第3話 「魔術師と迷宮」 (前編)

 これほど、ぐっすり眠ったのは久しぶりだったかもしれない。

 毛布を身体から上げると両腕の筋肉がズキリと痛んだ。昨日の無茶の名残だ。

 レイチェルはベッドから身を起こした。足も酷い痛みだが、こちらは歩き不足のせいであった。

 彼女はゆっくりと木の雨戸に歩み寄り、その戸を開いた。

 強烈な光りが直撃し、思わず一瞬目を閉じる。そして目を開いた。

 自分が生きている新たな世界が陽光の下に広がっている。

 石畳が敷き詰められた通りと、それに沿うように民家や、商家がずっと並んでいる。行き交う人々の声は重なり合って、途切れる気配の無い音色になっていた。

 三階からの景色はなかなか壮観であった。良い部屋を貸して貰ったと、改めてレイチェルは思った。

 そういえば、昨日の犯人だが、どうやら無事に捕まったらしい。彼女達が食事を済ませ、部屋に引き上げようとしたときに、警備隊長のアルバートソンがわざわざ訪ねて来て、礼を述べると共にその詳細を話してくれた。

 犯人の男は、笛の音色でゴブリンを操り、道行く人を襲わせ、金品を盗んでいたとのことだ。

 レイチェルは衣服に着替えると、さっそく一階の食堂へと降りて行った。

 朝も遅い時間なためか、広い食堂には殆ど人がいなかった。

 健康管理も自分でやらなきゃ。これからは色々不規則になるだろうから。

「マスターさん、おはようございます」

 レイチェルは適当な席に着くと、カウンターの向こうにいる親父に声を掛けた。

「よお、レイチェル。新人さん、よく眠れたか?」

 走る親父亭のマスターは、肉付きと血色の良い顔を向けて陽気な笑みを見せた。

「はい。ところでお腹が空いたのですが、オススメってありますか?」

「あるとも、鶏肉と玉葱ソースのサンドウイッチとかどうだ?」

「じゃあ、それと野菜サラダとミルクをお願いします」

「あいよ」

 程なくして若いウェイトレスが御盆を運んできた。

 小奇麗に並んだサンドウィッチが視界に入り、ようやく我に返った。

「お待ちどうさま」

 青髪の若いウェイトレスはテーブルに食事を置くと言葉を続けた。

「私、ケルシーよ。よろしくね」

 美しい顔が、純粋な微笑みを見せていた。背もスラッとしていてカッコいいな。と、レイチェルは少し見惚れた。

「レイチェル・シルヴァンスです。よろしくお願いします」

 代金を差し出しながらレイチェルは自己紹介をした。

「同じ青い髪だから、ちょっと親近感ね」

 冒険者のパーティーが店に入ってきたので、ケルシーは「じゃあね」と言って仕事へ戻って行った。

 その彼女の背を見て、レイチェルは溜息を吐いた。

 私もあのぐらいまで背が伸びたらなぁ。

 そうして彼女は朝食をとり始める。ミルクを一口飲み、香ばしくて、玉葱と肉汁の溢れるサンドウィッチに舌鼓を打った。

「ずいぶん、のんびりだったわね」

 冷厳な響きの声音と共に、目の前に有翼人の少女が現れた。

 彼女の肩の後ろから白い翼が覗いている。

「おはようございます」

 レイチェルが言うと。ティアイエルは正面の座席に着き、こちらを凝視した。

「楽しそうな依頼を見付けたわ」

 レイチェルは多少の不安を覚えながら言葉を待った。

「依頼主は魔術師ギルド。内容は素材の探索よ」

 ティアイエルはテーブルの上に羊皮紙を置いた。

「親愛なる冒険者の方々、いつもお世話になっております。この度は、魔術アカデミーの研究に必要な素材の探索と採取をお願いしたくて、依頼させていただきました。今回はラザロッソの迷宮の最深部に自生している、ベルラゴンの苔を、重さ五十キロほど持ち帰って頂きたく依頼致しました。報酬は四千ジョエイン御用意させて頂きます。魔術師ギルド補佐官兼、魔術アカデミー魔道研究室長ソロン・グロウンス。尚、期限は依頼通達後、五日以内とします」

 迷宮と言う言葉を読んで、レイチェルは息を呑む。真っ先に想像したのは暗い地下道と、忍び寄る巨大な怪物の影である。

「びびってるとこ悪いけど、もうやるしかないわよ」

「それってどういう……。あ、引き受けちゃったんですか!?」

 レイチェルは驚いたが、相手の表情に失望の色が浮かぶのを恐れ、慌てて話題を変えるべく質問した。

「カンテラ! 持って行かなきゃ駄目ですよね?」

「そりゃ当然よ。新しいの買ってきたとこ」

 そう言ってティアイエルはテーブルの上に革の袋を置いた。それは膨れていた。

 色々入ってるんだろうなと、レイチェルは感心し、残りの食事を急いで平らげ始めた。

「ガッツかなくても良いわよ。まだ来てないみたいだしね」

「クレシェイドさん達ですか?」

 ミルクを飲み干すとレイチェルは尋ねた。しかし、冷ややかに被りを振る相手を見て、彼女は思わず固まった。

「魔術師よ」

 平然と言うと、相手は話を続けた。

「自慢するつもりじゃないけど、昨日の戦いは、私の精霊魔法がなければ勝てなかったと思わない?」

 レイチェルは思い返した。軍勢のようなゴブリンの動きを封じた突風をである。それについては彼女は素直に頷くしかなかった。

 だが、クレシェイドと、サンダーのことがすぐに気になった。あの二人は良い仲間だったし、今後も共に組むものだと思っていたのだ。同時に、ティアイエルがクレシェイドを得体が知れない奴と嫌い、サンダーの幼い雰囲気も気に食わない様子であったことを思い出す。

 レイチェルは二人と組むのかどうか、尋ねようとしたが、その前に有翼人の少女が口を開いた。

「でもあいにく精霊魔法ってのは昨日みたいな大技しかできないのよ」

 ティアイエルは話しを続けた。

「一方で、魔術師は自分の力で魔法を形成するだけだから、自分で温存を利かせることができるということ。つまり使い勝手が良いわけ」

 魔術師と言えば、暗い色をした装束に身を包み、宝玉のついた杖から、炎の玉を噴射したりする印象があった。

「でもまぁ、魔術なんて、もしも時の保険ね。報酬も三人で分けることになるけど」

「三人?」

 レイチェルは驚いて尋ねた。

「クレシェイドさんと、サンダーさんは?」

「機会があればまた組むわ。そういうもんよ、冒険者って。第一アイツらと正式にパーティーを組んだ覚えは無いわけだしね」

 そう言われ、レイチェルは寂しくなった。たった一日だけど、死線を潜り抜けた仲とはその程度なのだろうか。

「ああ! やっぱり抜け駆けしてやがる!」

 聞き覚えのある少年の声が食堂に木霊した。

 サンダーは、階段から飛び降りると、皮のジャケットをはためかせて駆けつけて来た。

「アンタが、起きるの遅いからよ。そうじゃなきゃ、こんな長い話し、場所を選んでしてたんだから」

 ティアイエルは、恨めしそうにレイチェルを見た。

「白鳥の姉ちゃん!」

 サンダー・ランスはテーブルをバシリと叩き、血走った目で有翼人の少女を睨み付けた。

 レイチェルはその勢いに吃驚しながら、揺れる食器をそれぞれ押さえた。

「だからそう呼ぶな!」

 ティアイエルが苛立って声を上げた。

 ちょうどその時、階段からクレシェイドが降りてくるのが見えた。

 彼も昨日のことは、それだけだと割り切ってしまっているのだろうか。他の二人よりもクレシェイドは長くレイチェルと共に戦った。

 黒い鉄仮面はこちらを素通りしてしまうかと思ったが、その足先はこちらを向いた。

 レイチェルは嬉しくなった。

「仲間外れなんて酷いぜ! 昨日俺は散々姉ちゃんを護ってやったのに! 氷の女王! どうして連れて行ってくれないんだよ!」

「喧しいくせに身勝手なガキんちょなんてお断りよ! 他のベビーシッターを見つけてもらうのね!」

 ティアイエルが怒鳴ると、サンダーは途端に押し黙った。

 少年は肩を小刻みに揺らすと、視線を落とし表情をみるみる不安定にさせてゆく。涙が見えてくるのは時間の問題であった。

 レイチェルは心を痛め、思わず二人の間に割って入っていた。こんな形でお互いの素晴らしい縁に亀裂を入れたくなかったのだ。

 友達を失うことは悲しいし、それを自分達の手でするだなんて、考えるだけでも耐えられなかった。

「また四人でやりましょうよ。私とティアイエルさんと、サンダーさんと、クレシェイドさんとで」

 俯く少年を見た後、恐々とティアイエルを振り返った。

 予想通り険しい視線が向けられていたが、レイチェルも視線を逸らさないよう懸命に努めた。

「なあティア、ジミーだってなかなか役に立つんだぜ」

 カウンターの向こうから、マスターが助け舟を出す。

「今回を最終試験にしてみればどうだ?」

 そう言ったのはクレシェイドであった。

 レイチェルも、マスターも驚きの視線を彼に向けた。

 クレシェイドはティアイエルを見下ろしていた。

「お前の精霊魔法の凄さは認める。だが、昨日のサンダーの活躍は期待以上だ。よく頑張っていた。お前の心配する心もわかるが、冒険者に年齢は関係ない。誰しも自分の行動に対しては常に死と責任を感じながら身を投じている筈だ」

「顔も見せないくせに、よく喋るじゃない」

「その点の信用の無さは自覚している。気を付けて行けよ」

 クレシェイドは彼女達に背を向け、入り口の方へ歩んで行った。

 クレシェイドさんが行ってしまう。

 レイチェルはティアイエルを振り返った。

 青い瞳は厳格な光りを帯び、レイチェルを真正面から見据えている。

 でも! せっかくの出逢いをそれだけで終わらせたくない!

 レイチェルは睨み合いに挑んだ。全身は緊張で震え、心臓の忙しい鼓動が耳にまで届いてきている。

 クレシェイドさんの得体が知れないのは事実だけど、それでも良い人だってことも事実なんだから! こんなところで大切な絆を引き裂くなんて、私絶対嫌だよ!

 ティアイエルが目を逸らす。

 レイチェルはそのまま相手を見詰めながら裁きの時を待った。

 悪いけどレイチェル。アンタとのパートナーは解消するわね。

 きっと、そう言われるだろう。ティアイエルさんも良い人なのに、どうしてこうなっちゃうんだろう。

「呼んでくれば」

 相手は呆れたような疲れたような表情を向けてきた。

「サンダー、アンタも今回は連れて行ってあげる。二人揃って最終試験よ」

 ティアイエルが言うと、サンダーは即座に顔を上げた。少年は驚愕の顔をした後、決意に燃える表情をみせた。

「よっしゃ、わかった! 俺クレシェイド兄ちゃんを呼んでくる!」

 サンダーは冒険者達を避けながら、外へと飛び出して行く。だが、少年は入り口から顔だけ出して言った。

「ありがとう姉ちゃん達! 俺、絶対認められてみせるから!」

 そう叫んで消えて行った。

 ティアイエルは口の端に微かな笑みが浮かべていた。そしてその横顔を見ながら、涙腺が緩みそうなほど、レイチェルは彼女に深く感謝した。

 マスターが突き出た腹を撫でながら二人の下へ歩み寄ってきた。

「冒険者の中には訳ありの奴もいる。孤独なんだ。ジミーも、クレシェイドも、ここに来て長い方だが、人と組む事を怖がってる部分がある。まぁ、そこがアイツらの訳ありの部分なんだろうがな……」

「ジミーというのは、サンダーさんの本名ですか?」

 レイチェルが尋ねるとマスターは頷いた。

「そうだ。だが、まぁサンダー何とかってので、よろしくしてやってくれ」

 レイチェルは微笑んで頷く。が、ティアイエルは厳しい口調で応じた。

「言って置くけど、あたしの審査は甘くないわよ。命を預けるんだから当然でしょう」

 マスターは苦笑いを浮かべた。

「アンタも早く一人前になんなさいよ。あたしはもっとハイレベルな冒険がしたいんだから」

 辛辣な目を向けられ、レイチェルも苦笑した。

 そしてサンダーと、クレシェイドが揃って現れ、レイチェルは胸を大いに躍らせた。

 獣神キアロド様、ご加護を感謝します! 何とか私のパーティーが集いました!

「機会を貰えた事に感謝する」

 クレシェイドがティアイエルに言った。持ち前の深い音色のような声を聞き、レイチェルはまたもや嬉しくなった。

「採点は厳しくいくわよ」

「無論だ」

 クレシェイドが答えると、ティアイエルはそっぽを向いてみせた。

 そして一同は各々の準備のために一端解散した。

 レイチェルは神官の法衣の下にティアイエルから借りた皮鎧を着け、武器と荷物を抱えるとすぐさま下に降りて行った。

 その途中、一階の踊り場でクレシェイドと合流した。

「おそらくは、お前のおかげなのだろうな。すまない」

 彼はレイチェルを振り返り、静かに礼を言った。その際、階段の手摺りに、彼のバッグがぶつかり、一枚の羊皮紙がレイチェルの手元に舞い込んできた。

 彼女はすぐに返すつもりだったが、羊皮紙に記されているものが目に入り、知らぬ間に見入ってしまっていた。

 紙には絵が描かれていたのだ。あどけなさの残る女の子の姿で、顔から小さな両肩までの間が描かれている。髪を後ろで一つに束ねていて、表情はとても明るく笑っていた。

 妹さんだろうか。そう考えながら見ていると、彼女の耳がやや尖っている様に見えて気になった。

 エルフという種族がいるのだが、その人達の特徴として耳が尖っているらしい。

「名はリルフィスだ」

 静かに述べる声を聞いて、レイチェルは我に返った。

 慌てて羊皮紙を手渡すと、クレシェイド自身もじっくりと絵を眺めていた。

「妹さんですか?」

「そう……だな」

 歯切れの悪い答えをし、クレシェイドはバッグに絵をしまった。

 レイチェルは追求するのをやめた。ズケズケ踏み入るのはよくないし、既に踏み込み過ぎたと感じた。

「そのうち話そう」

 クレシェイドが彼女の肩を優しく叩いてくれたことが救いであった。

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