第31話 出発の時
出発は夜になってから行われることになった。それというのも夜の闇の中の方が、飛び立つ際の姿を隠すのに都合が良かったからである。
レトラ氏によると、竜は暗闇の中でも魔力を感知することで周囲の状況を知ることができるらしい。体力的にも何の問題もないということなので、そのまま目的の下級竜のいる場所にまで向かうことになったのだった。
「皆、私たちがいない間のピッピヨちゃんたちへの餌やりをよろしくね」
「任せておいてよ、先生!」
うちの小屋にいるコケコたちの面倒は村の子どもたちに任せることになったようだ。まあ、ピッピヨたちは妻だけでなく子どもたちにも大人気だったからな。普段も仕事がある日の昼飯分は学校が終わった後の子どもたちが率先して世話をしてくれていた。
親御さんたちが「これくらい家の手伝いもしてくれればいいのに」とぼやきながらも苦笑する姿もすっかり見慣れたものになっていた程だ。
将来的には村でもコケコたちを飼う予定にしているので、その人員が確保できたと考えれば、そう悪いものでもないだろう。
ちなみに、その話を聞いた俺がつい元の世界の「飼育係のようだな」とこぼしてしまったことから、ピッピヨたちの餌やりをすることが『飼育係』だと、間違って定着してしまったのには困ってしまったが。
一方、村長たちは何やら真剣な顔でバリントスたちと向かい合っていた。
「バリントス様、レトラ様。アリシアちゃんとヒュートをよろしくお願いします」
「二人とも大切なこの村の仲間ですから」
と思ったら、俺たちのことを頼み込んでいたようだ。
この人たちは全く……。出自の分からない余所者の俺ですら仲間だと言ってくれるのか。
これほどありがたいことはない。……ないのだが、できることなら俺たちの目に付かない所でやって頂きたかった、というのも本音である。
聞こえてきた台詞に何とも言えない顔になっていると、それを見て妻が噴き出し、釣られるように近くにいた子どもたちの大爆笑となったのだった。
「アリシア」
「なあに?」
「ここは、良い村だな……」
「ふふ……、そうね。温かい、良い村ね」
沈み行く太陽による茜色に染まる空と、俺たちを見送るために灯された篝火の薄明りの中で、俺たちはこっそりと手を繋ぎ合ったのだった。
余談だが、この後バリントスが空気も読まずに「いやいや、アリシアの方がよっぽど強いからな!よろしくしてもらいたいのは俺の方だ!」などと口にして妻の怒りを買うことになってしまった。
が、どこからどう見ても彼の自業自得なので、それ以降の詳しいことについては割愛する。ただ、物陰へと連れて行かれる様を、誰もが目を伏せて静かに見送ったとだけ追加で記しておくとしよう。
完全に日が落ちて辺りが夜の
昨日の今日のはずなのだが、なぜだか随分と昔のことのように感じてしまう。バリントス、妻に続いて尻尾の方から背中へと登って行く。
俺たちが昇り易いようにとレトラ氏はその身をできる限り低く伏せてくれていた。そうした気遣いを感じられることで、姿がどうあれレトラ氏であることに変わりはないのだと妙に実感することができたのだった。
「おー。思っていた以上に広いんだな」
両の翼に挟まれたその背中は想像して以上に広く、大人三人が座っても十分に余裕があるどころか寝転がることすらできそうだった。事実、妻からの制裁を受けたらしいバリントスはぐったりとその身体を横たえている。
足元のごつごつとした鱗に触ってみると、ほんのりと温かい。
ふと周囲を見てみると、村の入り口脇の物見櫓より少し低いくらいだろうか、その視界はかなり高かった。
異世界へとやって来ることも相当なビックリ体験だが、まさかまさか、その世界で竜に乗ることになるとは思ってもみなかった。
しかし、悪い気分ではない。昔、どこかの誰かが「大きな生き物は男子永遠の憧れ」だと言っていたが、今ならそれがよく分かる。尋常ではない勢いでテンションが上がっていくのを自覚していた。
「ヒュート、感動するのもほどほどにして、命綱を付けてちょうだい」
「あ、はい」
バリントスを叱りつけた直後という事もあって、妻の方はすっかり冷めていた。
この熱い想いを分かち合いたかったのだが、この状態の彼女に逆らうのは無駄に命を捨てることに等しい。指示された通りに命綱を腰や肩へと回してからしっかりと結んだのだった。
「さて、ヒュートさん。こちらの準備は完了しています。いつでも行けますよ」
レトラ氏に呼びかけられて気合を入れ直す。
ここからは俺の出番だ。信頼が九割で心配が一割といったところだろうか、妻はその感情を隠すことなくその愛らしい顔に乗せてこちらを見ていた。
更にいつの間に起き上がっていたのか、バリントスも興味深げな眼差しをこちらに向けている。
そして見送りの村人たちもレトラ氏の羽ばたきの風に煽られないように十分な距離を取っていた。よし、これなら巻き込むこともないだろう。
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