第66話 命の対価に欲しいのは。


 茉莉花マリカ時代、わたしには、欲しい物がいっぱいあった。

 綺麗な容姿。

 洋服にアクセサリー。

 自分の厨房と調理器具一式。

 言い出せば、きりがないくらい。

 それが、大富豪ショコラになったら、物欲センサーが麻痺したみたいなの。

 欲しい物はないかと聞かれると、逆に、困ってしまうくらいに。



<大丈夫、マリカ?>

<――うん、大丈夫……って、あれ? ここ……寝室?>


 ソラの心配そうな竜気に、今度は答えられたと思ったら、目に入ったのは、天蓋だった。本館のホールにいたはずなのに、いきなり場面が転換してるよ。

 枕元にソラがいて、こっちを覗き込んでいるので、そのまま引き寄せて抱きしめた。

 あー、癒される。

 ソラには、モフモフ毛はないけど、絶品ヤワヤワの肌触りなんだわ。


<うん。マリカは、気絶しちゃったから、オランダスが、運んできたのよ。あれから二時間くらいしか経っていないから、まだ、みんな、使節団の方の対応に追われてると思う。でも、誰も死ななかったから、安心して>

<そっか。公使の具合はどうなの? 良くなった?>


 確か、ヒールは、成功したと言ってたはず。逆流してきた竜気が、ずいぶん多かった気がするけど、失敗したからではない、と思いたい。気絶するほど苦しい思いをしたのに、頑張った甲斐がなかったとしたら、悲しすぎる。

 

<良くなり過ぎた、かな。骨折が治っただけじゃなくて、20歳くらい若返ったように見えるって、みんな騒いでるのよ>

<へ? 若返るって……、治療に、そんな効果もあるわけ?>


 本当なら、すごいぞ、それは。

 ヒールに毒物排出デトックスしてもらえば、アンチエイジングまでされるなんて。

 待てよ。これが噂になったら、病気を治して欲しい人だけじゃなくて、若返りたい人たちまで、押し寄せてくるんじゃないの?


<治療の効果というより、副作用ね。今回、ヒールは、折れた骨と、傷ついた筋肉や神経の修復をしようとしたらしいんだけど、全体的な強化までされちゃったの。それで、曲がりかけていた背骨も真っすぐになったし、膝とか関節部の可動も滑らかになって、痛いところをかばった動きをしなくてすむようになったのよ。まぁ、竜気が満タンに充填じゅうてんされれば、それだけでも、ある程度、生命力が活性化するものだけど、公使は、老化が進んでいただけに、変化が劇的だったんだと思う>


 うーん。つまり、整形外科的な持病が、総ナメ治療できちゃったってことか。腰とか膝をかばって、背中を丸めがちにソロソロ歩いていたお爺ちゃんが、往年の竜気を取り戻して、キビキビ動き始めたら、さぞかし注目されることだろうな。


<やれやれ、これが噂になったら、ヒールを狙うやつが、増し増しマシマシになりそうだね。ヒールにも、専属の護衛をつけるべきかな?>

<つけるとしたら、猛禽竜もうきんりゅうとか、見張竜みはりりゅうあたりでしょうね。空を飛べない人だと、ヒールについていけないし、護衛は務まらないもの>


 ふうん。竜を護衛する竜なんてのもいるんだ。

 見張竜なら、竜育園ここにもいるな。夜行性のフクロウ型と、カラスとへびのハーフみたいなやつは、見たことがある。どっちも、かなり賢そうだったけど、知能がダントツに高い聖竜に比べたら、月とすっぽん。

 ごのみが激しいヒールが気に入る竜となると、難易度が高そう。


<先に、ヒールの意見を聞いた方がいいかも。護衛なんか鬱陶うっとうしいと言われたら、それまでだしさ>

<うん。それに、ヒールが、いつまで王寮ここにいるかもわからないしね>


 そうなんだよなぁ。

 今回、試供品ということで、お砂糖が手に入った。

 それを使った新作のお菓子を一番に試食させたら、ヒールとの約束を果たしたことになるの。[砂糖派]としての活動は別として。

 住まいと食事を提供するという義務がなくなる一方、ヒールが出て行くと言ったら、止める資格だってないのよね。


<ねぇ、ソラ。ヒールって、放浪癖でもあるの? アテもなくあちこち飛び回るのが好きだとも思えないんだけど。奔放ほんぽうな感じはしないし、堅実な性格してるよね>

<ヒールは、悲観的なのよ。今まで、勝手に売られたり、酷使されたり、追われたりして来たから、囲われた状態だと不安になるんじゃないのかな>


 今は、わたしが、囲っている状態ってこと? 

 せないなぁ。籠に入れてるわけでもないし、結構、自由気ままに暮らしてるじゃない。好物だって、食べ放題。ロムナンを筆頭として、みんなからお菓子も貢がれてるのに、どこが不安なの?


<でもさ、ここを出ていったら、また、追われる生活に戻っちゃうわけでしょ。サルトーロのときは、誤魔化しもきいたけど、リカルドと公使の治療は、見てた人が多くて、口止めもできないし。絶対、ヒールを捕獲しようと躍起やっきになる人が出てくるよ。ソラ、あんたから、残るように説得してみてくれない?>


 ソラの嘴が、ひゅるんと伸びて、わたしの腕をツンツン叩く。

 注意をひく仕草に、抱きしめていた力を緩めて、ソラを見ると、象の鼻がピシっとわたしの鼻に向けられた。これは、初めてのパーフォーマンスだな。

 むむ、嫌な予感がするぞ。


<説得するのはいいけどね。今回の公使の治療では、ヒールより、マリカの方がインパクトがあって、すごい噂になっちゃってるのよ>

<えぇっ、なんでよ?>


 思い当たるのは、使節団を脅したことくらいしかない。

 けど、みんなの注目点は、聖竜の治療に、わたしが協力したことにあったらしい。

 自信満々に指示を飛ばしたせいで、手慣れてるのが見え見えだったのね。

 あの一幕だけで、サルトーロの治療にも、わたしが関与していたとバレちゃったんだってさ。


<飛竜渓谷でも、サルトーロは無傷なのに、マリカは気絶した状態で発見されたでしょ。状況が同じだから、前も、竜気を増幅して治療をしたと推測できるわけ>

 

 あのときは、竜気がからっけつになっちゃって、丸一日、意識が戻らなかったのよね。それに比べれば、今回は、目が覚めるのも早かったし、身体もだるくない。

 わたし的には、ちょっときつかったけど、想定内ですんだって感じ。

 でも、周囲にとっては、初めてのことで、訳がわからず、上を下への大騒ぎになったわけね。


 混乱を加速させることになったのは、明暗が分かれた使節団。

 公使一人は、気絶もせず、いきなり全快、すっきり爽快。

 胸元に倒れ込んだわたしを抱きかかえたまま、立ちあがったもんだから、ユーレカが、気絶したわたしを心配しつつ、回復した公使に感動するという分裂気味の発作ヒステリーを起こしたみたい。


 ユーレカの悲鳴に、避難していた側仕えたちは、すぐに戻ってきた。

 そこで目にしたのは、8人の気絶者(使節団の7人プラスわたし)と、興奮MAXのユーレカと驚愕MAXの公使。

 ヒールは、仕事は果たしたとばかりに、さっさと飛び去ったとさ。

 ほんとに、クールだよな。そりゃ、確かに、ヒールが残る意味はないんだけど。


 公使の近くにいた護衛の中には、口から泡を吹いていたり、胃の中身をぶちまけたり、痙攣けいれんしたりしている人がいて、パニくる側仕えが続出しちゃった。

 結局、その場を取り仕切ったのは、警備主任のマイケル師。

 頼りになる人がいてくれて、助かるわぁ。これで、因業陛下の配下でなけりゃ言うことないのに。


 公使も、ちょっと前まで、自分が激痛に苦しんでいたのに、一転して、部下の方が全員沈没しちゃったんだから、呆然とするしかなかっただろうな。

 悪夢から覚めたら、そこは戦場だった的なショックで。

 でもさ、わたしは、ちゃんと警告したんだもん。危険を承知で側に残ったんだから、恨まないで欲しいよね。


<問題は、そこじゃないのよ、マリカ。警告するほどの危険があるって、マリカが知ってたことが驚異なの。そもそも、普通の7歳児は、竜気の増幅をする訓練なんて受けていないんだから。ましてや、至近距離にいた人たちを全員昏倒こんとうさせるほどの竜気量よ。インパクトがあるなんて程度じゃないわ。神話級の出来事なのよ>


 うげぇ、神話級かよ。これで、栄マーヤ再来説が加速しちゃうわけ? 

 けど、まぁ、しょうがないか。

 だって、わたしには、他に選択肢はなかったんだもん。

 たとえ、いろいろボロが出るとわかっていたとしても、あそこで公使を見放すことはできなかった。状況的にも。人情としても。

 ならば、後悔はしない。噂なんか無視シカトすれば良いのだ。

 そう、気にしたら負けよ。負けるな、わたし。


<まぁ、いいや。公使のお助けイベントは、クリアしたってことで。次に行こう、次。使節団の7人は、どんな様子? 明日、予定どおりに交渉できるのかな>

<えっと、そのあたりのことは、知らないの。ソラは、マリカがここに来てから、ずっと一緒にいたから。マルガネッタに、聞いてみた方が早いと思うわ>


 ソラは、わたしを心配して、つきっきりでいてくれたらしい。さすが、相棒。 ヒールと比べて、なんと温かいことか。身も心も、ぬくぬくほんわかしてくるよ。

 でも、お腹は、クゥクゥ鳴ってるな。竜気を使い過ぎたし、何か食べないと餓死してしまう。

 それに、使節団の容態も知りたい。後遺症が残らなけりゃいいんだけど。


「ショコラ様が、お気づきになられました!」


 わたしが、もぞもぞ起き上がろうとしたとたん、護衛のオードリーが、部屋の外で叫んだ。

 意識はとっくに戻っていたのに、それには気づかなかったところをみると、【気配探知】って、悪意や害意しかマークできないのかな。

 それとも、主人の意をんで、たぬき寝入りに気づかないふりをするのが、護衛の心得とか。


「失礼いたします、ショコラ様。ご気分は、いかがでございますか」


 パメリーナも、隣室で待機していたようで、すぐに足音が近づいてきて、天幕がさっと引かれた。緊張して見開かれた竜眼が、迫ってくる。

 けど、始めの頃みたいに、恐いとは感じない。

 あぁ、心配させちゃって、悪かったなぁと思うだけで。


「気分はいいわ。でも、お腹がすいちゃった」


 元気だよアピールの台詞だったのに、パメリーナは、慌てふためいて、お茶の支度に走った。そこまで、切迫してるわけじゃないぞ。

 主人を飢えさせるのは、侍女失格なのかな。わたし、普段から、飴だのジュースだのと、絶えず間食を与えられていて、空腹を感じる暇がないほどよ

 おかげで、ちょっと背が伸びたけどね。


 寝室を出て、隣りの居間に行くと、お菓子が山盛り用意された。これらは、竜糖りゅうとうを使ってはいるけど、わたし好みの甘さ控えめレシピで、多少は口当たりが良くなっている。

 残念ながら、お土産のクッキーは、まだ毒見が終わってないからと、お預け状態だし、砂糖を使って試作品を作るのは、使節団が帰ったあとになる。

 今は、どの厨房も、そのおもてなしのために、てんやわんやの忙しさだから。


 わたしは、『ショコラ洋菓子店』のラインナップを思い浮かべながら、帝竜国の材料で作れそうなものを考えてみる。

 ミルクとバターがないと、洋菓子系は難しい。クリームもできないし、いっそのこと、餡子あんこを使った和菓子にしようか。でも、小豆や米粉も見たことがないし、日本のものと似た品種があるかもわからないなぁ。


 やっぱり、先に、菓子職人を確保しないと駄目か。

 食材に精通していると同時に、砂糖を使ったレシピも知っているプロが必要よね。

 三ノ宮国出身のトトロッティは、一応、お菓子も作れるけど専門ではなく、帝竜国の食材に慣れてもいない。

 だいたい、ユーレカ付きの料理人をわたしがこき使うわけにもいかないし。


「ショコラ様、マルガネッタが、ご報告したいことがあるそうでございます」


 わたしが、脳内で、あれこれ考えつつ、お菓子をぱくついているところへ、マルガネッタがやってきた。

 げっそり疲れた顔をしてるので、一緒に栄養補給するように席につかせる。気配り上手のパメリーナが、マルガネッタの好きなお茶を入れてくれたけど、和やかなティータイムという雰囲気にはならなかった。話題からして。


「使節団の方々は、客舎へ向かわれることになりました。交渉を延期するかどうかにつきましては、明朝、体調を確認をした上で、ご連絡くださるそうでございます」


 公使は完全復活したものの、お供の具合は思わしくないらしい。特に、護衛の4人は、自分の身も守れる状態ではないので、マイケル師が、公使御一行に付き添って、客舎まで、送り届けることになった。

 意識を回復したばかりで、竜車に揺られて、大丈夫なのかな。めまいや吐き気が悪化しそうな気がするけど。


「幸い、ホール付近に留まった側仕えは、全員無事でございました。しかしながら、本館一階にいた中仕えや下働きのうち、2名が気絶し、5名が体調不良となりましたので、非番の者たちと交代させて、休ませることにいたしました」


 うわぁ、これは、予想外。

 ホールから遠ざけただけじゃ、駄目だったの? 

 ごめんね、みんな。

 次から、竜気を増幅するときは、もっと気をつけなくっちゃ。

 次があるとしても。次なんかなけりゃいいけれど。

 わたしだって、こんなハードなこと、好きでやってるわけじゃないんだからさ。


「ユーレカ姫もご無事でしたが、かなり興奮されておりましたので、ニキータ教授が、ユーレカ様の棟へ連れて戻られました。ロムナン様とサルトーロ様は、竜舎に行かれたままでございます。先ほど、カズウェルがお迎えに向かいました」


 ロムナンとサルトーロは、テリーの竜舎に行かせておいたんだっけ。ユーレカが、弟は使節団に会わせたくないと言うので隔離するために。サルトーロは、三ノ宮国で受けた仕打ちを恨んでいるから、見知った顔を見たら、ポルターガイストを起すかもしれない。そうでなくても、嫌な思い出がよみがえってしまうだろうって。


 まだ6歳だっていうのに、サルトーロもトラウマ持ちだからな。

 でも、最近は、ロムナンの弟分になって、番竜組に揉まれているせいで、結構たくましくなったと思う。番竜の雛とじゃれついたり、【浮動ふどう】で、木と木の間を飛び回ったりしてる姿は、生き生きしてるもん。

 ターザン化してる気がしないでもないけど、楽しそうだから、まぁいいじゃない。周りを傷つけない限りは、放任しておくつもりよ。


「そう。お疲れ様。あなたも、もう休んでちょうだい、マルガネッタ。今日は、面倒な後始末を押しつけてしまって、ごめんなさいね」

「とんでもございません。数ならぬ身でありながら、このたび恩寵おんちょうたまわる奇跡にも、立ち会わせていただけて、恐悦至極きょうえつしごくに存じます」


 奇跡ねぇ。マルガネッタは、命神殿のご加護エフェクトを見てから、信仰心に目覚めちゃって、無神論者には理解しがたいことを言いだすのよ。

 ヒールの治療のどこに、誰の恩寵があったっていうんだろう。竜神リ・ジンも栄マーヤも、お出ましになってないのに。

 わたしだって、ヒーヒー必死こいて、竜気を止めたり流したりしたあげく、周囲をノックアウトさせただけ。感動要素なんか欠片かけらもないじゃないの。


 まぁ、何を信じてもいいさ。信仰は自由だと思うし。

 ただ、わたしをあがたてまつるのだけは止めてくれ。

 もちろん、好意を持ってもらえるのは嬉しいさ。欠点まで丸ごと受け入れてくれるのであれば。

 でも、盲信されるのは迷惑よ。勝手に理想像を作られて、期待をもたれて、プレッシャーをかけられるなんて御免だわ。


 わたしが白けているのに気づいたようで、マルガネッタは、そそくさと挨拶をして立ち去った。

 有能で信頼が置ける秘書官だけど、波長が合わなくなってる気がするよ。

 わたしが帝家入りを断固拒否しているのは聞いてるはずなのに、栄マーヤ再来説を熱狂的に指示したりしてさ。

 一度、はっきり言ってやった方がいいのかも。わたしは、栄マーヤでもないし、帝女にさせるつもりなら敵認定するぞって。


 もやもやした不快感を持て余し気味だったわたしは、夕食も一人で食べて、早く寝ることにした。ソラとの秘密会合もそこそこに。幼い身体に負担をかけすぎたせいか、お昼寝をしていなかったせいか、やたらと眠かったんだよね。

 おかげで、翌朝は、すっきり目覚めて、使節団との交渉が、午後から行われることになったという知らせに、気分も上昇したの。

 それも、朝食後、すぐに急降下しちゃったけどさ。


「ショコラ様、昨日は、サエモンジョーを治療していただき、ありがとうございました。衷心ちゅうしんより、感謝の念を捧げさせていただきたいと存じます」


 という出だしで、ユーレカが、わたしの棟まで、挨拶にやってきたのよね。公使の代理として、迷惑をかけたお詫びと治療してもらったお礼に。

 それは、まぁいいよ。かなり長々しくて、正直うざったかったけど、礼儀は礼儀。

 ユーレカは、三ノ宮国の王女。こっちも王族なんだから、必要なやり取りと割り切ろう。


 三ノ宮国の慣わしからすると、公使の命を助けてもらった以上、それだけの対価となるお礼をしなきゃならないらしい。

 わたし、別に、命を助けた覚えなんかないのに。

 確かに、死ぬほど痛がってはいたけど、致命傷だったわけじゃないよね。


 ところが、あのとき、公使は自殺するつもりでいたって言うのよ。

 ホールで倒れたのも、訪問先で、血を流すのは失礼だから、とにかく、王寮の敷地から出ようと頑張ったあげく、途中で力つきたんだって。

 みんな、それを知ってた。ユーレカも、知ってたから、止めようとしていた。知らなかったのは、わたしだけだったの。


 何度も言ってるように、竜眼族にとって、同族殺しは禁忌タブー

 だけど、当人が、[刺眼しがん]したときに、[介錯かいしゃく]するのは、温情おんじょうとして認められてるらしい。

 ほら、時代劇なんかで、武士が切腹するとき、「介錯いたす」とか言って、首をねるアレと同じよ。ただし、生き恥をさらすまいとする武士道とは、意味合いが違うの。


 竜眼族は、丈夫だけど、痛みには弱い。痛みがひどくなると、竜気の制御ができなくなって、周りを苦痛の渦に巻き込むことになる。

 それは、わたしも、昨日、身をもって味わったわ。公使が絶叫竜気を垂れ流して、ホールは、『絶望』と『忍苦』で荒れ狂っていたっけ。

 あれは危険。確かに、ヤバすぎる。近づいただけで、引きずりこまれちゃったし、ソラの助けがなけりゃ、あのまま固まってたかもしれない。


 竜気は、諸刃もろばの剣。

 敵に対して、強力な武器になるけど、自分が傷つくと、同士討ちになりかねないのね。制御装置が壊れたレーザー兵器みたいなものでさ。

 敵味方の区別もなく、目鞍滅法めくらめっぽうに攻撃し始めちゃうわけ。

 そうなる前に、停止させなきゃならない。

 そして、竜気の奔流を止めるには、竜眼をつぶすのが一番手っ取り早い。


 それで、竜眼族は、八歳になると、懐剣かいけんを与えられて、[刺眼]と[介錯]の仕方を習うことになってるんだって。万一のときのために。

 同胞に迷惑をかけるくらいなら、自ら竜眼を突いて、気脈を断ち切る。

 当人が深手を負って動けない場合は、仲間が安楽死させる。

 それが、竜眼族の義務だと、子供のうちから、作法として覚えさせられるのよ。

 竜気量が多い王族は、当然、自殺率が高くなるわけ。


 ぞっとするね。

 いや、必要性はわかる、つもり。

 だって、実際に、ヒールがいなかったら、なすすべはなかったわけで。

 あんなに痛がっているのを感じるのも拷問だけど、当人は、それよりもっと辛いはずでしょ。安楽死反対なんて言えるわけがないもの。

 ただ、自分で自分の眼を突き刺すなんてさ。想像しただけで怖いじゃないの。


「わたくしとしては、これが両国の末永い友好のいしずえとなり、交易が盛んになってくれれば、それだけで本望ですよ、姫。公使様にも、そのようにお伝えくださいな」


 延々と続くお礼の言葉に、嫌気がさしたわたしは、話はこれまでと打ち切ろうとした。

 公使の命の対価に、何かをくれるというなら、砂糖が一番いい。できることなら、バターやミルクも欲しい。いっそのこと、乳牛の群れをもらいたいくらいだけど、さすがに、そこまで、あからさまに要求はできないしさ。

 感謝の気持ち分だけ、値引きしてくれれば、それでいいよ。その程度に軽く流すつもりだったんだけど、そこで、マルガネッタに止められた。


「ショコラ様、僭越せんえつながら、そのご返答では、ユーレカ様がお困りになられると存じます。今回の交渉で譲歩をお願いいたしますと、公使様が、本国に対して面目を失われることになりますので。他のご要望をお出しするべきかと愚考ぐこういたします」


 なるほど。公使としては、自分が治療してもらったからと言って、三ノ宮国の利益を損なう交渉はできないのか。下手をすれば、賄賂わいろを貰って、国を売ったみたいに解釈される恐れもあるもんね。

 だから、交渉前に、ユーレカを代理に立てて、要望を聞き出そうとした。

 つまり、公使個人に支払える範囲の物じゃないとまずいってことか。

 いや、物でなくて、者でもいいかな。

 そうだよ、この際、元財相の伝手つてをフル活用してもらおう。


「でしたら、有能な菓子職人をご紹介していただけませんか。三ノ宮国のお砂糖を使ったレシピを一通りご存知で、更に、帝竜国の食材で、新作を作ってみたいという向上心のある貴族の方を。第四厨房を任せますので、わたくし付きの側仕えとして召し抱えるという条件がつきますけど、いかがかしら?」


 わたしの提案に、ユーレカが、ほっとしたように緊張を緩めた。

 命を救ってもらったのに、何もお礼をしないわけにはいかない。かと言って、わたしは、欲しい物は何でも手に入る大富豪。

 そんじょそこらの贈答品では、お礼どころかゴミにしかならないだろうということで、公使に相談を受けたユーレカが、お伺いに来たのに、わたしがそっけなく断るばかりだったので、困り果てていたみたいだな。


「菓子職人でございますね。帝竜国の籍がない者でもよろしいのでしょうか」

「誓神教国の人でなければね。暗殺者や間諜を厨房に入れるわけにはいかないでしょう。そうそう、今度から、面接のときには、心話力者が立ち会うことになりましたから、条件には、そのことも付け加えておいてくださる?」

「かしこまりました。サエモンジョーに、そのように伝えさせていただきます」



 こうして、公使の命を救った対価として、わたくしは、望みの人材を確保できることになったのでございます。


 その方こそ、わたくしが師と仰ぐことになる、実に博識な甘味研究家でございました。


 

 

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