第21話 その声は誰のもの(7)

「あの山って、噴火したりしますか?」

「噴火?」


 春野の言葉を反芻してから、ジェーンは笑って首を横に振った。


「噴火しているところなんて見たことないよ。そういう話も聞いたことないし」


 もう火山としては死んでるんじゃないかなぁ、と彼女は吞気に呟いた。

 とはいえ、妙にあの山が気になってしょうがない。

 たしかにジェーンの言葉を裏付けるかのように、緑が芽吹く山には「噴火」の2文字が似合わないくらい、平穏な空気が流れている。実際の火山を見たことがないとはいえ、見た目からして穏やかそうなあの山が実は地の底にエネルギーを溜め込んでいるとはどうしても思えない。

 けれど、なんだろう。この違和感は。あの山はどことなくまずい感じがする――。


「……あそこへ行くことは可能なんですか?」

「え、山に? 無理無理。神聖な場所だから、普段は立ち入り禁止だよ」

「そうなのですか」


 なんとかして行く手段はないのだろうか。気になってしまった以上、あそこには本当に何かあるんじゃないかと思えてしまう。それとも、神聖な場所だから余計にそう感じてしまうのだろうか。


 春野は自分でも知らぬうちに、心臓のあたりをぎゅっと強く握っていた。

 そういえば、ジェーンは「お祭りのときに生贄がお供え物を供えに行く」とも言っていたっけ。じゃあ、その生贄に選ばれれば――?


「お祭りっていつ頃なのですか?」

「もうすぐだけど」

「では、生贄はすでに選ばれてしまっているのですか?」


 さらに食いついてきた春野の勢いに困惑したのか、若干後ずさりながらジェーンは「まだだけど」と呟いた。


「そうなのですか」


 ホッと息をつく。なら、まだチャンスはあるかもしれない。

 もちろん気になっているのならすぐに行くことだってできるだろうけど、普段が立ち入り禁止なら踏み入るべきではないだろう。周りの目だって気になるし。

 あとは生贄に選ばれる条件とかはあるのだろうか。それを聞こうとしたとき、不意にジェーンの手がぽん、と肩に置かれた。


「春野、大丈夫?」

「え、何がですか?」


 質問の意味がわからず、春野はぽかんとしながらジェーンを見つめる。こちらの顔を覗き込んでいる姉の顔は、心から自分を心配しているように見えた。


「だって、急にお祭りのこととか。生贄のこととか。あれこれ聞き出すから。ねえ、やっぱり今日はもう帰って休むべきじゃない? アタシ、春野が心配だよ」

「そんな。大したことないですって。ちょっと、えーっと。この町の? 文化について知りたいなぁって思っただけで。それに、ほら。こうやって見ていけば自分の記憶が戻る手がかりを、何かつかめるんじゃないかと思ってですね」


 考えていることをありのまま伝えているというのに、ジェーンの顔はますます曇っていくばかりだ。

 ああ、どうしよう。このままでは本当に家に帰されかねない。


「春野は、どうしてそんなに自分の記憶が戻ってほしいって思うの? 別に今じゃなくたって、ちょっとずつ思い出していけば良いじゃない」

「え、だって」


 たしかに、ジェーンの言うことにも一理ある。わざわざ今急いで思い出そうとしなくたって、ちょっとずつ思い出していけば良いと思う。

 でも春野にはそうしなければいけない理由があった……気がする。それが何なのかはわからない。説明もできない。ただ、胸に残る違和感が自分の居場所を探しているのだ。


「ねえ、そうしましょうよ」


 そう呟いて、こちらの目を覗き込むようにジェーンはもう片方の手も春野の肩に置いてきた。


「ジェーン、あの……」


 見つめる黒い2つの瞳。姉の瞳。なのに、何故か底知れぬ闇を見たような気がした。


 逃げなきゃ。


 気がつくとそう考えていた。思わず身をよじって、彼女の手を振り払おうとするけれど、それ以上に強い力で肩をつかまれる。あっという間に身動きがとれなくなってしまった。

 なんだ、この子は。この子は、自分の姉ではないのか。ジェーンではないのか。しかも、目の色。さっきまで、あんなに黒かったのに。今は――。


 彼女の目は、黄色だったろうか?


「春野、よく聞いて」


 聞くな、と心が警鐘を鳴らした、気がした。どうしてと思わず問いかけそうになるけれど、警鐘はそれ以上何も言ってこない。

 どうにかして聞かない方法がないか考える。耳を塞ごうにも肩を抑えられているせいで腕をあげられない。なら少しでも意識をそらそうと思っても、ジェーンの声はまるでこちらに選択権など始めから存在しないかのように、強い意志を感じさせた。

 聞くことをむしろ、強制されているかのような。


「一緒に帰るの。今日は」


 耳に届く声が何度も脳に反響するように、響いた。


 ――帰る。一緒に帰る。


 ああ、帰らなきゃいけない。今日は。


 ――じゃないと、ほら。例えば。お母さんが心配する。お風呂に行ってくるって言ったきりだ。夕飯だって間に合わなくなる。

 ――山だって別に良いじゃない。記憶だって取り戻さなくたって。ジェーンの言う通り、ちょっとずつのペースで取り戻していけば良い。近いうちにお祭りがあるから、そのときに山に行けば良い。町のことだって、これからもずっと住んでいく場所なのだから、今急いで見なくたって、明日も、明後日も、1年後だって10年後だって。きっと町の様子は変わらない……。


「ほら、帰ろう。春野」


 ぽん、ともう一度肩を叩かれる。今度は優しい具合に。


「……ええ、そうですね。帰りましょうか」


 春野はうなずいた。

 微笑みを浮かべるジェーンの瞳の色は、黒で何もおかしいことなどなかった。

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