第64話 ある男の面影

「――でないわ!」


「え?」


「うん?」


 意識が現実世界に戻った途端につい素っ頓狂な声を上げてしまった。

 今のスクレナの言葉を聞いた感じだと、向こうとこちらでは時間の流れがまるで違うようだ。

 おそらく傍から見れば、俺は一瞬惚けていただけなのだろう。


「なんだ? 我に何か言いたいことでもあるのか?」


 どうやらいつの間にかスクレナの顔を凝視していたみたいだ。

 やっぱりあの話のせいで意識してしまっているのか。

 思い出しつつも、なんだか少しずつ顔が熱くなってきた気がする。


「どうしたのだ、顔が赤いぞ。戦闘の疲れで発熱でもしたのではないか?」


 そう言いながらスクレナは俺の額に自分の手をあてがった。

 少し冷たい肌が火照った体には心地よかったが、このままでは状況はますます悪化しそうだ。


「大丈夫、なんでもない。ありがとな」


「やはり何かおかしいぞ。いつもなら軽口のひとつでも叩いて手を払い除けるのに、今日はやけに素直ではないか」


 普段の俺ってそんなだったか?

 これまでは気の向くままに接していたから自覚がなかったのかもしれない。


「おい爺、何かしらの方法で我の知らぬ間にエルトと接触したであろう! 大人しく白状せぬか!」


「ほう、そこの若者はエルトと申すのか。そうかそうか」


 シレッと素っ惚すっとぼけた上に防衛線まで張ったか。

 これ以上会話を続けるとさらに俺の情報を開示することになるぞと。

 過ごしてきた時間と触れ合った人の分だけ話術では竜王に分がありそうだ。


「ふん! もうよいわ! そんなことより見返りの話だ。停戦を願い出るのならば、こちらに迷惑をかけた分も含めそれ相応のものを用意してもらおうか」


 本当にこの強気はどこから湧いて出てくるのだろう。

 ここまでだと少し羨ましくもなってくる。

 竜王の戦いをこの目で見た身としては、幻体であろうと全力でぶつかれば苦戦を強いられるという懸念が拭えないのに。


『そうは言っても見ての通り、金銀財宝があるような場所でもないでな。寧ろそちらが何を要求するのか聞きたいくらいだ』


 逆に問われたスクレナは口元に手を当て、首を傾げながら考え込む。

 確かに価値のある物品は見当たらないし、それ以外のもので条件を提示するしかないが。


 そうだ! だったら……


「スクレナ、この場所を借りるというのはどうだ?」


「この広場を? それでどうするつもりだ?」


 ここに作るんだよ。

 俺たちの目的のひとつであった常若の国ティル・ナ・ノーグへ通じる門を。

 ドラゴンの溜まり場と認識されている場所なら人も寄り付かないし、あの竜王が力を蓄える為に留まっているんだ。

 知識がないからあくまで予測だけど、特別な力が働いてたりするんじゃないのか?


「ふむ、確かにここら一帯には通常に比べて様々な属性の魔素が多く存在しておる。おそらく爺が枯渇しない程度に少しずつあらゆる自然物から吸収し、質のいいものだけを取り込み残りは放出しておるからだろう」


「なら門を開ける条件は――」


 充分に満たしているとスクレナは頷いた。

 要らないものを再利用するんだし、まさに良いことづくしではないか。


「よい案ではないか。ちょうど見張り番に適した奴もおるしな。不測の事態が起きた場合の保険も確保できたというわけだ」


 お、おい……まさかそれって。

 俺は該当しそうな者の方へ恐る恐る視線を移動させる。

 さすがにこの扱いじゃあ逆鱗に触れたのではないか。


『ふっはっはっはっは! この竜王を見張り役に添えるとな? あまりにも恐れ知らずな奴らゆえ、思わず笑いが込み上げてきたわ』


 怒っていないようで安心したが、「ら」と言ってまとめられるのは遺憾である。

 そんな考えなんて微塵もなかったし、俺は寧ろこいつの傍若無人な振る舞いを諌める立場にあるというのに。


『好奇心旺盛なピクシー族が遊びにでも来れば儂も退屈しのぎが出来るだろうしな。いいだろう、急を要するならば加えてこの塔そのものを媒体として使うことも許可してやる』


 それはありがたい。

 これでわざわざ建造物を作る必要がなくなったし、帝国との戦いまでに余裕で間に合わせることが出来る。

 まさに至れり尽くせりだな。


 でもだからこそ一抹の不安も感じてしまう。

 うますぎる話というのは総じて何か裏があるものだ。

 相手の真意を見抜けるまでは気を許すなと、精神世界で学んだはずじゃないか。


『そう勘繰らなくてもいい。今この世界は少しばかり光が強すぎるでな。儂の望みとしては闇にその分を押し返してほしいだけだ』


 利害の一致ということならそこまで身構える必要もないだろう。

 その厚意、素直に受けさせてもらおうか。


『だが黒衣の娘よ、状況を好転させるには攻めるばかりではいかんということを決して忘れるな。物語の収拾がつかなくなった舞台には必ず強引に幕を下ろす者が現れる。これだけは気に留めておいてくれ』


 単に戦においての心構えを説いているのかと思った。

 スクレナが眉をひそめるのも小言を疎ましく感じているのかと。


「まだアレがこの世に存在しているというのか? 機械仕掛けの神はお前が捨て身で破壊したと聞いていたはずだが」


『もちろん当時の戦いで完全に沈黙したどころか、自らを犠牲に原型も残らぬほどバラバラにしてやったわ。だが時を刻むにつれて徐々に増えていくのを感じるのだ。金属の歯車が回転する音、蒸気が吹き出す音、フレームが軋む音、そう……まさに機工神の胎動だ』


 神と称される巨人を復元できるほどの知能を持った者がこの世界のどこかにいるというのか。

 そんな自問によって俺は頭の中にある人物の姿を思い浮かべたが、すぐに振り払った。


 俺なんかがイメージすることすら出来ないような突飛な発明ばかりだけど、その全てにはあいつの確固たる信念がこもっていたはずだ。

 とても殺戮兵器のようなものを造るなんて考えられない。


「あまりにも不明瞭だが、デウス・エクス・マキナやそれに関わる者については頭の片隅くらいには置いてやる。しかし我の為すことまでお前に縛られる謂れはない」


 ティターニアにこの場所のことを伝えると踵を返すスクレナを見て、ドルコミィリスは苦笑しているようだった。

 そしてこちらに顔を向けると、言葉にせずともその目からは直接の再会を確信しているのが感じられる。


 俺は偶然出会ったクレフの護衛としてこのサントリウムの塔までやってきた。

 そこで得体の知れない現象を体験し、竜王の魔力を体に宿し、アシュヤの厄災の光景を目にした。


 偶然――

 はたして本当にそうだったのだろうか。

 これだけの要素が詰まっていると、なんだか見えない力に誘い込まれたような気がしてならない。

 まるでこの世界の成り行きを観察するような、果てしなく大きな存在によって。




 ◇




 無事に目的を達成した俺たちは、他の仲間たちと合流する為にデリザイトに運ばれながら塔を後にした。

 その道中に体を休めながら、ここまでの出来事を振り返ってみる。

 国境を越えて早々に大変な思いをしたが、最終的には妖精郷への道を繋げられる目処が立ったんだ。

 諸々を差し引いてもお釣りが来るくらいの収穫を得られたのだから、幸先がいいと言えるだろう。

 残る問題はついに後ひとつ、王国側に雇ってもらうという点のみとなった。

 それについては期待してることがあって、俺は横目で同行者の少年の様子を窺う。


「僕にはこの世界の知識が指先で摘める程度しかなかった。そう実感させられるほどに衝撃的な体験でした。最後の方の話なんて全く理解が追いつかなくて、思考するのを放棄していたくらいですよ」


 視線に気付いたのか?

 クレフは唐突にこちらを向くと、そう言いながら笑いかけてきた。


「なんと言っても一番驚いたのはエルトさんがあの黒騎士だったってことかな! でも不思議なのは、どうして僕が襲われる現場に居合わせたのかということです。これまでは帝国領でのご活躍しか耳にしていなかったのに」


「あぁ、実は今度の戦においては王国側につきたいと思ってな。俺たちを加えるのが可能ならばだけれど」


 この話を切り出してからというもの、しばらく沈黙が続いた。

 国の命運をかけた戦いだけにやっぱり難しいだろうか。


 ……いや、そうじゃない。

 いい加減このパターンは覚えたぞ。

 予想が正しければこの後には――


「うわぁぁぁああああああああ!!」


 案の定叫び出したか。

 いちいちリアクションが大袈裟すぎるんだよな。


「本当ですか!? 本当に本当ですか!? エルトさんが力添えをしてくれるなら100人力、いや1000人……いやいや100万の援軍に勝りますよ! なんだか王国の行く先に一筋の光を見いだした思いです!」


 そんなに喜んでくれるのはこちらとしても悪い気はしないのだけど。

 さすがに100万人分の期待には応えられないし困りものだ。

 それに俺が言う立場ではないが、帝国から来たばかりの一団をこれほど簡単に信用していいものなのか。

 もしかしたらクレフが国王と知って取り入った可能性だって考えられるだろうに。


「はは、少なくともエルトさんはこちらの素性を知らないまま手を貸してくれましたし、僕の窮地に抱いた様々な感情は決して嘘なんかじゃありませんでしたよね。そんなことも見抜けないようでは、それこそ国や民を背負う人間なんて目指せませんよ」


 そういう風に見てくれるのは素直に嬉しいが、賢人会議などいろいろなしがらみがあるんじゃないのか?

 いくら国のトップといえど、一存では決めかねるのでは。


「そこのところも大丈夫です! 決して立場を利用した強要ではなく、きちんとみんなを納得させた上で首を縦に振らせてみせます。僕はもう、王冠を飾るだけの置き物なんかじゃありませんから」


 はっきりと意志を示す力強い言葉と眼差し。

 既に俺の前には凡才だと自分を卑下していた王様の姿はなかった。

 自国内とはいえ、旅とはかくも少年に飛躍的な成長をもたらすものなのか。


 ……て、いかんいかん。

 この考えは少し年寄り臭いじゃないか。


 今のはなかったことにしようと人知れず頭を振ったその時だった。

 何かが破裂したような音と共に、白い煙の柱が空に向かって伸びていくのを前方に確認できた。

 一体なんだ? 見た感じでは狼煙のようだが。


「あれはキャローナの発煙弾だ。おそらくあの麓に皆がいるはず」


 上空からだと生い茂る木々の隙間しか確認できないから発見は難儀していたが、どうやら向こうが先に気付いてくれたみたいだ。


 立ち上る煙を目指して近づく度に仲間の姿がハッキリと目に映るようになってきたが――


 うん? なんだか元の人数よりも多いような。

 それも数人というレベルではなく何やらとてつもなく大きな集団が加わっている。

 いや、加わっているのではなく互いに向き合う形なのか。


 装備に刻まれている紋章から察するにあれは王国軍。

 さすがに主君の失踪に気付いて捜索に来たのだろうけど、なぜ闘将らとの睨み合いに発展しているんだ?


 ――おそらくだが原因はあれだな。

 木に縛られたままぐったりしているあの男だ。

 同じく王国の人間である上に、身につけている甲冑の装飾を見れば特別な地位に就いているのが分かる。


「全員武器を収めよ! この方たちは敵ではない!」


 共にこの光景を見ていたクレフは全ての兵たちに行き届くよう頭上から声を響かせる。

 だけどこちらに注目を集めたことによって、余計に混乱を招いてしまったようだ。


「うわぁ! そ、空から巨大な魔族が!」


「こいつも仲間なのか!? やはり怪しい奴ら!」


「待て! 今の声は、もしかすると……」


 見上げる方からは大きな掌が死角となって、姿が認識しづらくなっている。

 それでも声だけで国王の存在に気付いて周囲の者たちを制したのは、白髪頭の年配の男性だった。

 ローブを羽織っているが、あらわになっている手だけを見ても華奢だと分かる体つき。

 この人も王都からクレフを追いかけてきたのだろうが、どう見ても兵士ではなさそうだ。


「この通り僕に大事はない。心配をかけたね、ジャーメイン」


「おお! クレフスィル王よ! このジャーメイン、無理を言って捜索隊に同行するほど息が詰まる思いでしたぞ。お願いですからこの老体をあまりいじめてくださるな」


 安堵と叱責、それに縋り付くような懇願が入り交じった老人のなんとも言えない表情に、若き王は気恥しさと申し訳なさから幼げな笑みを浮かべる。


「あの小言がうるさそうなのがジャーメイン・ビーチャム。王国の首席交渉官で、父の代からいろいろと世話を焼いてくれている、僕にとっては祖父のような人です。そしてあそこ――」


 そう言って次にクレフは木に縛られたままの男に目を移した。


「彼が近衛隊長のドゥエイン・ポーです。僕が信頼して連れてきたという護衛なのですが……」


 そうだ、そろそろこれについて皆に説明してもらわないと。

 せっかく王国側といい関係が築けそうな時にこんなトラブルを起こすなんて。


「なんだい、私らが悪いってのかい?」


「言っとくけど誤解だからね。この人が私たちの引き止めを無視して塔に向かうって聞かないもんだから、やむなく拘束したんだよ」


 マリメアとキャローナがすかさず反論してきたけど、それぞれが開き直りと言い訳にしか聞こえない。

 それはきっと後ろでわざとらしく素知らぬ顔をしている奴のせいだろう。


 スズトラ、何かやましいことがあるんじゃないのか?


「にゃは~、そのおっちゃんがあんまり騒ぐもんだからさぁ、ちょっと大人しくさせようと思って拳骨を一発お見舞いしちゃったんだよね。あ! でも軽~く撫でるようにだよ。本当だよ!」


 やはり予想は当たっていたか。

 そいつが嘘か本当かなんていうのは二の次なんだ。

 判断と力加減をしくじったから、結果として今の状況になってるんだからな。

 それを理解しているからこそ、マリメアはパイプを吹かしながらあさっての方向を見ているんだろう。


 とにかくいつまでもこのままにしておくのは不憫だ。

 捜索対象である国王自らが軍に説明をしている隙に降ろしてしまおう。


「うっ……わ、私は一体……」


 縄を解いている途中にドゥエインは目を覚ます。

 本人にとっては相当な衝撃だったのか、まだ意識は朦朧としているみたいだ。

 状況を把握しようと辺りを見回している中で不意に俺と目が合うと、突然双眸そうぼうが大きく開かれた。


「ミスアドル殿!? なぜっ……いや、あの方にしては若いな。もしかして二十数年前にお会いした時に生まれたと聞いたご子息か?」


 いきなり謎の人物の名前が飛び出し、こちらが困惑してしまった。

 親父の名前はリベルだし、そのくらい前だと俺はまだこの世に誕生すらしていない。

 どうやらまだ記憶が混濁しているようだな。


「そ、そうか……それは申し訳ない。あまりにも雰囲気が似ているものだから、ついな」


 そこまで自分に似ていると言われて興味が湧き、如何なる人物なのかを聞いてみた。

 なんでもドゥエインがまだ新米の兵士だった頃に帝国で活躍していた軍人で、王国との関係が悪化する前に幾度も行われた合同演習で知り合ったとのこと。

 一度は解体されて今は全くの別物となっているが、その当時は軍団長として常勝無敗を誇る第7軍団を率いていた。


 だが何を思ったのか、ある時に自国の最高機密に当たるものを持ち出し、隣国への亡命を決行したらしい。

 受け入れを容認した王国は案内と護衛を兼ねて部隊を派遣。

 ドゥエインもこれに加わっていたが、結局ミスアドルと合流することは叶わず、そのまま行方不明となった。


「なぜ彼がそんな行動に出たのか。唯一理由を知るバルフェクト王が誰にも何も語らぬまま没してしまった為、賢人会議ですらついに分からずじまいだった。もしまだご存命であるならば、また酒を酌み交わしながら武勇を聞かせてもらいたいものだ」


 どんな事情があったのかは知らないが、話を聞くだけでそれを遂行するという強い意志が感じられる。

 あるいは地位も名誉も捨て、たった1人で大国の敵になってまで守りたいものがその人にはあったのだろうか。


 同じ行方知れずでも、家族を置いてフラっといなくなったバカ親父に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。


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