座敷わらしでブルドックな派遣退魔師の日常

嘉代 椛

100円のあん団子とか好き

 2011年1月3日。

 三が日など関係なしに舞い込んでくる仕事に体が悲鳴を上げている。なぜ年も明けたのに連勤が続いているのだろうか。働き方改革のありようや如何に。そんなことを考えながらも、ひたすらに冷たい空気の中を走り回る。営業だ。営業、営業、営業。

 社会の歯車の一つとして摩耗していく感覚はすでにない。自分が疲れているのは分かっていたが、それ以上に仕事だ。仕事をしている自分は歯車じゃないのかって? さあ、歯車は思考しない。

 

 ようやく仕事が終わり、雪の舞う暗闇の中家に帰る。マンションだ。どうせ都内に住むなら少しでもいい場所を、そう思ったのだが、今はただの寝床だった。寝るだけだ。三ツ口のコンロは埃をかぶっている。いや、右端だけは使っているか。

 エレベーターに乗り、郵便受けに入っていた新聞を流し読む。じっくりと読む気などない。そんなことをしているくらいなら、携帯で情報を調べた方が格段に早い。だというのにまだ新聞を取っているのは、断るのがめんどくさいからだ。惰性だ。


「お?」

 玄関の前にたどり着くと、犬がいた。

 犬だ。不細工な面構えにやる気のない瞳、力なく垂れた耳。床にはよだれだまりができている。

 ブルドックだ。ブルドックソースのマスコットの犬。生憎、それ以外の感想は浮かばなかった。


「お前、なんでこんなところにいるんだ?」

 返事が返ってくるわけもないが、そう問いかけてみる。周囲を見渡すが、段ボールは置いていなかった。

 捨て犬だろうか。マンションの中に? マンションの住人が置いていったとか、だとするならば人選ミスとしか言いようがない。俺に任せたところで育児放棄待ったなしである。この場合は育犬放棄か。


「ばう」

 けだるそうにブルドックが吠えた。

 なんだろう、この独特の感じは。可愛くない。全然可愛くない。それどころか、少し腹立たしい。今なんて屁をこいたし、あ、しょんべん出した。

 だというのに、妙に庇護欲をそそる。いかにもバカ犬といった風情だ。アニマルセラピーという療法もあるくらいだし、俺に必要なのはこういう癒しなんじゃないのか? 餌なんかは出しっぱなしにしておけばいいし、最近は電動のエサやり機もあるらしい。ここのマンション、ペットOKだしな……。


「明日休みだし、明日考えるか」

 とりあえず、そう呟いてブルドックとともに部屋に入った。

 段ボールの底に新聞を敷き詰めて、水を入れた皿を置く。

 そうして眠りについた。


 ◎


 翌朝起きると、異臭がした。

 なんだなんだとリビングに行くと、段ボールの中に大きめのうんこがされていた。ブルドックは適当な場所でふんぞり返っている。文句がありそうにこちらを睨みつけてるのは、あれだな、腹が減ったんだろう。


「うんこって、どうやって掃除するんだ?」

 生憎、ペットを飼ったことはなかった。まあトイレに流せばいいかと、新聞の上のモノはトイレに流した。新聞はビニールに入れてゴミ箱に入れる。

 ついでにゴミを出してしまうことにした。

「コンビニで朝飯買って、あとドックフードか」

 部屋から出ようとすると、短い足を動かしてブルドックが後についてきた。ドックフードという言葉に釣られたのだろうか、玄関から出てもただ後ろをついてくる。

 リードもないのに、大人しいことだ。以前はさぞ名のある犬だったに違いない。

 コンビニに行って、近くにある公園でドックフードをくれてやると、勢いよくがっついていた。俺はおにぎりふたつ。ドックフード一つ分と同じ値段だ。


「神隠し?」

 ふと、公園の掲示板が目に入った。こういうのって、だれが更新しているのだろうか。やはり公務員か? それとも、土地の管理者?

 それかけた思考を戻して、張り紙を見る。そこには『神隠し多発。見回り強化週間、子供の一人歩き危険』と書かれている。なんだこれは。


「ぁれ、堂島さん」

 食後の一服をしていると、見知らぬ爺に名前を呼ばれた。いや、見知らぬではない。えーと、ああ、そう。管理人だ。俺の住むマンションの管理人。善人で、仕事が丁寧。あと字もきれいだ。

「管理人さん、どうも」

 とりあえず会釈をした。忘れていたが、知り合いであるし、善人だ。散歩だろうか、そう思っていると、管理人はなんとも感心した様子で言った。

 

「堂島さんもぱとろぉるですか。いやぁ、お仕事も急がぁしそうなぁのに」

 何を言っているんだこの爺。

 あたりを見渡すと、なぜか公園に人が集まっていた。これからバーベキューでもするのだろうか。その割にはみんな物々しい雰囲気だが。

 主婦らしき女性が厳しい視線を向けてきたので煙草の火を消す。

 ブルドックは、あれ、どこ行った?


「パトロール?」

「えぇ、かぁみ隠しですからぁ。ちらぁしを見て来たぁんでしょう?」

 チラシ。郵便受けに入っていたのだろうか。生憎と、そういったものは読まずに捨ててしまうので、覚えはなかった。しかし、あれよあれよという間に人の集団に押し込められた俺は、気づけば蛍光色のたすきを受け取っていた。黒字で見回り強化中と書いている。

 冗談じゃない。明日も仕事だ。今日は休まねばならないのだ。


「がぁんばりまぁしょうね、堂島さぁん」

「…………はぁ」

 俺は断れない日本人だった。


 ◎


 結局、家に帰れたのは夕方だった。

 それじゃあ近くのファミレスで対策会でも、そんな言葉を発した馬鹿がいたのだ。

 家に帰ると、ブルドックが段ボールの中でふんぞり返っていた。

 鍵は……かけてなかったな。

 下の自動ドアを開け、ここまで登り、そして部屋に戻る。それを一人で成したとすればこの犬は天才かもしれない。

 ドックフードを傍においてやると、ブルドックはだらしなく舌を出した。嬉しそうじゃないか。そう思ってたが、しばらくして違うことに気づいた。あ、水の催促ね? ただいまお持ちします。

 すごい勢いで水を飲み始めた犬を眺めていたが、風呂に入ることにする。こんな寒い日にパトロールなんて、正義感は保温効果でもあるのだろうか。そうなら、ぜひ自分にも一つ欲しいところだ。

 風呂桶を洗い流し、スイッチを入れるとまたリビングに戻った。

 テレビのスイッチを入れると、若手芸人が紅白の幕の前で漫才をやっている。興味なく見ていたが、なかなか面白い。客いじりなんて、実に見事じゃないか。


「あはは……」

 ふと横から、少女の笑い声がした。

 えっと思って横を見ると、実に美しい和装少女が座ってた。

 おかっぱ頭に白い肌。簡素な着物。座敷わらしのようないで立ちだった。

「え、誰?」

 思わず呟いてしまったのは、仕方のないことだろう。

 気づけば隣に知らない女の子がいたのだ。ホラーだな。ホラーというか、はたから見れば事案。超常的恐怖と社会的恐怖の二重奏だ。


「座敷わらしだけど?」

 分かり切ったことを聞くな。そんな厳しさをもって放たれた言葉に、俺が悪いのかと首を傾げる。

 一気に同居人が三人になってしまった。この場合扶養家族という扱いになるのだろうか。

 どうでもいいことを考えながら、違う芸人のネタに二人で笑った。


 ◎


 それからしばらくは忙しい日々が続いた。

 忙しくない日があるのかと言われると、「ない」と断言できるが、いつもに比べてということだ。いつもに比べて殺人的に忙しい。


 忙しいことはいいことだ。なんていうが、限界がある。

 営業はマンパワーなのだ、そのマンパワーが不足しているから、うちの会社はブラックなのである。仕事が増えどもマンパワーは増えず。結果として、自分を擦り減らすことになるのだ。

 と言っても、気持ち的にはずいぶん余裕があった。

 それは家で飼い始めたブルドックと座敷わらしのお陰である。

 少女を飼っているというこの最悪な表現はこの際見逃してもらいたい。扶養家族みたいなものだから、セーフ。アウトか。

 そしてこの座敷わらしのお陰で、最近給料が増えた。正確には残業代が増えた。うちは残業代をしっかりと出す会社なので、つまりは残業時間が増えた。金を使う時間はない。

 なんだ、そろそろ死ぬのか。


 そんな感じで、体力的に限界を感じ始めてそろそろ一週間が経つ。

 人間というのは案外丈夫なもので、3時間程度の睡眠でもなんとかやっていけるようだ。しかし、この睡眠時間が短いのは仕事が原因ではない。

 百鬼夜行だ。座敷わらしは百鬼やこーと伸ばして呼んでいた。最近、夜になると、正確には丑三つ時午前2時を回ると、奴らがどんちゃん騒ぎを始めるのだ。

 太鼓の音頭に狂ったような笑い声。最悪なのはタイピング音のようなカタカタカタカタカタというラップ音である。少女によるとがしゃどくろのせいらしい。なんだって? ガチャ?

 それで、そんな日々を過ごしていたある日。会社からの帰り道で俺はぶっ倒れた。


 ◎


 道端で仰向けになってバタンキューだ。バタンキューとか全然聞かないな、ぷよぷよくらいか。

 体力的にやはり限界だったのだろう。死ぬかどうかはわからないが、体は動かない。人間は雪の中で安眠できるようにできていないので、おそらく死ぬのだろう。

 街の中には全く人がいなかった。百鬼夜行の影響か、神隠しの加速か。まあそう言ったものが重なって、22時を過ぎると外を出歩く人はほとんどいないのだ。

 ニュースでも夜中に出歩くことの危険性は声高に叫ばれていることだし、人がいないのも当たり前かもしれない。つまりどういうことだ。周りに人がいないということだ。助けてくれる人がいないってことだ。つまり死ぬ。


 まあでも周りに人がいても変わらなかったかもなーと、皮肉めいたことを思う。

 例えば、目の前で人が倒れたとして助けるだろうか? 助ける? ああそう、俺もそう答える。答えるだけだ。迷子の子供が泣いていても、老人が困っていても知らんぷりだ。それじゃあ俺なんかは助けてもらえないだろう。まあ自業自得ってやつだ。

 意識が薄れ、脳裏に意味のない映像が流れ始めた。

 脳っていうのはすごい。エンドロールみたいに俺の人生を振り返ってくれる。仕事仕事仕事タバココンビニ風俗。脳内メーカーみたいな偏り方なんだが? 最後に浮かんだのは、不細工なブルドックと美少女な座敷わらしだった。


『契約、するかい?』

 イメージのブルドックがダンディな声で囁く。すごいダンディな声だ。どのくらいダンディかっていうと藤岡弘くらい。

 その馬鹿らしい光景に弱々しく頷く。

 ブルドックは放屁すると、そっと俺の耳元まで寄って、耳の中によだれを流し込んだ。


『分かった。お前に力を与えよう』

 その瞬間、俺という存在すべてが変わった。

 詳細にいうならば、ぴっちりとしたスーツ姿が平安貴族のような装束。右手に持っていた書類の入ったカバンは「虫でも分かる退魔師入門:規則編」という本。そして上司の金切り声をリアルタイムで繋ぐ二世代ほど前の携帯電話は、鈍い光沢を放つ金属バットに変貌した。


『ハッピーバースデー、退魔師ナガセ』

 身体中にみなぎるパワーに心が震えた。ブルドックが俺の下の名前を知っていたこととか、割と気にならなかった。郵便物でも見たのだろう。賢いからうちの子。

 ゆっくりと起き上がると、目の前には座敷わらしとブルドックがいた。

 ……幻覚じゃなかったのか。


「はいこれ」

 座敷わらしが二枚の紙を渡してくる。一枚は契約書、もう一枚は領収書だ。

 ひとまず領収書を見る。基本退魔師セット154000円と書いてあった。しかも領収書ということはすでに購入されている。

 契約書を見る。えーと、なんだ? 京都御所組合東京支部所属・堂島ナガセ殿。随分と面倒な法人名だ。京都御所が組合化して、関東に進出したのだろうか。

 どうやら、今の自分は契約退魔師らしい。時給2400円、年齢性別経歴問わず、昇進あり……、副業禁止。


「これは?」

「詳しいことはサイト調べて、週ごとの討伐ノルマがあるけど、それは研修終わってからだから」

 討伐ノルマ……。目標営業数みたいなものだろうか。

 なんか色々聞きたいことがあったが、面倒なのでやめた。寒いし、ネットで見れるらしいし。


『今日はお祝いメニューだ』

「アレ食べたい。チーズインハンバーグ」

 2人の言葉に、コンビニに寄って帰ることにした。ちょうどタバコも切れてたし。

 コンビニの外国人店員が、オージャパニーズ清明、ワーオ! といったので、座敷わらしに頼んで退魔師のパンフレットを渡してやった。明日から君も契約退魔師だ!! 就労ビザとか使えるのだろうか。

 家に帰って、買った惣菜をレンチンして米を炊いた。

 座敷わらしはチーズインハンバーグと大福。ブルドックは無添加ドックフード。俺はホルモン焼きと餃子をつまみにビール。

 明日は昼過ぎまで寝て、会社は辞めてしまおう。

 耳に注ぎ込まれた唾液のおかげか、やけにスッキリした頭でそう考えた。

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