を纏った。ついでに弩と矢筒を背負う。リルフィスも隣で支度をしていた。
「私はたぶん、病院に向かうんだと思う。リルフィスちゃんは?」
レイチェルが尋ねると、長弓を手にしたリルフィスが頷いた。
「リールは村の中の防衛だよ」
リルフィスが前線に行かなくてレイチェルはホッとした。二人は外に出ると、慌ただしく集った軍勢が隊列を組んでいるところにでくわした。
「オークだ! オークが村の付近まで来ている!」
「規模は!?」
「わからん! だが多いはずだ!」
病院まで駆けるレイチェルとすれ違う傭兵達の会話が聴こえた。
病院に着くとそこも蝋燭で煌びやかに照らされ、大勢の男女の神官が集まっていた。
「あなた、武器まで持ってきたの?」
紫色の髪をしたカレンが驚いたような口調で言った。
「よくわからなかったので念ために」
レイチェルが言うと、施設長のカサンドラの声が響いた。
「さあ皆さん、もう少しすれば忙しくなるわよ。各自冷静にね。それまで待機よ! 戦の武運を神に祈るのです!」
レイチェルも他の神官達と声を揃えて応じ、各々祈り始めた。
戦はどうなっているのか。勝っているのか、負けているのか。アビオンのロベルトの言葉がよみがえる。こちらの方が劣勢だと。
そうして緊張しながら待っていると負傷者の第一陣が運ばれてきた。
カンテラを掲げると、荷馬車の中で血を流し、呻いている傭兵達の姿が光りの中に映った。
「さあ、しっかりしろ!」
男の神官達が主体となって怪我人達を荷台から降ろす。見ていると、慌ただしい車輪の音がして更に馬車が数台こちらへ向かって来ているのがわかった。
一目で重傷だという者が圧倒的だった。もう傭兵も本業の冒険者もできないかもしれないという者達ばかりであった。
だが、傷口は開き、とめどなく血は流れ続けている。
カレンが負傷者を下ろすのをレイチェルも手伝った。その傭兵は鎧ごと腹を貫かれたらしい。
「鎧を脱がせて!」
カレンが言い、レイチェルは慌てて鎧の留め具を外しに掛かった。
「必ず助けてあげるから!」
するとカレンは傷口に手をかざし、治癒の神聖魔術の旋律を口にした。程なくして彼女の手には白い柔らかな光に包まれた。
「レイチェル、あなたは他を!」
「は、はい!」
カレンに言われレイチェルはどうすべきか戸惑った。呻き声が、痛々しい悲鳴が、神官の旋律を詠む声が周囲に響き渡り、我を見失いそうになった。
「レイチェルさん」
カサンドラ施設長が呼んだ。レイチェルが駆け付けると、カサンドラは一人の女の傷口を縫い合わせているところであった。前にヴァルクライムが言っていた。傷口がズタズタのまま治癒の魔術を掛ければ治りはするが綺麗にはならないと。負傷者は女の戦士だった。鎧を脱がされた体には斜めに深い傷がつけられていた。
「あなたはこの方をお願い。任せても大丈夫ね?」
「はい、お任せください!」
レイチェルはすぐさま治癒の旋律を口から紡ぎ、そして白い聖なる光りの宿った手を傷口に触れさせた。
女戦士が呻いた。
「痛いかもしれませんが、頑張って下さい!」
レイチェルは相手を励ました。
比較的怪我の浅い負傷者にレイチェルが時間を掛けている間にも、ベテランの神官達は重傷者をたちまちのうちに治し、次へ次へと取り掛かっている。自分もあそこまでになれれば。レイチェルは己の未熟さに歯噛みした。そして不意に、視界に一つの場所に運ばれてゆく者達の姿を捉えた。
「死んでしまったのよ」
手当を受けている女戦士がそう言った。
二
負傷者を乗せた馬車は次々に到着した。
レイチェルも三人目の怪我人に取り掛かっていたが、その頃には既に夜は明けていた。周囲は血に塗れていた。
「状況はどうなんですか?」
レイチェルはつい、馬車の御者に尋ねていた。
「負傷者は出るが、珍しくこちらが押している。オークは森の方へ追いやられてるさ。伏兵の可能性もないらしい」
こちらが優勢なのだ。御者は再び馬車を疾駆させ消えて行った。ふとレイチェルは昨日の競りのことを思い出した。バルバトス・ノヴァーらしき人物が、名剣を手にしたことをだ。その活躍は血煙クラッドにも勝るとも劣らないだろう。
だから優勢なのかもしれない。レイチェルはそう思った。
次々に運ばれてくる怪我人の治療を彼女は夢中になって続けた。
「あなたは少し休んだ方が良いわ」
カレンが側に来てレイチェルに言った。レイチェルも己の限界を悟っていた。そして再び己の未熟さを嘆いたのだった。
その時だった。
「あれは?」
男の神官の一人が立ち上がり、虚空を指差した。
見ると大きな影が幾つも空を舞い、そしてその上から地上へ黒い影が次々に落ちて行った。
「オークだ! オークが飛竜の背に乗って壁を超えたんだ!」
誰かが叫んだ。
やがてそこかしこから煙が上がり始めた。
レイチェルも察した。建物に火をかけたのだ。
ドラゴンの亜種とも言われる飛竜ワイバーンが頭上に現れた。重い空気をはらんだ羽音が真上で聴こえた。
するとその背から幾つかの影が飛び降りた。
「ここが人間達の小賢しい診療所か」
豚や猪に似た顔をした紛れもないオーク達が立っていた。人間より大柄な身体を金属の鎧で包んでいる。
次々降り立つ敵の姿を見てレイチェルは悟った。優勢に見せかけられたのだ。敵の狙いは最初からこの前線基地リゴ村だったのだ。相手の退く後を追い、半ば深追いする形でこちらの傭兵達は森の中へと誘いこまれ、こことの距離を充分に離された上での襲撃だった。
「汚らわしいオークが何用ですか!?」
カサンドラ施設長が前に歩み出て詰問した。
オーク達は顔を見合わせて笑った。
「決まっていよう。貴様らを抹殺しにしにきたのよ」
オークが槍を投げ、それが施設長の身体を貫き倒した。
「さあ殺せ! 殺し尽くせ!」
オーク達が殺到してきた。
負傷した戦士達が立ち上がり、得物を抜いて迎え撃つが次々なぶられ、突き倒されていった。
神官達も武器はなくともやるしかなかった。男の神官を筆頭に次々オーク達に素手で挑みかかって行った。
レイチェルは弩を構え急いでハンドルを回し始めた。そして伸びきった弦に矢を番える。
女性の神官に向かって大斧を振り下ろそうとしていたオーク目掛けてレイチェルは矢を放った。
矢はオークの首を貫いた。レイチェルは休む間もなく、ハンドルを回し矢を番えようとする。
「小賢しい小娘が!」
一体のオークがこちらへ槍を突き出してきた。
レイチェルは寸でのところで避けた。槍が頬を掠める。だがオークは執拗に追い回してきた。
不意に背中がぶつかった。そこは療養施設の壁だった。
「追い詰めたぞ。さあ、哀れな小娘よ、お前に怪我を治す力があることを恨むのだな。死ね!」
オークが槍を振りかざす。だが、レイチェルは見た。オークの背後に黒い影が立ち、大剣を振り下ろすのを。
「よく会うな。神官さん」
血煙の向こう、そこには全身を黒い甲冑で包んだオザードが立っていた。
「アンタへの貸しは確かこれで二つ目だぜ。じゃあな」
オザードはそう言うと戦場の中へと入って行った。
「オークを囲め! 奴らだって腕も目も二つなんだ!」
何処かで声がし、応じる声が木霊した。いつの間にやら多数の兵が集結していた。そしてその場は一転した。数で勝る人間達が逆にオークを村の中に包囲し殲滅したのであった。
オーク達の断末魔の声が絶え間なく聞こえた。そして程なくして出撃していた傭兵大隊も戻ってきた。
三
その日はこれ以上、慌ただしくはならなかった。
カサンドラ施設長も一命をとりとめていた。
建物も消火が早くさほど被害は出ていなかった。
レイチェルは大部屋でリルフィスと共に他の傭兵達が帰ってくる様子を眺めていた。
見知った顔が次々に入り口に現れ、力なくベッドに腰を下ろす。そして互いに戦果のことを話し合っていた。
隣のクラナ・ディーラが姿を見せず、レイチェルを心配させていたが、彼女はやがて現れた。
「二人とも無事だったみたいね」
クラナはそう言うと微笑みかけ、ベッドに座ると、リルフィスの頭を撫でた。
「今回は悪かったわね。敵に誘き寄せられてるなんて考えもしなかったもの。クエルポ大隊長が、これまた調子に乗りやすい人で、進め進めってうるさかったのよ」
クラナは話を続けた。
「けど、大隊長に内緒で、バルバトスのヤツが戦況の最初の方でアビオンに援軍を要請していたのよ。アンタ達を助けてくれたのはその援軍ってわけね。バルバトスったら、何にでもお見通しなんだから。クエルポじゃなくて彼が大隊長になるべきだって思わない?」
レイチェルは頷いた。
「って言っても、クエルポのこともバルバトスのことも、来たばっかりのあなた達じゃ、よくはわからないわよね」
クラナは立ち上がった。
「それじゃ、お互い無事でよかったわ。お姉さんは例によって逢引きに行ってくるわね」
クラナは出て行った。
大部屋にはこれ以上、人は戻らなかった。空いたベッドが点在し、持ち主のいなくなった荷物が足元に置かれていた。そのベッドの主を思ってか、すすり泣く声も聴こえた。
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