第32話 海姫マリメア
何が起きたのか分からずに狼狽えるハンガたち。
そのストレスを解消させてやりたいが、もう一度やれと言われても上手くいく保証はない。
あれは緻密な制御はまだ出来ず、集団で固まっていたからこそ成功したと言えるからだ。
「クソが……こんなわけ分かんねぇうちにやられてたまるかよ」
だがそれでもアンコールをご所望のようだから応じてやることにしよう。
自分の中でさっきの感覚と、刃を突き刺す動作を再現する。
少し博打要素が入っていたのも否めないが、どうやら成功と言えそうだ。
こちらに対して的外れな視線を向けるハンガたちの足下には、黒い円が浮かび上がる。
直感が警鐘を鳴らしたのか、すぐにそこから出ようと駆け出すも時は既に遅かった。
円の中には何本もの突起がせり出して、海賊たちを貫く。
それにもかかわらずハンガは無傷であった。
よほど悪運が強いのだろう、奴は突き出した2本の影の間で尻餅をついて難を逃れる。
「エルト、それは魔術……いや、魔術になりうる前段階のものと言うべきか」
スクレナはすぐに理解したようだった。
これはついこの間、剣聖たちとの再会の時に起きたアレによって思いついた。
魔力を吸われていく感覚、言うなれば魔力を体外に出す感覚。
それを突き詰めて応用すれば、自分にもスクレナやルナとまではいかないが、近しいことが可能なのではないか。
倦怠感のせいもあったが、そんなことを考え込んでいた為に惚けていたのだ。
そしてその日から実験と練習を始め、現在できることは今見た通りである。
「練習と言うが、一体いつやっておったのだ? そんな様子など全く見られなかったぞ」
当然だ。気付かれないようにやっていたんだから。
お前が涎を垂らしながら、腹を出してグースカ寝ている深夜にこっそりとな。
「失礼なことを言うでない! 腹は出してるかもしれぬが涎など垂らしてはおらん!」
正直なのは偉いことだ。
ついでに足で布団を払い除けるのも自覚して直してもらいたい。
しかし苦虫を噛み潰したような顔をしているのは、俺の戯言のせいだけではないようだ。
「エルトが本格的に魔術が使えるようになると、同じ舞台に上がられるような感じがして気に入らん。なんだか役を取られてしまうみたいではないか」
なんでだよ。
以前に「少しは魔術も使えるようになれ」って説教してたのは誰だ。
だけど外に出すというところまではどうにか出来るようになったけど、その先のイメージの具体性が全く掴めていない。
魔力によって体の部位や武器など様々なものを模倣したり、一箇所に集めて強大なエネルギーの塊にしたりなどはまだ無理だ。
それに放出する量の調整も同様である。
今は大量に放出しようとすれば必要以上に漏れ出すし、それを恐れて控えると威力が小さくなり過ぎたりということも。
狙う場所だってかなり集中しなければ、あさっての方向に発動されたりしてしまう。
つまりは切迫した戦闘においてはまだまだ実用的でなはいということだ。
ついでに言えば魔術師なら杖やワンド、魔導書などの媒体を使ってより効率よく発動させるように、俺には剣が必須であった。
それを踏まえれば、何も持たずにあれだけ強力な魔術を瞬時に使用するスクレナは規格外なんだ。
例え同じ舞台に立ったとしても、代役を引き受けるなんておこがましいだろう。
「うむ……そうか? まぁ、なんだったら今度我が直々にコツを教えてやらんこともないが」
とりあえずこれくらい持ち上げておけばいいかな。
もちろんさっき言ったことは本音だ。
ただ機嫌を損ねたままでは、いざ教えを乞う時に面倒なことになりそうだし。
「さぁ、キャプテン。後はもうお前1人だけだ。大人しく言われた通りに操舵するのなら陸までの安全くらいは保証してやる」
俺が一歩近づく毎に、反発するように後退するハンガだった。
しかし微かに目を背けたことにより、自分の視界に入ってきたものを見てその様子は一変する。
焦燥を表していた顔は、たちまち歓喜に満ちていった。
「兄ちゃん、覚えておきな。勝負ってのはな……最後に切り札を被せた方の勝ちなんだよ!」
その意味を確かめる為に、ハンガが向ける視線の先へ目をやる。
そこには俺たちが乗っているものと同等の船が5隻、こちらへ向かってきていた。
「魔の海域でメガロドンを狩るのに万全を期すのは当たり前だろ! 予め同盟を結んでいる仲間を呼んでおいたんだよ!」
もしこの船と同じくらいの人数がそれぞれに乗船していると仮定すれば、全部で150人程ということか。
身体強化の分の魔力を残しておくことを考えれば、先程の魔術もどきはもう放てない。
というよりは、度外視して使い切るつもりでも最大範囲であと2、3発が限度ってところだろう。
黒騎士になれば時間内に片がつくけど、そうなると――
俺が横目でチラリと送るサインにスクレナは気付いたようだった。
「さっきは『俺にやらせろ』とか威勢のいいことを言っておったのに助けが必要か? でも手を貸してやりたいけどなぁ。我は賭けに負けたからなぁ」
両手を後頭部に宛がって白々しいことを口にするその顔には、得意満面な笑みが浮かんでいた。
やっぱり頭を下げるしかないのか……嫌だけど。
ちゃんと言葉で助けを求めないといけないかな……すごく嫌だけど。
「案ずるな。既に活路は開かれておるわ」
そう言ってスクレナはハンガの元へ闊歩すると、不敵な笑みを浮かべた。
「時にキャプテン。勝負というのは最後に切り札を被せた方の勝ちと言っておったか。ならばさらにこちらも1枚切らせてもらおう」
臆することもなく迫ってきた女の言葉にハンガは眉をしかめ、同時に首を傾げる。
俺はその『切り札』というのは、スクレナが自身のことを言っているのかと思っていた。
「深海という常闇より出づる支配者の姿。生あるうちにその眼へ焼きつけられることを誉にするがよい」
だが辺りに響き渡る音によって、その見解が間違いだと察する。
優しい歌のような高音かと思えば、コントラバスの弦をゆっくりと弓で擦るような低音だったり。
安らぎと不安が代わる代わるやってくる、そんな不思議な音だった。
俺や二輪の風のメンバーが訝しげにする中で、この音の正体を知っているであろう2人の反応は対称的だ。
待ち望んでいたような喜びを見せるスクレナに対して、ハンガは血の気の引いた顔で恐怖に打ち震えていた。
「モ……モモ……モ……」
海面が大きく盛り上がったことによる斜面で、援軍に来た海賊船が横に滑っていく。
そしてそこから突き出るように姿を現したのは、巨大な白い山――
いや、よく見れば巨体を持つ生き物だった。
あの奇妙な音は、どうやらこの白い鯨の鳴き声であったようだ。
「モビーディックだぁぁああああっ!!」
ほんの僅かな時間、直立しながら静止していた白鯨はゆっくりと体を傾ける。
そのまま狙いすましたように最寄りの船へのしかかると、それだけで船体は2つに割けて轟沈した。
「バ、バカ! こっちに来るんじゃねぇ! 死ぬならてめぇらで勝手に死にやがれ!」
残り4隻の船がこちらへ逃亡してくるのを見てハンガが叫ぶ。
この絶望的な状況の中で、まさに藁にもすがる思いというのか。
どうにかなるわけがないと分かっていても、意志とは関係なく行動してしまうのだろう。
それにしても海賊に倫理観を説くのも滑稽かと思うが、わざわざ駆けつけてくれた仲間へ向ける発言としては随分と酷ではないか。
「なんで……なんで海の支配者が……モビーディックがお前の切り札なんだよ!?」
「何を寝ぼけたことを言っておる。一言でも白鯨が海の支配者だと口にしたか? 奴はその者の単なる従者にすぎん」
もはやスクレナから受け取る情報を自分で処理することが不可能である。
ハンガの間の抜けた顔からは、そんなことが安易に窺い知れる。
「我の言う切り札は……ほれ、もうこの船の傍らにおるではないか」
スクレナが指さす方へ皆が一斉に目を移すと、そこには女性が1人立っていた。
マリンブルーの後髪は腰まで伸びるほどに長いが、前髪もまた同様である。
琥珀色の瞳を持つ双眸の右側が隠れるほどにだ。
鍔が広く羽のついたワインレッドの海賊帽子にロングコート、黒いロングブーツを着用しているが、その中は胸元だけを覆う布に、非常に丈の短いズボンと簡素なものであった。
一見すると人間のように見える。
しかし耳にあたる部位には魚のヒレのようなものがあり、臀部まで縦に入ったコートの切れ目からは、爬虫類のような細い尻尾が伸びていた。
そして最も奇妙なのはこの女性、どういうわけか海面に足をついて立っているということだ。
「この海域に入った者がいるのを感じましたが、やはりあなたでしたか!」
「うむ、魔の海域の話を聞いた時にもしやと思ったが、やはりお前の潜伏場所であったか。マリメア」
「はい! デリザイトから陛下が息災であられると聞き、居ても立ってもいられずにフィルモスに向かっておりました」
海賊たちが命懸けの航行をしている中で、スクレナたちは喜びの再会に盛り上がっていた。
そんな姿を見てハンガはその場に立ち尽くしているが、驚きや絶望というより高揚している様子だ。
同朋があんなことになっているのに気にも留めずに。
「ところでマリメアよ。あやつは元気にしておるのか?」
「ええ、あれからまたさらに成長しましたよ。この子も陛下にお会い出来るのを楽しみにしておりましたので、どうか顔を見てあげてください」
そう言ってマリメアは水面を滑るように後退していった。
ある程度距離を置くと、先程と同様に水面が大きく起伏する。
そこから出現したのはウミガメだった。
ただ明らかに普通ではない。
甲羅の中心には要塞を思わせる建物が配置されていて、無数の砲塔が所々から飛び出している。
それに特段語るべきところと言えば、その巨大さである。
モビーディックと比べても遥かに大きく、まるで孤島を思わせるほどだ。
どうやらマリメアが海面に立っていた仕掛けはこのウミガメのようだ。
「おお! トトよ。本当にあれからまた一回り大きくなっておるな。どうだ? 我のことはまだ記憶にあるか?」
スクレナが両手を前に掲げると、ウミガメはそれに応じるように首を伸ばして顔を近づける。
トトなんて名前をつけて普通に接しているが、こっちからしたら得体が知れず展開についていけないのだが。
「あいつは六冥闘将が1人、マリメアだ。船乗りの間では『海姫』と呼ばれて伝説になっておる。そしてこっちはアスピドケロンという海の魔物でな。海上基地と戦艦を兼ねたペットだ。海戦においてはトトと従者の海獣たちを率いたマリメアに敵う者などおらんだろう 」
大方の予想はついていたが、やはり只者ではなかったか。
さっきの船を沈めたモビーディックの一撃を見れば、あながち誇張しているわけでもなさそうだし。
「海姫様! 海姫様ぁ!」
突然ハンガは船の縁まで走ってきて、勢いよく柵に手をかけて上体を乗り出す。
「おお! 海姫様……なんと美しい。まさか実際にお目にかかれる日が来ようとは」
「なんです? この男は。陛下のお知り合いですか?」
「いや、一応我らをここまで運んだしがない海賊だ。確かメガロドンに用事があるとか言っておったな」
それを聞いてトトの頭の上まで移動していたマリメアは、自分の顎を摩って何やら考え込んでいた。
「メガロドン?
海姫が指笛を吹いてからしばらく後、大きな黒い背びれが海面を割いている光景を目にする。
海獣を従えるというだけあって、マリメアの呼びかけに応えたのだろう。
だが目の錯覚か。俺には背びれが2つあるよう見えるが……
するとそれが見間違いなどではないことを主張するかのように、1つ、また1つと増えていく。
そして最終的には10匹のメガロドンが、船の周りを囲んで旋回していた。
「この中にいるのかは分からないけど、後は当人同士で話し合ってちょうだい。あんた達の問題なんだから」
淡々と話すマリメアだが、どうやらせっかく機会を提供したのも無駄になりそうであった。
ハンガは眼下に広がる惨憺たる状況に、すっかり膝の力が抜けてしまっている。
それでも最後まで抵抗を続ける者たちは、打楽器を叩くような大きな音を鳴り響かせていた。
全ての海賊船が、白鯨へ目掛けて大砲を一斉掃射している。
だがその様子をマリメアは呆れた顔で見ているばかりだった。
「モビーディックの脂肪の厚さを知らないようだな。そんな安っぽい大砲じゃ弾を無駄にするだけさね。それより、大きな音を立てて他の子らを刺激しない方がいいんじゃないのかい?」
そのマリメアの一言から目の当たりにすることになる。
俺はもちろん大海原で生きてきた男たちでさえ知る者が少ない、もうひとつの海の顔を。
そしてそこから幕を上げる惨劇も――
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