幕間 偽りの友
帝都に設けられた聖騎士の住まいとなっている建物。
故郷から帰ってきてずっと、グラドは寝室のベッドの縁に腰掛けながら
遠征における疲労を癒す為の休暇中ということもあるが、消耗しているのは肉体よりも寧ろ精神である。
自分が手にする盾によって最も守りたかった者を失った虚無感は、人間を抜け殻にするには十分だった。
今日も今日とて同じことの繰り返し。
無意識的に水を口に含む以外は全く何もせずに1日を終える。
聖騎士がそう考え始めた矢先、まるでそうはさせまいと言わんばかりのタイミングで扉を数回叩く音がした。
「グラド、私だけど……」
廊下から声をかけるのは数年前から最も多く顔を合わせている者だ。
グラドにとっては帝都で出会った新たな家族の1人だった。
「ああ、入ってくれ」
ドアから顔を覗かせたのは素朴な衣服を纏い、髪を肩の辺りで2つに結んだ女性。
普段は装飾が施された白い法衣やベールを着用している聖女だと、ひと目では分からない格好をしている。
「本当はすぐにでも顔を見たかったけど、気持ちが落ち着くまではと思ってね」
「そうか……いろいろと心配をかけたみたいだな」
顔に笑顔を浮かべるグラドではあったが、それは歓迎の為に無理に作ったものだったのかもしれない。
「そう思うんだったらしっかりと食事を取ることね。かと言って放っておけばどうせ偏った料理しか食べないんだろうから……ほら、これで栄養つけなさい」
そう言ってセリアは両手に持ったバスケットを差し出す。
だがグラドは床に目を落としたまま沈黙し、受け取ろうとはしなかった。
「……妹さんのこと、残念だったわね」
「そうか、聞いたんだな」
今度はセリアが口を開かずに首を縦に振る。
先日の襲撃の件については既に軍の上層部には知れ渡っていた。
たとえ箝口令がしかれたとしても、あまりにも衝撃的な事件であったが故に少しの綻びからでも瓦解していたことだろう。
自らが戦場に立つこともあるセリアは、これまで幾度も人の死を目の当たりにしてきた。
それがほんの少し前に言葉を交わした者の時でさえある。
だが心を痛めることはあっても、所詮は他人でしかなかった。
身内と再会できる可能性を完全に絶たれた経験のない聖女は、これ以上に聖騎士へ贈る言葉を決めあぐねている。
「そういえば――」
それを察してかどうかは分からないが、何の前触れもなく突然グラドは口を開いた。
「これも既に聞いているかと思うが、俺の故郷の村でお前の幼馴染みに会ったぞ」
報告を受ければ必然的に黒騎士の事も耳にしている。
エルトがなぜその地にいたのかは定かではないが、もちろん彼の名前が上がった理由は知っていた。
エルトがそこでした事の全ても。
だがセリアにはそんなことよりも欲して止まない情報があった。
「それで、エルトはあなたの村に1人で?」
「いや、レイナという魔術師と一緒であったな。確か以前にも名前だけは聞いたことはあったが。二度目に会った時は心闇教の女と奇妙な動く金属の人形を連れていたか」
「ああ……そう」
傍から見れば聖騎士を打倒した技や、贖人にとどめを刺した一撃を繰り出したのが剣を振りかざした黒騎士に見えただろう。
それに加えてレクトニオの存在感に隠され、今回レイナという名前は確認されなかった。
故にセリアはエルトとレイナが常に行動を共にしているわけではない、もっと言えばパートナーを解消したのではないかとさえ思っていた。
だがそれは淡い期待からくる早合点だと知らされる。
「妹を守ることを阻まれ、おまけに仇敵である心闇教の信徒を逃がされ、エルトには散々な目に合わされたが感謝すべきこともある」
つい先程まで覇気のない顔をしていたグラドだったが、その目には微かに光を宿していた。
まるで自分の進む道の先にある何かを見据えるように。
「それは黒騎士を倒すという目標が出来たことだ。直接妹に手を下した奴の首を取り、俺がティアへと捧げてやる」
「待ってグラド。確かに変異した妹さんの命を絶ったのはエルトだと聞いてはいるけど、それはやむを得ないことだったはずよ。あなたにとっては酷だとは思うけど」
「いや、少し違うんだ。我を忘れていた当時はともかく、今となっては事情は理解できているし、苦しませずにティアを逝かせてくれた事に関してはありがたいとさえ思っている。だが俺が許せない理由は別にあるのだ」
そう言ってグラドはあの日に自分が見た光景を思い出しながら顔を上げる。
「あいつは剣を掲げた瞬間、感情のない目をしていたんだ。妹を殺める事と、五月蝿い羽虫を叩き落とす事が同義であるかのように。言うなれば周囲の者をその程度の存在に見ているのだろう」
「そんなことっ……」
エルトはそんな人間なんかじゃない!
強く否定しようとしたセリアは、ふとあの時の事を思い出して言葉が詰まった。
フィルモスでの交渉の席で再会した際に向けられた視線と感情。
それが彼女の自信を揺らがせる。
だがその振れ幅が大きくなると共に、帰りの馬車の中で抱いた苦しくも甘美なる不思議な感覚を蘇らせていた。
「いいえ、違う……エルトは変わったんじゃない。変えられたのよ」
「なんだって?」
「さっき心闇教の信徒と一緒にいたと言っていたけど、もしかしたらそのレイナって女もそうなのかもしれないわ。きっと妙な思想を吹き込まれていいように使われてるのよ。それならエルトたちがあそこにいたのも辻褄が合うでしょ」
「いや、しかし……いくら何でも突飛な考えではないか?」
「間違いない。早くエルトをあの女から引き離さないと。これ以上深みに嵌る前に……」
グラドは困惑するばかりだった。
根拠もない、それも自分の都合のいい憶測を展開し、すっかりそれが真実であると思い込んでしまっている。
これまで見たこともない聖女の姿に少しばかりの恐怖を覚えるほどだ。
そんな中で天の助けと言うべきか、再度ドアをノックする音に部屋の空気は一変する。
「やあ、具合はどうだい? グラド」
友好的な笑顔を浮かべながら入室してきたのは、聖女と同様に聖騎士にとっての親友とも呼べる剣聖だった。
「イグレッド、多忙であろうに気を使わせてすまないな」
「じゃあ私はこれで失礼するわ。お大事にね、グラド」
「なんだ、もう帰るのか? さっき来たばかりなのに」
「急用を思い出したのよ。すぐに向かわないとみんなの迷惑になるから……ごめんなさい」
セリアは夫である剣聖に目配せすらせずに俯いたまま足早に部屋を後にするが、イグレッドもまた気にする素振りは全くなかった。
最近は何度も見るその様子に、グラドは訝しげな顔をする。
「セリアと何かあったのか? 少し前から2人揃ってよそよそしいというか……お節介かもしれないが、上手くいってないことがあるなら相談してくれよ。お前には散々俺の悩みを聞いてもらったんだからな」
「ありがとう、だけど本当に大したことはないんだ。君を元気づけようとしていたはずなのに寧ろ余計な気配りをさせてしまうなんて、これではかえって邪魔になっただけだね」
イグレッドの笑みが苦笑になるのを見て申し訳なく思ったのか、話題を変えようとしていたグラドは唐突にある事を思い出した。
「そういえばお前から貰ったペンダント、ティアが大層気に入っていたぞ。そういうのに疎い俺では土産であそこまで喜ばせてやれなかっただろう。本当に感謝する」
「それは何よりだ。とは言えグラド、愛する兄から贈られるものなら妹さんはどんな物でも喜んだのではないのかな? 君に何度も聞かされた……ティアの……」
イグレッドは言葉を詰まらせながら、顔を伏せて肩を震わせる。
その姿は溢れ出しそうな感情を無理に押さえ込んでいるようであった。
「すまない……これ以上は思い通りに喋れそうにもない。訪ねて早々ではあるけど、僕も失礼させてもらうよ……」
「待ってくれ!」
そのまま踵を返して外へ出ようとする剣聖を引き止めるように、聖騎士はその背に向けて慌てて声をかける。
「お前がそれほどまでに妹のことで心を痛めてくれるおかげで随分と心が楽になった。ティアとの別れによる悲しみと同じくらい、今はイグレッドと出会えた喜びを実感している。だからこれからも……どうか良き友でいてくれ」
「やめてくれ、友達なんかじゃないさ」
意外な言葉に驚きと焦りを目まぐるしく表に出すグラドに対して、イグレッドはすかさずその真意を伝えた。
「もはや僕たちは兄弟とも言えるだろう? これまでと変わらず幸も不幸も、共に分かち合っていこうじゃないか」
それだけを言い残して振り返ることもなく退出すると、剣聖は急いでその場を離れる為に廊下を駆ける。
「く、くく……」
しばらくして立ち止まると、イグレッドは先程のように体を小刻みに揺らしながら腕で顔を覆うが、それはグラドが思っているような哀悼などでは決してなかった。
「くっ……はは……あははははは!」
「如何されましたか? 剣聖様」
そんな奇妙な行動に眉を寄せながら近づいてくるのは、玉座の間での報告を終えた諜報員の者だ。
だがイグレッドは恥じて繕う様子も特に見せず、呼吸を整えようと大きく息を吐くだけ。
「シーオドアか。なに、聖騎士のマヌケっぷりが可笑しくて思わずな。その上でくさい友情なんて語るものだから、危うく目の前で吹き出しそうになってしまったよ」
故郷の村で起きた襲撃、大切な妹の突然の変異、全ては始めから剣聖によって仕組まれていた事だった。
様々なシナリオに分岐し、どんな結末を迎えても自分の利となるように。
グラドはイグレッドを信頼して自分の胸の内を明かした。
聖騎士の責務を捨てて、ティアと共に静かに暮らしたいという願望。
それは剣聖にとって都合の悪いものであったのだ。
ルーチェスが語る神降ろしにおいて、いずれは聖騎士や聖魔道士の存在も必要となってくる。
だからこそここで聖者の1人でも欠けてしまえば、それは自分とセリアを縛るものも失うということになってしまう。
ならば元を絶ってその夢を霧散させてしまえばと考えた。
さらには一部の帝国の者が秘密裏に開発を進めている兵器、「
人類が魔力を高めた際に体内に宿す闇の魔力だけに反応し、強制的に吸収してしまう魔道具。
そのアイテムを持たせたまま襲撃によって危機的状況に追い込めば、十中八九ティアは祈りを捧げる。
予め願いを叶えてくれる石だと教えられていたら尚更だ。
祈りとは誰もが行う儀式のひとつでもある。
無意識ではあるが、それによってティアも自分の内なる魔力を引き出してしまった故に、贖人へと変異してしまった。
仮にいずれの思惑を外したとしても、本来の任務通り邪教徒を粛清できれば一応は帝国にとってのプラスとなる。
結局はどう転んでもリスクもなしに徳を得られるというわけだ。
「妹を排し、転光石の改良を大きく飛躍させる結果を得られ、おまけに黒騎士と聖騎士の因縁も植え付けられた。ペンダントひとつで随分と豪華なお返しをくれたものだ。ところで、あれはちゃんと回収できたんだろうね」
「ええ、もちろんです。攻撃を受けた際に砕かれはしましたが」
イグレッドに問われて袋の中からトレイの上に広げたのは転光石の欠片だった。
破壊されはしたものの石自体がまだ希少ではあるし、何より証拠を残しておくわけにはいかない。
しかし違和感を覚えた剣聖が大雑把ではあるが、原型に近い形に並べてみると――
「破片が足りない?」
シーオドアはまさかという顔でトレイを覗き込むが、言う通り確かに不自然に空白が出来ている。
「いや、その……念を入れて村中で大規模な回収作業を行いました! なので取りこぼしは絶対になかったかと」
結果が伴わなければ言い訳にしか取られないが、事実シーオドアは部下を這いつくばらせながら余す所なく探させていた。
それこそ村人たちにとっては異様な光景に映るほどに。
「まぁ……鳥が咥えて持っていったのかもしれないし、喪失した分の大きさを考えれば誰かに拾われても大した影響もないか」
イグレッドが楽観的に考えたのは、自分の予想を上回るほど上手く事が運べたからなのだろう。
だが軽んじたその極小さな石の欠片が、後に彼にとっては大きな転機となる。
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