第68.5話 似た者同士

 王宮の外には装甲が施され、最低限の数に絞られた護衛が守る馬車が停まっていた。

 ひとり中に乗っていた人物は窓にかけられたカーテンを摘んで捲り、静かに外の様子を窺う。

 周囲の至る所には人、人、人。

 これから自国と一戦を交える相手だというのに皆の目からは敵意は感じられず、あるのは好奇心ただひとつであった。


 それを見て溜息をつくのは聖女セリアだ。

 自分に課せられた仕事をこれから実行しなければと考えたからである。

 その為に重い腰を上げ、扉を開けて馬車から降りて姿を露わにすると、民衆の間にはどよめきが起こった。


 セリアがすべきは、ここに群がる人々の心をつかむこと。

 つまり人心掌握だ。

 この国が帝国の支配下に置かれた時に円滑に整備が進められるよう、今から少しでも摩擦を軽減できればとイグレッドが提案した。

 本人は急転するであろう生活の中に置かれる、民のストレスを緩和してやりたいと理由付けしていた。

 だが実際のところは、自分が単独で王都に乗り込んだ意義を作り出す為の保険なのだろう。

 万が一にも本命の結果が思わしくなかった場合に、些細なことでも何かしらの成果を持ち帰れるように。

 セリアの気が優れない最たる理由は、剣聖のしみったれた繕いに加担するが故にだ。


 それでも聖女は自分の名前を呼ぶ民衆に向かって、最上の笑顔を浮かべながら順番に手を振っていく。

 決して義務感などではなく、こちらに向けられる好意的な声に応えたいというセリアの純粋な思いによる行動だった。


 その最中に突然、規則的な速さで流れていた聖女の視線はある一点で動きを止める。

 護衛である軍人の厳しい指示と光る目によって綺麗に整った周囲の人垣から、はみ出し者が現れたのだ。

 弱った個体が群れからはぐれるように覚束ない足でフラフラと、大勢の人の前に姿を晒す場所までゆっくりと移動する。

 そして皆揃って状況の整理が終わらないまま、その人物はいきなり派手に倒れ込んだ。


「大丈夫ですか!?」


「――なりません! 聖女様!」


 誰よりも早く駆け寄ろうとしたセリアの姿で我に返った部下が制止し、代わりに他の2名が確認へと走る。


「おい貴様! 早急に立ち上がってこの場から去れ! 警告を無視すれば相応の処分を下すぞ!」


 怒号を浴びせられて面を上げたのは、美しい海のような青色の髪の女性だった。

 ヒューマンなら耳にあたる部分にはヒレのようなものがあり、臀部に尾を持つ獣人族に近しい容姿。

 顔は赤く、目は虚ろ。

 先程の挙動を踏まえると泥酔していることがよく分かる。


「おやぁ……こんらに大勢の軍人さんがぁ、女ひとりを囲んでろぉしたんだぃ? わかった、無理矢理イヤらしいころれもしよってんらろ」


「ぬあ! さ、酒くせぇ」


「こいつ、一体俺たちが何人に見えてやがるんだ……」


 もはや呂律が回らない状態とは裏腹に、いつの間にか女の視線はしっかりと聖女を捉えている。

 それからしばらくして両目を閉じると、そのまま石像のようにピタリと動きを止めてしまった。


「な、なんだ!? まさか寝ちまったのか? こんな場所で」


「おい! いい加減にしないと本当に処罰するぞ! お前みたいなのがどうなったところで、気に止める余裕なんて今の王国にはないんだろうからな」


「はいはい、分かいまひたよっと。聖女様のご尊顔も拝めたことらし、まら飲み直すとひよっかねぇ」


 のそのそと起き上がると、右に左に体を大きく揺らしながら女は群衆の方へと戻っていく。


「あの……気分転換に嗜むのはよろしいですが、過度なお酒の摂取は体に障りますので控えた方がよろしいかと……」


 そんな危うげな背中にセリアは怖ず怖ずと声をかけると、女は振り返って聖女をまじまじと見つめながら口角を上げる。

 その一瞬だけ、向けられた本人にはこれまでの締まりのない表情が也を潜めたような気がしていた。


「らぁに言ってんのさぁ。みんなあろ数日で死ぬか路頭に迷うかって時に、飲まずにいらえうかってぇの」


 思い違いだったのだろうか。

 またさっきの調子に戻ると、関わり合いを避けようとする人たちの間に出来た一本道を通って、女は路地裏へと消えていった。

 根拠があるわけではない。

 だが自分とは無関係ではないような気がする彼女が完全に闇に溶け込むまで、セリアはその姿に見入っていた。


「剣聖様! 剣聖様が帰還されたぞ!」


 兵士や市民らの喧騒によってイグレッドが戻ったことに気付くも、聖女が視界に捉えたのは、彼が悪鬼の如く形相で大きな音を立てながら馬車の扉を閉める瞬間だった。

 ひと目で不機嫌だと分かる態度に、セリアは今回の会談で思うような結果が得られなかったことを察する。


「セリア様――」


 遅れてやって来たシーオドアは自分自身の顔を指で差し、聖女に対して何かを伝えようとする。

 言わんとしていることを理解したセリアは慌てて口元を手で覆った。


 もし人目がなければ思わず小躍りしてしまいそうな高揚感を抱いていた為、無意識のうちにセリアの顔はほころんでいたのだ。

 イグレッドの企てが失敗に終わっただけではなく、実行に移した本人が不利益を被ったことで溜飲が下がったのだろう。


 国王陛下なのか、それとも賢人の誰かなのかは知らぬところだが、あの口達者な上に悪賢い剣聖を言い負かす者がこの国にいたなんて。

 是非とも彼が焦燥する姿をその場で直に見てみたかった。


 そんなことを考えながらも、聖女は目をつぶってから両手で顔を隠した。

 目に飛び込んでくる情報を完全に遮断して気を落ち着かせることで、剥き出しになった感情を抑えるためだ。

 このまま戻ればセリアに貼り付いた笑顔が何を意味するのか、イグレッドはすぐに勘づくだろう。

 過去に何があったのか、あの男は他人から嘲られることに誰よりも敏感なのだから。

 だからこそ聖女は念押しとして一度大きく息を吐く。

 そして表情を引き締めると、毅然とした振る舞いで馬車に乗り込んだ。



 ◇



 王宮前の広場を後にする馬車を路地裏から見送るのは、少し前の騒ぎの渦中にあった女性だった。

 だけど公衆の面前で醜態を晒した時とは雰囲気がまるで違っている。


「酒に強くて後悔したのは生まれてはじめてかもしれないね。まともに酔えないまま大勢の前で下手な演技を披露しなきゃいけなかったんだ。この貸しは高くつくよ」


 というのはやはり気の所為で、唐突に独り言を語り始めるあたり、やはり意識は半分夢の世界なのだろうか。


『下手だと? ふふ、謙遜するなマリメアよ。あの場にいる誰もがお前をただの酔っぱらいだと信じきっていたではないか』


 そう思いきや、冗談交じりの言葉に対しての返答が聞こえると共に、女性の名前を呼ぶ声の主が姿を現す。

 建物の壁に薄らと映るマリメアの影から出てきたのは、銀髪に深紅の瞳、そして黒衣を身に纏う女だ。


「以前に会った時にはまだどちらも気付いておらなんだが、大戦の前となれば剣聖も聖女もさすがにルーチェスから我のことを詳しく聞いておろう。今この闇の女王スクレナが奴らの前に姿を晒せば、限られた機会でせっかく聖女に植え付けた種が時期を待たずに芽吹いてしまうからな」


「そうは言ってもねぇ……ありゃ相当に微弱なものだよ。それこそ針の穴ほどの大きさって程にね。この私があそこまで近づいて尚、集中しなければ見えないくらいにさ」


「よい、だからこそよいのだ。今は存在さえ確認できればそれでな。あまり目立ちすぎてはルーチェスの奴に勘づかれるゆえ、あとは然るべき時に仕上げるとしようぞ」


 すっかり小さくなった馬車を眺めながら頷いているうちに、何かを思い出すようにマリメアは口元を緩める。

 それを見たスクレナが怪訝そうな顔を向けると、相手からは「いやね……」という呟きが返ってきた。


「私が転んだ時だけど、あの子ったら反射的に素性も知らない女の元へ我先に駆け寄ってきたんだよ。それに去り際のこと、皮肉や罵倒は承知していただろうに、その上でこの身を案じて忠告してくるなんてね。きっと根っからのお人好しなんだろうさ」


 聖女に対して抱いた印象を語りながら、マリメアは遠い記憶の中の何者かを頭に思い描きながら懐かしんでいるようだった。


「少なくとも私は賛同するよ、陛下の考えにね。ふふ、やっぱり似てるのかな。あんたも負けず劣らずのお人好しで……世話焼きだ」


 従者からそう伝えられると、闇の女王は照れ隠しのために視線を外し、壁にもたれながら何もない空を見上げた。



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