小谷野敦空母撃沈か

 いわずもがなかもしれないが、本稿『禁煙ファシズムとの死闘』の語源は評論家であり、芥川賞候補を二度経験している優秀な小説家である小谷野敦氏の『禁煙ファシズムと断固戦う!』である。小谷野敦氏は幼少期より、三度、交通事故の被害にあわれているらしく、「煙草より車のほうが危険」「煙草を排除するよりも車を排除すべき」というように標榜していた。勤務先である東京大學も全面禁煙化されたことから遯竄したという。

 斯様なる心強い同志がいることが、どれだけ、我我喫煙家の精神的なる艫綱になっていたことだろう(余談だが、小谷野氏によると、「愛」という文字は「人類愛」「博愛」などの無限定的な対象をあつかうときにつかうべきで、煙草だけにむけられる「愛煙」という熟語は矛盾しているという)。然様なる小谷野氏に異変がおこっている。

 小谷野敦氏はTwitterとブログをなさっているが、輓近、Twitter上で「ニコレット中毒になった」というような主旨を揮毫しているうえ、禁煙治療をうけることにした海外俳優の記事や、上手な禁煙法の記事を引用するというなぞめいた行動をしはじめている。個人的に、小谷野氏のTwitterを蹔、劉覧していなかったので、今囘、最新の投稿から、遡及できるかぎりである今年二月七日のツイートまで閲覧させていただいたが、小谷野氏が禁煙に挑戦しはじめたという明鬯たる記事はみつからなかった。ブログも同様である。

 ゆゑに、小谷野氏が禁煙をこころみているとは闡明されないが、状況証拠が幾許か散見されるため、愚生としては私淑している小谷野氏が『転向』なさったのではないかと怵惕惻隠しているのである。這般の事情が、単純明快なる愚生の謬見や統合失調症ゆゑの関係妄想であればなんら問題ないのだが、「狂気の妄想が現実ではないという証拠はない」というマーフィーの法則もあるために、『喫煙家としての小谷野氏撃沈か』と本稿をおこしたのである。無論、小谷野氏が禁煙したところで、小谷野評論や小谷野文學の價値が云云されるわけではない。小谷野氏はこれからも優秀な評論家であろうし、倜儻なる小説家であるだろう。(「童貞放浪記」は現代私小説の傑作中の傑作である。なぜ、本作に芥川賞を享受せしめなかったのか)

 小谷野氏の『喫煙家』としての無事を祈禱する。

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