第25話
……と言う事は勿論なく。
水路の大規模陥没、と言う事で片付けられた事件報道をホテルで聞く頃には、レックスは体調を崩してトイレから出られなくなっていた。おぇ、おぇっと度々聞こえる声から察するに、例の精神高揚剤のリバウンドが来ているんだろう。ティラ達も使われていた当時は薬が切れると酷い吐き気に襲われてたって言うし。私たち女子の部屋で断固預かると決めたオルちゃんも、トイレから出てこない。と思ったらこっちはこっちで、えーとその何て言うか。
「血が止まらないよぉ……」
「大丈夫よ、女の子には必ずある事だから」
「おぇ、吐き気も、お腹痛いのも止まんない……先生、俺死ぬの?」
「死なないわよ、大丈夫。お腹は温めていれば少しは平気になるわ。吐き気は薬が完全に抜ければ。大丈夫、大丈夫」
そう。
色々なショックで初潮を迎えてしまったのだ。
これは絶対にメガに知られちゃいけない。大人の女の子として扱って良いんだよね! とか言い出しそうでとてもとても。月に戻ったらどうしようかなあ。家もないし、心配な子はいるし。
そもそも私に家と呼べる場所はなかった気がする。託児所も、叔父の家も、私の居場所じゃなかった。ただ放置されていただけだ。そこにいる事を許されていただけ。大量の科学者たちは亡命先を選んだだろうか。そこでまた実験を繰り返すだろうか。置いて来てしまった三人のファースト達は無事だろうか。色々考える事がいっぱいで、今更頭がパンクしそうだった。その点花嫁候補と認められてるステちゃんは良いな。行き場所が決まってて。パラとプッテちゃんもそうだ。アイドルと追っかけ彼氏。そう言えばプッテちゃんはラジオがあるから、明後日までには帰らなきゃいけないんだっけ、月に。それまでに二人から薬が抜けて、オルちゃんの生理も終われば良いんだけれど。
今度は偽のパスポートで正規のチケットを手配してある。レックスとオルちゃんの分もだ。勿論ニトイも。子供帰りしたように先生、先生と泣いているレックスと、初潮で情緒不安定になっているオルちゃんのケアで、ニトイはてんやわんやだ。オルちゃんの事は私達も少しは手伝えるけれど、レックスにはニトイじゃないとダメなんだろう。男所帯に送り込むのはちょっと心配だったけど、あそこは一人以外は常識人揃いだから大丈夫だろう。いざとなったらダークネス・ソーサラーもある。そう。
戦力を切り離したくても、生まれついてのそれであるダークネス・ソーサラーはアルケミストミストを使っても切り離すことが出来ないらしい。どっかのモルグで丁度良い右手を持ってきて接続、と言うのも、遺伝子の拒否反応とかで駄目なんだそうだ。だからレックスは、あの危なっかしい兵器と一生生きて行かなきゃならない。彼らの一生がどのぐらいの長さなのかは、ニトイにも解らないそうだ。サンプルがない。そのサンプルにするのは嫌だから、彼らも月に連れて行く。もっともオルちゃんにとっては地獄の底かもしれないけれど。とにかくメガからは隔離した場所になるようニトイに頼もう。ニトイはニトイで月に別宅があるらしいから心配はないし、様々な分野に見識のある人だから、論文を書いて二人を養っていくぐらいは出来ると言っている。帰ったら連絡頂戴ね、と私達は彼女から名刺を預かっていた。地球の自宅には、もう行くことがないだろうとも。
でも二人がいれば大丈夫、と彼女は笑う。ちょっとしんどそうなオルちゃんも、トイレから出て来られないレックスも、その時は笑っていた。
「しっかしあの薬の強化型一気飲みって、宇宙でゲロ吐いても知らねーぞぉ? レックス」
アロがそのお腹に手をかざし、内部をアルケミストミストで洗浄する。それだけでも少しは良くなるようで、ふうッとレックスは息を吐いた。
「プロトが耐えたならファーストの俺が耐えられないはずが無いと思っただけだ」
「俺達だって嗅がされてただけだよ。お前騙されてるぞTITの連中に。今まではなかったのか、吐き気」
「多少はあった気もするが、もう思い出せない」
「そりゃ、これだけ盛大に吐けばねえ……」
苦笑いしたのはパラだ。片耳に無線型イヤホンを差して、プッテちゃんのラジオログを聞いているらしい。でもそれってゲストの声が聞こえなくてプッテちゃんの声しか聞こえなくないか、主だっては。まあそれだけで幸せなんだろうから良いけれどさ。私が立ち入ることじゃない。
「ティラは、月に帰ったらどうするの?」
怖くて聞けなかったことを、聞いてみる。そうだな、とマスク越しに口元を撫でたティラは、考え込んでいるようだった。
「旅をする理由もなくなったし、どこかで根を下ろすのも良いかもしれないな」
「そっか……街に近い街道沿いが良いと思うよ。色々楽だし。ね、キュムキュム」
「キュムー!」
エナジー・ストーンを体外排出できたお陰で、キュムキュムともいつもの距離だ。髪飾りとして付けている分には平気らしい。それも髪越しにしてしまえばあの仄かな光も私の金髪では目立たない。
「他人事のように言うな」
「え」
「お前も暮らす家だ」
……え。
えええええええええええ!?
「ちょっまっ何でそんな事に!?」
「お前、もうあの村には帰れないだろう。俺も根無し草だ。だったら二人で一緒に住んだ方が早い。それに」
「そ、それに?」
「アル博士達の娘を見放すわけにはいかないからな、俺達は」
……お父さん、お母さん。
ティラに優しくしてくれてありがとうございます……。
「えー理由ってそれだけー?」
にやにやしながら訊いてくるのはステちゃんだ。よ、余計なことは言わないでね? せっかくまとまりかけた話がパーになるようなことは言わないでね? 願いながら私は彼女をベッドの上から見上げる。男性陣の部屋の方が広いし、トイレも二つあるから便利なのだ。レックスとオルちゃんが。
「他にない事はないが」
「あることはあるんでしょ。言っちゃいなさいよ男の子」
「男女差別だな。時代錯誤な」
「私はアロ様にいっつも言ってるもん。アロ様大好き、って」
「いやーモテる男はつらいよなー」
「ちっともつらい顔に見えないが。お前、またあそこでレストランをするつもりか? 流行らないぞ」
「流行らなくても食ってくことは出来るしね、俺の場合」
アルケミストミストは便利な能力だ。無から有を作り出す、訳ではないけれど、同質量の物を別の物質に変えられる、って言うのは有用だと思う。樹からリンゴ作れるようなもんだし。リンゴ。そう言えば地球のリンゴの高さにはびっくりした。月では量り売りだったのに一個単位でしかもお高い。お陰でキュムキュムはちょっと幸せ太りしたように見える。月のリンゴに耐えられるだろうか、不安だ。人は一度良い物を知ると際限なく上を求めるから。
ん? なんかお腹にしこりがあるような……? ふにふにしたお腹を撫でると、嫌がるように身体を捩られる。
「パラ、ちょっと超音波検診お願い」
「え、ティラの子?」
「いや私じゃなくて。キュムキュムのお腹、なんかしこりが」
「どれどれ、ネクストレマー分析せよ」
そう言えばこう言う使い方も出来るんだよな、なんて今更思う。産科医になるには結構良い能力なんじゃないだろうか。いやプッテちゃん以外の女の人に興味なさそうだから仕事でも嫌がりそうだけど。
「これは……」
「何、悪い腫瘍?」
「違う。けれどもう少し放っておいたら面白い事になるような気がするから言わない」
「命に関わる事じゃないのね?」
「それは大丈夫。プッテちゃんの名に賭けて」
「人の名前に勝手に賭けないでよーパラ」
「それ以上の存在を知らないからね、僕は。プッテちゃーん」
この二人はもー……。
べたどろの幸せになってしまえば良いと、半ば呆れながら思うカップルだ。
「で、ティラの『他の理由』は?」
ステちゃんが掘り返す。
「俺はこいつを愛しているからな」
…………。
いつかのように私達はいっせいに吹き出した。
お父さん、お母さん。
私、帰る家が出来そうです。
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