第75話 歓迎会で起きた奇跡。



 ヘレン・ケラーが、最初に認識した言葉は、「水」だったってね。

 そこに至るまで、サリバン先生には、どれだけの苦労があったんだろう。

 それに比べれば、わたしがロムナンにしてあげられたことなんて、ほんの僅か。


 でも、幸いなことに、わたしは一人じゃなかったんだな。

 ソラにヒールはもちろん、ロムナンを支えようとする竜眼族の輪があったわけ。

 だからこそ、この「奇跡」は起きてくれたんだと思うの。

 



「サトシ様、よろしければ、こちらも召し上がってくださいませ。グレープフルーツにお砂糖をかけたものですの」

「いただくよ。ありがとう」


 ユーレカ姫(9歳)が、サトシ王子(11歳)に、フルーツを勧めている。

 もちろん、王族なので、直接手渡すようなことはしない。サトシの前に恭しくガラス皿を置くのは、給仕係を務めているシェルガリだ。


 この中年女性は、ユーレカにとっては、乳母的な役割の筆頭侍女。

 もともとは、ユーレカママの側仕えとして三ノ宮国へ渡り、ユーレカ付きとなって帝竜国へ戻ってきた譜代の臣族ね。仕送りを打ち切られたあとも、側を離れず支えてくれていたらしいから、ユーレカが一番信頼しているのは、この人に違いない。

 わたしは、ガリガリに痩せているシェルガリと覚えた。


「このチョコレート、とてもおいしいです、サトシさま」

「そうだろう? これは師匠の自信作で、三ノ宮国でも人気があったんだよ」


 サトシ王子の隣に座って、緊張気味ながら会話を交わしているのは、サルトーロ元王子(6歳)。意外と社交に慣れている。やっぱり、王家の生まれだからかな。

 帝竜国では、王族が公式行事に加わるのは、8歳からなんだけど、宮国群の王家同士は、どこも縁戚関係にあるので、もっと幼いうちから交流してるんだって。


 それで、今日の歓迎会には、サルトーロも参加させることにしたわけ。

 最近は心理的に安定してきて、ポルターガイストを起すこともなくなっているし、もし食器が飛んだりしても、サトシなら余裕で対応できそうじゃない?

 それに、今回は、あくまで私的な顔合わせ。問題がありそうなら、すぐに退席させればいいとだけの話。一応、サトシに了解も取っておいたから大丈夫だと思う。


「サルトーロ、サツキ博士は、とても高名な方なのですよ。このように美味しい銘菓をいただけるなんて、光栄なことですね」

「はい、姉上」


 それでも、ユーレカは心配していたけどね。何しろ、ロムナンとの出会いが、アレだったでしょ。サルトーロには、一方的に喧嘩を吹っ掛けた前歴があるわけよ。

 あの一件は、ユーレカには、かなりのトラウマになってるの。弟が流血沙汰を引き起こして、多額の損害賠償請求を送りつけられたときの衝撃が、忘れられないみたいで。その後、初瞬動の失敗で死にかけるという絶望付きだったしねぇ。

 

 幸い心配するほどのトラブルはなく、王族同士の歓談は続いていた。

 いや、実際のところは、サトシの接待は、姉弟に任せっきり状態なんだけどさ。

 竜語症のロムナンは、社交以前に会話すらできないから、ひたすら食べるだけ。

 そのロムナンを一人放っておくのは可哀想なので、わたしは、【交感】で話し相手を務めているのだ。

 並立思考ができないわたしに、同時に両方は無理なんだよ。


<お姉さま、これ、ヒールにあげて来てもいい?>

<あとでね。ヒールは、昨日のうちに、試食してたから、慌てなくてもいいの>


 ロムナンは、お菓子の新作は、まずヒールに食べさせるものだと刷り込まれてしまっている。特に、今日は力作が多くて、目移りしそうなほど豪華だしね。

 子供ばかりのお茶会とは言え、並べられたお菓子や軽食は、高級ホテルのバイキングなみ。料理人たちの気合の入れようが、ビンビンに伝わってくるわ。


 今日は、サツキのお披露目でもあるけど、昨日、引っ越しして来たばかりで、食材も道具も揃っていないから、トトロッティとロペスにも、準備を手伝わせたのよ。

 そうしたら、手伝うのではなく、競い合うという感じになってしまったの。どうも職人魂を変に刺激しちゃったみたいでさ。

 切磋琢磨して、腕をあげてくれるのはいいことなんだけど、ギスギスしたライバル関係にはなって欲しくないよなぁ。


「サルトーロ君は、ユーレカ姫のことは、『姉上』で、ショコラ様は、『お姉さま』と呼んでいるんだね? それなら、僕のことも『お兄さま』と呼んでくれないかな?」

「……えっと、その……」


 サルトーロが、かなり露骨にわたしの方を見て、「どうしよう」竜気を向けてきた。勝手に承諾すると、『お姉さま』の不興を買いかねないと思ったらしい。

 この子ってば、わたしの顔色ならぬ竜気を伺って、怒られないように立ち回るのが、すっかり上手くなっているのよね。その点じゃ、天然ボケの類よりそつがないわ。類ほど、甘え上手ではないけど。これは、やっぱり年季の差かな。


 ともかく、「ぶれいもの。われは、おうじなるぞ」発言をしたときの俺様型王子の面影は全然ない。側仕えに対しても、えばり散らすような真似はしないし。

 たぶん、あの頃は、空腹に鬱憤うっぷんが加わって、過激に走りがちだったんだろう。

 だって、根は悪い子じゃないのよ。闘争本能が強くて、序列にこだわるけど、自分より上と認めた相手には従うし、人一倍努力もするの。番竜組の三郎タイプね。


 サルトーロにとって、指令トップは、わたしで、次席は、マイケル師。

 好きな人は、姉のユーレカとロムナン。

 今の所、サルトーロが気を許している身内は、これくらいしかいない。

 ソフィーヌ寮長や命ジョンの言うことも聞くけど、教師としてだし。


 好きな竜は、人より多いかな。

 ヒールを筆頭に、テリー、ソラに番竜組――飛竜渓谷に駆け付けた面々は、無条件に信頼している節があるんだよね。その点じゃ、わたしやロムナンも、同じか。

 いや、ロムナンは、竜のくくりに入っているのかも。番竜組と暮らしていた野生児ターザンで、言葉も通じないんだから。


 一般に、共に危機を乗り越えながら結ばれた気綱は、太く強固になると言う。

 とりわけ子供の場合、助けてくれた人に対する依存心が強くなるんだって。

 まぁ、確かに、その傾向はあるけど、我儘な子よりはいいじゃない?

 サルトーロは、まだ幼いんだし、素直に人の教えを聞いた方が伸びる時期。

 放っておいても、成長すれば、嫌でも反抗期が来て、独立していくだろうさ。


 その程度のことだと、わたしは、たいして気にしていなかったんだけど。

 マイケル師は、竜たちにべったりな状態は問題だと心配してるのよね。

 もっと、いろいろな人と交流して、気の合う友だちを見つけて欲しいって。

 ただでさえ、中性は、子孫が持てない分、孤独感や疎外感を感じやすいもの。

 まして、入隊するつもりなら、男社会での人脈を作っていく必要があるとも。

 

 うーん、そういうものか。

 中性のことは、たぶん、中性にしかわからないものだろうしねぇ。

 誓神官にならない中性は滅多にいないし、異分子なのは間違いないけど。

 サルトーロの場合、外国出の王族で、後ろ盾となる親戚もいないわけで。

 積極的に人づきあいをしていかないと、孤立してしまうかもしれないな。


 そんな話をしていた矢先に、サトシが同居することになったのよ。

 中性の叔母がいて、瞬動力者に慣れている、5歳年上の男の子が。

 しかも、宮国群王家の王子で、馴染みやすいセルシャ系というだけじゃない。

 サトシの母君は、三ノ宮国から五ノ宮国へ嫁いだ王族で、現王の従妹なの。

 つまり、サルトーロや姫にとって、サトシは、再従兄はとこにあたるのよね。


 更に言えば、サトシには、わたしと同じ歳の弟がいるらしくて、年下の相手をするのに手慣れている。 『お兄さま』ポジションについても、問題ないほどに。

 もっとも、この腹黒再来者の演技力は、詐欺師レベルだから、年上だって、簡単に懐柔できてしまいそうだけど。


「これから、同じ王寮で暮らすわけだから、兄弟のように、仲良くして欲しいと思うんだけど。駄目かい?」


 サトシが、優し気な笑顔で見つめると、サルトーロも、おずおずという感じで笑い返した。竜気的な反発もないし、『好感』が漂い、気脈が通じ始めてる。

 少なくとも、相性は悪くなさそうなので、わたしも、後押しすることにした。


「まぁ、『お兄さま』になっていただけるなんて、良かったわね、サルトーロ。サトシ様は、とても物知りでいらっしゃるし、護身術もお得意なようよ。きっと、あなたに、いろいろ教えて下さるでしょう。わからないことがあれば、何でも質問してごらんなさいな」


 わたしが、竜気でも「許可」を与えると、サルトーロは、ほっと力を抜いた。

 それから、「わかりました」と両目で一回瞬きして、サトシの方を見上げる。

 

「ごしんじゅつって、なんですか、お兄さま?」

「身を守るための武術のことだよ。我が国では、身体強化術と呼んでいるけど」


 身体強化? それって、ファンタジー定番のアレ?

 腕力とか脚力とかを魔力で強化して、人外の強さや速さになるってやつ。

 あ、竜眼族には、魔力はないか。

 でも、竜気はあるものね。神通力の一種かな?

 だとすれば、もしかして、わたしにも、使えるんじゃないの?

 

「それは、竜気で強化するのでしょうか」


 わくわく気分が盛り上がったわたしが質問した途端、サルトーロの後ろに立っていたマイケル師が、素早く口をはさんできた。「なんてこった。冗談じゃないぞ」と言わんばかりの『悪態』と『焦燥』竜気を放ちながら。


「ショコラ様、身体強化は、神通力が使えない士族向けの技能です。宮国群では、慣習が異なるのかもしれませんが、竜気が強いと、増幅したり破裂したりする確率が高いため、王族の方にはお勧めできません。軍で訓練する場合でも、細心の注意が必要となり、専門家の指導が欠かせないのです。まして、【瞬動】の基礎訓練中のサルトーロ様では、また失踪される危険性すらあります。絶対にお止めください」


 「失踪」という言葉を聞き、ユーレカが、目を見開いて震え始めた。

 初瞬動の失敗で、サルトーロが、「助けて」と叫びながら消えたことを思い出したんだろう。

 あのときは、弟を失いかけたユーレカも恐ろしい思いをしたから、いまだに悪夢にうなされることがあるんだって。ほんとに心労の大きい子だわ、可哀想に。


「落ちついて、姫。サルトーロに、危険な訓練なんてさせないわ。それに、今は、マイケル師がついて下さるのだから、あのときとは違うでしょ。大丈夫よ」

「は、はい。申し訳ありません。ちょっと、失礼いたします」


 ユーレカが、『動揺』を抑えきれず退席すると、それに同調したのか、サルトーロの感情波もに揺らぎ始め、『不安』と『緊張』が高まっていく。

 これは、まずいかもしれない。

 感情的になればなるほど、竜気の制御を失いやすいものなのだ。

 特に、幼児は。自分で、気分を切り替える術を知らないからね。

 

「恵ジョアンナ。何か、気分が明るくなるような曲を歌っていただける?」


 わたしは、応接室の隅にあるピアノ風の鍵盤楽器ハープシコードの前で、お茶会用BGMを奏でていた恵ジョアンナに声をかけた。

 恵ジョアンナは、声楽家だけど、楽器もそれなりに上手い。だから、アカペラじゃなくて、弾き語りができるの。

 

「それでは、サルトーロさまがお好きな『希望行進曲』を歌わせていただきます。よろしければ、皆様も、ご一緒にどうぞ」


 恵ジョアンナが選んだのは、わたしも習った子供向けの唱歌だった。

 行進曲と言っても、きびきびした2拍子ではなくて、軽快なノリの4拍子。

 単純ながら心地よいメロディーは、確かに、気分を盛り上げてくれる。

 のびのびウキウキしてくる感じで、ウォーキングのBGMにお勧めしたいほど。

 ただ、歌詞がねぇ。なんか戦意高揚ための軍歌っぽくて、好きじゃないんだな。

 だってさ、これなのよ、これ。どう思う?



 1、2、3、4、並んで歩け。

 前を見つめて、停まらず進め。


 ゴンシンソン、気脈を伸ばせ。

 守り守られ、勇気を奮え。


 コンケンカン、気綱を握れ。

 結び結ばれ、希望を掴め。


 4、8、16、挫けず動け。

 不撓不屈ふとうふくつの、われらは、竜眼。



 ね? 熱血少年アニメの主題歌には、いいかもしれないけどさ。

 実際、軍人志望のサルトーロは、この曲が大好きみたいだし。

 恵ジョアンナと一緒に歌うことに慣れているせいか、恥ずかしがりもせず、声を張り上げている。ちょっとばかり音程不審気味だけど、6歳にしては上出来かな。


 意外だったのは、元軍人サトシの反応。

 一瞬だったけど、負の感情波が、ぐわっと盛り上がったのにはびっくりした。 

 怒りや憎しみではなくて、重く沈み込んでいくダウン系の想い。ただの悲しみや諦めよりも、ずっと強烈。悲嘆とか、哀惜とか……、いや、慟哭に近いかも。

 とにかく、こちらまで胸が締めつけられる感じがして、思わず知らず、声をかけてしまっていた。【交感】で。


<どうしたの? 大丈夫?>

<――いや、いろいろ思い出していただけだ>


 サトシは、歌には加わらなかったが、慣れた様子で、手拍子を打ち始めた。

 パン、パ、パ、パァ。パン、パ、パ、パァ。パン、パ、パ、パァ……。

 一拍目は、普通に、両掌を強く叩く。

 二拍目は、右の掌で、左の甲を、三拍目は、左の掌で、右の甲を軽く叩く。

 四拍目は、叩くのではなく、両掌をきっちり合わせて、長音で止める感じ。

 この、強-弱-弱-中の繰り返しは、どこか神社で拝むときの拍手っぽい。

 

<どんな思い出?>

<昔、この曲は、女性や子供たちが戦場から避難するときのテーマソングだったんだよ。あの頃の子供たちには、まともに行進するような余力などなかったんだが、それでも、この拍子を聞くと、条件反射で、とにかく歩き始めようとはしたものだった。『希望行進曲』じゃなくて、『絶望行進曲』じゃないかと、文句を言いつつも。なにしろ、年中腹をすかせていて、疲れ切っている上、襲撃に怯えながらの強行軍ばかりだったからな。それが、食べきれないほどのお菓子を前にして、これほど楽しそうに歌われる時代が来るとは……。あれだけの犠牲を払ったのも無駄ではなかったと思えば感無量ではあるが、誇らし気な竜気には同調できそうにない。当時の仲間たちの顔が思い浮かぶと、どうしても悼む気持ちが募ってくるものでね>


 あぁ、そうか。この人は、前線勤務の分析官だったんだっけ。

 飢えや恐怖や絶望が日常の中で成長し、27歳で戦死した記憶を持つ再来者。

 竜眼族が滅亡の危機にさらされていた時代に、生き地獄を闘いぬいた人なんだ。


 『あれだけの犠牲』というのは、どれほどの犠牲だったんだろう?

 昨日は軽く聞き流してしまったけど、さぞかし辛く苦しい人生だったはずよね。

 平和国家でぬくぬく育ったわたしには、想像することすらできないけど。

 でも、それが胸をえぐられるほど痛みに満ちた思い出だということは、竜気で直に伝わってくるの。


 あまりにも痛ましくて、何と返したらいいかわからない。

 サトシの顔を見るのもはばかられて、わたしは、黙って俯くしかなかった。

 これは、男の人の泣き顔を見るのは申し訳ない、という感覚に近い。

 サトシが泣いてるわけじゃないし、そもそも竜眼族は落涙しないんだけど。


 何というか、そう、プライベートゾーンに踏み込み過ぎた気がしたの。

 まだそんなに親しくもないのに、傷ついた心の中を覗く資格なんてないって。

 感情的になると、交感中に、思念が勝手に流れやすいという話だし。

 聞いてはいけない独り言を聞いてしまったような後ろめたさがあったのね。


 だからと言って、謝るのも変だし、下手な慰めなんて尚更言えるわけもない。

 反応に困って身を固くしていると、ロムナンが、話しかけてきた。 

  

<お姉さま、どこか、けがした?>


 怪我? いきなり何だろうと思っているうちに、ぎゅぎゅっと抱きつかれた。

 これは、エネルギッシュな9歳男児に、発育不良の7歳女児が、押しつぶされかけている構図なわけで、物理的に苦しい。グエッと声が出たくらいに。

 ロムナンが不安そうなので、放せと突き放す気にはならないけど、痛いんだわよ。

 ただ、そのインパクトが勝ったせいか、胸の痛みの方は吹っ飛んで霧散した。


<落ちついて、ロムナン。お姉さまは、大丈夫。どこも怪我していないわよ>

<でも、いきなり、いたくなった。お姉さまがいたいと、ロムナンもいたくなる>

 

 なるほど、気脈を通じて、胸の痛みが伝わってしまったのか。

 サトシからあふれ出た感情波が、勢いよくわたしに流れ込んできたせいで。

 それが、ロムナンへと更に押し流されて行ったわけね。


<えっと、これはね、心が痛いの。怪我しなくても、悲しかったり、寂しかったりすると、胸のあたりが痛いと感じるときがあるのよ>

<むねがいたい? じゃぁ、これは、やきもち?>


 へ? どっから、焼き餅が出てきた? 

 わたしが呆気に取られたのは、一瞬だったけど、「なに馬鹿言ってんの」的な間違いだとわかったらしく、ロムナンの気脈がしょぼんと縮こまった。


 そう言えば、前にちょっと、焼き餅について話をしたことがあったっけ。

 サルトーロは、テリーと仲良くしているロムナンを見て寂しかっただけだよって。

 それで、『胸が痛い』イコール『焼き餅』だと解釈してしまったのかな。

 

<えっとね、胸が痛くなるのは、焼き餅を焼いたときだけじゃないの。何か失敗をしたときとか、誰かに同情したときとか、見たくないものを見たときとか……>

<みたくないもの?>


 竜語症のロムナンに、抽象的な概念を理解させるのは、ものすごく難しい。

 実際に経験したこと、感情波で伝わることなら、説明しなくても通じるんだけど。

 うーん、何か良い例はないか。単純で、わかりやすいやつが。

 そうだ、サルトーロ救出作戦ならいいかもしれない。


<たとえば、サルトーロを助けに行ったとき、スケバンが倒れたでしょ。あのとき、見ているのが辛くなかった? 胸のあたりが痛かったんじゃない?>

<うん。みんなも、たおれて、ロムナン、こわかった>


 みんなというのは、途中で合流した帝竜軍の番竜のことだろう。

 あのとき、番竜組(一班)で倒れたのは、竜気を消耗し過ぎたスケ婆だけだったけど、仲間に加わったうち10頭が死んで、7頭(後の二班)は重症を負ったの。

 襲ってきた敵方だって、62頭が死んで、傷ついた17頭を捕獲している。


 わたしが現場に着いたのは決着した後だったけど、ものすごい惨状でさ。

 あれは、まさしく戦場で、ロムナンは、紛れもない実戦経験者というわけよ。

 つまり、現実に仲間を失う体験をして、その恐れと悲しみを知っているってこと。

 もしかしたら、それで、サトシの喪失感に同調しやすかったのかもしれないな。


<そうよね。大切な仲間が傷つくのは、誰だって見たくないのよ。傷つくと思うだけでも嫌だし、実際に傷つくのを見たら、胸が痛くなるわ。たとえ、自分は、どこも怪我していなかったとしてもね。そして、傷つくのを見たときのことを思い出して、その痛みが戻ってくることもあるし、仲間が痛い思いをしていると、その痛みが自分のことのように感じられることもあるわけ。ロムナンは、お姉さまの痛みを感じたでしょ? それと同じように、お姉さまは、サトシの痛みを感じたの>


 わたしの説明が、ロムナンにどこまで通じたかわからない。

 だけど、パニックじみた不安感は治まって、しがみつくのは止めてくれた。


<サトシ?>

<サルトーロの隣りに座ってる男の子のことよ>

<――あのこ、群れのなかま、なくしたの?>

<そうみたい。仲間たちと、この曲を一緒に聞いていたんですって>

<きょく? これ?>


 ロムナンが、掌を叩いてみせた。

 パン、パ、パ、パァ。

 強-弱-弱-中。

 ちゃんと、リズムが合ってる!

 うわぁ、つまり、サトシの手拍子を覚えたってことじゃないの!


<そうよ、ロムナン。これは、『希望行進曲』っていう曲なの。お姉さまと音を合わせてみましょう。ほら、こうやって……>


 わたしが、手拍子をし始めると、ロムナンも、見様見真似で合わせようとする。

 タイミングはちょっとばかりずれているけど、それが何だ。

 ロムナンが、音に耳を傾け、学習しようとしている。

 これは、進歩よ。超大躍進!


 もともと、ロムナンに、聴覚が備わっていることはわかっていたの。

 番竜組の遠吠えやソラの鳴き声を真似はしていたんだから。

 音の高低はだいたい合っているし、結構大きな声も出すことができるしね。 

 それなのに、人の言葉に反応したことはなかった。これまで、一度も。


 まぁ、口真似できるくらいなら、竜語症とは言わないよな。

 どうやら、ロムナンの場合、人としての本能が欠けているらしい。

 ソラは、竜眼族の身体で生まれてきた高等竜だと言っていた。

 人の器官は持っているけど、それをうまく使いこなすことができないんだって。

 

 生まれつき竜の鳴き声は理解してるのに、人の言葉は覚えられない。

 多分、ロムナンにとっては、あくまでも、【交感】が母国語なのね。

 番竜やソラの鳴き声は、英語やフランス語的に、カタコトなら喋れる。

 これは、生得的なものであって、竜の本能にあたるらしい。


 一方、人の言葉は、全く異質で、プログラミング言語みたいに別物なのね。

 だから、理屈を知らないと、チンプンカンプンの呪文にしか聞こえない。

 その理屈を教えられるのは、通訳ができる心話力者だけということ。

 それで、語学教師としても実績のある声楽家、恵ジョアンナを招聘しょうへいしたわけよ。

 

 恵ジョアンナが来てからは、そりゃもう色々な曲を聴かせてみたわ。

 音楽が刺激になって、言葉を理解するきっかけになるんじゃないかと期待して。

 残念ながら、どんなメロディーにも楽器にも興味を示してはくれなかったけど。

 それでも、いつの間にか、リズム感覚は養われていたんだね。


「まぁ、ロムナン様が、手拍子を打たれるなんて……! なんという奇跡でございましょう。あぁ、恵セルシャよ、有り難き祝福を賜りましたこと、無上の喜びとともに心よりの感謝を捧げ奉ります!」


 恵ジョアンナが、感極まった様子で叫んだあと、更にぶつぶつと祈り始めた。

 感動していたのは、わたしも同じなんだけど、これには、ちょっと引いたよ。

 普段は、優しい先生タイプなのに、いきなりテンション上げ過ぎだってば。

 これが、聖職者の『恍惚こうこつ』というやつ? 無神論者にはついていけないわ。

  

 いや、わかる。もちろん、わかるよ、気持ちはわかる。

 ここに来てからずっと、ロムナンのため、必死に頑張ってくれていたものね。

 それなのに熱意が全然報われなくて、心が折れかけていたのも気づいてた。

 そんな中で、やっと成果が表れて嬉しいのは、まぁ、わかるんだよ。


 だけど、ちょっと落ちついて欲しい。

 ロムナンが、異様な雰囲気に怯えて、手拍子を止めてしまったじゃないの。

 恵セルシャに感謝を捧げるのは後でもいいでしょ。

 今は、頼りない一歩を踏み出したばかりの生徒ロムナンに注意を向けてよ。


「奇跡に立ち会えたのは、僕たちにとっても望外の喜びです、恵ジョアンナ。どうでしょう。この喜びを皆で分かち合い、ここにいる者全員で、『希望行進曲』を歌ってみては? これは、竜眼族としての一体感を高めるための曲ですから、竜語症の人でも気脈は通じるはずですし、良い刺激になるのではありませんか」


 絶妙なフォローをしてくれたのは、言わずと知れたサトシだった。

 上手いこと言いくるめて、聖職者に祈りを中断させたのだからすごい。

 流石さすがは、状況判断が的確な元分析官。詐欺師なみに口も立つ。

 これからは、流石のサトシと呼ばせてもらおう。

 

「そうね。みんなで、手拍子を打ちながら歌いましょう。側仕えも、ここにいる者はみな参加してちょうだい。いいわね? 恵ジョアンナは伴奏をお願いしますね」

<ロムナン、さっきの曲、みんなで歌うからね。お姉さまと一緒に、手を叩くのよ>

 

 有無を言わさないように、わたしが指示すると、恵ジョアンナが、嬉々として、『希望行進曲』のイントロから鍵盤楽器ハープシコードで奏で始める。

 次に、リード役となったサトシが力強く手拍子を打ち始め、そのテンポに合わせる形で、わたしやサルトーロ、六人の側仕えたちが参加していく。


 最初は戸惑った様子だったロムナンも、わたしが隣りで見本を見せながら促すと、一緒に手を叩き始めた。

 パン、パ、パ、パァ。パン、パ、パ、パァ。パン、パ、パ、パァ……。

 強-弱-弱-中。強-弱-弱-中。強-弱-弱-中


 みんなの手拍子が揃ってきたところで、サトシがボーイソプラノを披露し始めた。

 少年聖歌隊が務まりそうなエンジェルボイスで、高らかに、朗々と。

 同時に、【交感】で、4つの数字を繰り返していく。

 ラジオ体操の掛け声のように。きびきびと、勢いよく。


 1、2、3、4、並んで歩け。

<イチ、ニー、サン、シー。イチ、ニー、サン、シー>


 前を見つめて、停まらず進め。

<イチ、ニー、サン、シー。イチ、ニー、サン、シー>


 そこで、わたしの手元を見ていたロムナンが、顔をあげて、サトシを見つめた。

 美声に魅かれたのか、【交感】の掛け声に反応したのか。

 とにかく、歌に興味を持ったのだ!

 視線を受けたサトシは、歌詞をやめて、声でも、数字を唱えだした。


 1、2、3、4。1、2、3、4。

<イチ、ニー、サン、シー。イチ、ニー、サン、シー>


 そうか、声と【交感】で、同時に、同じ数字を伝えているのか。

 更に、口を大きく開いて、発声するときの唇の形を見せようとしてる。

 これって、竜語症のロムナンに向けた同時通訳なんじゃないの。

 こんなやり方があるなんて、考えもしなかったわ、流石のサトシね。


 1、2、3、4。1、2、3、4。

<イチ、ニー、サン、シー。イチ、ニー、サン、シー>


 この機を逃してはならじと、わたしも、数字を唱えることにした。

 他のみんなも、わたしたちに習って、歌詞から数字に変えていく。

 ロムナンは、訳がわからないというように、わたしを見返してきた。

 音に変化があったことに、気づいた。気づいてくれたんだ。


 1、2、3、4。1、2、3、4。

<イチ、ニー、サン、シー。ほら、お姉さまの口を見てて>


 わたしの声が聞こえる?

 あなたにも聞こえているんでしょう?


 1、2、3、4。1、2、3、4。

<イチ、ニー、サン、シー。耳を澄まして、よく聞いて>


 この音には、意味があるの。

 人が意思疎通する方法は、【交感】だけじゃないのよ。


<イチ、ニー、サン、シー?>

<そうよ、ロムナン。口から同じ音を出してみて>


 ロムナンが、尋ねるように、【交感】で繰り返してきた。

 『期待』の感情波が盛り上がっているのが、自分でもわかる。

 気脈が通じているロムナンが、わたしの熱意に答えようとしてるのもわかる。


「いー、にー?」

<そう、その調子よ。ロムナン。もっと声を聞かせて>


 ロムナンの口から洩れたのは、たどたどしいかすれ声だった。

 でも、紛れもなく、意味をもった言葉だ。

 この子は、数字を理解してるの。群れの順列として。

 一郎、次郎、三郎、四郎が、1、2、3、4だと思っているみたいで。


「いー、にー、たー、ちー?」

「続けて、ロムナン。イチ、ニー、サン、シー」



 

 サトシの才覚によって、人の言葉を生まれて初めて声にしたロムナンは、こうして、1から4までの数字を覚えることができたのでございます。


 それから、恵ジョアンナの指導の下で、普通に会話ができるようになるまでは、更に4年近くの年月がかかることになりましたが、この日、12月21日は、わたくしにとって、決して忘れえぬ記念日となったのでありました。


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