第1話 「ウディーウッドの冒険者」

 神官達のキャラバンは、更に奥、ブライバスンとペトリア方面へ、分かれて旅立って行った。

 屈強な冒険者達が、その護衛に着いているため、その身を案じる必要は無いとは思う。が、やはりレイチェルは不安であった。

 これまで寝食と稽古を共にしてきた、神官見習いの仲間達と、初めて離れ離れになったのだ。

 一番の友情を感じていたアネットは、ここから街道を東に進んだ都市、ペトリア村の次のムジンリに降りることになっている。

 こうなる日は前もって知らされていたが、その日が近付く度に、凶悪な魔獣の出現の噂が飛び交ったりし、神官見習い達は神経を磨り減らし続けていた。

 レイチェルは街道を見詰め、それぞれのキャラバンの無事を祈った。

 桃色の髪のアネット。賢くて、頼もしくて、真っ直ぐで……私なんかには本当に勿体無い友達……。獣神キアロド様、どうか私の分よりも彼女のことを見守って上げて下さい。

 そして今、神官見習いのレイチェルは、不安と緊張の面持ちで、冒険者ギルドを見上げていた。

「冒険者ギルド兼宿屋。走る親父亭」という看板が、入り口の上に掲げられている。宿も兼ねているためか、建物は大きく、外から眺めた限り一部は三階建てにもなっているようであった。

 ここを断られたら、他の宿を探さなくてはならないけど、もしも町中全部の宿が満員だったらどうしよう。野宿する神官だなんて、少し気まずいし、かっこ悪いよね……。

 我が主にして全ての獣の父キアロド様、どうかお部屋が空いてますよう、このレイチェル・シルヴァンスのお頼みをお聞き届け下さい。

 肩まで伸びた青髪を振り乱しながら彼女は必死に祈った。

「あんた、腹でも痛むのか?」

 後ろで男の声がし、レイチェルは慌てて顔を上げた。

 恰幅の良い、髭面の中年の男が心配そうに顔を歪めている。

「いえいえ、そうじゃないです」

 今の今まで祈っていた自分の姿を想像し、ましてそれが私欲に満ちていたため、彼女は思わず恥ずかしさで顔を真っ赤に染めた。

 男は曖昧に納得する態度を見せると、言葉を続けた。

「その格好、もしかしてお嬢さん神官様かい?」

「はい、そうです。エイカーの獣神キアロド様の神殿から来ました」

 すると相手は感心するように喉を唸らせた。

「そりゃ珍しいな。ペトリアや、ブライバスンからも若い神官がたくさん来てるが、皆、戦神か慈愛の神へ仕える神官様ばかりだ。俺の出会った限りだが、獣神様の神官はアンタ一人だけだな」

 確かに在り得ることだとレイチェルも思った。戦神ラデンクスルトや、慈愛の神メイフィーナは、神々を語る上では、どう捻じ曲げようが中心にきてしまうほどの、活躍や逸話が多かった。それに、彼らを描いた絵画にも勇ましさと優しさを感じさせる、美男と美女として姿が遺されている。

 彼女の信仰する獣神キアロドは、巨大な羊のような獣の身体に、白い竜の頭と両翼、そして太い四肢を持った姿として語り継がれている。多くの逸話のうちの殆どが、その背に他の神を乗せ、妖魔や堕ちた神々の討伐に助力するような内容であったり、時には仲違いした神達の間を取り持ち、関係を修復させたりするなど、人々を虜にするような、華々しさという魅力という点には大きく欠けていた。しかし、まるで自らそう振舞うかのようにも思え、その真摯な姿はいつしかレイチェルの心を虜にし、神官への道を決心させたのであった。

「だが、神話を語るにはキアロド様はなくてはならないお方だと俺は思ってる」

 レイチェルは思わず目を瞬かせた。許せないことに、最近の人々は獣神キアロドの名前すら知らないときていたのだ。時には、戦神に飼われているのだと勘違いしている若者もいて、彼女を大いに怒らせ、説教に駆り立てたのであった。

「それによ、獣神様がお許しになられるから、我々は罪と罰を受けずに動物の肉や毛皮を頂く事ができるんだ。そいつに気付けない大勢の連中を見ていると、俺は毎度毎度心が虚しくなっちまう」

「そうです、その通りですよ!」

 レイチェルは嬉しさと感動のあまり声を上げていた。多くの通行人が足を止め、彼女を訝しげに一瞥し、再び行くべき方角へと歩んで行った。

「これでも料理長もしてるこの宿の主だからな。ようこそ、冒険者の宿、走る親父亭へ。まぁ、俺は走れない親父だがね」

 出っ張った自分の腹を撫でながら、店主は愉快そうに笑い声を上げた。

「じゃあ、ギルドマスターさんですか?」

 吃驚して尋ねると、相手は口元を得意げに歪ませた。

「実はそうだ。さぁ、お入り。部屋は空いてるし、冒険者になるなら幾つか書類を書いてもらうのが決まりなんでね」



 二



「走る親父亭」の一階は、広々とした食堂になっていた。

 椅子とテーブルが整然と並べられているが、冒険者達は出払っているのか、客は疎らである。

 ギルドマスターにカウンターに案内される間に、二人の若いウェイトレスが好奇の目を向けてきた。

「新人さんかい」

 背後で男の声が響き、こちらに向かう靴音が後に続いた。

 ということは、先輩冒険者の方だ。レイチェルは再び緊張に襲われながらも、相手を振り返った。

 金髪の長身の男が微笑んで立っていた。若いが自分よりも随分年上のようである。そして端正な顔立ちと共に、所々色褪せた鎧の皮の部分と、腰に提げた長剣がとても様になっている。信頼できる頼もしい方なのだろうと彼女は思った。

「俺はアディオス・ルガーだ。君は神官なのかい?」

「初めまして、レイチェル・シルヴァンスです。エイカーの獣神キアロド様の神殿から来ました」

 先程の親父亭のマスター同様、アディオス・ルガーは目を丸くして答えた。

「獣神の神官さんは珍しいな」

「マスターさんにも言われました」

 すると、書類をカウンターに置きながらマスターが口を挟んできた。

「そうとも、もっともっと布教してくれよ。俺は最近の若い奴が戦神だとか、慈愛の神だとか、名ばかり知ってる程度のくせに、獣神のことを知らないなんていう態度を見て、腹が出るぐらい悲しくて悲しくてよ。良い機会だから、この町に神殿が建つぐらいに布教してくれ。そんでレイチェル、お前さんが神官長をやりゃ良い」

 マスターは熱の篭った眼差しを向けると、ハンカチで鼻をかみはじめた。

「さくっと書いちゃってくれ」

 マスターは項目の書かれた羊皮紙と、羽ペンとインク瓶を差し出してきた。

 書類に取り組んでいると、マスターがアディオスに言った。

「そういや、エディ・アルケミニュー達のこと聞いてるか?」

 マスターの声には暗さが漂っていた。

「聞いた。ヴァンパイアロードか……」

 レイチェルは思わず聞き耳を立てていた。聖に対する闇の者の中でも強大な力と知恵を持つヴァンパイアは、全ての聖なる神殿の仇敵であった。

 ヴァンパイアは人々の血を吸い、己が帝国の忠実なる下僕へと変えてしまう。神殿の役目の一つは、聖に対する闇の者の追討と討伐であった。

 見習いとはいえ、自分の役目を果たさねばならないと、レイチェルは強く思い立ち顔を上げた。

「私が向かいます」

 マスターは口をあんぐり開け、レイチェルを見下ろした。

「いや、今は止めておいた方がいい」

 後ろからアディオスが優しい声で答えた。

「神官の役目です」

 見習いだから、軽く見られているのかと思い、レイチェルはムッとして相手を見返した。

「心得ているさ。だが、まずは神官の先輩方に任せよう」

 アディオスは穏やかな表情を崩さず説き始めた。

「件のヴァンパイアは、ここから三十日ぐらい歩くリゴっていう北の村の近くに居城を構えている。ずっと前からリゴとその街道付近一帯には、傭兵や高名な司祭様達を中心に防衛の任に着いている。少なくとも、ヴァンパイア一族の動きを封じることはできてるだろう」

 アディオスがいうと、マスターが咳払いして後を続けた。

「アディオスの言うとおりだ、レイチェル。今のお前さんの最大の役目は、邪悪に立ち向かえるよう、自分自身を上から下まで鍛えることだ。そういうわけで、さっそく引き受けて貰いたい依頼があるんだな、これが」

 そう言うと、マスターは書類の隣に一枚の羊皮紙を置いた。

 紙には黒のインクでこう書かれていた。

「街道の警備の募集。近頃ゴブリンの群れの目撃情報が相次いでいる。近場とは言え、残念ながら警備兵の人手が足りず、巡回も十分にできるとは言い難い。そこでウディーウッドと、ペトリア間の街道の巡回を、真面目な冒険者諸君にお手伝い願うことにした。見回りは片道、約半日ごと。終了毎にウディーウッド、ペトリアの詰所へ報告すること。報酬は二千ジョエイン。尚、ゴブリンが出た場合は速やかに討伐すること。万が一それ以外の怪物と遭遇した場合も無理の無い程度に討伐すること。御苦労だが亡骸は各詰所へ運ぶようにお願いする。ウディーウッド警備隊長アルバートソン」

 ゴブリンとは、小柄だが強暴な気性を持つ生き物と知られている。

 討伐という言葉を聞き、レイチェルは自分の背筋が冷たくなるのを感じた。そして今し方ヴァンパイア討伐に熱を上げていた自分を思い出し、その差を不思議に感じた。そしてゴブリンとはいえ、生き物を殺すことができるのだろうか。と、悩んだ。

「思うところもあるだろう。だけど、その答えを導き出すには、これは良い機会だと俺は思うよ」

 アディオスが彼女の肩に優しく手を置いて言った。

 修行のためにここに来たんだ。立派な神官になるために、命の遣り取りに手を下す事だって必要だと思う。

 レイチェルは頷いた。

「よし、じゃあさっそく誰か組んでくれそうな奴を見てみるか」

 マスターが言い、レイチェルは今の今まで自分だけで挑むつもりであったことに気が付いた。

 例え一匹のゴブリンが相手だったとしても、自分だけでは不安であった。

 ヴァンパイアはゴブリンと比較にならないほど強いに決まっているのに……。それは、私がヴァンパイアの恐ろしさを、目の当たりにしたことが無いからだ。

「アディオス、お前さん暇か?」

 マスターが相手を見ると、レイチェルも期待を込めて先輩冒険者へ目を向けた。

 だが、彼は苦い顔をした。

「いや、悪いんだが、うちにはちょっと気難しい姫様がいるのでね。すまん」

「いいえ、気にしないで下さい」

 レイチェルは落胆を隠して応じた。

「お、一人発見」

 マスターは食堂を見回して声を上げた。

 少し離れた席で、分厚い本を眺めている女性がいる。いや、女性というよりはまだ自分と同い年ぐらいのようであった。金色の長い髪をしている。

「ティア、新人さんと組んでくれないか?」

 本を読んでいた少女が、気だるそうに顔を上げた。それを見てレイチェルは惨めで申し訳ない気持ちになった。

「賑やかなのはごめんよ」

 素っ気無い口調で彼女は言った。

「それに街道の巡回だなんて、面白みのおの字もなさそうじゃない」

「何だ、盗み聞きしてたなら話は早いじゃないか」

 マスターが言った。

「人聞きの悪いこと言わないでよね。あんた達の声がデカ過ぎるの! おかげで満足に読書もできないんだから!」

 ティアは両手でテーブルをバシリと叩くと、こちらへ歩み寄ってきた。

 しかしその彼女を見てレイチェルは驚いた。彼女の背中には白くて大きな鳥の翼があったのだ。

 ティアは冷淡な目でレイチェルを一瞥すると、マスターに向かって言った。

「それにこの依頼内容には終了の明確な期限が記されて無いわ。有耶無耶にして、結局二千ジョエインで死ぬまで見回りさせるだなんて、いかにも木っ端役人の考えそうなことよ」

 その言葉を聞いて、レイチェルはもう一度文面を見直すが、確かに有翼人の少女の言葉通りであった。

「惚けてると、依頼主のいい奴隷になるわよ。しっかり覚えておくのね。こんなところに頼みごとをする奴らなんて所詮、腹黒い連中ばかりなんだから。嫌なものは嫌! しっかり吟味して時には依頼主と交渉だってするの!」

「はい」

 厳しい瞳で睨みつけられ、レイチェルは萎縮しながら返事をした。

「そうだとも! さすがはティアイエル女史だ!」

 突然マスターが大声を上げたので、レイチェルもアディオスも、びっくりして身を退かせた。

 マスターは生真面目な表情を浮かべ、ティアイエルの顔をまじまじと見て、その両肩に力強い調子で手を置いた。

「その沈着冷静な観察眼! そして今日が記念すべき第一歩となる初心者冒険者を気遣う心優しさ! 君のような人材こそ、人を正しい方向へと導くことが出来るのだ! 後輩達はきっと誰もが君に教えを乞うことを夢見ているに違いない! そうだろ、色男剣士のアディオス・ルガー君!?」

 ティアイエルは呆気に取られた様子であった。

「そうだね。やってみなよ、ティアイエル。先輩になるのって苦労するけどさ、そこでしか得られない知識も多くあるんじゃないかな」

 ティアイエルは青年冒険者へ目を向けると、続いて戸惑うような表情を浮かべてレイチェルを見た。

「お願いします。不束者ですけど、精一杯努力します」

 レイチェルは半分は急なその場の空気に動かされるように頭を下げたが、すぐにこの人なら信じられると思い、素直に言葉を付け足した。

「しょうがないわね」

 顔を上げると、そっぽを向けて彼女は答えた。頬がやや赤いようにも思えた。

「よし、じゃあ、お前さんとレイチェルは今後はパートナーってことで良いな?」

 ティアイエルは不承不承というような態度で頷いて見せた。

 するとマスターが言った。

「さっきの依頼だが、一応口頭で聞いてる。終了期限は遅くとも二日だそうだ。警備の増援がこっちに向かってるらしいんだが、それと入れ替わりってことだとさ」

「アンタ、使える武器は何なの?」

 ティアイエルが尋ね、レイチェルは戸惑った。護身術はある程度心得ているが武器は使ったことは無かった。

「暇があるときに弓でも槍でも眺めときなさい」

 ティアイエルは特に呆れる様子も無くそう言った。

 アディオスが口を開いた。

「お前さんら二人の前を護る戦士が欲しいとこだよな。そういや、クレシェイドが上にいたぞ」

「そりゃあ丁度良いな」

 マスターが笑みを浮かべて同意する。しかし、レイチェルにはティアイエルの表情が険しく変わったように見えた。

「まぁどちらかと言えば寡黙な奴だが、腕は立つし人柄も尊敬できる良い奴だよ。俺は推すけど」

 アディオスが言うが、ティアイエルは表情を変えなかった。

「あいにく見たことは無いけど、黒ずくめの得体の知れない奴らしいじゃない?」

「何だ、お前さん意外と器が小さいんだな」

 マスターが挑発すると、ティアイエルは彼を睨みつけて答えた。

「こっちは二人でもか弱い二人なわけ。その黒ずくめが本性を現したら、私もレイチェルもただで済むとは思えないわ」

 やや疎外感を感じて、成り行きを見守るだけだったが、レイチェルは先輩冒険者の気遣いに嬉しさが込み上げていた。

「マスターも、アディオスさんもおっしゃるんですから、きっと良い人じゃないでしょうか」

 彼女が言うと、ティアイエルは落胆するように溜息を吐いた。

「アンタねぇ、平和呆けしてると本当に痛い目に遭うわよ」

「とりあえず本人に伺ってみたらどうだい」

 アディオスが苦笑する先には、階段を下ってくる大きな姿があった。

 その容姿にレイチェルは驚いた。ティアイエルの言う相手の噂話は、姿と雰囲気については正しくそのままであったのだ。

 クレシェイドという戦士は、漆黒の兜と甲冑に全身を包み、鞘に納まった大きな剣を右手に持っていた。

「よぉ、クレシェイド」

 アディオスが声を掛けると、クレシェイドがこちらを見た。

 兜には面頬が下りていて、その表情を窺うことはできなかった。

「アディオス」

 落ち着いた雰囲気の若い男の声が応じた。低い綺麗な音色のような声であった。

 悪い人ではなさそうだとレイチェルは感じたが、ティアイエルの手前、そう口にはできなかった。

「女の子二人と巡回の仕事に興味は無いか?」

 アディオスが尋ねると、クレシェイドはゆっくり歩み寄ってきた。

 そしてレイチェルは、見上げなければならないほどの相手の背の高さに驚き圧倒された。

「よろしく」

 クレシェイドは二人の少女を見てそう挨拶した。

「初めまして、レイチェル・シルヴァンスです。今日から冒険者になりました」

 レイチェルが挨拶を返すと、ティアイエルが咎める様に一瞥してきた。

「そうか。慌てずやると良いさ」

 クレシェイドは依頼の紙に目を落としながら答えた。顔は見えないが、彼が穏やかな表情を浮かべているような気がした。

「期限については直接言われたのか?」

 続いてクレシェイドはマスターに尋ねた。

「ああ、遅くとも二日だそうだ。お前さん、良ければ麗しの御二方の騎士になってやってはくれんかね?」

「何が騎士よ。騎士に見えたとしても道を誤った闇の騎士だわ」

 ティアイエルが声を潜めて言った。

「俺は構わない。そちらさえ良ければ」

 クレシェイドはこちらを見て言った。

「なら決まりだな。お前達はさっそく警備兵の詰所へ行ってくれ」

 満面の笑みでマスターが言うと、ティアイエルが口を挟んだ。

「だったらもう一人連れてくから。役立たずで構わないから、前衛が出来そうな人を誰か呼んどいて」

「わかった。適当な奴が戻ってきたら合流させてやる。ひとまず三人で詰所に行ってくれ」

 マスターが応じると、ティアイエルは入り口へ向かって歩き始めた。クレシェイドも、アディオスと頷き合いその後に続いた。

「幸運を祈るよ」

 アディオスがレイチェルに向かって微笑み、彼女も笑顔を作ってお辞儀をした。不意に、アディオスに対するよくわからない感謝の念が胸を締め付け、危うく目を潤ませてしまうかと思った。

「色々親切にして下さってありがとうございました」

 そう答えると、レイチェルは仲間達の背中目掛けて駆け出した。

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