第45話 帰郷

 海上の指定地点で合流をした後、各々はスクレナの指示に従い散る事となる。

 合流場所が変更になったのでレクトニオは一度デリザイトを呼び戻す為に捜索へ、マリメアは書状を持ってイルサン王の元へと出立していった。


 そして一方で俺はというと……

 外敵から身を守る為に作られた木製の塀の影に隠れ、村の中の様子を窺っている。

 帝国領の端にあって豊かではないが、その分だけ俺がしがらみも知らずに育った故郷、ヤディ村を。


「別に罪を犯したわけでも蒸発したわけでもないのであろう? なのに何をコソコソとする必要があるのだ」


 スクレナに背中を押されて、解放されている門の入口から姿を晒しそうになるのを踏みとどまった。

 確かに後ろめたい事など何ひとつしていない。

 帝都へ発つ時だって、黙ってこっそりと村を出たわけでもないのだ。

 英雄の凱旋などとは思っているつもりはないが、胸を張って堂々と姿を現してやっても何ら問題はないはず……


 だけど自分を躊躇させているのはセリアとの婚約の件だ。

 当時はおじさんたちより先に破棄したい旨を手紙で知り、且つ受け入れ難かった俺はその事を伝えないまま別れた。

 さすがに今となっては現状を把握しているだろうから、その上での村の人たちの出方を考えると腰が引ける。

 もちろん指を刺されて笑われるのは腹が立つ。

 かと言って同情されるのもゴメンだ。

 あえて何も触れられずによそよそしくされるのも気持ちが悪い。

 余計に惨めになってくるし。

 要はどんな反応をされたところで、嫌な思いをするのは確実なのだ。


「おや、旅の人かい? こんな時間にこんな何もない場所を訪ねてくるなんて、とんだ物好きもいたもんだね」


 その瞬間に俺の肩は跳ね上がる。

 唐突に話しかけられて驚いたからではない。

 耳にしたのがとてもよく馴染む声だったからだ。

 物心がつく前から16年間、毎日のように聞き続けていたのだし当たり前と言えるだろう。

 夕日による逆光で顔はよく見えないが間違うわけもないし、どんな表情をしているかは容易に想像がつく。


「エルト……? あんた本当にエルトなのかい?」


「あ、うん……ちょっとこっちの方に用事があったから……みんな元気にしてるかなって思って」


 セリアの母親――おばさんは近くの川で洗ってきた野菜が入ったカゴを、無意識のうちに地面に落とす。

 その音を合図にするようにこちらへ駆け寄ってくると、その後すぐに全身に軽い衝撃が走った。

 幼い頃は抱きしめられると目の前が真っ暗になっていたが、いつの日からだったろうか。

 おばさんの頭が目線より下にくるようになったのは。

 だけどこれくらいの時間なると服から香る陽の光の匂いは変わっていない。


「3年以上もどこをほっつき歩いてたんだい! 無事なんだったら連絡のひとつでも寄越しな!」


 スクレナと出会ってすぐの頃に手紙を一通出したはずなんだけど、もしかして何かしらの要因で届かずじまいだったのか?


「それなら届いたさ。だから心配したんだろう! しかもそれっきり音沙汰がないし、もうとっくにどっかでくたばっちまったもんだと思ってたよ!」


 声を荒らげながらも、おばさんはまるで幻なんかじゃない事を確認するようにくしゃくしゃと俺の髪を搔く。

 こんな姿を見せられたらとても言葉には出来ないが、本当は二度とこの村に帰ってくるつもりはなかったんだ。

 だけど帝国との交渉の末にあの山を手に入れた後、スクレナに帰郷すべきだと強く勧められた。

 人間の命は儚く脆い。

 それに加えてこんなに戦火の絶えない時代なのだ。

 たったの一歩を踏み出さない事が、一生の後悔になると諭された。

 その時にはあまりの押しの強さに渋々頷きはしたが、今となっては少し離れた場所に佇む本人に感謝している。


「まさかこのまま去るってこともないんだろう? 旅の疲れもあるし、うちの人にも顔を見せてあげたいし、とりあえず家に帰って来なよ。そっちのお嬢ちゃんも一緒にさ」


「お、お嬢ちゃんだと! 言っておくが我は貴様らよりもずっと――」


「今朝採れたばかりの野菜とミルクで作ったシチューを煮込んでいたんだよ。ちょうど味も染みて美味しくなってる頃じゃないかね」


 スクレナは口を開けた状態で硬直すると、言葉を飲み込み大人しくなる。

 それからは黙っておばさんの背中についていく姿を見れば、その意図は一目瞭然であった。




 ◇




 あの頃から何も変わっていない懐かしい我が家。

 すぐ横にはこちらもまた当時の景観そのままに建っているお隣さんの住まい。

 おばさんに先導されて中に入れば、ここの家主が腰掛けていたテーブルから立ち上がり、まるで幽霊でも見たような顔をして固まってしまった。


「やぁ、おじさん……戻ったよ」


 長いこと音沙汰のなかった罪悪感と気まずさによって目も合わせられず、ついしどろもどろしてしまう。

 心配していたと怒られたりもするかと思ったが、反応はおばさんと同じものだった。

 ただ違うのは抱きしめられるのだけは勘弁だということ。

 理由は恥ずかしいからというわけではなく単純に嫌だったからだ。


 それからは俺の帰還を祝しておじさんが景気良く酒盛りを始めたが、そこらへんは半ば理由付けだろう。

 セリアの家の夕食に呼ばれた時によく作ってくれたおばさんの料理。

 畑で取れた野菜とベーコンを煮込んだクリームシチュー。

 それを一心不乱に食すスクレナの横で、俺は村を出てからこれまでの歩みについて順を追って2人に話した。

 あまり嘘はつきたくはなかったけど、繕いもせずに全てを話せば大変なことになる。

 だからスクレナとの出会いは少し湾曲させ、他は差し障りのない部分だけを抜粋して語り聞かせた。

 それでも長くこの村で生活してきたおじさんたちには未知の事ばかりであったし、ここにいた頃の印象しかない俺がそれだけの冒険をしていた事に驚いている様子だ。


「そう、2人でいろんな世界を見てきたのかい。レイナちゃんも可愛くて丈夫そうな子だし、いい人を見つけたじゃないか」


 この遠慮のない食欲を見ての言葉だろうが、仮にも一国の女王であったのに「気品がある」より真っ先にそれが出てくるのがこいつのすごいところだ。

 そして敢えて濁してはいるのだろうが、きっとおばさんは俺がセリアの件で傷ついていたのを踏まえて言ったのだろう。


「鍵は預かっていたからお前の家はこいつが掃除していつでも使えるようにしてある。だから……どうだ?」


 おじさんたちは互いに目配せをすると、今度はおばさんがその意味を補足する。


「旅は終わりにしてこの村に腰を据えるのはどうかって事さ。見ていれば雰囲気で分かるけど、あんた達だっていずれは一緒になろうって考えてるんだろ? これもタイミングだと思って」


「べ、別にそういう関係ではない! それに我らにはまだ果たさねばならぬ目的があるのだ。信じて集ってくれた者たちに報いる為にも今は立ち止まっていられぬ。まぁ……全てが終わった後になら田舎でのんびりと生活を楽しむというのもよいが」


 スクレナはそう言いながら、忙しなく手を動かしてスプーンを何度も口に運ぶ。

 目の前の皿は既に空なんだけど。


「そういうことだから……ごめん。でも約束するよ。旅の終わりには必ずここに帰ってくるって」


 向かい合っている2人の表情は複雑なものだった。

 申し出を断られたことによる落胆と、あの日に俺の口から出なかった「帰ってくる」という一言を聞けた安堵が入り交じった事によって。


「でもおじさんたちこそ帝都に移住するなんて考えたりはしないの? いくら何でも親子であればセリアには頻繁に面会できたりもするんじゃ」


 両者とも驚愕の後には再び肩を落とす事となった。

 最初の反応の理由は分かっている。

 俺が自らセリアの名前を口にしたからだろう。

 だがそれからの意味については初めて知る事情によって明らかになった。


「それは無理な話なんだよ、エルト。俺たちとセリアはもう親子の縁を切ったからな」


 今度は俺がショックを受ける番だ。

 縁を切っただって?

 幼少の時からずっと、あれほど溺愛していたのに。

 セリアが連れていかれる時だって、再会を信じながら別れを惜しんでいたというのに。

 まさか一方的な婚約破棄に親として激怒した末、そんなことに至ったとか?


「いや、少し語弊があったな。縁を切ったというよりは切らされたと言った方がいいか」


「それは……どういう?」


「実はお偉いさんからの要請があってな。セリアをどっかしらの貴族の養子にしたいってんだ。おおかた帝国の象徴たる聖女が田舎の村娘だって事実を揉み消したいんだろうよ。何も聞き入れてもらえないまま手切れ金を強引に握らされ、ほとんど命令のようなもんだったさ」


 目を伏せてテーブルの一点を見つめながら手を震わせるおじさんの姿を見れば、それが本意でなかったという事は痛いほどに伝わってくる。


「だが……セリアが俺たちの手から離れるのは運命さだめだったのかもしれないな。何せ――」


「あんた!」


「エルトたちに婚約を切り出された夜にはもうこの話をすると決めていたじゃないか。それを考えれば遅かったくらいさ」


 おじさんは何かを告げようとしておばさんに言葉を遮られるが、さらに重ねるように制した。

 この家の中に蔓延する重苦しい空気によって、それがどれほど重要な話かが窺い知れる。


「あのな、エルト……セリアは俺たちの本当の子供ではないんだよ」


 思ってもみない告白の内容だった。

 村の大人たちだって誰もそんな事を言っていなかったし、何より3人が肩を並べる光景を目にして血の繋がりがないなどと疑った瞬間なんて一度たりともない。


「今からだいたい20年ほど前だった。お前の父親が自分の家族と共に、産まれたばかりのあの子をこの村に連れてきたのは――」


 あまりの衝撃によって、正直この時点で意識がついてきていない。

 だけどこの話を口にしたおじさんの覚悟を思えば、しっかりと受け止めなければいけない事なのだろう。

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