第7話 魔眼

 シーナが夕飯の片付けをしていると、宿泊客の1人が「すみません」と声をかけてきた。顔をあげると、そこにいたのは黒髪に左目の眼帯が目立つ青年と、常にキャスケット帽をかぶり、動きやすそうなパンツを履いた少年とも少女ともとれるような子どもだった。それぞれ、津鷹、春野という。

 どうかしましたか、とシーナが問いかける。2人は昨日からこの宿に泊まっているお客様だった。この町ではなかなか見かけることのない雰囲気をまとっているため――まあそれは旅人だから当然だともいえるが――、他のお客様からの好奇の目が絶えない。まして、春野の方は室内だろうと常に帽子をかぶっているため余計に目立つ。


 その春野が突然「ごめんなさい」と謝ってきた。

 何事かとシーナは首をかしげる。


 春野は遠慮深そうにこう切り出した。


「ちょっと、目が痛くて……。ゴミが入ったのかもしれないので、見てもらえませんか?」

「俺にはゴミが見えなかったもので、手伝ってもらえるとありがたいです」


 春野も津鷹も申し訳なさそうな顔で頼み込む。

 シーナは「いいですよ」とうなずいた。春野の表情は見えないが、悲しそうに肩を落としているように見える。シーナは春野の前にしゃがみこんで、「見せてください」と優しく声をかけた。


「……はい」


 春野の手が帽子へとのびて、それがおろされる。

 すると、帽子のなかに隠れていた春野の髪がふわりと肩にまで落ちてきたので、シーナは驚いてしまう。春野は高い声を持っているからなんとなく女の子ではないかと思っていたが、どうして大した量でもない髪をわざわざ帽子のなかに隠していたのだろう?

 そして初めてシーナは、春野という人間の顔をまともに見ることができた。


 肩まで切り揃えられた桃色の髪。こちらを真っすぐ見つめる、聡明な灰色の瞳――。


「あなた――っ」


 口を開きかけるが、何故かそのまま次の言葉を紡げなかった。

 春野に対して驚いてはいるが、それが理由ではない。声をだそうと思えばだせるはずだ。けれどできない。まるで体が金縛りにでもあったかのように、かちかちに固まって、微動だにできないのだ。

 まるで体が、自分の意思で動かなくなってしまったかのよう――。


 髪の色と同じく、春野の瞳が桃色に輝きだす。そしてそれを、シーナはそらすこともできずに見つめ続ける。

 体はまるで石のようで、見つめられた先からそれが全体に広がっていって、だんだんと体温が奪われていく感覚があった。

 津鷹が何かに気がついて、慌てて口をはさむ。


「春野、加減を」

「あ。は、はいっ!」


 春野の桃色の瞳の輝きがほんの少しだけゆらぎ、縛っていた力が弱まった。


「――っ、はっ。はぁっ、はぁっ」


 シーナはすぐさま酸素を求めた。呼吸どころか、心臓もとまっていたように思う。死にかけていたのかもしれない。

 春野が目の前で安堵したかのようなため息をついた。


「すみません、まだ慣れていなくて……」

「あなた、たちは……?」


 シーナは春野に向けたまま瞳が動かないなかで、津鷹に聞いた。

 彼は春野の後ろに立って、彼女の肩に手を置く。


「改めて自己紹介を。俺は津鷹、そしてこっちの子は春野。俺たちは『魔法図書館協会』から来ました」


 魔法図書館協会……。


「……もしかして、あの、都市伝説、の」

「そうです。ご存じでしたか」

「あたりまえ、です……」


 幼い頃、おばあさんに聞かされた物語。

 この世界には「魔法図書館協会」と呼ばれる、不思議な図書館がある。そこは普通の人には入ることができず、ある条件を満たしている人のみに入館を許される。そこはどこの世界ともつながっていて、けれどどこにも存在しない。この世界にあるといわれているくせに、この世界のどこにもない。そんな不思議な空間。

 そこには1000年以上を生きる魔女がいて、彼女の命令によって動く傀儡が存在している。


 まさか、実在していたなんて……。


「でも、いったいどうして」

「シーナさん。あなたは昼間の騒動の時、外にいましたね?」

「え?」


 昼間の騒動……?

 言われて気がついた。そうだ、そういえばそんなことがあった。暴れ狂った馬が馬車を操る御者さえも振り切って町中を暴走していった。

 そのときシーナは、生まれもっての力を見せたのだ。

 おばあさんから、そしておじいさんからも。「絶対に使ってはいけないよ」と念を押されたそれを……。

 だってそれは、普通の人間は持たないものだから……。


「な、何のこと……かしら……」


 ここはとぼけないといけない。だって今まで自分はそれを隠し通してきたのだから。バレたらいったいどうなってしまうのか。おばあさんは昔「売られてしまうよ」と脅してきた。

 そんな恐ろしいこと……! 売られるなんて絶対に嫌だ。だからシーナは幼い頃、怖くなって泣きながら神へと誓ったのだ。この力を生涯、絶対に使わないと。

 けれど昼間のあれはたまたまで、不可抗力だった。だって自分が止めなければ、器物の損壊や怪我人だけではすまなかったはずだ。きっと怪我人はもっといたし、死者もでていた。馬たちだって殺されていたかもしれない。

 神様だって、それくらい許してくれるだろうと――。


 春野の後ろにいた津鷹がシーナへと歩み寄ってくる。彼は春野の「目」で縛られたまま抵抗できないシーナの腕をとると、何故か鼻を近づけた。

 そして、犬のようにくんくんと鼻をひくつかせる。


「っ……?」

「甘い匂いがしますね」


 甘い匂い、と言われてシーナはまたもぎくっとした。


 騒動のあと、宿に帰ったら手首に紫色の付着物があった。汚したのかと思って軽くぬぐうと甘い香りが広がったのだ。

 もしかして、騒動のときに何か着いたのかと思ったが……。


「もしも先ほどの騒動にいたのなら、ここに甘い匂いがするんですよ。あの場を立ち去る際、手首に何かを投げつけられたでしょう? あれ、投げたの俺です」

「……私を、おびきだすため……ですか?」


 問い返すと津鷹はうなずいた。

 思考が停止して、目の前が途端に真っ暗になる。相変わらず春野から目をそらせないから、まだ彼女の「目」の効果は続いているのだろうが、それによってではなかった。彼女はずっと加減をしてくれている。


 どうして、知られてしまった?

 まさか神様への誓いを一度でもふいにしたから、罰が当たってしまったの?


「あなたたちは、神の遣い……なの?」


 シーナは春野から目をそらせない。どうして見つめられた程度で?

 そこで今さらのように彼女が自分と同じ能力者であることに気が付いた。


「……は、春野さんの……そのひとみ、は……」


 確かめるために問いかけると、春野ははぐらかすこともなくあっさりとうなずいて、白状した。


「僕の目は石化。見つめた者、目があった者を石に変えてしまうのです」


 そうだ。そうだ。やっぱりそうだ。以前この宿に来た旅商人から噂を聞いたことがある。

 ロガードからだいぶ離れた国に、塔の国・トゥーロと呼ばれるところがある。そこは名前の通り、塔が目立つ国で町中はほとんど塔で囲まれているという。

 そのたくさんの塔のなかで、一般市民が決して立ち入れない塔があるという。国のなかで、1番大きく、まるで空を突き抜けんばかりに高い塔が。

 そこには、王族の血を引く1人の少女が幽閉されている、と。


「……その、桃色の髪……。そう、そうよ……。噂で、聞いたわ……。あなた、トゥーロの……」


 直後、春野に迷いが生まれた。

 わずかのあいだにシーナを縛り付けていた見えない拘束が解かれる。

 その隙をついて、今度はシーナの瞳が輝きだす。


 異変に気が付いた津鷹が鋭い声をあげた。


「春野っ」

「――やめんかっ!」


 春野の体が宙へ浮きかけた矢先、闖入者の一喝する声がその場に響き渡った。

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