第17話 「邪竜襲来」

 東西の玄関口といわれる都市グスコムには、浅黒い肌の東方の人々の姿も多く見受けることができた。

 例によって、通りのあちこちで市が開かれ、東と西の特産物とが其処彼処に陳列されている。それらを買い求めるべく、行き交う人々の間に、長い金色の髪の男が一人紛れ込むようにして佇立していた。

 彼の纏うのは白の神官装束であった。人々は男を目の端に捉えつつも、どこの聖なる神の信徒であろうかと、興味本位に首を傾げるだけであっただけで、その端正な口元に、邪悪な薄ら笑いが浮かんでいることにまで気付くことは無かった。

 もっとも、気付いたとしても、彼の者の内に秘めた憎悪に燃え上がる企みと、これからすぐに起きるであろう破壊と惨劇とを看破することは到底できなかっただろう。

 人が波のようにうねり蠢く中で、神官の男は虚空を見上げて叫んだ。

「この地に破壊と殺戮を! 目覚めよ、我が内なる竜デルザンドよ!」

 周囲の人々は、突然の叫びに軽く驚愕したが、まるで物狂いを見るかのように、彼から遠巻きに離れていった。

 ああ、熱狂的な神官様なのだろう。そのような奇異の目が向けられ、通り過ぎてゆく。しかし、それでも多くの人々が次に起こった出来事を目にしていた。

 神官の男は跳躍し、商店の軒先を蹴り上げ、そして空高く舞い上がった。

 次の瞬間、神官の男の身体が眩い光りに覆われた。

 そして不意に空一面が大きく陰り、分厚い羽音が聞こえ渡った。そこに現れたのは、巨大な被膜の両翼をもった漆黒の影であった。

 長い首が虚空へ向けて雷鳴のような咆哮を上げるや、その獰猛な黒い顔は、地上の人々へ向いた。

 一時の静寂の後、空を仰いでいた人々が正気に戻ったその瞬間、その牙の生え揃った口からは猛毒の霧が炎のように吐き出され、地上を緑の噴煙が包みこんでいたのであった。



 二



 邪竜を追うレイチェル達であったが、立ち寄ったある村で、急な依頼が舞い込んで来ていた。

 依頼主は村長であった。仲介所も無いため、宿へ直々に頼みに現れたのであった。

 聞けば、この辺りに、最近になって魔鳥が現れるようになったというのだ。それはコッカトライスという鳥で、相手を石像と化すほどの恐ろしい息を吐くのだという。その魔鳥達が家畜を襲うということであった。それら、コッカトライスの退治と、先に派遣した冒険者達の救出が依頼の内容であった。

 救出対象の冒険者達は全部で五人で、魔鳥の潜む荒野へと向かったきり、六日経っても戻って来ないのだということだ。村長はそう話し終えると、小さなガラス瓶を三つ、差し出してきた。透明の液体の入ったそれは、石化を回復する薬だという。

 そうして、レイチェル達は村の北に広がる荒野へと向かったのであった。

 

 

 生える草木の疎らな大地には、時折大きな岩が転がっていた。その一つに、レイチェルはライラと共に立っていた。岩の傍には、枯れ枝や草などを組み合わせた物が敷かれている。白い筋の混じった緑色の羽が、羽毛の塊と共にその上に散らばっていて、大ジョッキほどの大きさにもなる茶色の卵が四つそこに並んでいた。

 コッカトライスの卵と見て間違い無いだろう。そしてここだけでなく他にも巣があるはずだ。これらが孵化すれば、村は壊滅状態に陥ってしまうに違いない。レイチェルは涙を呑み、獣の神キアロドに心中で祈りを捧げて、ライラが卵を砕くのを眺めていた。

「当ても無く出て行くよりは、ここで親鳥が戻るを待つ方が賢明かもしれないな」

 ライラがそう提案し、レイチェルも頷いて同意した。

 そうして二人は黙して待ち続けたが、やがて、ライラが口を開いた。

「先日、弟の夢を見たのだ」

 突然、ライラがそう言った。レイチェルは、盗賊達の根城で言っていたライラの寝言のことを思い出していた。確か「ベル」と言っていた。

「弟は優しかった。だが、それ故に、他の者の死に常に過敏であり過ぎた。姉の私が気付いた時には既に遅かった」

 そうしてライラはレイチェルを見た。

「少しだけ、私の事を語らせてくれてないか?」

「良いですよ」

 レイチェルが頷くと、相手も頷き返した。そしてライラは灰色の雲に覆われた虚空を見上げて話し始めた。

「私の時代は戦争の真っただ中だった。大陸に蔓延る群雄達が、彼らの虚名を高めるために、我々難民を邪教徒として、連合し討伐を呼び掛けてきた。父のアイル・ロッソは、戦神の神官だった。増え続ける流民を受け入れ、その地を彼らの安息の場所となるように、それこそ尽力してきた。討伐軍にも、その旨を伝えたが、名声を欲す彼ら群雄は、和平も降伏すらも認めなかったのだ。だから戦うしかなかった。そうしなければ殺されてしまうからだ。そうして何度目かの戦の折に、父は敵の放った矢によって命を落とした。そうして悲しみに暮れた我が母も間もなく身体を弱らせて後を追うようにして逝ってしまった。私は父の後を継ぐことになったのだ。誰も反対しなかった。いや、弟のベルだけは唯一人猛烈に反対した。男である自分が継ぐべき役目だとな。しかし、ベルはまだ小さかったのだ。だから私は難民達の指導者となった」

 ふと、ライラは思い出したように言った。

「そうだ、その頃だったな。シュタイナーが現れたのも」

「どなたなんですか?」

 レイチェルは尋ねた。

「シュタイナー・コルバーは、弟にとって兄であり、親友であった男だ。今思えば、彼と、彼に教わる剣術だけが弟にとっての気持ちの支えだったのかもしれない。シュタイナーは、ある日、川べりに出ていた流民が見つけたのだ。片目を潰され、身もボロボロの状態だった。そうして私達に助け出された男は、その若さで剣術の達人であった。あいつは静かな男で、果たして我々に心を開いたのかは結局わからないが、それでも食い下がる弟に、ついには剣を教え、私の頼もしい片腕にもなってくれた。そうして私達は何年かは群雄達と対等に戦い続けることができた」

「だが、所詮は我々は貧しい民の群れでしかない。次第に戦力の差が現れ、そしてとうとう数えきれない戦いの中で、シュタイナーが戦死し、途端に堰を切ったかのようにして、我々はその戦で負けた。生き残った者達は、再起を図るように私を説得し始めた。だが、無理だったのだ。何もかもが、失われ、抵抗するだけの力は失われてしまったのだ。だから私は、落ち延びて、そこで個々に新たな人生を再びやり直すべきだと呼び掛けた。だが、そこに弟が現れた。そして集った一同に言った。戦神は、我らを見捨て、悪辣な侵略者どもを選んだのだと。ならば、善の神など、もはや当てにはできない。我らが救いを求めるのは、むしろ邪悪なる神ということになるだろうと。邪神の加護の下に、亡き同志達のために、侵略者どもに鉄槌をくだしてやるべきだと」

「私は反対し、抵抗する事の無意味さを説いた。私だって仇討はしたかった。だが、また多くの者を死なせてしまう事実を覆すことはできないのだ。私が反対すると、弟は、流民達に、私を捕らえさせた。そうして私が抵抗し、あくまで再起を図ることの愚かさを声高に説いた時に、弟は、ベルは、憎悪に満ちた声を上げ、私を押さえつけさせて、無理やり薬を飲ませた。焼けるような痛みが走った後、私は二度と声を発することはできなくなっていた。それから私は、お前達と出会った遺跡に隠され、誰に知られる事も無く飢えて死んだ。だから歴史がどうなったのかは知らないが、弟達は負けてしまったのだろうな……」

 不意にバサバサというけたたましい羽音が鳴り響いた。

 レイチェルが顔を上げると、地面を跳躍するようにして、翼をはためかせている大型の犬ほどの影がこちらを目指して迫って来ていた。

「コッカトライスが帰って来た。レイチェルはここにいろ。私が石になった時はこれで頼む」

 ライラは手にして薬瓶を手渡すと、長柄の斧槍を抱えて、飛び出して行った。

 コッカトライスが、首を仰け反らせた時、ライラは素早く右側へと廻り込んでいた。そのため、その口から噴き出すようにして吐き出された濁った青の噴煙を掠めることなく避け、横から槍を入れた。刃は魔鳥の身体を貫いた。耳を劈く様な断末魔の声を上げてコッカトライスは地面に横たわった。

「よし、大丈夫だ」

 ライラが言い、レイチェルは駆け寄った。

 コッカトライスは鶏のような赤い鶏冠と、七面鳥のような口の左右に垂れた瘤を持っていた。嘴は尖っていて細長く、信じられないことに鳥なのにその内側には牙が生え揃っていた。胴体は濃い黒のような緑色の毛に覆われている。脚は普通の鳥と同じようであった。

 レイチェルは獣神に魔鳥の魂が無事に天国へと昇る様に祈っていた。

「次に進みましょうか?」

 レイチェルが問うと、ライラは思案気に頭を振った。

「鶏冠が広いという事は、コイツは雄鶏だろうな。雌鶏の方も戻って来るはずだ。少し待とう」

 果たしてライラの言う通り、さほど待つことなく、雌の方も姿を現した。今度もライラが率先して仕留めていた。そうして、二人は次の巣を求めて歩んで行った。依頼達成の証明のため、コッカトライスの遺骸は念のため持ってゆくことにした。



 三



 それから夜の荒野でどうにか他の仲間達と合流した。サンダーと、ヴァルクライムの組は、石になった冒険者達に出くわし、薬で元に戻った彼らを引き連れていた。そして各々コッカトライスの亡骸を並べて、十羽以上を仕留めた事を確認した。

 それから、助けた冒険者いわく、コッカトライスの肉は美味とのことなので、衰弱が激しい彼らのためにもその肉を振る舞ってやった。毛羽を毟り、肉を解体するのはヴァルクライムとライラがやった。サンダーは二人の作業を覚えようと張り付いていたが、レイチェルはどうにも見る気にはなれなかった。

「でも、食べちゃったら、倒した証明はどうするの?」

 サンダーが魔術師に尋ねると、相手は答えた。

「それなら瘤だけを持ってゆけばいい。この瘤こそが、この魔鳥達の最大の武器である石化の煙を作る場所だ。それゆえ、手順どおりに煎じれば血清にも姿を変えるのさ」

「そうなんだ」

 サンダーは感心しつつ、ヴァルクライムに渡された革袋に、切り取られた瘤を詰めて回っていた。

 そうして夜が明け、多少は力を取り戻した冒険者達を連れて一行は村へと戻った。

 村長は表面には喜んで出迎えたが、どこか上の空の様子で一行を労い、サンダーが差し出したコッカトライスの瘤を受け取ると、ようやくその態度の訳を説明した。

「実は今朝方、グスコムの方から馬を飛ばしてくる人がありましてな。その者の言う事だと、どうにも町が破壊されたということなのだ」

 村長は半信半疑の様子で話を進めた。

「それがどうやら、ドラゴンの仕業と言うのですが」

 レイチェル達は途端に顔を見合わせていた。

「その特徴は伺っておいでか?」

 ヴァルクライムが尋ねた。

「それが大きな黒いドラゴンだということなのですよ」

 得たり。六人の仲間達は互いに目で訴えあっていた。

 そうして村長のもとを辞去すると、外でさっそく仲間達は話し合っていた。

「デルザンドに違いないだろうな。こんなに早く出会えるとはついている」

 魔術師はニヤリと笑みを浮かべた。

「喜ぶ気持ちもわかるが、町が壊されているのだぞ。少しは不穏な言動もその表情も慎んだらどうだ」

 ライラが咎めるようにいうと、魔術師は短く謝罪した。

「確かにそうだな。だが、取り逃がすとなると、次はどこで会えるかは分からん。急いで向かおう」

 そうしてヴァルクライムはクレシェイドを見た。

「友よ、邪竜の闇を吸えば、ギラ・キュロスは更に強力になるだろう」

 クレシェイドは頷いた。そしてその脇でティアイエルが心配そうに鎧の戦士へ視線を向けていた。



 四



 冒険者マグナスは、たまたまこの町に立ち寄っていた。彼はその道に入り込んでから長く、冒険者としての名声もそれなりにあった。彼の自慢は、北の樹海の先にある山岳に住む、一つ目の巨人サイクロプスを、三人の仲間と共に打ち殺したことであった。

 トロールよりも頑健な、岩かあるいは鉄のような皮膚を、彼の最大の膂力を乗せた斧が打ち込まれた時の感動と感激は、今でも忘れられなかったし、それが誇りでもあった。

 そう一つ目の巨人は足を痛め、態勢を崩したところを、仲間達のロープが残る三肢を固定し、マグナスのとどめの斧が太い筋肉の首を分断したのであった。その斧は今でも彼の傍らにある。巨人殺しの斧と彼は密かに呼んでいる。

 そんな血沸き肉躍る冒険も十年も前の事になってしまった。最近は巨人殺しの異名すら忘れられてしまってもいると彼は密かに危惧していた。

 どこかに大きな化け物でもいれば。いっそ海に出て、巨大イカのクラーケンでも探す旅に出た方が無難だろうか。

「そうだ、竜だ。竜が俺の前に現れてくれれば良いんだ。そうすれば、晴れて竜殺しのマグナスの誕生ってわけだ。新米共は恐れ入り、ベテラン共も賞賛と嫉妬の目を向けてくるだろう」

 冒険者の宿で、葡萄酒を呷りながらマグナスは高笑いしていた。そんな彼を店の給仕や、客達は奇異の一瞥を投げていた。

 不意に地震が起こった。いや、地響きだ。机も上にある食器も軽くガタンと飛び上がっていた。

 何だろうかと、人々は周囲を見回していた。

「トロル並みの女が尻餅をついたんだろうよ」

 誰かが冗談を言い、数人が笑い声を上げた。

 だが、再び地鳴りは続いた。二度、三度と、その度店内は揺れ動いていた。

「大変だ!」

 店の入り口に男が現れた。

「竜だ! ドラゴンがきやがった!」

「ドラゴンだと?」

 マグナスは笑い出したくなった。

「んなもんが、こんなところに来るかよ」

 冒険者の誰かが言った。

「来たんだよ! お前ら、ペシャンコになったからって、俺の前に化けて出てくるなよな!」

 男はそう叫ぶと、慌てて駆け去って行った。

 変な奴だ。冒険者達は笑い飛ばした。マグナスもそうしたかったが、彼は落ち着かない気持ちになっていた。もしも、本当にドラゴンがきやがったら、どうする。

 決まってる殺すのさ。

 マグナスは卓に代金を置き、店の入口へと向かった。どうせ、ペテンだ。あの男は妄想家なんだろうよ。どうぜトロルに違いないさ。夢見させやがって。

 彼が入り口から身を覗かせた時、遠くの方から人々がこちらへ向かって駆けてくる様が伺えた。

「一体何だってんだ?」

 まるで本当に逃げてるみてぇじゃねぇか。

 不意に遠くの建物が崩れ落ちた。そしてそれを掻き分けるようにして、黒い大きな影が現れた。その巨大な様と言ったら、サイクロプスをも越えている。そいつが一歩踏み出すと、地面が揺らいだ。

 そして奴が吐き出したのであろう、緑色の煙が炎のように地面を舐めた。大勢の人影が見えなくなったが、その煙が消えた後、再び見ることができた。しかし、人々はまったく動く気配がない。

 あれは、石化か、麻痺かの効力があるのやもしれん。彼が茫然と眺めていると、黒い巨大な影は、その足で人々を蹴散らしていった。空高く舞う人影達は建物の屋根や地面に落ち、動かなくなった。

 マグナスはようやく自我を取り戻した。巨大な敵が現れたのだ。しかも彼の予想を越えるほどの大きさだ。武者奮いか、物怖じしたのかはわからないが、彼の身体は震えていた。

 また建物が崩れると、マグナスは走り出していた。腰には愛用の分厚い手斧、巨人殺しがある。

 崩落した建物の残骸と、倒れている無数の亡骸を間近で見て、マグナスは戦慄を覚えそうになった。いや、そうではない。見上げた相手が、黒い竜だったからこそ、茫然自失としてしまったのだろう。

 爬虫類を思わせる縦に長い口と突き出た牙と、氷山のような手足の爪、そして黄色の双眸はマグナスを見下ろし睨みつけていた。

 彼は斧を抜き払った。

「デカブツが! 俺を踏めるもんかよ!」

 マグナスは駆けた。サイクロプスを相手にした時と同じだ。敵の外側へ回り、無防備な脛に、腱を切断する一撃をぶつけてやればいいのだ。そんで、崩れた巨体に攀じ登って、首を穿てばいい。

 だが、竜は右腕を伸ばし、マグナスを掴もうと試みていた。彼は背中に迫る爪に冷やりとした。だが、竜の動作が途中で止まった。

「貴殿は、巨人殺しのマグナスだな! 私も力を貸そう!」

 長弓を構えた男が竜の正面に立っていた。そいつが一射すると、竜が仰け反った。マグナスは危うく踏みつぶされるところであった。

 だが、矢が落ちてこないところをみると、竜の皮膚に突き刺さったのだろう。竜の鱗は極めて強固だと言われている。新手の男はかなりの剛弓を引くということだ。

「アンタは!?」

 マグナスは相手に向かって尋ねた。

「私はジュベルト。翼竜狩りのジュベルトだ。知らないのか?」

 ジュベルトは矢を放った。竜にだ。

「フッ、北へ行け! そこでなら私の名を知るだろう!」

「へへっ、そうかい」

 竜の足の爪が石畳に食い込み、亀裂を走らせる。そして仰け反るようにして喉を膨らませた。当然、炎か何かを吐き出すつもりなのだろう。

 翼竜狩りのジュベルトが避けるようにして瓦礫の中へと駆けると、たった今まで男が居た場所に、緑色の噴煙が吐き出された。

 竜は向こうに気がいっている。そら迂闊さ!

 マグナスは大木のような脛に斧で一撃を入れた。彼の全力は、黒光りする鱗に阻まれてしまい、ほんの僅か裂いたに過ぎなかった。

 いや、だったら同じ場所を集中して狙えば良い。竜の足が踏みつけてくるのをマグナスは慌てて回避しながら、脛に刻んだ僅かな傷を睨んでいた。

 翼竜狩りのジュベルトの弓が唸りを上げて放たれるのを耳にした。見上げると、竜の喉に三本の矢が突き刺さっていた。

 瓦礫の向こうからジュベルトが身を乗り出し、新たな隠れ家に飛び込んでゆく。

「喉と腹なら柔らかい!」

 相手がそう叫んだ。しかし、マグナスは歯噛みした。竜が転ばない限り、こちらの斧がそこまで届く事は無いからだ。やはり、地道に腱を裂くしかあるまい。

「マグナス、動け! 奴には毒矢を仕込んである! それが回れば貴殿にも、出番が巡るぞ!」

 マグナスは、毒で目を回して大地に横たわる巨体を想像した。その無防備な首に攀じ登り一撃を入れる己の姿もだ。面白いじゃないか。

 彼は竜を見上げて叫んだ。

「こっちだ、デカブツ!」

 彼は鞘から短剣を抜くや、竜の身体に投げつけた。瓦礫を飛び越え、振り返ると、竜はこちらの背を追い始めていた。その大股の一歩が、こちらに肉薄し、肝を冷やさせる。竜が動く度に大地が唸り、彼の足は縺れそうになっていた。

 すると、竜の歩行が早まるのを感じ、彼は悲鳴混じりに脇の瓦礫へと飛び込んだ。彼は竜が前面の建物の一群を粉砕するのを見た。

「そろそろだな」

 彼の隣に長身の男が外套をはためかせて現れた。手に下げた弓はやはり大きく、背負った二つの籠にも特大の矢が並んでいた。確かに何らかの異名を誇るだけの風格はあるな。マグナスは相手の強さを認めた。

「よろしくな、相棒」

「こちらこそ、名高い巨人殺しと共闘できるとは光栄だ」

 二人が眺めている前で、竜が前方によろめいた。

「よし、効いている」

 ジュベルトが拳を握り締めて言った。

 竜は抵抗を試みていたが、程なくして、その巨体は地べたに伏した。

 二人は頷き合い、得物を構えつつ竜の元へと向かった。

 荒々しい呼吸で上下するその黒い巨体の横側を回り、マグナスとジュベルトは相手の顔の後ろで足を止めた。

 二人は頷き合い、マグナスは竜の顎へと駆けた。怪物に気付かれる前に、喉に一撃を入れねばなるまい。彼は渾身の一撃を振り下ろした。

 黒光りしているが、ジュベルトの言う通りそこは鱗の無い滑らかな肌であった。彼の一撃は深々と食い込み、傷口から赤い血流を噴出させた。マグナスは幾度もそうやって斧を振り下ろし続け、竜の喉を深々と切り裂いていった。彼は竜の熱のある血に塗れてるのも構わず、その息の根を止め、新たな名声を得るべく奮闘した。

 竜は抵抗するしなかった。荒々しい呼吸はか細くなり、身体は痺れたように身動ぎしなかった。

 傷口の先に白い骨が見えた時、マグナスはこれで終わりだと悟った。晴れて竜殺しのマグナスの誕生だ。彼が最後の一撃を入れようとした時、突如として、その傷口が淡い光りを帯び始めた。

 これは神官の治癒の光だ。そして彼の予想通り、傷口はみるみるうちに塞がってゆく。

 マグナスは血の気の引く思いで慌てて竜から離れようとした。

「マグナス、退け!」

 ジュベルトが叫んだ。しかし、竜はマグナスの背後で素早く身を起こす気配をみせると、次の瞬間には太い尾がジュベルトを横薙ぎに打ち付けていた。

 空高々と舞う冒険者の影を見上げ、マグナスは相手の死を悟った。

 そして、竜が立ち上がった。

「なかなか手間取らせてくれたな」

 野太く異質な声がマグナスを見下ろし、確かにそう言った。

 竜が喋った。

 黄色の双眸が真っ直ぐマグナスを見詰めている。圧倒的な図体を見上げ、マグナスは動くことすらできなかった。こちらが三歩駆ける間に怪物は長い首を突き出すだけで、こちらを咥え、一呑みにすることができるのだ。

 マグナスは己に訪れるであろう最期を待つしかなかった。

「お前の血肉と魂を我が糧とせん」

 竜の口が開き、赤黒い空洞と生え揃った牙が一挙に彼に襲いかかった。



 五



 レイチェル達は、グスコムの町に急行したつもりだったが、一日近く経てば、やはり全ては終わった後であった。

 家を失い、大切な人を失った人々の悲しみに集う間を通り抜け、町の中ほどに入ると、そこから先は殆どの家屋が倒壊し、廃墟の地と化していた。

「確かに竜はいたみたいね」

 ティアイエルが言った。

「次はどっちの方角に行ったんだろう」

 サンダーが途方に暮れたように呟いた。

 そして一行は分散し、情報収集に動いた。

 レイチェルは、悲観に暮れているような人々に、事の元凶の行方を尋ねる事を遠慮し、なるべく町の人間でなさそうな人々、つまりは冒険者風の者達を選んで話しかけていた。そのために彼女は竜の侵攻を免れた酒場の中にいた。

 巨大な黒い竜だったと、誰もが口を揃え、翼があり、目は黄色だという特徴的なことを聞く事ができた。

「奴の吐き出す緑色の煙は、麻痺のガスみたいだったな。誰もが石になっちまったように動かなくなって、食われたり、吹き飛ばされたり、竜のやりたい放題だったぜ」

 レイチェルも、以前に竜の吐き出すガスを浴びた事があった。身体が石になったように強張ったのでは無くて、むしろ逆で、身体に力が入らない状態だった。

「竜がどちらの方角に向かったのかは、わかりますか?」

 レイチェルの問いに、饒舌だった熊のような中年の男は顔をしかめた。

「すまんな、そこまでは見てなかった。何せ、死に物狂いで走るしか無かったからな。んじゃ、あばよ、神官さん」

 と、そこで相手は踵を返しかけて言った。

「神官さんといや、妙な神官がいたな」

 レイチェルは卓の向こうにいる店主に葡萄酒を一杯頼んだ。

「お嬢ちゃんが飲むつもりじゃないだろうな?」

 店主は訝しげにこちらを見て言ったので、レイチェルは首を横に振った。

「こちらの方にお願いします」

 そうして出された酒を差し出すと、冒険者の男は呷り言った。

「ま、アンタの求めてる情報なのかは知らんが、とにかく大勢が見たことだ。金髪の若い神官の男が、急に店の軒先を蹴って空高く跳んだのさ。確か、奴は何か叫んでたな。そういや、竜が現れたのもその時だ。どこから飛んできたのでもなく、光が付いたように、パッとな。まるでその神官が竜を呼んだようにも見えたが、まさかな」

 そして男は去って行った。レイチェルは聞き込みの内容を反芻していた。まず、この町に現れたのは、かつて洞窟で戦った竜、デルザンドに違いないだろう。それと、奇妙な神官の男のことだ。今の冒険者が言った通り、その神官が竜を呼び出したのだろうか。

 ふと、何か重要な事を彼女は思い出そうとしているのを自ら感じた。しかし、その背に誰かが声を掛けてきた。

「先程から話を聞かせてもらったが、あの竜を追っているのか?」

 相手は長身の男だった。緑色の外套を羽織り、その下には革の鎧を着ていた。だが、その右腕は首から包帯で吊られていた。身綺麗で、整えられた口髭といい、どことなく高貴そうな風格をしていた。

 レイチェルが頷くと、相手は名乗った。

「私は、ジュベルト・ラーザン・アテジクト。北では翼竜狩りとも言われ、少しは腕に覚えがあった者だ」

 相手は幾分、苦い顔つきでそう言った。

「私はレイチェル・シルヴァンスです。獣神の神官をしております」

「そうか。単刀直入に言うと、竜は東へ、ソウ・カン領の方へと飛んで行った」

「それは本当ですか?」

「本当だとも。この町の中で、竜がそちらへ飛び立つのを間近で見たのは、私ただ一人だろう。この腕は竜にやられたのだ。このエルフの衣が無ければ、死んでいたに違いないだろうがな」

 ジュベルトは外套を擦りそう言うと、話を続けた。

「見たところ、神官殿はあの竜を追っているようだが?」

「神殿からの御達しです」

 レイチェルは逡巡してそう答えた。複雑な事情だが、大筋はこれでまちがっていない。

「ならば、急いだ方がいいぞ」

 ジュベルトは酒場の一角を指し示した。

 そこには大柄な荒くれ者達が集結していた。程なくして、その中で黒い甲冑に身を包んだ男が威勢よくテーブルの上に立ち上がり、声高に言った。

「竜を退治すりゃあ、一角千金間違い無しだ。その鱗も、角も爪も骨までもが、最高級な素材ばっかりだ! そんで、心臓や、内臓は特効薬になるとも言われてる! つまりだ、五十人で山分けしても、金は有り余るほど手に入るってことよ! そら、この騎士オザード様と竜退治に向かいたい奴は今すぐ名乗り出ろ! この愛剣ガナティッグが、必ず勝利を約束するぞ!」

 オザードと名乗った自称騎士が、腰からこれも身に纏う鎧に負けず劣らずの黒く塗られた大剣を掲げ持った。

 酒場の中は一瞬の静寂の後、喜び勇んで駆け寄る幾つもの慌ただしい足音と声とに包まれた。

「では、幸運を祈る。貴殿が長身の勇者ならば、この外套を授けたところだが」

「お気持ちだけで十分です」

 相手は出て行き掛けたが、ふと足を止めて振り返った。

「そういえば、あの竜は、癒しの魔術を身につけているぞ」

 そうして相手は出て言った。



 六



 グスコムから程近い山岳に、竜は舞い降りていた。

 そしてその黒い鱗に満たされた大きな身体が、眩い白い光に包まれると、次の瞬間そこには巨体は無く、神官の衣装を纏った男が姿を現わせていた。

 男は、胸に刺さった矢を引き抜くと、低い声で魔術の調べを詠んだ。

 淡い光りが彼を包むや、矢傷はたちまち塞がっていった。

 この男、神官ベルハルトの狙いは、己が身を糧とし、内に秘めた憎悪の魂を邪悪なる竜に捧げ、食らわせ、自分の代わりに破壊と殺戮を齎し、世界を滅亡させる事であった。

 それが突然、糧として消えるはずだった己の魂が、竜の魂と同化し、邪竜の肉体を操れるようになったのだ。

 彼は世界を憎んでいた。かつての親友を、同志を、殺戮した者達の子孫がこの世界には溢れている。それが許せなかった。当初は、複数の己のホムンクルスを製造し、魂を複製して、同じ志を抱く者として迎え入れ、邪竜デルザンドを使って共に世界の殺戮に臨むはずであった。しかし、ホムンクルスの完成が間に合う前に、急な邪魔が入ったのだ。

 ならば、我が魂を捧げて、目覚めたデルザンドの本能に委ねるしか道は無いと彼は判断したのであった。

 それが、何の因果か、究極の暴君の身体を手に入れてしまったのだ。破壊も殺戮も自分独りで思うままの究極の肉体だ。しかし、未だに使いこなせてはいなかった。竜に変化できる時間も、人の姿に戻るのも、何時まで持続するかがはっきりとしなかった。時には一日、竜の姿であることもあった。

 だが、コツは分かっていた。竜になるには、ただ只管、極限に憎悪を燃やすのだ。それで先ほどは上手くいった。あの、のうのうと生きている者達の姿を見て、それは燃え上がったのだ。

 ふと、彼は来訪者の気配を察して振り返った。

 そこには赤い魔術師のような衣装を身に纏った仮面の者が立っていた。

「どうです、竜の力は如何ですか?」

 女のような声で、冷ややかに笑うように相手は言った。

「満足だ。これなら、世界を滅ぼすのは容易い」

 ベルハルトは応じた。

「あなたが存分に恨みを晴らした後、我々は動きます。闇の卿達も、その時を楽しみしておりますよ」

「そうか。ところで、ラザ・ロッソの行方はわかったか?」

「既にわかっておりますよ。あなたの姉君は、とある冒険者と行動を共にしています。もしも、見つけたのならばこれをお使いなさい」

 真紅の屍術師は、小さな鉢上を差し出した。

 それには一房の青々とした葉が伸びている。説明を求める前に相手は言った。

「あなたは、マンドレイクをご存知ですか? これの根は人の顔をしています。引き抜き、空気に触れれば、たちまち根は悲鳴を上げ、耐性の無い人間達の意識を奪い昏倒させるのです。これは、そのマンドレイクによく似ているものです」

 ベルハルトは無言で相手に言葉の続きを促した。

「これは呪いの歌を詠います。あなたの姉君の意識を奪い、あなたの言葉に従うようにさせるでしょう」

「そんな物を作ったのか?」

「愚かなダウニー・バーンの忘れ形見ですよ。彼はラザ・ロッソに権力を脅かされるのを恐れて、念のためにその魂に印を刻んだのです」

「余計な事を」

 ベルハルトは忌々しげに舌打ちした。

「どうなさいます、これをお使いになりますか?」

 ベルハルトは、このような物が必要なのか思案した。姉はきっと自分の志を分かってくれるはずだ。だが、彼の脳裏を、とある記憶が過ったのだった。

 かつて、彼は戦いを主張し、姉は頭を振った。父を、シュタイナーを、多くの同志達を殺されながらも、最後の抵抗に応じなかったあの日の記憶だ。 

 ベルハルトは鉢植えを受け取った。

 相手が満足そうに、冷ややかな笑いを上げた。それが癪に障り、彼は尋ねた。

「お前は今、何をしている?」

 すると真紅の屍術師は答えた。

「とある血気お盛んな闇の方に手を貸したのですが、上手くゆきませんでしたね。まぁ、単純に相手が悪かったのです。私がお貸ししたホムンクルスの兵隊も滅ぼされてしまいました。ですから、今は地下に籠ってもっぱら開発と生産の日々ですよ」

「そうか。ところで、その悪い相手とはどのような奴だ?」

「黒い鎧の戦士です。彼がここまで我々を脅かす存在になってくれるとは、思いませんでしたよ」

 相手の言にベルハルトは眉を顰めたが、真紅の屍術師は、詮索無用というように軽く手を掲げた。

「さて、お渡しする物も渡しましたし、私はこの辺で地下へと戻ろうと思います。あなたが破壊した町を見て、少しばかりやる気が戻りましたので。あ、そうそう鉢には毎日ちゃんとお水をあげてくださいね」

 真紅の屍術師は姿を消し、この場からいなくなった。

 ベルハルトはフンと、鼻を鳴らし、手にしている鉢植えを見やった。

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