第65話 ヒールの出番再び。


 日本人の平均寿命は、年々延びているよね。

 めでたいことに。

 問題なのは、老化を防げないこと。

 長生きしても、身体がガタガタなんてことも。

 

 竜眼族の推定寿命は、竜気量が多いほど長いの。

 不平等だけど、それが現実。

 おまけに、長命な人ほど、身体も丈夫。

 病気にかかりにくい体質なんだって。


 ただし、五本指のセルシャ系は、四本指のマーヤ系に比べ、老化が早いらしい。

 異種族との間に、子供が生まれやすいともいうし、遺伝形質が違うのかな。



「ショコラ様、公使様は、腰の骨が折れてしまわれたようでございます。それも、絶対安静を要する重傷だそうでございまして……」


 わたしは、マルガネッタの報告に、びっくりして、お土産にもらったクッキーの箱を落としそうになった。

 おー、危ない。お砂糖を使った貴重なお菓子なのに。床にばらまいちゃったら、泣くに泣けないよ。


「絶対安静って、そんなにひどいの? ユーレカ姫は、腰痛が悪化したと言っていたけど……。骨折だと、治るまで、何か月もかかるわよね?」

 

 昼餐会ちゅうさんかいが中止になってラッキーと浮かれている場合じゃなかったみたい。

 ユーレカの竜気が荒れてると思ったけど、[凶事夢]を聞いたからじゃなかったのか。あっちは、もう終わったことだもんね。動揺してたのは、公使の怪我が心配だったからかも。

 普通の医者じゃ、骨折なんか治せないだろうなぁ。ヒールは別格なんだし。


「レジナルド医官のお見立てでは、良くても、全治半年。最悪の場合、二度と歩けなくなるかもしれないとのことでございます。元々、お歳で、全身の骨がもろくなっておられた上、倒れ方が悪く、腰の骨が潰れたのではないかと。今は激痛のあまり、座っているのもお辛いご様子で、長椅子に横になっておられれます」


 うわっ、骨粗鬆症こつそしょうしょうの老人が、転倒して圧迫骨折ってやつ。

 お客さんに聞いたことあるよ。コルセットで固定して、安静にしていても、ものすごく痛くて辛いんだってね。

 竜眼族は長命種で、病気にはかかりにくいって言うけど、似たような症状もあるんだな。骨折で寝たきりになる老人がいてもおかしくはないのか。


「大変じゃない。ユーレカ姫は、公使様についてるの?」 


 ユーレカは、授業のないときは、マルガネッタ付きになって仕事を覚えている。

 でも、使節団が来ている間は、わたしの顧問として、接待してもらうことになってるから、別行動しているの。

 恵ジョアンナを通訳という名目で補佐につけているけど、こんなハプニングが起きたんじゃ、任せっきりにしておくわけにはいかないよね。


「レジナルド医官がお帰りになられたあとも、公使様とお話しされております。ユーレカ様は、ご自分の棟で、静養されるように説得されているのですけれど、公使様は、こちらに、ご迷惑をおかけするわけにはいかないので、客舎に移動したいと申されまして……。使節団の方々も、お困りになっておられるようでございます」


 ユーレカが心配して引き留めているのに、恩師の方は、世話にはならないと突っぱねて、言い争ってるいるわけか。周りのいうことを聞かない頑固一徹がんこいってつ老人って、始末に負えないんだよねぇ。

 いや、逆に、ユーレカの立場を心配しているとか。それとも、公使には、交渉相手に借りを作っちゃいけない的な規則マニュアルでもあるのかな。


「移動したいと言っても、そもそも、動けるような状態ではないのでしょう?」


 王寮には、客室はないの。だから、訪問客の用事が日帰りではすまない場合は、竜育園の宿泊施設を利用するんだけど、客舎そこはホテルと同じ予約制。

 今回、使節団のために、貴賓室きひんしつを四日押えただけだし、こちらの都合で、延長はできないはず。無理して客舎そっちに移っても、五日目には追い出されちゃうのよ。

 

「ご本人は、竜車でゆっくり行けばすむとおっしゃっておられますが、ご存知のように、このあたりの道は起伏が多く、竜車はかなり揺れますので、傷が悪化されてしまうのではないかと思われます」


 そうなのだ。竜育園は、山あり森ありの自然公園。一応、メイン道路は石造りだけど、アップダウンとカーブが多くて、竜車の乗り心地は、ガタガタのゆらゆら。オフロードなみの振動なんだもん。絶対安静の重症患者に耐えられるわけがないよ。


「今は、本館の大応接室にいるわけね? わたくしがお伺いして、お話しするのはまずいかしら」


 マルガネッタは、「反対です」と左目で二回ウインクをした。

 やっぱり駄目か。

 ユーレカは自国の姫だから、まだ良いとしても、わたしが顔を出したら、無理しても起き上がろうとするだろうし、負担をかけることになるよね。公使としての体面もあるし、横になったままでいいと言っても、絶対にきかないだろうなぁ。

 

「公使とのお話が終わり次第、ユーレカ様は、こちらへ来られることになっておりますので、今しばらくお待ちくださいませ。何れにいたしましても、公使とは交渉を進められる状況ではございませんので、明日以降の会談はキャンセルする手配を取りたいと存じますが、よろしいでしょうか」


 明日には、内帝都ないていとから、筆頭管財人が来ることになっているのよ。わたしの代理人を務めるために。

 交渉のテーブルにつくのは、お互いに4人ずつ。ついでに、護衛も4人ずつ。

 こっちは、筆頭管財人のクラウディングと通訳の恵ジョアンナ。顧問のユーレカに秘書官のマルガネッタ。

 三ノ宮国は、サエモンジョー公使と副官、通訳、秘書官の予定だった。

 交渉が中止になるなら、クラウディングに来てもらうのは無駄足になるけど、ほんとに中止になるかどうかは、まだわからない。


「ちょっと待って。ユーレカの話を聞いてからにしましょう。それに、わたくし、先にヒールと話してみたいわ。今、どこにいるのかしら?」


 別棟は、地下二階に、王族の寝室や居間があって、連絡通路で本館と繋がってる。

 地下一階は、側仕えの私室や倉庫。

 一階が、応接室と客用控室。

 二階に、中仕えの私室と打合せや休憩に使う会議室。

 ヒールが建物を出入りするときは、会議室そこを利用することが多い。いつも誰かがいて、窓や扉を開けてもらいやすいから。

 一旦建物の中に入れば、連絡通路を飛び回って、好きなところに行ける。ソラは、短い距離なら、【瞬動】できるので、もっと自由自在に出没してるけどね。


「ヒール様でしたら、先ほど、本館の第一食堂でお見かけいたしましたが、確認して参りましょうか」


 第一食堂は、わたしたち王族が一緒に食事をする二十畳くらいの部屋で、ヒールのお気に入りの場所のひとつ。

 第二食堂は、貴族の側仕えや中仕え用で、第三食堂は、豪族以下の使用人用。

 第四食堂が、お客様をお迎えして、昼餐会や晩餐会を開ける豪華な広間。

 ここには、食堂だけで、四つもあるんだよ。驚きでしょ。


 でも、もっと驚くことに、厨房も四つあるのさ。

 第一厨房は、わたしの料理人ロペスがいて、朝食と夕食を担当し、ユーレカの料理人トトロッティは、第二厨房で、昼食と夜食を担当している。

 わたしたち幼児は、寝るのが早いから、夜食は食べないけど。

 第三厨房は、使用人用の専属料理人が何人か交代制で切り回している。

 第四厨房は、まだ空席。腕のたつ菓子職人を入れたくて探しているところなの。


「第一食堂なら、わたくしが行くからいいわ。パメリーナ、もし、ユーレカが、すれ違ってこちらへ来たら、そう伝えてちょうだい」


 わたしは、マルガネッタと護衛のキャロライナを引き連れて、本館へ移動した。

 暗殺者が見つかってから、わたしの背後には、必ず護衛が一人つくことになったんだけど、任務中は声をかけてはいけないと言われてるもんで、誰とも打ち解けた話ができないのよね。

 だいいち、新参者は、みーんな、わたしのことを怖がってるみたいだし。顔合わせ会で、番竜組をけしかけたのがいけなかったのかな。

 でも、あのときは、まだ、誰も信用できなかったんだから、しょうがないと思わない?


 人を使うのは難しい。お金を出して、雇うのは簡単だけど、信頼関係を結ぶのは、容易なこっちゃないの。竜眼族の場合、竜気の相性もあるし、周りでも、感情波がせめぎ合っているのよね。

 特に、今は、一気に増員した影響で、使用人同士も初対面で馴染みがないでしょ。お互い、気脈を探りあってる状況なもんだから、始終、雑音を聞かされてるみたいで、ほんと、落ちつかないったらないわ。


「**! *****、********!」

「*****、******、*******」

「****、******!」

「***、******、*******、*******」


 地下二階の連絡通路から本館に出て、一階まで階段を上りきったところで、言い争っている声が聞こえてきた。帝竜語じゃないし、たぶん、三ノ宮国語。

 その内容まではわからないけど、ユーレカが必死に叫んでいるのはわかる。やたらと緊迫した竜気が立ちこめていることも。

 騒いでいる方向へ、小走りになって近づいていくと、玄関前のホールに、人だかりがしていた。何を揉めているんだろう?


「これは、いったい何事ですか」


 わたしが声を張り上げたとたん、人波がざっと割れる。声に反応したというより、『詰問』竜気を浴びて、飛びのいたみたいね。ちょっと、強く当てすぎたかな。

 でも、おかげで、見通しが良くなった。床の上で、海老のように身体を丸めて、横たわっているサエモンジョー公使と、その脇に膝をついているユーレカの姿が目に入る。二人の周りを囲んでいたのは、使節団とユーレカの側仕えたちだった。


「お騒がせして申し訳ございません、ショコラ様。爺が……サエモンジョー公使が、退出すると言い張りまして。ここまで歩いてきたのですけれど、力つきた様子で倒れてしまったのでございます。わたくしの棟の一階に、寝台を用意いたしましたので、そちらへお運びするために、今、担架の用意をしていただいているところで……」


 わたしの声に顔を上げたユーレカは、何とか説明を始めたけれど、最後の方は声をつまらせ、嗚咽おえつを必死でこらえている。

 それも、無理ないって。激痛にさいなまされている公使が、『ひと思いに殺してくれ』的な絶叫竜気を垂れ流しているんだもの。

 しかも、ホールにいる全員が、公使に同調してるせいで、『絶望』と『忍苦にんく』の感情波が循環して、増幅してるじゃないのさ。

 ヤバい。わたしも、引きずられちゃいそう。


 うわぁ、痛い、これ、耐えられないって。

 比喩ひゆでも誇張でもなく、真剣マジで死んだ方がマシ。それくらい痛い。息をするだけでも痛い。死にたくなるほど痛いんだよ。

 サルトーロが死にかけていたときより、意識がある分、痛みがクリアで、ダイレクトに伝わってくる。精神攻撃を受けたみたいで、ダメージが強烈すぎるの。

 この痛みを消すには、治療が必要。治療するには、ヒールが必要。

 そう、ヒールよ!


「ヒール!」

<ヒール! ここに来て!>


 わたしは、思いっきり叫ぶと同時に、思念も放った。駄目元だめもとで。

 ヒールも、わたしも、【遠話】ができないから、ソラを通さない限り、遠距離での意思疎通はできないの。

 でも、同じ本館の一階にいれば、【交感】くらいは届くかもしれない。第一食堂は、ホールから、10メートルくらいしか離れていないし。


<こことは、どこですの?>

<マリカ! どうしたの?!>


 ヒールとソラの思念が、クロスして返ってきた。

 ソラのことは、呼んだわけじゃないけど、わたしの異変に気づいたんだろうな。さすが、相棒。


<本館ホールで、サエモンジョー公使が倒れちゃったの。骨折して、激痛に襲われていて、それに、わたしも、同調しちゃったみたい。これ、ものすごく痛いんだからぁ。急いで、治療してあげてよぉ。お願い、どうにかしてってばぁ>


 わたしは、依存心丸出いぞんしんまるだしで訴えた。

 ソラと繋がったとたん、気が緩んで、甘えたくなっちゃってさ。子供が、転んで痛いのを我慢してても、親の顔を見ると、ほっとして、泣き出しちゃったりするじゃない。あの心境よ。


<落ちついて、マリカ。そっちの同調は切ったから。ほら、ゆっくり深呼吸して>

<う、うん。ありがとう、ソラ>


 こんなこと、前にもあったな、と思い出す。

 そうか、ロムナンを通して、サルトーロと同調したときだ。あのときも、息ができないほど痛くて、パニクってるところをソラに助けてもらったんだっけ。

 あーあ、わたし、全然、進歩してないねぇ。

 

<マリカ、わたくしは、今、第一食堂におりますけれど、扉が閉まっていて、廊下に出られませんの>

<わかった。誰かに、開けさせるから。すぐ、こっちに来て> 


 冷静なヒールが、言葉をはさんできたので、わたしは、ふっと現実に立ち返った。イジイジ落ち込んでる場合じゃなかったよ。公使は、あの激痛ナウでいるんだから、早いとこ治療してあげないと。

 わたしは、第一食堂の一番近くにいる女性を指さして叫んだ。名前も役職も思い出せないけど、この際、誰でもいいや。

 

「そこのあなた、第一食堂の扉を開けて! 他の人はみな、壁際まで下がりなさい。これから、ヒールが飛んでくるから、進路を塞がないでちょうだい」


 わたしの命令に、半数くらいの者は、ざざっと動いた。ほとんど、壁にへばりつくような勢いで。

 ところが、残りの者たち――三ノ宮国の七人は、指示に従おうとしない。

 帝竜国側の動きに驚いている者。目を見交みかわしている者たち。

 護衛たちは、逆に、警戒を強めたのか、公使の四方を囲もうとしてるし。

 役目から言えば当然の動きかもしれないけど、まるっきり意味がない。

 あんたたち、邪魔なだけよ。


<あら、まぁ、このご老人。また、倒れたんですの?>


 廊下を悠々と飛んできたヒールは、ホールにある光竜用の高い台に乗って、公使を見下ろした。

 ヒールは、人間不信の上、野生の生活でもかなり苦労したようで、常に、警戒を怠らないのだ。床に降りていると、逃げる時に不利になるから、できるだけ高い位置に止まるんだって。今は、わたしと同じ目線くらいの高さだけど。


<腰骨を骨折してるのに、無理して、歩こうとしたらしいのよ。でも、そもそも骨折したのは、ヒールを見て気絶したせいだって聞いてるけど?>


 わたしは、「骨折したところは、見ていて知ってるよね?」って意味で言ったのに、ヒールは、非難されたと受け取ったのか、『心外』竜気をツンツン出した。


<わたくしのせいでは、ございませんことよ。勝手に気絶しただけですのに。加害者扱いはやめて下さらない?>

<あー、違うってば。現場に居合わせたなら、状況を説明する必要はないよねってこと。ずいぶん重症そうだけど、ヒールでも治療できない状態なの?>


 聖竜と言えど、限界はある、らしい。神器の首輪をつけてから、竜気不足はかなり解消したとはいえ、技術的に難しい症例だとお手上げになる。

 そのへんは、ヒールにしか判断がつかないことで、無理なものは、いくら無理を言っても、無理なのよ。

 サルトーロのときには、ごり押しして傷つけてしまったので、わたしとしては、配慮したつもりだったんだけど、なぜか、ヒールを余計に怒らせてしまった。

 

<できませんわよ。わたくし、独断では、人は治療しないと約束したのですもの。竜に関しては、わたくしの判断で治療する。人に関しては、マリカに頼まれた場合に限る。お忘れですの? 竜は、約束を守りますのよ。ですから、たとえ、目の前で、死にかけている人がいようと、わたくしは、一切関知いたしませんからね>


 そうだった。ソラと打合せしてもらって、わたしと同居している間は、面倒を避けるための条件をつけたんだっけ。

 竜にとって、約束は神聖なもの。うっかり忘れていたわたしが、全面的に悪い。

 うわぁ、ヒールのご機嫌が急降下してるぞ。


<ごめん。わたしが、悪かったわ、ヒール。ほんと、申し訳ないです。謝ります。できれば、治療をお願いしたいんだけど……これ、どうにかなりそう?>


 わたしが、必死に、『謝罪』竜気をバンバン打ち上げると(下手に出るときは、相手に竜気を直接向けてはいけないのだ)、ヒールは、溜息に似た、『呆れ』と『諦め』ミックス竜気を漏らしたあと、一転して、ビジネスライクになった。


<わたくし一人では、難しいですわ。神経に触れるときは一気に治さないと、患者が、ショック死してしまう恐れがありますから>

<それじゃ、竜気を増幅させる? ヒールとわたしで?>


 竜気を増幅させるのに、最も効率が良いのは、4人(竜)と言われてる。

 でも、循環させる分には、何人でも構わないのよね。

 実際、最初に、魔物をやっつけたときは、ソラがわたしの竜眼を出力門として使って攻撃したわけで、1人と1竜でも、やれないことはない。と思ったら、そこで、ソラが、参加を申し出てきた。

 

<ソラも手伝えるわ。本館までは行けないけど、循環するには支障がない距離だから。でも、ケリーの気脈は、遠すぎるわね。ソラたちだけで、やれるかな?>

<神器があるから、大丈夫でしょう。ただ、周りにいる人たちには、ご遠慮いただく必要がありますね。あの程度の竜気量では、増幅する竜気にかすっただけでも、気絶するのがおちですし、下手をすると息まで止まりますわよ>

<わかった。素人トーシローは、追っ払うわ>


 わたしは、深呼吸してから、周りにいる人たちを見渡しつつ、声を張り上げた。

 側仕えは、念のため、中仕えと下働きは、絶対に避難させないとまずいよね。


「みな、よく聞きなさい。これから、ヒールに、公使の治療をしてもらいますが、今回は、強力な竜気が流れるでしょう。竜気量の弱い者が、この場に残るのは危険なため、追って指示するまで、ホールは立ち入り禁止とします。玄関と階段は、護衛が立哨りっしょうして、誰も通さないこと。他の者は、一階にいる者たちに警告をして、廊下側の扉を閉めておくように。それほどの時間はかからない予定ですが、すぐにも始めます。姫、あなただけは残って、通訳をお願いします。それ以外の側仕えは、全員、行きなさい。さぁ、走って!」


 わたしの側仕えたちは、表玄関の外、裏玄関や階段の方へと散開して駆け出した。ユーレカの側仕えたちは、ちょっと出遅れたものの、迷いなく命令に従った。

 この王寮には、わたしに逆らう使用人はいないのだ。別に、わたしが暴君というわけじゃないよ。日頃は、ちゃんと、周りの意見を聞いているしさ。

 ただ、緊急時には、わたしの指示に従うというマニュアルができていたんだよね、いつの間にか。


「姫。使節団の方たちが、公使様を護衛なさるのは当然のことですが、少なくとも4歩は離れて立つよう、お伝えください。あなたも、見ていたいなら止めません。ただし、そう……あの柱の陰にいるように。そして、治療が終わったあと、わたくしが意識を失った場合は、他の気絶した方たちを介抱かいほうし、お亡くなりになった方は、命神殿に移送する手筈てはずを整えてください。お願いできますね?」


 気絶者と死亡者が出る前提で話をしたのは、ただの脅しではない。

 使節団は、全員が5本指のセルシャ系。同じ[中艮門]でも、マーヤ系より、竜気量は少なく、竜気も弱いのよ。

 帝竜国の王族と違って、循環にも慣れていないと聞くし、増幅した竜気にさらされて、無事ですむはずがないんだわ。職務をまっとうする気なら、それなりの覚悟でのぞんでもらわないと困るわけ。


「そ、それほどに、危険なのでございますか」

「どこまで、竜気が増幅するかによりますけれど。一旦、治療を始めると、周囲に気を配ることはできませんし、ここに残った方の中に、犠牲が出たとしても、保障はいたしかねます。自己責任ということをご了承いただけないのであれば、治療を中止するしかございません。それとも、治療しない方がよろしいでしょうか」

 

 ユーレカだけでなく、使節団の面々からも、『驚愕』と『怖気おじけ』が沸き起こった。

 ふうん、護衛たちも、帝竜国語が聞き取れるのか。竜眼族にとっては、共通語だっていうし、英語みたいに、必修科目の扱いなのかもね。


「いえ、そんな。ヒール様に、治療していただけるのであれば、これ以上、ありがたいことはございません。是非ぜひとも、お願いいたします、ショコラ様」

「それでは、皆さまに、急ぎ通訳を。少なくとも、4歩。できれば、8歩下がるようにお伝えください」


 通訳は必要ないとわかっても、形式上、ユーレカを通さないわけにはいかないのよね。わたしは、使節団に、直接命令を出せる立場じゃないからさ。

 本当は、こんな説明に時間をかけていたくないんだけど。公使の苦しみを無駄に長引かせてるだけじゃないのさ。礼儀とはいえ、イライラしてきちゃうよ。


「****、*******? ********!」


 ユーレカが、語気も竜気も強く命じると、その剣幕に負けたように、7人とも、数歩下がった。

 4歩に届かない警護役もいるけど、まぁ、いいか。自己責任ってことにしたんだから。確認するつもりで、一人一人見渡すにつれ、更に、2、3歩下がった者たちもいる。

 よしよし、素直だね。君たちは、気絶せずにすむよ、たぶん。


<マリカ、ご老人の竜眼と胸に、それぞれてのひらを当てて、竜気を流し込み始めてくださいな。馴染ませる程度に、ゆっくりと。圧力をかけすぎないように>

<わかった。前と同じね>


 ヒールの指示に従って、わたしは、公使の顔の近くに膝をつき、竜眼を覆うように左手をかざし、心臓のあたりに、右手を置いた。チビのわたしでも、かなり前屈みになる体勢で、ちょっと背中がいたいので、靴を脱いで正座した。

 

「公使様、これから、聖竜による治療を始めます。その前段階として、竜気を送り込みますけど、できるだけ、逆らわないように。流れに身をまかせるようなつもりで、力を抜いてみてください。その方が、早く終わりますので」


 わたしは、『自信』竜気を浴びせながら、「リラックス」と繰り返した。

 呻き声を押し殺すのに、歯を食いしばっているサエモンジョー公使は、返事できないようだったけど、『拒否』は向けられなかったので、早速、竜気を流していく。


<ヒール、もう流れ始めたよ。サルトーロのときより、反応が良い感じがする>

<この人は、瀕死というわけではありませんからね。内臓関係は、無事ですし。もう少し、流す量を増やしてみましょう>


 わたしは、公使との間で、竜気をゆっくり回す。

 それを1分ほど続けたところで、ソラからヒール経由で、わたしに竜気が流れてきたので、そちらの分はき止めて、ソラに流し返す。

 わたしの中で、遅い回路と早い回路が二つ交差した。


<こっちも、増幅できそうよ、ヒール。公使も循環に慣れてきたみたい>

<それでは、治療に入りますわよ。合図したら、一気に流し込んでくださいね、マリカ。最後まで、気を緩めないこと。前と同じで、逆流してくる竜気があるでしょうから>

<うん、大丈夫>

<一気に修復させます。さぁ、放出して!>


 ヒールの指示と同時に、ダムの水門を開け放つ。

 堰き止めていた竜気が、ドードーととどろく勢いで、流れ始めた。

 その一瞬、公使の身体が、びくんと跳ねあがる。

 肝心なときに、回路が切れたら、治療が失敗してしまう。

 わたしは、遮二無二しゃにむに、両手を公使に押しつけ、離すまいと頑張った。

 押し流される竜気は、患部と思われるところを浸していく。

 骨と、その周りの筋肉、そして、張り巡らされた神経を辿りながら。

 そこまではいい。試練は、このあとだ。

 全身に行き渡ったあと、溢れた分の竜気が、一本にまとまり逆流してくる。


 うぎゃー、来たよ、来た来た、津波が押し寄せて来たぞぉ。

 来るとわかっていても、覚悟を決めているつもりでも、スーパーハード。

 初回よりは、ちょっとマシな気もするけど、慣れて楽になるものじゃないって。


 竜気の塊りに、ビシバシ滅多打めったうちにされてるみたい。

 高波の中で、みくちゃにされて、あっぷあっぷおぼれてる感じもする。

 脳味噌も、ぐわんぐわんシェイクされて、目まいがひどいし、気持ちも悪い。


 まだ? まだなの? いつまで続くの?

 早く終わってよ。限界なんだよ。もう勘弁してよ。

 そう思いながら、ただただ、耐えるだけの刹那せつなが過ぎた。

 

<治療完了です。成功しましたわ>

<大丈夫、マリカ?>


 満足気なヒールと心配気なソラの竜気が、ユニゾンして届いた。

 循環の速度がクールダウンして、静まっていくのも感じる。

 そうか、終わったのか。良かった。

 今度も、なんとか、乗り切ったね。

 だけど、返事する力は、もう残ってないみたい。



 こうして、虚脱したわたくしは、公使の胸に、ぐてりと頭を乗せたまま、意識を手放すことと相成あいなったのでございました。


 気絶が、定番エンドとは。迷宮探索をしているわけでもない幼女の身でありながら、どうして、こうも過酷な生活が続くのでしょうか。


 

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