第 12話 戴冠式。そして国内戦の集結


 ―レリウス歴1583年11月29日午前

  パノティア王国、王都ルナ、王宮内大聖堂―



 「――我らが神を敬い、我らが神を愛し、我らが神を信ずる者に、我らは権威を与えん。汝、フランケルコは、我らが神を敬い、我らが神を愛し、我らが神を信ずるのであらば、我が下に膝を屈せよ」

 「我、ここに至りて、我らが神を敬い、我らが神を愛し、我らが神を信ずる者として御前に膝を屈しよう」

 「ならば、我らが神より賜りし聖酒をその身に受け、パノティア王として身を改められよ」


 衆人環視の中、片膝を付いたフランケルコ秀吉は、教皇領からやって派遣されてきたラフェル枢機卿からブドウ酒が注がれた。

 頭から掛けられた聖酒は、顎から垂れ落ち、首筋を伝って体を濡らしていく。

 誰よりも豪奢で鮮やかな衣装が、その聖酒によって微かに変色するが、しかしそうなってすら、映えて見える。

 ステンドグラスから差し込む朝日が、フランケルコに注がれた聖酒に反射し、キラキラと輝かせていた。


 やがて、ラフェル枢機卿が玉座に置かれた王冠を手に取ると、高らかに掲げる。

 ダイヤとエメラルドが散りばめられた、純銀製の王冠だ。


 「我らが神の僕たるフランケルコよ、この王冠を戴き、パノティア国王として我らが神、レリウスの守護者たれ!」


 掲げられた王冠は、聖酒に濡れたフランケルコの頭上に添い置かれた。

 片膝付いていたフランケルコは徐に立ち上がると、ラフェル枢機卿に促されて戴冠式の出席者へと体を向ける。

 薄く笑みを浮かべ、自信と威厳に満ちたその相貌は、まるで、初めから一国の国王であったかのようだ。


 「我らが神の名の下、王冠が授けられ、フランケルコ3世が新たにパノティア国王と認められた!」


 ラフェル枢機卿の高らかな宣言により、こうしてフランケルコは、”フランケルコ3世”として即位した。

 新国王、フランケルコ3世である。


 「フランケルコ3世陛下万歳!」


 まず初めに万歳を独唱したのは、実弟のアンリマルクだった。式次第の進行も務めたアンリマルクが、いの一番にその栄誉を称えたのだ。そうすることで、兄弟間の結束と、弟が兄を支える構図を見せつけたのである。


 『フランケルコ3世陛下万歳!!』

 『パノティア王国万歳!』


 それを知っている者も、知らない者も、アンリマルクに続いて万歳を斉唱した。

 顔ぶれは様々だ。親族で言えば、実弟のアンリマルクの他、実妹のミリア、それに母や妻子など。

 家臣で言えば、独立騎兵隊隊長のキルク英弘を筆頭に、ポーラット忠道将軍、キーシュハルゼー提督。それに近衛赤組隊長で伯爵として叙勲を受けたアルク・セロや、その長子、セルク・セロなど。

 貴族で言えば、大貴族の筆頭となったアンドレク侯爵など。そうそうたる顔ぶれであった。


 永遠に続くかとも思えた万歳の斉唱も、新国王が手で制止することでピタリと収まる。シン……と静まった所に、その口が開かれた。


 「新国王に、今、余が即位した」


 ”余”という一人称は、フランケルコが公式の場で使う呼称だ。つまり、これから紡がれる言葉は公式のものである、と宣言することに同義であった。


 「余が即位したは良いものの、未だパノティアにおいては、余の権勢に異を唱える者がおる。誰のことかは、最早言わずもがなであろう。余はこの者どもを、”賊軍”と称し、征伐する覚悟でいる」


 「賊軍」……エリンスケルコ派を暗にそう呼称したことで、会場が俄かに喚きたつ。公式の場でそう称することで、フランケルコは、エリンスケルコ征伐の大義名分を自ら作り上げ、それを正当化したのだ。


 「賊軍を征伐するにあたり、諸君らには益々の忠義を期待するものである……パノティア王国万歳!」

 『パノティア王国万歳!』

 『新国王陛下万歳!』

 『我らが陛下に万歳!』


 熱狂が、大聖堂を包み込む。万歳の大合唱が王宮内に響き渡り、彼らは新たな国王の誕生を歓迎した。

 確かに、未だに内戦の戦火は残っている。だが、しかしフランケルコ3世は実力を示し、国王の座を掴み取ったのだ。

 それは紛れもない事実であり、それを阻止できなかったエリンスケルコは最早、異を唱える資格も権利も永久に失われたのである。


 「皆に告ぐ!」


 であるからこそ、本気かどうかはともかく、自らを慈悲深いと認識しているフランケルコ3世は、エリンスケルコに引導を渡さんと号令を発した。


 「我らパノティア王国諸領の力を持って、賊軍の大将たるエリンスケルコを完全攻囲し、これを完膚なきまでに叩きのめす……”ドロウ征伐”を敢行する!」

 『おおおおおーーーーー!!』


 こうして、パノティア王国の新国王、フランケルコ3世により、エリンスケルコが治めるドロウ領への征伐……”ドロウ征伐”が始まった。

 この内戦が勃発した1581年12月19日から数えて、まだ1年と経っていないにも関わらず、それは終局を迎えようとしていた。

 エリンスケルコが政略、戦略、戦術に非才であったからだろうか。それとも、フランケルコ3世が非凡であったのだろうか。或いはその両方なのか。それを判断するのは後世の歴史家なのかもしれない。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 深夜、戴冠式を終え、英弘達はいつもの小さな会議室に集まっていた。

 当然ギフトの4人だけであり、ギフトによる会議の為の集まりである。


 「予定通りに即位出来て良かったね。秀吉君」

 「これで俺様達も、本格的な活動が出来るってわけだ!」

 「うむ。じゃがその前に……」

 「まずはドロウ征伐ですね」


 英弘が秀吉の言葉を受け継いだ。


 「現状を確認しますが、我々はこの2か月で戴冠式の準備だけでなく、ドロウ征伐の準備も推し進めてきました」


 戴冠式の準備についてはそこまで手間を掛けることは無かった。教皇領へ働きかけ、ラフェル枢機卿に賄賂を贈り、エリンスケルコ派側との繋がりを断つ。ただそれだけのことで何も難しくはない。

 教皇領への働きかけは大々的に、エリンスケルコにも分かるように推し進めつつ、その裏ではドロウ征伐の準備も行っていたのだ。


 「正直、ドロウ征伐の準備の方が大変でしたよ」

 「だがよう、ヒデヒロが戴冠式の準備を使ってカムフラージュしたお陰で、スムーズにやれたじゃねえか」


 ハルゼーの言った通りだ。ドロウ征伐の準備を秘匿するにあたり、戴冠式の準備をわざと派手に行うよう献言したのも英弘であった。

 ただでさえ、情勢と世論が秀吉に味方しつつある中で、その秀吉が戴冠式の準備を行っていたら? エリンスケルコは躍起になって止めようとするだろう。

 そうやってエリンスケルコに考える力を与えず、彼らが躍起になる裏で、エリンスケルコを追い詰める準備をする。

 そういう、無駄の無く、冷徹な判断を英弘はしたのだ。


 「信頼できる貴族や領主への指示の他に、エリンスケルコ派への調略と偽情報のリーク、経済封鎖とまあ、英弘君も色んな策が出てくるね」

 「万全に万全を、ってやつですよ」


 離反工作に情報戦略、エリンスケルコ派を狙い撃ちにした経済制裁。これら全てをもって、英弘は万全な準備を行ったのだ。

 資金や時間が掛かるだろうが、人命の損失を押さえられる手段を取るべきだと英弘は考えていた。

 敵味方関係なく……まして同じパノティア人同士が相手であれば、その人的損害を最小限に留めなければならないし、最小限に留めたいとも思っていたのだ。

 何より、敵であっても人の死ぬ姿は見たくないし、その命を絶つなどごめん被りたい。

 英弘自身、甘い考えだと自覚しているが……。


 「何やら、甘ったれたことを考えておるのう」

 「うっ……すみません……」


 そして英弘の思考を看破した秀吉。

 まるで、本でも読むように心の内を見透かされ、英弘は一瞬たじろいだ。

 英弘自身、平和だった前世での感性が、未だ心の奥底に沈んでいることに気付かされる。

 この世界でそれは命取りになるだろうと、頭の片隅では理解していても……。


 「まあ、それはええとしてじゃ……」


 秀吉は、そんな英弘の蜜のように甘い心を、その表情から察して楽しみつつ本題に移る。


 「バカ兄との乱痴気騒ぎも、次で終いにする」


 空気が変わった。

 和気あいあいとしていた会議室の空気感が、冷たく鋭利なものへと途端に。

 秀吉も忠道もハルゼーも、表面上は笑っているが、その目だけはドライアイスで出来ているかのようであった。

 当然、その空気の変貌を感じた英弘は、努めて、己の甘さを切り離そうとする。


 「狙うは奴の居城であるエント・ビアント赤い山の城。主軸は儂とアンリの隊で城の正面に布陣する。忠道は鉄砲隊を指揮し、大手門の前に布陣させよ」

 「正面から出てきた敵兵を撃滅するんですね?」

 「そうじゃ、使い方は任せる……ハルゼー、お主は先行して、オキデンス海に面した敵の港街を攻撃し、敵を釘付けにせよ」

 「へへ! 任せときな! 綺麗にタッチダウンしてやるぜ!」


 秀吉が、忠道とハルゼーに役割を与えていく。当然、それは英弘にも……。


 「英弘」

 「はい。陛下」

 「お主にもまあ……敵への使者として赴いてもらう。降伏を促す使者としての」

 「……ハッ!」


 重要な役割だった。またぞろ、敵を徴発して来いだのと言われるかと思ったが、しかしそれよりも重要で、重大な役割を任されたのだ。

 これには英弘だけでなく、忠道もハルゼーも意外そうに顔をしかめる。何故なら、内戦の終結に直結する政治的な接触を、そんな経験のない英弘に任せたからだ。


 「とは言うても……」


 秀吉は、明後日の方向を見つつ、嘲るように続けた。


 「エリンスケルコのバカが素直に応ずるとも思えんがのう。ヒッヒッヒ!」

 「えっ!?」


 なんて無責任な! と英弘は1人憤慨した。要は、断られる前提で英弘を送り出すことと同義なのだ。言った本人秀吉はいいかもしれないが、言われた方英弘としては堪ったものじゃない。

 英弘は隠すことなく、露骨に顔をしかめた。


 「そう嫌そうな顔をするでない。この戦が終われば、本格的に惣無事がなる。その為の、胆力作りの一環じゃと思え」


 秀吉は、知識だけの頭でっかちな英弘に、政治的、軍事的な経験を積ませたいと常日頃から考えていたのだ。

 その為に、フリド・べローニャ会戦では敵への挑発を命じたし、普段から政務や政策面においてこき使って・・・・・きた。

 そして今回、その両方の面で重要な任を、あえて英弘に与えたのだ。

 英弘にはもっと役に立ってもらわねばならんと、秀吉はそんな思惑を抱いて。


 「ぅうぅ~……分かりました! どうなっても知りませんよ!?」


 役割を与えられた英弘は、半ばヤケクソ気味に返事をする。

 無茶苦茶なことを言いやがって! と口からついて出そうになったものを引っ込めつつ。しかし秀吉が考えてるであろうことは、なんとなく理解しているのだ。


 「やあ、頑張ってくれたまへ。英弘君」

 「ヒデヒロ、ビビるこたぁねえ! 奴の金玉掴み上げてやりゃ、相手の方がビビッてくれるぜ!」

 「コイツら……」


 とはいえ、忠道とハルゼーから他人事のように言われれば、ストレスに身を包まれるのも自然なこと。

 2人に両肩を叩かれ、英弘の額には、条件反射的に青筋が浮かぶのだった。




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 ―レリウス歴1584年1月15日午前

  パノティア王国、ドロウ公領、エント・ビアント城内―



 パノティア王国、第1王子のエリンスケルコは、勝利を絶望していた。

 フランケルコ秀吉に追放され、意気揚々と兵を挙げて戦ったカスティリヤ盆地では大敗し、慎重に戦ったフリド・べローニャ会戦でも完敗したのだ。 

 その上、名実共に国王の座に就いたフランケルコに”賊軍”扱いされ、フリド・べローニャ会戦以降離れていった貴族が、更にその数を増やした。

 最早エリンスケルコに残されたのは、たった1千5百の兵と5人の貴族だけである。対するフランケルコの兵は、3万であった。


 「殿下……キェル港が制圧されたと、先程報せが届きました。また、城内から脱走する兵の数が増え――」

 「だまれーーーーー!!」

 「ぐっ!」


 怒声と共に杯が飛んだ。

 城内の兵の指揮を任されたドナート伯爵が、エリンスケルコの部屋で頭を垂れ、淡々と報告や意見を述べる最中のことだった。

 酒浸りになったエリンスケルコが怒鳴り声を発すると共に、手にしていた金製の杯を投げつけたのだ。それがドナート伯爵の額に当たり、血を滴らせる。

 それでもドナートは、意見を止めようとしなかった。


 「ですが! このままでは兵の脱走を阻止できません! どうか降伏のご決断を!」

 「出来るわけないだろっ!! そんなことすればフランケルコに殺されるだけではないか!!」


 更に大きな怒声が響く。

 ”賊軍”と称されたことでエリンスケルコは、投降したところで処刑されると確信していたし、実際、秀吉はエリンスケルコを処刑するつもりであった。

 殺されることが分かっていて、どうして降伏できようか!

 ことここに至っても、エリンスケルコは自らの生にしがみ付こうとしていたのだ。


 「そもそも我が賊軍だと!? 奴が国王だと!? ぁぁあああああ何でこうなったのだあああ!!」


 頭を掻きむしり、艶の無くなった髪を振り乱すエリンスケルコの惨めな姿といったら……。

 ドナートは寧ろ、その姿を見て哀れに思えたのだ。

 このままエリンスケルコを見限って、フランケルコ派に転ぼう・・・かとも考えたし、以前から敵からの誘いもあった。

 だが、エリンスケルコを主君と決めておいて、それを裏切ってまで生き残ろうとも思えない。

 つくづく、不器用な生き方をしてしまったと、ドナートは心の中で嘆息する。


 「では殿下……私は最後の矜持を奴らに示そうと思います。殿下も……出来ることなら、王族らしい最期をお迎えくださるよう……」


 深く、深く頭を下げたドナート。だが、頭を上げ、目に入ったのは……そんな言葉すら拒絶し、机に突っ伏すエリンスケルコの姿である。

 そして、その姿が、ドナートの見たエリンスケルコの最後の姿でもあった。




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 エント・ビアント城は、小さな山の上に築かれた城塞である。

 2重にそびえ立つ城壁が”堅牢”という文字に見える程、その守りは堅い。

 しかし、その堅牢な城を守り切れるほどの人員がエリンスケルコ側にいないのが現状であった。


 また、北部に街があるのだが、今ではその街も秀吉率いる”王国軍”の占領下に置かれていた。街を占領した当初、王国軍による乱暴狼藉が多発。しかし秀吉はこれを厳しく咎め、捕らえられた者は街の中心で処刑したのだ。

 この一連の出来事により、秀吉は街の住民から一定の信頼を得ることに成功する。

 重税ばかり課してきたエリンスケルコよりは信頼できそうだ、と……。


 「ほぼ全周にわたって味方が陣を敷き、簡単な城まで築くとはね」


 簡易的且つ、迅速に築かれた城の柵内で、忠道は感嘆の声を漏らした。

 感心した様に柵のすぐ内側から周囲を見回し、その陣容に感嘆したのだ。

 その最たる理由が――。


 「まさに、墨俣の一夜城ですね」


 今しがた、英弘が言ったことに尽きるだろう。


 「川の上流から資材を流して、それを仮組し、夜の内に一気に建てる……相手は驚いたでしょうね」

 「たまたま川が近くにあって、たまたま程よい丘があったからのう……よし、やろう! と思うたわけじゃ」


 自慢気に話す秀吉であったが、その目は、好奇心の色を乗せてある一点を見ていた。それはエント・ビアント城の大手門の前面に施された、長大な溝である。

 その視線に気づいた英弘が解説した。


 「塹壕ですね。凹型に掘ってるから攻城を目的としたものでなく、敵を迎撃するための物ですね」


 冷静にその知識を披露する彼に、秀吉は感心した様にしきりに頷く。


 「儂の知る堀よりも、複雑で無駄のない堀じゃな。機能的でよいではないか! 敵が散っていく様を見るのが楽しみじゃわい!」

 「まあ、あの正面門から素直に出てきてくれればいいんだけど……じゃ、僕はそろそろ行くよ」


 忠道が、どこかのんびりとした口調で言った。そのまま彼は、手をヒラヒラさせながら件の塹壕へと向かう。その足取りは、今から前線の指揮に赴くそれではなく、会社に向かうサラリーマンの如くであった。


 「陛下」

 「おおアンリか!」


 忠道と入れ替わりでやって来たのは、秀吉の実弟であるアンリマルクであった。


 「貴族連中の様子はどうじゃった?」

 「概ね、陛下の行動に肯定的です。フランケルコ派はともかく、中立派や鞍替えしてきたエリンスケルコ派も、陛下のご機嫌取りをしたくて堪らない様子でした」

 「スマンのう。お主にばかり連中貴族の相手をさせて」

 「お気になさらず。こういった仕事は私にお任せください」


 人懐っこい笑顔を浮かべ、胸に手を当てるアンリマルク。

 そんな様子を見ていた英弘は、イケメンで王族で金持ちだと、人生に困らないだろうな……、などとボンヤリ考えていた。

 その英弘自身、今年で12歳を迎えるものの、将来的には期待できる顔付きではあるのだが……惜しむらくは、女性の胸を見て鼻の下を伸ばすところであろうか。


 「陛下!」


 と、近衛兵総隊長へと新たに任命されたアルク・セロが駆け寄る。

 その指は、戦場を指していた。


 「御覧ください。城門が開かれております」

 「うん? おお開かれとるのう」

 「敵の兵が整列していますね……エリンスケルコが包囲網の突破を図ろうとしているのでは?」


 3人の視線が城門に集中した。エント・ビアント城の城門下では、敵の騎兵を先頭に5列縦隊で並んでいる様子が伺える。

 それを把握したアンリマルクは、決死隊による包囲の突破だと見解していたが、英弘の見解は違った。


 「一か八かの、大将首を狙った突喊かと……あ、突撃してきましたね」

 「ん? キルク、どうしてそう思ったんだ? 包囲網を突破して、他国なりに亡命する方が賢明ではないか?」

 「おおーー! そこじゃーー! やれーー!!」

 「いえ、アンリマルク殿下、敵城門の真正面には陛下の精鋭銃兵4千が布陣し、更にその後背を、アンリマルク殿下の隊4千が布陣しています。ですから、都合8千の兵を突破し、振り切って逃げるのは難しいかと」

 「ヒッヒッヒッヒ! バカ者どもめ! 儂の育てた鉄砲兵が簡単にやられる訳なかろう!」

 「成程……追っ手を振り切って逃げるよりも、本陣に留まる陛下の首を狙う方がまだ簡単だと、そういうことか」

 「ざっくばらんに申し上げれば」

 「何をくっちゃべっておるか! 見てみい! 忠道の指揮で連中、バタバタ倒れて行きおるわい!」


 やたらと興奮した様子の秀吉が、状況を分析していた英弘とアンリマルクの意識を戦場に向けさせる。

 エント・ビアント城の城門から、忠道の籠る塹壕までの距離2百メートルの間には、無数の敵兵の死体が転がっていた。

 未だに生き残っている敵兵の数も知れており、百を下っているだろうか。

 それでも、彼らは突撃することを諦めず、今にも塹壕を突破せんとするが……。


 「しかし、君達もよく考えるものだ……マスケットに短剣を装着して、銃兵をそっくりそのまま槍兵にしてしまうのだからな」

 「これも、ギフト前世ならではの知識ですよ」

 「……末恐ろしいものだ」


 塹壕で待ち構えていたのは、銃剣による槍衾であった。

 残りの殆どが、これを乗り越えられずに自ら串刺しとなり、多くの命が散っていく。それでもいくらかは塹壕を突破したが、最早それも、ごく僅かでしかない。


 「敵の指揮官は、紋様から察するにドナート伯爵でした。城門を出た兵の数はおよそ1千程。残りは数える程です、陛下」


 途中で討ち死にしたものの、アルクは、そのサーコートに描かれた紋様から指揮官の正体を識別し、秀吉に報告した。


 「ドナートか……戦経験のある、まともな貴族だと聞いておるが……まさかこんな形で最期を見届けるとはのう……」

 「惜しい人材をなくしましたね」


 表情に影を落とす秀吉とアンリマルク。彼らの一致していた見解では、ドナートがエリンスケルコ派の唯一の良心で、敵の実質的な指揮官だと看破していた。

 そしてその見解は正しく、出来ることならば、臣下に加えたかったのが秀吉の本音である。

 ともあれ、引き抜きに応じなかった時点で、こうなることを英弘は予想していたし、仕方ないとも思っていた。


 彼のそんな感情とは裏腹に、戦場は無常で非常に変化していく。

 塹壕を突破した敵兵も、後方に控えていたアンリマルク隊の騎兵や槍兵などに囲まれたのだ。最後の意地を、と戦おうとした敵兵は悉く討ち取られていき、そして、最後の断末魔が辺りに虚しく響く……。


 「……英弘や、ここで頼まれてくれんかのう?」

 「城内に残った残存兵への、降伏勧告ですね?」

 「うむ。言い方は任せる。頼むぞ」

 「はい。陛下」


 英弘から見た秀吉は、笑っているように見えた。ただ、その笑みはどちらかというと、勝ったことの喜びよりも、やっと終わりを迎えるだろうという安堵に近いだろうか?

 そんな秀吉の様子を見た英弘は、意外と、こんな表情かおもするんだな、と雑感を抱いた。


 打って出てきた敵兵はいなくなった。そして、辺りに”王国軍”の勝鬨が響く。

 そんな中で英弘は、ブルート以下30名の独立騎兵隊を率い、ゆっくりと、エント・ビアント城の城壁に近づいた。

 城門は既に閉められているが、これが熾烈な籠城戦であれば、敵からの熱烈な歓迎迎撃を受けるのだろう。だが、相手に残された兵力は、多くても5百。それも、仲間の壮絶な玉砕を見て意気消沈した残存兵だ。

 その大半が何をするでもなく、ただただ英弘達の騎行を見つめるばかりだった。


 「諸君らに告ぐ! 降伏せよ!」


 英弘の放った第一声がそれである。敵からの攻撃に内心怯えつつも、敵兵に掛ける言葉は慎重に選ばなければならないと、冷静になって思索した結果であった。

 以外にも混乱を呼ばず、自ら冷静さを持ちえることとなったようだ。


 「最早戦局は、我が方の圧倒的有利である! 寛大な国王陛下は、諸君ら兵の降伏を、慈悲と雅量がりょうの心を持って受け入れるであろう!」


 歩廊の上にまばらにいた敵兵の数が、英弘の声に反応して集まってくる。

 その中で見受けられたものは、訝しむ者と安堵した者の2通りだ。降伏すれば本当に命は助かるのか? という猜疑の目と、これで死なずに済む! という安堵の目が、彼ら残存の兵士の間に伝播していった。


 「もうひと押しだな」

 「はい。隊長」


 そんな敵兵の反応を見て英弘は手応えを感じ。ブルートの肯定を受け、更にもうひと押し、降伏文句を発する。


 「もし! あくまで諸君らが戦うのであれば、先程打って出てきた者共の如く、最後の一兵まで殺しつくす! 降伏の意あらば、速やかに城門を開き、武装を解除して城を退去せよ!」


 敵の青ざめた顔を見て、英弘は確信した。これで敵は降伏するだろうと。

 その為に、英弘はわざと強い言い方で脅しかけたのだ。

 そして、最早理屈ではなく、感情で突き動かされた彼らの行動は早かった。

 数十メートル右にあった城門が、その重厚な鉄格子は軋みながら、せり上がっていく。英弘達がその様子を見に行けば、ややささくれだった城門が既に開かれつつあった。


 「万が一の奇襲に備えろ」

 「ハッ!」


 部下にそう命じたものの、英弘はその万が一はないだろうと確信していた。

 そしてそれは正しかったようで、完全に開け放たれた城門の奥に見えたのは、諸手を挙げて引きつった笑みを浮かべる、4人の貴族・・・・・達であった。

 当然、その後ろには敵の兵士達が続々と集まっている。が、そんな様子など知ったこっちゃないと言わんばかりに、先頭に並んでいた貴族達は英弘の下に走り寄ってきたのだ。


 「使者殿! 我々は降伏するから、な、何卒命だけは!」


 無様な姿だった。我先に、転がるように膝をついた貴族が、第一声に放ったのがそれだったのだ。


 「わ、私は国王陛下に忠誠を誓う!」

 「エリンスケルコに脅されてここにいたのだ!」

 「儂を助けてくれ!」


 1人目を皮切りに、次々と命乞いする貴族達に、英弘の部下達は呆れ果て、軽蔑と侮蔑の眼差しを突き刺すばかり。

 だが英弘だけは、ブリーチズズボンダブレット上着が泥だらけになり、首に巻かれたラフもボロボロになった貴族達に同情したのだ。

 見栄も外聞もへったくれもかなぐり捨てた、この憐れな貴族達を……。


 「ブルート、とりあえずこのやんごとなき・・・・・・方々を後送して差し上げろ」

 「ハッ。では皆様方、こちらに」


 ブルート率いる隊の半分が、貴族後送に従事する。英弘の目には、彼らエリンスケルコ派の貴族の後ろ姿が矮小に映った。

 とはいえ、英弘はそんな彼らの行く末を案じる程、出来た性格でも無かったが。


 因みに、彼ら投降した貴族達の処遇についてだが……彼らが兵士達を放って我先にと下ったことで秀吉の冷笑を買い、命そのものは助かったものの、所領や地位を取り上げられた後、修道院送りとなったのであった。


 閑話休題。

 貴族を後送する英弘の部下達とすれ違いに、今度はアンリマルクの隊が大挙として城門へと進んで行く。

 英弘が何事かと話を聞いてみると、どうやら、敵の降伏した兵士を収容しつつ、完全にエント・ビアント城内を制圧するようであった。

 ただ、気になることが一点だけ英弘の思考内に居座っている。

 それは、投降した貴族や兵士達の姿の中に、エリンスケルコの姿が見えないという点だ。


 「キルク!」

 「セルクに……兄上!」


 城内にズカズカ入って行くアンリマルク隊を見送る英弘。彼は、どうしたものかと思案していたところへ、馬でやってきた兄のセルクから次の行動を示された。


 「国王陛下からの御下知だ。『独立騎兵隊も入城し、エリンスケルコの捜索に移るべし』とのことだ。やったな! もうすぐで内戦も終わるぞ……って、なんだ? その顔は」

 「いえ、別にぃ……」


 ハッキリ言って、英弘は面倒臭そうな顔をしていた。へちゃむくれた顔をセルク指摘されても、英弘はやめようとしない。

 その理由が――。


 「降伏勧告に応じなかった人ですよ? 自暴自棄になってたり、城内のどこかで隠れんぼしてたり、なんかメンドクサイじゃないですか」


 と、いうものである。


 「……お前も随分明け透けに言うもんだな……いいから早く行って来いよ!」

 「いてっ! 何もぶつことないだろセルク兄!」

 「ウルサイ! お前ばっかり役を与えられて羨ましいんだよ! ちょっとぐらい殴らせろ!」

 「いてっ、いててっ! もう、分かったよ……皆、行くぞ!」

 『ハッ!』


 兄弟の仲は相変わらず良好であった。英弘の部下達も、2人のじゃれ合いには顔を綻ばせていた。

 そんなセルクから軽い羨望の籠った拳を受けつつ、英弘は残った部下と共にエント・ビアント城へと向かう。

 エリンスケルコは、未だこの中にいるのだ。それを、探し出さなければならない。

 敵の本拠地で隠れられれば、探し出すのにどれ程時間が掛かるだろうか……。

 まだまだ休めそうにないなと、英弘は静かに嘆息するばかりだった。




――――――――――――――――――――――――――――――――




 「いたか?!」

 「いえ! こちらにはいません!」

 「そっちは?!」

 「こちらもダメです! 使用人しかしません!」

 「食堂もダメ、居室もダメ、執務室も厠も食糧庫も樽の中もダメか……いったいどこに消えたんだか……くそっ」


 捜索は案の定、難航していた。入城したアンリマルク隊だけに寄らず、合流したブルート達や他の隊も捜査に駆り出され、今では1万人態勢での大捜索が行われている。

 降伏した敵兵の中から城内に詳しい者を連れてきて、色々案内させても目的の人物は見当たらない。

 城内の各地で隠し部屋を見つけてはいるが、どこももぬけの殻であった。

 既に陽が沈み、成果が上がらない現状に英弘の苛立ちは募るばかり……。

 もしエリンスケルコがこの城から逃げおおせ、他国へ亡命でもすれば……その時は更なる面倒がパノティアに降りかかってくるだろう。

 だが、それは突然のことだった。


 「いたぞー! エリンスケルコだー!」


 近い! 英弘は反射的に声がした方へ駆けた。声のしたところへ駆けつけると、そこには涎を垂れ流し、剣を無茶苦茶に振りまわす男……エリンスケルコの姿があった。

 傍には、主人を守るように立つ敵兵士が2人、油断なく剣を構えていると共に、エリンスケルコの手を掴んで動きを制止させる。

 どうやら隠し部屋を発見され、出てきたようだ。


 「うわああああああ! この不届き者共めーー!! 我を誰だと心得ておるかぁあああ!」

 「賊軍の大将だ! 囲め囲め! 油断するな!」

 「エリンスケルコ殿下! お下がりください!」

 「端へ追い詰めろ! 誰か盾になるもん持って来い!」


 あれが、王族の慣れの果てか……。そんな、憐れみなのか呆れなのか分からない感情を、英弘は抱いていた。やや遠巻きに見るエリンスケルコは、髪を振り乱し、目は充血して血走り、頬は痩せこけている。

 長髪を顔に貼り付けた姿が、前世で見たテレビから出てくる怨霊にそっくりなことに、英弘は不思議な感動を覚えていた。

 20人……いや、それ以上に集まってくる槍兵に取り囲まれ、エリンスケルコら3人はジリジリと端へ追いやられていく。

 既に袋の鼠と化していたのだが、しかし彼らは、猫を噛む類の鼠であったようだ。


 「殿下! 我らから離れぬよう!」

 「行くぞ!」


 なんと彼らは、ハリネズミと化した槍を掻き分け、突破を図ったのだ!


 「お前ら、剣を抜け! 構えろ!」

 「抜け! 構えろ!」


 英弘は咄嗟に剣を抜く。何故なら、槍兵を突破したエリンスケルコ達が、英弘達の目の前に迫ってきたのだ。

 ブルートが命令を復唱し、英弘の部下達は皆、一斉に得物を構える。


 「ふぅ、ふぅ、ふぅー……」


 咄嗟に剣を構えたものの、迫りくる殺意に、英弘の足は根を張ったかのように動かなかった。

 ことここに至って、戦闘中、初めて敵と対峙した瞬間であることを、英弘の脳の冷静な部分が理解する。

 だが、それももう遅い。敵の1人が英弘に目掛けて剣を振るい、横薙ぎにせんとしたが――。


 「ムンッ!!」

 「く、クロード!」


 それを防いだのはクロードだった。

 アフロ大陸から来た元黒人奴隷のクロードは、英弘にその体格と体力を見出されて部下に加えられたのである。


 「どけぇ!!」

 「させん!」


 続く2人目の敵と剣を交えたのは、ブルートであった。

 ブルートとクロードの2人は、反応の遅れた英弘に代わって敵の2人の剣を防いだのだ。そのことに気付かされた英弘は、剣戟を交わす2組とは別に、ある人物へと視線を奪われた。

 それは、剣戟を交わす2組の間をすり抜け、英弘目掛けて大上段から剣を振り下ろしてくる。

 我を忘れたエリンスケルコだった。


 「うわあああああああ!!」

 「ぐっ!?」


 英弘は何とか防いだものの、反動で後ろによろめく。

 すかさずエリンスケルコは、よろめいた英弘の脇腹目掛けて剣を薙ぐが、英弘はこれも何とか後ろへ回避した。

 大振りで空振ったものだから、エリンスケルコもバランスを崩してよろめく。

 大きく隙を見せるエリンスケルコに、英弘は咄嗟に足を踏ん張り、剣先を相手に向け――。


 「がぁ!? が、ぐ、ぐぷ……」

 「うっ、わあ!」


 その胸に突き刺したのだった。

 剣を刺したまま相手に寄りかかり、もつれて倒れ込んだ英弘。

 彼の目の前には、自分を凝視する2つの血走った眼がある。

 ゴポゴポと音を立てて血を吹く口が、エリンスケルコだと認識するのにさほど時間が掛からなかった。そしてそれが、今にも死にそうであることに……。


 「いやだ……し、に……」


 それが、エリンスケルコの最期の言葉であった。

 そしてそれは、英弘が生涯で初めて、人を殺めた瞬間でもあった。

 英弘はエリンスケルコの傍に立ち上がり、ピクリとも動かなくなったそれ・・を茫然と見やったが、やがて――。


 「や、ヤらなけりゃ俺が殺されてた! だからヤッたんだ!」


 英弘の口からついて出たのは、そんな、言い逃れのような言い訳である。

 法治国家に生まれ、殺人は悪であるという倫理観を今の今まで抱き続けていた。しかしそれが今、英弘の心の中で音を立てて崩れ落ちたのだ。

 彼は決して、こうなることを覚悟していなかったわけじゃない。いずれは、こういったこと・・・・・・・もあるだろうとは漠然と考えていた。

 だがそれが、こんなにも突然やってくるとは思わなかった。

 そんな想いを、誰に聞かせるでもなく周囲にぶちまけたのだ。


 「……大手柄です。隊長」

 「ぶ、ブルート、クロード……」


 敵と剣戟を交わしていた2人の部下達を見やる。2人はそれぞれの相手を切り伏せていたようだ。

 しかし今の英弘の精神状態では、それを称えることも身を案じることも出来なかった。

 ただただ、己の行為に茫然とするだけ。


 「隊長、陛下に報告しましょう。全て終わったと」

 「あ? あ、ああ……ふぅー……ああ、そうだな……報告しに戻ろう」


 大きく息を吐く。英弘はまず、自分がやったことの事実を事実として認める作業に取り掛かった。感情と理性を必死に切り離し、自分が今、何をしたかを冷静に立ち直って分析するという作業だ。


 「……流石に、エリンスケルコを殺したのはマズいよな?」

 「仕方ありません。ヤらなければ殺されていたかもしれないのですから」

 「とは言っても、俺が真正面から受け止め過ぎた。部下の力も借りるべきだったな……」

 「過ぎたことです。あまりお気になさらず」


 英弘の、心の作業を手伝ってくれたのはブルートだった。この真面目な副官のお陰で英弘は、心が幾分か軽くなったように感じ、心の中で感謝の言葉を念じる。

 部下に恵まれているな……、と、そう痛み入りながら……。


 「……よし! アンリマルク隊の責任者に後を託して、俺達は陛下に報告に戻るぞ!」

 『ハッ!』


 英弘の号令の下、彼の部隊は行動する。必要な伝達事項をまとめ、後始末等の事項を申し送り、英弘達、独立騎兵隊はその場を後にした。

 チラリとエリンスケルコの亡骸を見れば、やはり自身のやった出来事につい眩暈を覚えるが……それでも、その事実を受け入れなければならない。

 例え、相手がどんな人物であったとしても、人の命を奪ったことには変わらないのだ。そんな戒めを胸に抱きながら、英弘は前を向き、先頭に立って歩み始めた。


 そして、1年と少しの間争われた内戦が、この日をもって終結したのだ。

 元第1王子、ドロウ公エリンスケルコは死亡し、フランケルコ3世がパノティア王国の全土を掌握。パノティア人同士で争われた内戦は、フランケルコの勝利に終わったのだ。

 そしてそれは、フランケルコ3世による新たな時代の始まりでもあった。

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