第2話 見知らぬ世界、動く身体

「……知らない天井だ」


 目を覚まし、見えた景色に……そんな言葉が漏れる。たしか教えてくれた医師の人は「名言だ!」って言ってた気がする。なんでそんな言葉を思い出したのかは分からないけれど。


 それにむしろ、見えるのは天井ですらなく、青々と広がる空。抜けるような晴天って、こういう空の事を言うのかも知れない。

 「ピッ!」と、夜空が僕の視界を横切り、胸元に下りる。起こそうとしているのかな?


「よいしょ……っと」


 まだ動かし慣れない両腕に力を入れて、上半身を起こす。そうして見えた景色は、穏やかな風の吹く草原。

 あの、物々しい機械なんてどこにもない、辺り一面開放感溢れる草原だった。


「たしか神様は太陽のある方へ向かったら、街があるって言ってたっけ」


 そうと決まればさっそく……と歩き出そうとしたけれど、歩くのって結構……怖いね。

 少し踏み出して、身体のバランスを片足で取るのが難しい。


「まず、今は歩くことだけ考えてっと」


 よた、よた……と歩き、すぐコケる。幸い、地面は柔らかい草が生い茂ってる場所だったから、コケたとしても特に怪我はしなかった。

 でも、これは少し練習してから歩き出した方が良い。ゆっくり、ゆっくり……コケそうになりながらも足の感覚に脳を慣らしていく感じで。


「ピッ、ピッ」


 歩く僕の前を、夜空が楽しそうに飛ぶ。もしかすると夜空なりに僕を応援しているのかも知れない。途中、コケた僕の前を夜空がテトテトと歩いてくれた。左右の翼を振りながら、テトテトと。たぶん「こんな風に歩くんだよー」って感じなのかも知れない。


 そんなこんな十数分ほど練習してみれば、何とか普通に歩けるようにはなった。けど、ちょっと疲れも出てきて……。でも、行かないとな……。


「ピ! ピッピ!」


 夜空が僕の目の前で、何やら踊り出した? 片方の翼を僕に向けて、そして自分に向けて、背中を見せて……翼を振る。

 同じ動きを何回も見せてくるけど、もしかして何かを伝えようとしてるのかな?


「えっと、僕、夜空、背中、ばたばた……。もしかして、背中に乗せて飛ぶってこと?」

「ピ!」


 まさしく「それだ!」と言わんばかりに強く鳴いて、僕の周りをパタパタと飛び回る。可愛い。

 でも背中に乗るっていっても、そのサイズは……っとそういえば、召喚時にイメージでサイズを変えられるんだっけ?


「夜空、一度戻ってくれる?」

「ピッ!」


 鳴くと同時に夜空が光に包まれ、僕の中へと吸い込まれていく。なんだかすごい不思議な感じだ。

 そして夜空を呼びだそうと……どうやって呼び出せばいいんだろう? とりあえず、強く呼んでみる?


「大きい夜空! 出てきて!」

「ピッ!」

「って、うわぁ!?」


 成功したけれど、思ったよりも大きくて思わず尻餅をついてしまう。

 僕が乗れるっていうよりも、3人くらいなら余裕で乗れそうな大きさだ。


「夜空ってこんなに大きかったんだね」

「ピィ」

「でも鳴き声は可愛いままなんだ」

「ピッ!」


 大きくなった夜空の頭を撫でてみれば、少しごわっとはしていたけれど、今まで感じたことのない硬さと、柔らかさがそこにはあった。

 そんな僕に背中を向けて、夜空が身体を下げる。乗れってことなんだろうな。


「よいしょっと……夜空、おねがい。あ、でも速度はゆっくりでね」

「ピッ!」


 バサリと夜空が翼をはためかせると、その身体が宙へと浮き上がる。

 浮遊する感覚がなんだか変な感じで、僕は夜空の身体へぎゅっとしがみついた。背中はどちらかというとモフッとした感じで、とても気持ちいい……。

 そんな僕を放ったまま夜空はどんどん上昇していき、次第に地面が離れ……目に飛び込んできた見渡すかぎりの大自然に、僕は思わず溜息を吐いた。


「あ、夜空。方向的にあの街じゃないかな? ほら、右側に見える」

「ピーッピ!」


 眼下に見えた街に声を上げれば、夜空が向きを変えて、ゆっくりと下りていってくれる。すごい……すごい速い!

 上がっている時や飛んでいる時は思わなかったけれど、実際に地面が近づいてくると、すごい迫力だ。


 近づけば近づくほど鮮明に見えてきた街に僕が感動していると、その街の門らしきところから数人の人が飛び出してくる。

 どこに行くんだろうと思って見ていたら、僕らの下の方で止まり、武器を抜いた。


「わ、わ……夜空、どうしよう! もしかして、魔物が飛んできたって思われてるかも!?」

「ピー……」

「とりあえず、ゆっくり下りて……僕も顔を出してみるから!」


 僕の指示に従って、夜空がゆっくりと下りてくれる。それに合わせて僕も背中から顔を出し、「この子は大丈夫ですー!」と叫んだ。


「き、君がこの魔物の?」

「は、はい! この子は夜空といって、僕の召喚獣です!」

「そ……そうか! 良かった!」


 僕らを取り囲んでいた人たちは、ホッとしたような様子で武器を下げる。そして、その中から正面に立っていた男性が、僕の方へと歩いてきた。

 背が高く、僕からすると首を少し上へ向け見上げるような体格差。薄汚れた簡素で焦げ茶色をした鎧を身に付け、腰には剣を差している……ほんとに異世界なんだなぁ。


「すまない。我々はここ、ビスキュイの守備を任されているものだ」

「僕はリヒトです。この子は夜空」

「ピ!」

「お……おお、そうか。俺は守備隊の隊長を勤めているモーガンという。すまないがリヒト、街まで一緒に来てもらってもいいだろうか? 話を聞かないといけないんだ」


 僕の前に立った男性――モーガンさんが苦笑しつつそう言った。

 僕がそれに頷くと、彼は夜空の方へ恐る恐るといった感じに顔を向け、「あと、その……」と口を開いた。


「あっ、すみません。夜空、一度戻って。小さくするね」

「ピッ!」


 言葉を遮り、夜空を小さくすると、夜空の動きにずっとビクビクしていた守備隊の皆さんが、小さくなった夜空を見て心底安心したようにため息を吐いた。

 そんなに怖いのかな? 可愛いと思うんだけど。


 背を向けたモーガンさんについて行くと、遠くからも見えていた街の門へと辿り着いた。

 近づいてみると、結構大きい……。気になって聞いてみたら、馬車なんかの大きいものも通るから、らしい。


 そんな風にキョロキョロと辺りを見まわしていた僕は、「それじゃあ、この部屋に入って」と、門に併設されるように作られていた部屋へ通された。

 部屋の内部は門の作りをそのまま流用しているからか、木で囲まれた簡素な小部屋。真ん中に木で出来た机と、挟むように置かれた2つの椅子があった。


「そっちに腰掛けてくれ」

「はい」

「よし、まずは素直についてきてくれてありがとう。あそこで暴れるやつもいるからな」


 苦笑気味に言ったモーガンさんは、他の隊員から水晶玉らしきものと、紙、それからペンらしきものを受け取る。

 そして、水晶玉を僕の前に置くと、「そこに手をかざしてくれ」と言った。


「こう、ですか?」


 言いながら水晶玉に手を翳すと、水晶玉が淡く光始める。綺麗な青色だ。

 その光をみて、モーガンさんは大きく頷いた。


「よし、青色なら大丈夫だ。もういいぞ」

「色で何か分かるんですか?」

「そうだな……。犯罪歴とか、この街に悪意があるかどうかなんかがわかるぞ。青は善良、黄色が系犯罪歴ありと他にも色々あるんだが、赤だと最悪って感じだ。リヒトはこの街に来たことは無かっただろう?」

「ええ、まぁ……」

「初めて訪れたやつには、全員やってもらってる。気を悪くしないでくれ」


 どうやら今の質問は、僕が不信感を抱いているみたいに見えてしまっていたらしい。全然そんなことないんだけど。


「それじゃ、仮の通行証を作るために、リヒトの事を少し聞かせてくれ。まず名前はリヒトだけでいいんだな?」

「はい」


 一応、転生前は及川って名字だったんだけど、神様は僕の転生後はエルフって言ってたし、あまりにも日本人って感じの名前だと変だよね?


「種族はエルフで、性別は女でいいな?」

「え? いや、僕は男ですけど」

「……は? はぁ!?」

「え、そんなに驚くことなんですか?」


 声を荒げて、ついでに椅子を押し倒す勢いで引いたモーガンさんに、僕も驚いてしまう。なに? もしかして、僕が気付かないだけで、女の子になってたりするの!?


「……モーガンさん、トイレってありますか?」

「お、おお。入ってきた扉の横の扉だ」


 その言葉にすぐさま椅子を立って、早歩きでトイレに向かう。驚いたことに、人ってばここぞと言うときはスムーズに動けるらしい。僕、こんなに早く歩けたんだね……。


◇◆◇


 リヒトと名乗った小柄なエルフが扉へと駆け、姿が見えなくなった後、ただ一人残されたモーガンは、大きく息を吐いた。

 それも仕方がないことだろう。リヒトがこの街に来てから……いや、空を飛んでいる時点から、モーガンにとっては驚くことばかりだったのだから。


(あんなデッケぇ魔物を召喚獣として使役しておきながら、まだ齢十四の子供……)


 召喚獣とは本来、契約を結びたい相手に対し、自らの力量を認めさせることで契約が可能となる。つまりリヒトは、モーガンからすれば、十四という年齢にして、巨大な魔物と契約した凄腕の召喚術士として映っている。

 だが、そうなるとまた逆に解せないところもあった。


(あの動きはなんだ……?)


 鳥から飛び降り、門へと連れてくるまでに感じた、まるで今まで動いたことが無いような、挙動の不安定さ。数歩進む度に微妙にバランスを崩していた姿に、モーガンは妙な違和感を感じていた。

 原因判明の一助になればと思い行った水晶検査も、完全な青……つまり、嘘も隠し事もなく安全な者だった。


(終いにゃ、あの見た目で男かよ……そこは嘘だと言ってくれよ……!)


 先に行っておくが、モーガンは幼女趣味ではない。しかしモーガンはリヒトを一目見たときに、雷に打たれたような衝撃を受けていた。もちろんそれはモーガンだけでなく、周囲を囲んでいた隊員全員に言えることだが……それほどに、リヒトの外見は整っていた。


 エルフといえど、二十歳ほどまでは通常の人間種と同じ速度で成長していく。それゆえに、十四の男子であれば、エルフといえど精悍な顔立ちや、力強い骨格に変化していくものだ。

 しかし、当のリヒトはというと、身長は低く、百八十に僅かに届かないモーガンと並んだとすれば、頭のさきが胸元に来るほどだ。もちろんそういった身長差は珍しくない。だがそれは、モーガンが女性……特にまだ子供扱いされるような年齢の女の子と並んだ場合で、だ。


 加えて、骨格も薄く――確かに胸元は寂しいものがあったが、女性には様々な個性がある。そこを責めてはならない……。すべからく地獄をみることになるぞ。

 俺も若い頃はやれ、大きい方がいいだとか、小さい方がいいだとか、色々な派閥と戦いを繰り広げ、飽くなき探求心をその両手に宿し、熱いパトスを迸らせていたものだ。だが、今となっては若かった、と思出話の花だ。なぜならそれも全て、この結論に行き着くための経験になっていたのだから。


(そう! 女性の胸は、大きさではない、形だ!)


 そう、モーガンは強く心で宣言し、拳を握りしめる。しかし、誰もいない室内……ましてや声にもださず走った突然の奇行に対し、当たり前だが反応はなく、過ぎ去るのはただ静寂のみ。

 モーガンはそっと手を開き、背筋を正して扉を見た。なにもなかった。


 ……話をリヒトに戻そう。

 極めつけは、あの端整な顔。優しく柔らかな光をたたえた薄緑の瞳。まるで、全てが計算されて作り上げられたかのような流線型を描くその目は、ほのかに紅く色づく肌を下地に、神に遣わされた天使と見間違みまがうほどの美しさを作り上げていた。

 陽の光を受け輝く金の髪は、長く飛び出したエルフ特有の耳の根元を隠し、肩を越えることなく、整えられていた。


 モーガンには、これまで何人ものエルフと出会い、言葉を交わしてきた経験があるが、リヒトほどの美貌をもったエルフはお目にかかったことがない。

 それほどにリヒトという存在は、異常だったのだ。


(まるで吟遊詩人のうたに出てくる、エルフのお姫様、だな)


 妻子持ちとはいえ、モーガンも男である。だからこそ思ってしまったのかもしれない。


(一度くらいは、あんな綺麗で可愛い子を守って……格好いいところを見せてみてぇな)


 と。

 そして、モーガンがその結論に至った直後、ガチャっと音がして、部屋の扉が開いた。


「よお、長かったな」

「すみません。スッキリしました」

「そ、そうか……」


 屈託のない笑みを晒しながら椅子へと座り直すリヒトへ、モーガンは意を決して聞いた。

 願わくば、嘘であって欲しいと。


「確認作業を続けるぞ? えーっと、リヒトは男、なのか?」


 しかし、現実は、非常に残酷だった。


「はい! まごうことなき男児でした! ちゃんと機能しました!」


◇◆◇


「って、機能まで調べんなよ! ここで!」


 目の前でモーガンさんが慌てたように切り返してくる。

 だがそればかりは仕方がないのだ……僕は今まで、立ってやったことがなかったのだから!

 時間かかっちゃったのは申し訳ないと思うけどさ。


「はぁ……まあ良い。それで次の質問だ――」


 それからモーガンさんはいろんな事を聞いてきた。

 年齢や出身地、この街に来た理由などなど……。もちろん、夜空のことも聞かれた。


「よし、これで大丈夫だ。長々とすまなかったな」


 最後に街に入るための入場料みたいなものを請求されて、まごつきながらも空間収納からお金を取りだし払い終わると、モーガンさんがそう言った。

 ちなみに空間収納は、見えない箱に手を突っ込んで取り出すイメージだった。どうもこの世界……魔法はイメージで作り上げる感じなのかな?


「こちらこそご迷惑をおかけしました」

「そういやリヒト、ここでの宿に当てはあるのか?」

「ない、ですね」

「だったら竜の羽休め亭って宿がオススメだぞ。お前と同じくらいの歳の娘さんがいるからな。困っても相談しやすいはずだ」

「おお! それは良い情報です! ありがとうございます」

「いいってことよ。案内してやるから、行くぞ」


 言って、椅子から立ち上がったモーガンさんの後を追い、僕はついに街の中へと入ることができた。

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