第4章:ショコラ親衛隊編

第76話 ソフィーヌ寮長の行く年来る年 (8567年12月32日)



「今年は怒涛のような一年でしたね、ソフィーヌ。竜育園創設以来最大の激動期を迎えたと言っても過言ではないでしょう」


 ラピリズ園長が、ぐったりと椅子に座り込んで、深く重い溜息をついた。

 ワインを二つのグラスに注ぐ手も、小刻みに震えている。


 これまでにも、二人きりで、打合せを兼ねた慰労会をすることは度々あったが、今日ほど疲れ切った竜気を纏っていたことはなかったと思う。


 それほどストレスが溜まっているということだ。園長も、自分も。

 多少発散しないことには、来期の業務に立ち向う気力が出せないほどに。


 ソフィーヌは、ゆっくりと右目で『同意』の一回瞬きを返してから、手渡されたワインを飲み干した。無作法にも一息で。

 

「とりわけ下期は、ショコラ様お一人に翻弄され尽くした感があります」

 

 ショコラ様が竜育園に来られたのは、今年の7月15日だった。

 今日は、12月32日だから、まだ半年にも満たない。

 たとえ感覚的には、その8倍くらい経っている気がしても。


「本当に。あなたも大変だったでしょうけれど、わたくしも、全身の竜気が竜界に抜けるような思いを何度もしましたわ。損害賠償請求書を何十枚も書いたせいで、数字の羅列が夢にまで出て来てうなされることも多くて、気がおかしくなりそうでしたし。せめて、公休期間くらい何事も起きないで欲しいものですけど……」


 今日は仕事納めで、明日から4日間の年末公休に入る。

 年が明けて更に4日間の新年公休が続き、1月1日の仕事始めを迎えるのだ。


 この四期ごとに設けられた公休日の間は、原則として公的機関が休みとなる。

 しかし、部署によっては年中無休で、ゆっくり休めるとは限らない。


 特に、園長や寮長など、『長』のつく管理職の場合、問題が起きれば、夜中だろうと休日だろうと呼び出されて、対処するため走り回るのはいつものことだ。


「今の所、ショコラ様に外出のご予定はありません。お招きしているお客様もいらっしゃいませんので、それほどご心配はいらないかと」


 ショコラ様には、接近禁止命令が出ている。

 面会を希望している人は多くても、勝手に訪問することはできない状況だ。


 親族であれば、許可も下りやすいものだが、ショコラ様の両親は早世していて、兄や姉もおらず、最近親者にして保護者は、外祖父の外帝陛下なのである。

 王家や宝家の王族と言えども、ごり押しがきかない至高のお立場だ。


 もちろん、四神殿の高位聖職者であれば、帝家の許可はいらず、新年のお祝いにかこつけて、慶祝使者けいしゅくししゃつかわすこともできるが、その可能性はほとんどなかった。


 まず第一に、栄神殿は、栄ハンニエルの破門事件の余波が収まっていない。

 ショコラ様は、栄ハンニエルの「破門するぞ」という脅しに対して、自ら破門を栄総長に要請するという前代未聞の反撃に出た。


 更には、四神殿会議に抗議文を送りつけ、苦情も申し立てた。

 栄神殿が情報提供させようとしていた護衛イザベルの陳述書――その法的に揺るぎない証拠とともに。


 マーヤ姓を継ぐ後裔、それも、栄マーヤの再来と呼び名も高いショコラ様のご勘気を被ったということが内外に知れ渡り、栄神殿の権威は地盤沈下を起している。


 次期栄総長の有力候補であった栄ハンニエルは、自身が破門宣告を受け、彼の属していた極右派は、自爆により空中分解した有様で、派閥再編も加速している。

 しばらくは、ショコラ様に、ご機嫌伺いの使者を立てるどころではないだろう。


 第二の誓神殿は、栄神殿よりも、ショコラ様に警戒され敵認定を受けている。

 7月に、ショコラ様を拉致しようとして失敗したときは、誓ダルカスの独断だと関与を否定したが、誓神教国が、『誓縛』を悪用していることは周知の事実。


 その醜聞スキャンダルの火消しに躍起やっきになっている最中さなかに、未曽有みぞうの大事件が発覚した。

 王寮へと送り込んだ暗殺者が毒物を所持したまま捕縛され、二名の連絡係とともに【心話探査しんわたんさ】にかけられ、生き証人となったのだ。


 帝竜国内の誓神殿には、一斉に外帝軍の強制捜査が入り、過激派の粛清が行われたのだが、そこで、ショコラ様の母君が暗殺された証拠まで見つかったと聞く。


 今までは、誓神殿にどれほど濃い疑惑があっても、裁判にかけるところまで行かなかったが、この半年で不正が立て続けに明らかにされ、非難を浴びている状態だ。

 その判決が出つくすまでは、ショコラ様に謝罪の使者すら送れるわけもない。


 そして、命神殿と恵神殿に関しては、既に全権大使を出しているようなものだ。

 命ジョンと恵ヘレンは、ショコラ様に信用されているとまでは言えないが、それなりの関係は築いている。


 少なくとも、ニキータ教授のように毛嫌いされてはいないし、最近は、お二方とも言動に気をつけるようになり、浮かれた様子は見せなくなった。

 できるだけ、ショコラ様の竜気を損ねないように。

 絶対に、教授の二の舞は踏まないように、と。


 なにしろ、ショコラ様の信頼を失い、その逆鱗に触れようものなら、容赦なき制裁が下ると知れ渡ったのだ。

 有無を言わさぬ迫力で責め立てられ、鉄拳竜気で滅多打ちされるという制裁が。

 

 あの場にいた側仕えたちは皆、身に染みて悟ったはずだ。

 ショコラ様は、竜気が強く、我も強い幼児というだけの王族ではないと。


 あの方は、7歳にして、教授を論駁ろんばくできるほどの英知を宿している。

 しかも、あの方には、苛烈なまでに熱く、揺るぎなく固い意志がある。


 その意志に反したことを求めても、全力でけられる。

 そして、その意志をくじこうとする者は、敵と見なされ排除される。


 同時に、保護すると決めた身内のことは、全力で守り労わってくれるが。

 『親愛』と『信頼』と『寛容』の竜気が満ち溢れるほどの優しさで。


 そう。ショコラ様は、決して、唯我独尊ゆいがどくそんの暴君というわけではない。

 ただ、幼い見た目に惑わされて、侮ってはならない主人だということだ。


「ソフィーヌ? お代わりは? 良かったら、おつまみも食べてちょうだい」


 ラピリズ園長の声に、ソフィーヌは物思いから覚めた。

 早くもアルコールが回り始めて、少しぼうっとしていたようだった。


「いただきます。わたくしも、お菓子をお持ちいたしましたので、ご一緒にどうぞ」


 向かい合わせに座る小さな円形テーブルの上には、ナッツや干し肉など、ありふれた保存食が、おつまみとして並べられている。

 ソフィーヌは、その隣りに持参した小箱を置いて、リボンを解き、蓋を開けた。

 ふわりと甘い香りが立ち昇ったことに驚いたラピリズ園長が瞬く。


「美味しそうなクッキーですこと。それが、噂の砂糖菓子?」


 期待のこもった問いに、ソフィーヌは、左目一回ウインクで『肯定』した。


 サツキ謹製の砂糖菓子については、かねてから、ラピリズ園長も多大なる興味を抱いていたのだが、希少品すぎて、購入させてもらうことができなかったのだ。


「これは今回全員に下賜かしされた分です。お気兼ねなくお召し上がりください」


 一般的に、公休期間に入る前には、主人から使用人へ慰労の品が下賜される。

 「お疲れ様」と軽くねぎらう意味合いのもので、ペンや便箋などの文具か、石鹸やスキンオイルなどのちょっとした消耗品が贈られるのが普通だ。


 しかし、ショコラ様は普通ではない。 

 やることなすことが突飛とっぴで、常識が通用する方ではないのである。


 最初の公休を迎えた9月末に贈られたのは、高級フルーツの詰め合わせだった。

 そして、今回は、それより更に高価な砂糖菓子の詰め合わせになった。


 マーヤ系のお生まれ故に、我々とは金銭感覚が違うというのはあるだろう。

 だが、富豪の方にも吝嗇家りんしょくかは多い。昨今の緊縮一方の経済情勢では余計に。


「まぁ、側仕え全員に? ショコラ様付きは待遇がよろしくて羨ましいですわ」

「いえ、ショコラ様付きだけではないのです。今回は、他の王族方の側仕えから下働きに至るまで、寮内全員に同じ物が配られました」


 ソフィーヌの訂正に、ラピリズ園長は、目をむき、口を半開きにした。

 表情を崩し過ぎて下品ではあるが、注意はせずに、黙って目をそむける。

 昼に、この事実をマルガネッタから聞かされたとき、自分も同じような表情をしていただろうと思うと、気まずくて仕方がない。


「なんですって?! 平民にまで、このような贅沢品を?」

「先日、三ノ宮国から初回の輸入品が届いたことで、ショコラ様は大層お喜びになりまして。お砂糖の美味しさを知らしめる前段階として、まずは、皆に試食してもらって、感想を聞きたいと申されたようです」


 最近、ショコラ様は、[砂糖派]であると公言するようになった。

 母君のテレサ様の遺志を継いで、この国に、砂糖の価値を啓蒙するのだと。

 エルネスリは、危険だといさめたようだが、言い負かされて引き下がったらしい。


 他の側仕えは、最初から止めようともしていないが。自分も含めて。

 それは、ショコラ様のなされることを止めるなと、外帝陛下の御内意ごないいを受けているからだ。パメリーナも、マルガネッタも、もちろん、ラピリズ園長も。


 推察すいさつするに、帝家は、[砂糖派]を擁護する方針に切り替えたのだろう。

 換言かんげんすれば、[竜糖派]を潰す決定を下したということである。


 外帝陛下にとって、テレサ様は、最愛の一人娘だったと言われていた。

 ショコラ様は、その忘れ形見であり、マーヤ姓を継ぐ唯一の相続人。


 そのため、誓神教国は、ショコラ様が外帝陛下の弱味だと見なし、魔族の襲撃を受けた直後のどさくさで拉致しようとした。恐らくは、人質に取るために。


 それが、返り討ちに遭い、悪事の証拠まで暴き出されたのだから、それに関与した誓神官が、次々と奴隷落ちにされて行くのも当然の報復処置と言える。


 しかしながら、帝竜国が誓神教国に対する対決姿勢を打ち出したせいで、四神殿間の対立も表面化しているし、先行きに不安を覚えている貴族は多い。


 このままでは、第二大陸の植民政策にも多大な悪影響を及ぼしかねず、下手を打てば、内乱が起きる危険すらあるのだから、竜眼族の繁栄にも影を落としかねない。

 

 知略に富んだ外帝陛下が、私情だけで動くような愚を犯すとは思えないけれど、これから、粛清の嵐が本格的に吹き荒れることになることだけは間違いない。


「このお菓子は確かに美味しいですわね。竜神リ・ジンよりご加護をいただいたショコラ様が、お砂糖を推奨なさるのであれば、[砂糖派]の勢いが盛り返すのではないかしら。あぁ、ご加護と言えば、新年参拝のご予定を伺っておりませんでした。ショコラ様は、命神殿にも行かれないのでしょうか」 


 ソフィーヌと同じ結論に達したらしいラピリズ園長は、更なる騒動を想像したようで、一瞬にして、『不安』と『緊張』の竜気が張りつめた。

 参拝に関しての危惧きぐはソフィーヌも抱いていたので、その気持ちはよくわかる。


 もし、ショコラ様が新年参拝に行きたいと言われれば、止めることはできない。

 信仰を否定するような真似をすることは、誰にも許されないからだ。


 そして、竜育園内で参拝に行くとすれば、命神殿〈3―789〉しかない。

 誕生参拝で奇跡が起きた、あの命神殿しかないのである。


「今回は、オランダスが代理で参拝することになりました。ご安心下さい」


 ソフィーヌの確約に、ラピリズ園長の気脈が、『安堵』に、くしゅっと緩んだ。

 ほとんど「命が助かった」と全身が脱力するレベルの緩み方だった。

 

「そう、良かったわ。この年末年始は、命神殿への参拝者が物凄い数になりそうなのですよ。そこにショコラ様が現れたら、一体どんな騒ぎになることか……」


 命神殿〈3―789〉は、帝竜軍に附属した仮神殿で、信徒のほとんどは、軍の兵士か竜育園で働く退役軍人、あとは地元の平民だけであった。


 ところが、11月11日に奇跡が起き、その噂が広がるにつれ、園外からも、参拝者が押し寄せてくるようになったのである。

 物見高い者も、信心深い者も、老若男女問わず、全国各地からやってくるのだ。

 

「参拝者であれば、入園規制をすればすむのではありませんか?」


 もともと、竜育園は、竜の交配実験の研究所を中心とした軍属の施設だ。

 帝竜軍に入隊を希望する子供向けの見学コースはあるが、一般人を野放図に受け入れているわけではなく、入園するには外帝府の許可がいる。


 地理的に言っても、第一大陸の端の方にある辺境なので、交通の要衝からは外れており、出入りするのは、竜やその卵の売買に携わる商人くらいのもの。

 つまり、ここは、世間から半ば隔離された場所なのだ。


 だからこそ、第十七王寮も、竜育園の中に置かれたのだと言える。

 問題を抱えた王族の幼児を閉じ込め、個々に矯正するための養護施設として。


 寮長としては、寮の周りに、余所者よそものが押し寄せる事態は歓迎できない。

 たとえそれが、ショコラ様めあての求婚者ではなく、ただの参拝者だとしても。

 人が多くなれば、トラブルも多くなるのは自明の理なのだから。

 

「もちろん、規制はしていますよ。今までよりも厳しいくらいに。それでも、王族や貴族のご要望となれば、お断りしきれるものでもないでしょう? 客舎の予約なんて、もう一年先まで埋まってしまったのですけど、それならば、日帰りで良いと仰る方も多いのです。本当に頭の痛いことだわ」


 竜育園にある客舎は、王族専用の貴賓室が1棟で、臣族用が3棟12室だけ。

 平民の場合は、命神殿の宿坊を使うので、その程度の収容人数でも充分だったわけだが、参拝者が増え続ければ、今の規模では、とても対応しきれないだろう。


「園内に恵神殿が建立されれば、瞬動房を利用した来園者も増えることでしょう。外帝府に、客舎の増築申請を出しておいた方がよろしいのでは?」


 恵信徒の少ない竜育園に、いきなり恵神殿が建てられることになったのは、その費用をショコラ様が全額負担すると申し出られたからだ。

 恵ジョアンナを招聘しょうへいする見返りとしては、桁違いの額ではあるが、ショコラ様は、ロムナン様を教育するための必要経費という感覚しか持たれていない。


 もっとも、実際に交渉にあたったマルガネッタの方は、近くに瞬動房があった方が利便性が高いと判断して、話を勧めたのだと思われるが。

 あるいは、これも、外帝陛下の御内意があってのことだったかもしれない。

 誓神殿を牽制するならば、恵神殿を味方につけておく方が得策なのだから。


「そう、ショコラ様がおられる今なら、予算が下りるかもしれませんね。あなたも、もう一度、職員の増員を申請してみたらいかが、ソフィーヌ?」

 

 第十七王寮に赴任してきて以来、ソフィーヌは、寮長として、数えきれないほど申請書を提出してきたのだが、予算が下りたことは7回しかない。

 

 5年前、ロムナン様が4歳で入寮して以降も、人件費が足りないせいで、十分なお世話ができたとは言えなかった。

 

 今年の3月に、サルトーロ様とユーレカ様がいらしてからは、管理する建物が二倍となり、更に人手不足が深刻化していた。

 問題行動の多いサルトーロ様とロムナン様を同居させるわけにはいかないのに、職員の増員は3人だけだったので、過重労働を強いられるようになったのだ。


 傷害事件を何度も起こして、他の王寮をたらい回しにされてきたサルトーロ様。

 心がすさんで荒ぶる弟君の側で、なす術もなく絶望していくユーレカ様。


 外国籍で未成年の女性王族とその保護下にある幼い弟君。

 ただでさえ扱いが難しいお立場なのに、本国とは絶縁に近く、私有財産を持たず、側仕えも少ない方なので、王寮の予算と人手を回して援助するしかなかった。

 

 サルトーロ様は、念動力者――それも制御力が未発達の問題児で、専門外の自分には手に負えないと、早々に見切りをつけていたのだが。

 帝竜国の常識からすれば、中性が誓神官になるのはあたりまえのことで、神通力教官が雇えない以上、誓神殿に引きとってもらうべきだと考えていた。


 それでも、ユーレカ様は。

 あの健気な姫君だけは、何とかお救いしたかった。

 あまりにもお気の毒な身の上に同情したのもあるが、数字に強く有能な方だったから、教育すれば自立できると、その手助けをして差し上げねばと思ったのだ。


 ユーレカ様に集中したせいで、4月に入った頃には、ロムナン様のことは副寮長に任せて報告を聞くだけになり、挨拶のために顔を出すことすらなくなっていた。

 最低限の護衛と従僕しか残さなかったのも、まずかったのだと思う。

 結果として、無理をし過ぎた副寮長は倒れ、担当者が不在という事態を招いた。


 切羽詰まって提出した教官増員の申請も、腹立たしいことに認められなかった。

 竜語症の男児を世話できる教官など、どこからも回せないという理由で。

 その代わり、ロムナン様を他の王寮の初等科へ転寮する決定が下された。

 1月に8歳の誕生日は過ぎていたので、進学する資格は満たしていると。


 ところが、その移送途中で、ロムナン様は逃げ出してしまったのだった。

 本能的に、自分のテリトリーから追い出されると感じたのだと思う。

 竜車の御者や護衛を【攻撃波】で気絶させて、身一つで森の中へ走り去り、部屋にも戻ることはなかった。

 

 逃亡後7日もたってから、野番竜の群れと生活していることがわかったが、王寮へ連れ戻そうという試みは、ことごとく失敗に終わった。

 いや、一度は、差し入れの食事に眠り薬を盛って捕獲したのだが、目覚めてから水すら飲まなくなったので、止む無く森へ帰したのだ。ご本人の望みのままに。


 こうして、心身共に疲弊する日が2か月近く続いてた。

 その殺人的に忙しい状況下で、追い打ちをかける無理難題が降りかかってきた。

 力場破裂症を起しかけた6歳児を受け入れる用意をしろという勅命だった。

 しかも、翌日に。ソフィーヌが指導教官を担当するようにとのご指名付きで。


 それからショコラ様が起こした数々の騒動については、思い出すだけで竜気が全身を駆け巡り、圧力が高まり過ぎて、竜界へ抜けて行くような気がするほどだ。

 教職について以来、これほど気苦労を重ねた年などなかったと断言できる。


 しかし、それでも、ショコラ様にお会いしたくなかったとは思わない。

 幼いながらに頑固で、お怒りになると容赦なく、非常に難しいご気性をされてはいるが、お仕えする機会を得られたのは、有り難いことだと感謝すらしている。


 ショコラ様は、ロムナン様のお命を救われた。

 誰もが餓死するものと諦め、見放してしまったときに。

 誰一人として思いつかない方法で、野番竜の群れごと気綱を掴み上げたのだ。


 更には、意志と根気で信頼を繋ぎ、心を開くまで、ずっと寄り添っておられた。

 誰にもできることではない。たとえ予算が潤沢にあったとしても。

 誰であれそこまでの責任を負う覚悟を決めるのは難しい。ましてや6歳児では。


 そうして遂に、ロムナン様は、人の言葉を理解されるまでに至った。

 手拍子を叩き、数字を唱え、今や名前まで覚え始めている。

 昨年の今頃は、周りの言動に反応が薄く、赤子並みの発達段階だったのに。


 ソフィーヌには、これこそが一番得難い奇跡だったと思えてならない。

 栄マーヤ縁の神器に、竜神リ・ジンの御加護が再び宿ったことよりも。

 聖竜様が、サルトーロ様やサエモンジョー公使を治療したことよりも。


 ショコラ様は、ユーレカ様とサルトーロ様も保護された。

 サトシ様のパトロンにもなられると言う。

 きっと、これからも、大勢の人を助け、気綱を伸ばしていかれるのだろう。

 だが、同時に、さまざまな軋轢あつれきも生じることだろう。


 ショコラ様が初等科に上がるまで、あと1年。

 竜育園が国中の耳目を集め、騒動の発生源となり続けるのは確実だ。

 さながら、戦場のように。

 あるいは、嵐の目のように。


「王寮の方はご心配に及びません。ショコラ様が人件費のほとんどを負担して下さいましたので。むしろ、竜育園の経理担当者を増員するべきではありませんか」


 ソフィーヌが苦笑まじりに助言すると、ラピリズ園長は、右目で『同意』の一回ウインクをしてから、グラスにたっぷり入ったワインを一気に飲み干した。

 

「来年は、今年以上に慌ただしく、過酷な年になりそうですものね」


 

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