第14話 「付き添いの依頼」

 雪は相変わらず止む気配を見せなかった。行商人も旅人も皆立ち往生していた。無論、それはレイチェル達、冒険者も同じであった。

 それにどうやら大雪の日は目立って依頼が少ないようだった。護衛に探索、配達、退治といった冒険者の一般的な依頼は殆ど不可能になる。しかし雪の時だからこそ舞い込む異色の依頼もある。そう、それは雪掻き、雪降ろしの依頼だった。

 熟練した魔術師でもいれば、炎の魔術で屋根を焦がさず雪を消し去ることは容易いことだろう。しかし、そうじゃなければ、肉体を駆使して作業に勤しむしかなかった。立ち往生した冒険者達は、食い扶持稼ぎに仕方なく雪掻きや雪降ろしの依頼を引き受け町中へ散って行く。レイチェル達もまた先輩冒険者に倣って様々な家の雪掻き、雪降ろし作業に飛び回り、数日間をそうやって過ごしたのだった。

 久々に雪は止んでいる。厚い雲の切れ目からこれも久しぶりに夕日が少しだけだが顔を覗かせていた。

 赤瓦の屋根の上でスコップを振るい、最後の一掻きを終えると、レイチェル達は靴を脱いで二階の窓から家屋の中へと入った。

「クラレンドンさん、終わりましたよ」

 薄暗い部屋を抜け、階下に呼び掛けると、女性がアタフタと姿を現した。

「あ、そうですか、ありがとうございます!」

 ミズクラレンドンは、見たところ二十も半ばほどの年齢に思えた。地味だがそれでも長い黒髪の綺麗な女性で、どこか儚げな印象があった。

「今、お茶を用意しますから」

「いえいえ、あのどうぞお構いなく!」

 レイチェルが声を上げて応じた時には、ミズクレランドンは再びアタフタと駆けて行った後だった。

 そうしてレイチェルとリルフィスはお茶に招待された。透き通った赤が美しい紅茶と、焼きた立てのリンゴのパイだった。

 レイチェルは自分が心の中で舌なめずりするのを感じた。紅茶もパイも良い匂いだ。

「あ、あの、遠慮なくどうぞ。それとこちらが報酬の方です」

 ミズクラレンドンが報酬の入った巾着を渡した時、レイチェルのフォークは既にパイを貫いていた。

「あ、ありがとうございます」

 報酬を忘れ、食い意地を張ってしまったところを見られ、レイチェルは赤面しながらフォークを置き巾着を受け取った。

「さ、どうぞ召し上がってください。パイも紅茶もおかわりはありますから」

 レイチェルは恐縮しながらも五皿もリンゴのパイと紅茶をお代わりしていた。

 夕暮れが過ぎ、そろそろ夜の帳が降りてきていた。レイチェルとリルフィスが礼を述べて去ろうとすると、ミズクラレンドンが呼び止めた。

「レイチェルさん達は冒険者ですよね?」

「うん、そうだよ」

 リルフィスが答えた。

 ミズクラレンドンは、どこか躊躇うような表情を見せた後、話を切り出してきた。

「お願いが……いえ、依頼を受けては下さいませんか?」

「どのような内容でしょうか?」

 改まった相手の様子に、彼女の勘も反応した。きっと難しい内容だろうと。

「この雪の中、自殺行為だとは思うのですが、山に登りたいのです」

「山にですか?」

 レイチェルの問いにミズクラレンドンは頷いた。

「何のためにか伺ってもよろしいですか?」

「彼に会うためです」

 ミズクラレンドンは思い切ったようにそう応じた。

「彼、エリックはその山で突然現れた蛮族から私を庇って谷底へ落ちたのです。彼は死にました。けれど最近、よく夢を見るんです」

 ミズクラレンドンは言葉を続けた。

「彼、エリックが谷の前で私を呼んでいる夢を」

 レイチェルはミズクラレンドンが正気を保っているのか観察した。すると相手は顔を上げて訴えた。

「エリックは谷から落ちて死にました。もう半年近くになります。私は思うのです。エリックはきっと行くべきところへ行けていないのではないかと。なので神官であるレイチェルさんに来てもらって彼の魂を慰め、天へと帰す祈りを捧げて欲しい、そう思うのです」

 ミズクラレンドンは大丈夫、正気だとレイチェルは感じた。だが、問題はあれだけ雪が降って山が大丈夫かどうかだ。

「山自体は大きくありません。一時間もすれば谷へ着くことができるでしょう。お願いです、どうか聞き届けてください!」

 レイチェルは思案した。きっとミズクラレンドンの心配事は杞憂に終わるだろう。しかし、それでもこれは神官の役目でもあると彼女は考えた。もしもこの世に留まる霊があるならば、ミズクラレンドンの言う通り祈りを捧げ天へと導くのが自分の仕事だ。

 やはり問題は雪山だ。イエティの脅威もあるが、女三人で踏破できるかどうか。しかし、一時間で目的の谷へは着けるという、さほど長い道のりではないようにも思える。

「リルフィスちゃん、クラレンドンさんの依頼を受けようと思うんだけど、どうかな?」

 ハーフエルフの少女は頷いた。

「良いよ。お菓子美味しかったもん」

 リルフィスが答えるとレイチェルは依頼人に言った。

「私達で良ければその御依頼の方を引き受けさせて頂ます」

「あ、ありがとうございまず!」

 ミズクラレンドンはそう言うと台所に走って行った。何やらガタガタゴソゴソと派手な物音がすると、彼女は戻ってきた。その手には分厚い肉切り包丁が握られていた。

「では行きましょう」

 だが、レイチェルは首を横に振った。窓から見える外の景色は既に夜になっていたからだ。

「クラレンドンさん、明日、明るくなったら行きましょう。朝食後、お迎えに来ますので」 

 慌てた様子のミズクラレンドンは外の様子に気付いたようで頷いた。そして呟きを漏らした。

「今日もあの人は私の夢に現れるのね」

 夢。レイチェルは思い出した。この前のインキュバスのことをだ。可能性として無くはない。

「リルフィスちゃん、インキュバスの仕業だと思う?」

 ハーフエルフの少女は少しだけ考えるようにすると頷いた。

「そうかもしれないね。だって悪い夢みるんでしょう? ロバートさんの時と似てる気がするもん」

 その意見を聞いてレイチェルの意思は固まった。

「クラレンドンさん、今日、念のため私達を泊めて下さいませんか? 前に寝ている人に悪夢を見せる魔物と遭遇したことがあるんです」

 ミズクラレンドンは驚いたようだった。

「私、魔物に狙われているのでしょうか?」

「それはまだ分かりません。今晩、私達が番をしてみたいと思います」

「わかりました。よろしくお願いします」

 こうしてその夜はミズクラレンドンの家に留まることとなった。レイチェルとリルフィスは寝室を中心に怪しい場所を確認していたが、前の時のように絵画もなければ怪しいところは見当たらなかった。

 ミズクラレンドンの絶品シチューパイを御馳走になり、いざ不寝番へと臨んだ。寝ている途中ミズクラレンドンは呻き声を上げたが、今回はそれだけだった。

「またエリックが谷の前で呼ぶ夢を見ました」

 ミズクラレンドンが言った。

「今回は夢を操る魔物はいませんでした」

 レイチェルが言うと、相手は意を決した様子で言った。

「やっぱり谷へ行く必要があると私は思います。御同行して貰えますか?」

 レイチェルは頷いた。



 二



 幸い雪は止んでいた。

 目的の山は町の裏手にあった。一面を分厚く深い雪が覆っている。それはレイチェルの腰まで埋まってしまうほどだった。

 リルフィスが松明に火を点ける。そして旋律を唱え、火の精霊を呼び出した。

 こちらが歩く度少し前に立ち塞がる雪が融けて煙となる。ミズクラレンドンの案内で二人は裏山を登り始めた。

 結局イエティの脅威も何もなく一行は予定時刻を少しだけ過ぎて谷へと到着した。するとミズクラレンドンがすぐに走り出し、谷間寸前のところで立ち止まり底を覗いていた。

 レイチェルも慌てて隣に並んだ。

 谷は深く絶壁だが底の方はよく見えなかった。

「エリック!」

 ミズクラレンドンが谷底へ向かって相手の名を呼んだ。

 しかし幾重にも響き渡る声に反応はなかった。

「やっぱり夢は夢なのね」

 ミズクラレンドンは言った。そのまましばらく立ち尽くし、ミズクラレンドンは諦めるように谷を背にした。

「御足労を掛けました。私はてっきりエリックがゴーストになって天へ向かえず、ここを彷徨ってるのだと思っていましたが、やはり違ったようです。私の中の彼への、忘れられない思いが夢になって出てきただけなのかもしれませんね」

 こちらが頷くと再びミズクラレンドンは言った。

「私とエリックは恋人同士でした。しかし、エリックには許嫁がいて、彼の親から反対があり私達は結婚できずにいました。でも、私達はお互いを愛することを止められませんでした。なので、せめてあの世で一緒になろうと、自殺の名所であるこの崖から身投げしようと思ったのです。しかしできませんでした。私には死ぬ勇気が無かったのです。そして諦めて二人でどこか遠くへ行こうと考えを改めた時です。蛮族オーガーが現れ、私を襲いました。エリックは私を庇って蛮族と揉み合う内に谷底へ落ちていってしまったのです」

 ミズクラレンドンはそう言うと、表情を明るくして答えた。

「では、帰りましょう。下で報酬もお渡しします」

「わかりました」

 レイチェルは頷き三人は谷を後にした。

 そこから少し離れた時に背後から声が聞こえた。

「クラリス、僕の愛する人」

 それは男の声だった。

 振り返るとそこには若い男が立っていた。

「エリック! エリックなの!?」

 ミズクラレンドンの声が男の素性をレイチェル達に知らせた。

 レイチェルは驚きはしたがそれでも冷静でもあった。ゴーストとなったエリックを天へ送り届けるためにここへ来たからだ。それにインキュバスの件で不思議な体験は既にしていた。いつぞやの霧の宿屋でもだ。今更ゴーストに全ての注意を奪われるほどではなかった。

「クラリス。僕だ」

 エリックは頷いた。

「ああ! エリック! 信じられない!」

 ミズクラレンドンが走り、恋人のもとへと駆け付けようとしたとき、レイチェルはその身体を精一杯掴み止めた。ゴーストを抱き留めることなんてできない。恋に懐かしさに盲目になったミズクラレンドンの勢いではそのまま谷底へ落ちそうだったからだ。

「クラリス、さあ、僕の胸に飛び込んできておくれ」

「放して、レイチェルさん! エリックが呼んでるわ!」

 ミズクラレンドンは半狂乱になってレイチェルの手を引き離しに掛かった。その手が腰の内側に挟んであった肉切り包丁へ伸び、レイチェルの手に振り下ろされた。

「レイチェルちゃん危ない!」

 リルフィスがミズクラレンドンに体当たりをする。二人は同時に雪の中へと飛ばされた。レイチェルの見ている前でミズクラレンドンが素早く動き出した。

「クラレンドンさん、駄目です!」

「エリック、会いたかったわ!」

「駄目!」

 リルフィスがミズクラレンドンに横合いから飛びついて組み伏せた。

「クラレンドンさん、しっかりするの! リール達はエリックさんのことを神様のところに送るために来たんだよ!」

 その訴えを聴いてミズクラレンドンは抵抗するのを止めた。そしてゆっくり立ち上がった。

「クラリス、何をしているんだい? さあ、早く僕の胸に飛び込んでおいで。皆待ってるよ」

「みんな?」

 ミズクラレンドンが訝しげに尋ねると、エリックの表情が狂気に歪んだ。

「みんな待ってるのさ、新しい仲間が来ることを」

 するとエリックの背後、谷底から幾重にも影が飛翔し、その周りを囲んだ。

 それは現世に未練を残した者達の姿だった。骸骨の顔と腕はあるが脚のない黒い煙だった。

「二人とも私の後ろに来て!」

 レイチェルはそう呼ぶと、聖域の魔術を唱えた。

 彼女の後ろにリルフィスとミズクラレンドンが並ぶと、すぐにレイチェルを中心に白く輝く聖域が広がった。まだまだ力不足だが、三人を護るだけの広さはあった。

 ゴーストが三体ほど向かってきたが、聖域にぶつかり消滅していった。

「もう少しのところを邪魔しおって」

 エリックの口調が声自体が変わった。それは禍々しい老爺のような声であった。

 取り囲んでいたゴースト達がエリックに吸い込まれるようにして消えていった。そしてエリックの姿が変わった。その姿は大きなゴーストで傍らに長い鎌も浮遊していた。

「お前達三人の魂を刈り取ってくれるわ!」

 鎌が振るわれる。それの前に聖域は役に立たない。レイチェルは棍棒でそれを弾き返した。

 そしてそのまま浄化の祈りの旋律を早口で詠んだ。その最中も鎌が容赦なく振るわれ、レイチェルは棍棒で押されながらも幾度も相手の攻撃を弾いた。リルフィスが矢で援護をしたがそれはゴーストの身体を突き抜けるだけであった。

「エリック!」

 背後でミズクラレンドンが恋人の名前を叫んだ。

 レイチェルの左手に白い浄化の光りが宿った。

「邪魔な小娘めが!」

 ゴーストが闇の魔術を幾重にも放ったが、レイチェルは浄化の光りの宿った腕でそれらを防いだ。

「迷える魂よ、天へ上りたまえ!」

 レイチェルは左腕を突き出した。白い光りがゴーストを照らすが衝突するとともに四散して消え失せた。

 ゴーストは不敵な笑いを漏らした。

 浄化の祈りが通用しない。

 レイチェルは驚愕し、絶望した。自分の腕ではまだまだ未熟と言うことだ。しかし、浄化の光り以外に目の前の敵に通用する手段は無い。

 再びゴーストが闇の魔術を放った。黒い稲妻めいた塊がこちらへ向かってくる。

 レイチェルは慌てて左腕を振るい、敵の魔術を防ぎつつ、頭の中では退却することを考え始めた。結局またも自分では解決することのできない依頼にぶつかってしまったのだ。インキュバスの時のように奇跡でも起きれば別だが、ここはただの呪われた雪山でしかない。どうにかしてミズクラレンドンを逃がし、自分達もその後を追う。それが最善だ。ゴーストの浄化は別の冒険者に依頼することにするしかない。もっとも逃げ切れればの話だが……。

 死神の鎌が周囲を旋回し、斬りかかってきたがリルフィスが短剣で弾き返した。レイチェルは決断し、声を上げた。

「二人ともここから撤退します! この敵は私達の力ではどうすることもできません。他の力ある神官達にこのことを伝えてお任せするしかありません!」

 レイチェルが言うと、ミズクラレンドンが応じた。

「でもエリックが!」

「すみません、クラレンドンさん。私達にはどうすることもできません! 今は一刻も早くここから逃げないと」

 そう言いながらレイチェルはリルフィスと目配せした。リルフィスは頷いた。

「殿は私が引き受けます。クラレンドンさんは、リルフィスちゃんと先に逃げて下さい」

 ミズクラレンドンは躊躇う様子を見せた後、頷いた。

「走って!」

 レイチェルは浄化の光りを放ち敵を牽制した。

 その隙に背後の二人が駆け出して行くのが耳に聴こえた。

 彼女の全身全霊を込めた白い光はまたもゴーストの身体に当たり消えるだけだった。しかし今は背後の二人のために時間を稼がなければならない。レイチェルは祈りの光りを連射した。

 が、突然ゴーストが姿を消した。

 背後からミズクラレンドンの悲鳴が上がった。

 振り返るとそこにはゴーストが立ちはだかり、突き出た骨の腕でそれぞれリルフィスとミズクラレンドンの首を締め上げていた。

「まずはお前達から我々の仲間に引き入れてくれるわ」

 ゴーストが高々と二人を掲げ上げる。

 その時ミズクラレンドンが掠れ声で叫んだ。

「エリック! 助けてエリック!」

 一見事態が変わるようには思えなかった。しかし、ゴーストの黒く濃い霧のような身体から、無数の影が舞い上がった。そして、若い男の姿が現れた。

「今だ! 今なら……」

 エリックは苦しげな眼差しをレイチェルに向けた。

「早く! 今なら僕達を浄化することができる! 僕の身体を貫いてくれ!」

 レイチェルは一瞬躊躇った。だが、エリックに残された道は天へと、神の元へと逝くのみである。救う道はそれしかない。彼女は頷き駆けた。

 エリックの身体が再び悪のゴーストの身体へと変貌し始めているのが見えた。

「我が主神キアロド様! 迷える魂達を御救い下さい!」

 レイチェルは渾身の力で、白い光の宿る腕を突き出した。腕はエリックの身体を貫いた。

 エリックから無数の影が舞い上がり、それらは白い軌跡を残して空へ消えてゆく。

 呪われた骨の腕も消え、リルフィスとミズクラレンドンが雪の上に落ちた。

 残ったのはエリックだけだった。

「僕の魂を救ってくれてありがとう」

 エリックはレイチェルに礼を述べると、ミズクラレンドンへ顔を向けた。

「すまない、クラリス。僕は君を欺き襲おうとした」

 その言葉にミズクラレンドンは激しく頭を振った。

「エリック! 私の方こそあなたの側にいてあげられなくてごめんなさい! 私、死ぬのが怖いの! ここから跳び降りることなんて、とても無理なのよ!」

 エリックは頷いた。

「それで良いんだよクラリス。君には幸せになってもらいたい。これから先、僕のことなんて忘れて自分の思った通りの人生を歩むんだ。その姿を僕は空の上で見守っているから」

 エリックの身体が白い光に包まれ始めた。

「良いかい、クラリス、必ず幸せになるんだよ。それが僕の唯一の君へのお願いなんだ」

「エリック!」

 ミズクラレンドンがその名を叫ぶ。

 レイチェル達の見守る前でエリックの魂は遠く遠く上ってゆき、そして消えていったのだった。

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