第31話 エルトの奇行

 上空には閃光と轟音が同時に巻き起こる中、俺は自分の見立ての甘さを恥じる。

 嵐のような海域に踏み入れば、大きく揺れる船体によって海賊たちに隙が生まれると思っていた。

 しかしさすがは海上での仕事を生業とする者たちと言うべきか。

 相手側は揺れに合わせてバランスを取り、足場を安定させていた。

 むしろ覚束無いのは俺たちの方である。

 こうなると状況は明らかにこちらが不利と言ってもいい。


「ところでハンガ、お前の復讐とは何なんだ?」


 メリダを助ける機会を待つ為に、とにかく会話を切らさないようにする。

 どうやらこいつの因縁の相手もここにいるようだし、この手の話は向こうも時を忘れるほど熱を入れてくるだろう。


「この手の恨みさ。奴のことを思い出す度、失ったはずの俺の左手が酷く痛むんだよ」


 そう言ってハンガは反対の手でフックを摩る。


「長い間探し続け、俺はようやく奴がこの海域にいると知ったんだ。海の殺し屋、メガロドンがな」


 メガロドン。確か大昔から存在する、とてつもなくデカいサメだったか。

 今となっては滅法数を減らしていると聞いたことはある。

 巨体を持つ海獣が寒冷地へ生息地を移したことによる食料不足だとか。

 その化け物に襲われたか、もしくは戦いを挑んだのか、何やら壮絶な過去があるようだ。


「俺が釣り上げた大物を厨房で解体している最中に、奴が船体にぶつかってきたせいで体勢を崩し……ザクッといってこの有様なんだよ!」


 ああ、あれって半分は本当の話だったんだ。


「そこで男2人にはメガロドンを誘い出す餌になってもらう。血を流したまま海に浸けておけば匂いに誘われて現れるだろうしな。女どもは裏ルートで繋がってる貴族にでも高く売ってやるか」


「フヒヒ、船長! 3人もいるんだし1人くらいは俺らでまわしてもいいでしょう? もう長らく陸に上がってねぇんだからよ」


「仕方ない奴らだ。好きにしろ」


 一斉に歓声が上がると、海賊たちは舐めるような視線で下劣な品定めを始める。


「順当にこの気の抜けた女か? なんだかんだと大人しいのが一番だろ」


「俺は銀髪の女がいいな。あの強気な顔を歪めるところを想像するだけで……昇天しちまうぜ!」


 それを聞いて周囲には笑いが起こる。

 ――が、俺としては決してお勧めしないな。

 きっと漏れなく全員がそのままの意味で昇天するだろうから。


「いやいや、そうは言ってもやっぱりこっちの女だな。幼い顔とこの胸のギャップがたまらないじゃないか」


 後ろからメリダを拘束していた男は、髪に顔を埋めて香りを嗅ぐ。

 その様子を見て便乗したのか、近くにいたもう1人が獲物の味を確かめるように頬へ舌を這わせた。


「いゃぁあああ! 汚いぃ!」


 これはもう冗談では済まないな。

 多少は強引にでもメリダを救出しないと。

 こっちが大人しくしているのをいいことに、どんどんエスカレートしていきそうだ。

 俺は魔力を足に込めて、不自然ではない程度に腰を落とす。

 後は頃合を探ってから、いざ飛び込もうと意を決した瞬間――


 メリダの服に手をかけていた男が後方に大きく吹き飛んだ。

 その傍らには鋭い目で海賊たちを睨みつけるビアンキの姿が。


「貴様ら……絶対に許さないぞ」


 怒気のこもった声が意味することは言わずとも知れていた。

 リーダーとして、仲間として、メリダが辱めを受けるのを我慢できなかったのだろう。

 行動としては愚直だけど、ビアンキがパーティーの長を任されている理由を少し理解できた気がする。


「3人目が口を開いたら私を選ぶのが鉄板だろう! どんな卑猥な言葉を投げかけられるかとドキドキしていたこの気持ちを返せ!」


 いや、さっきの言葉は撤回だな。

 その答えを予想しろというのは無理な話だった。


「お、お前、頭おかしいのか!? こいつの命は俺の手の中なんだぞ!」


「知ったことか!」


 メリダの首筋に刃をあてがった男が脅しをかけるも、ビアンキは全く動じる様子を見せない。

 金等級の冒険者だということを思い出させる、堂々とした佇まいで対峙する。


「そいつはうちのバカ野郎どもがデカい乳に釣られて誘っただけの女だ! もちろん私には何の思い入れもない!」


「えええ!? ひ、ひ、ひどいですぅ!」


「あんた……いくらなんでもそれは……」


 ビアンキの言葉に海賊がドン引きすると、サーベルを持った腕が僅かに下がった。

 その一瞬の隙を見逃さず、俺の隣にいたスコットは隠し持っていたナイフを瞬時に投げつける。

 それが海賊の肩に突き刺さると、よろけた拍子に武器を落とし、メリダから手を離した。

 すると体勢を立て直す間も与えず、ビアンキの拳が男の顔面にめり込む。


 ナイフを素早く取り出してから正確に狙った箇所へ当て、そのタイミングに合わせて攻撃を繰り出す。

 流れるようなこの連携を見せられただけで、俺は2人の力を見誤っていたことを悟っていた。


「うわぁー! ビアンキさぁん! 最初はビックリしましたけどぉ、全部私を助ける為の演技だったんですねぇ!」


「さすが姐さん! あまりにも大胆な作戦だから、危うく意図を汲みきれずにチャンスを逃すところでしたよ!」


「演技? ああ……そう! もちろん演技に決まってるじゃん! スコットも流石だな。よく私の考えに気付いてくれた」


 こいつ、平気で嘘をついてやがる。

 メリダと抱き合っている最中のその顔。

 目が泳いでいるのを俺はちゃんと見ていたからな。


 おそらく『二輪の風』というパーティーは、ずっとこんな感じで実績を上げていったのだろう。

 無駄にトラブルに巻き込まれるが、実力自体はあるから知らず知らずのうちに切り抜けていく。

 掻い摘んで言えば、本能のままに生きてたら上手くいっちゃうタイプというのか。


「おいおい、喜ぶのはいいが状況を見てみろよ。丸腰のお前らは今も武装した集団に囲まれてるんだぞ」


 確かにメリダの解放には成功したが、まだ完全に危機を脱したわけではなかった。

 船内中の海賊たちが集まっていて、その数はざっと30人ちょっとくらいか。

 だからこそ、ここぞとばかりに俺は皆に申し出る。


「あの、よかったらここは任せてもらえないかな?」


 目を逸らさずに事実を受け入れていたからこその提案だった。

 さっきから自分の影が異様に薄いという事実を。

 ここらで仕事をしておかないと、それこそ何の為についてきたのか分からなくなってしまう。


「待て、手を持て余しているのは我も同じだ。独り占めなどズルいではないか。こっちにも半分よこせ」


 いつもなら「どうぞどうぞ」と譲るところだけど、今回ばかりはそうはいかない。

 こいつに任せれば一撃で全滅させるだろうから、それこそ俺の立つ瀬がない。

 一口だけと約束したのに、大口開けて全部食われるようなものだ。


「よし、ではどちらがやるかをこれで決めようではないか」


 そう言ってスクレナは1枚のコインを摘んで目の前に掲げる。


「表ならばエルト、裏ならば我がやるということでどうだ?」


「ああ、いいだろう。そういうわけだから少し待っててくれ、ハンガ」


「いや、全員でかかってこいよ……」


 本来待ってやる義理などないはずだが、俺たちの妙な言動が海賊たちの戸惑いを招いたようだった。


 スクレナは人差し指の側面に乗せたコインを親指で上へ向けて弾いた。

 宙に高く舞い、やがて最高点まで達すると、回転を残したまま落下してくる。

 それが自分の手元まで戻ってきたところで、持ち主は右手の甲と左の手のひらで叩くようにして挟んだ。

 辺りがしんと静まり返る中で、スクレナがゆっくり結果を開示すると――


「よっし! 表だ!」


 俺が拳を握って大袈裟に喜ぶ一方で、スクレナは歯を噛み締めながら悔しがっていた。

 この顔だけで1週間は美味い酒が飲めそうだ。


「ち、違う! 我はこの鳥の柄の方が表だと思っておったのだ! だから今の勝負は無効! もう一度やり直しだ!」


 残念ながら常識的にコインは人の横顔が描かれている方が表なのだ。

 それに絵柄を見た瞬間に悔しがっている時点で、お前が言っていることが嘘だというのは分かりきっている。

 だが、そんな見苦しい姿……嫌いじゃないぞ。

 俺が肩に手を添えて目を細めると、スクレナは顔を赤くして瞳を潤ませる。

 このままでは今にも床に転がって駄々をこねそうな程に。


「それに今回はお前に見てもらいたいものがあるんだ」


「ぬ? 見てもらいたいものだと?」


 その言葉に疑問を抱くことで冷静になるスクレナを後目に、ビアンキが殴り飛ばした男のサーベルを拾い上げる。


「兄ちゃん、あんたリーダーの尻についてきただけの青銅の小鴨ちゃんだろ? 本当に1人でやる気かよ。まだ喋れるうちに仲間に助けを求めておいた方がいいんじゃないか?」


 ハンガが口にしたことに対して、船上が嘲笑により一際騒がしくなる。

 そんな中で俺はサーベルの切っ先を下へ向けると、一度腕を引いて勢いよく甲板へ突き刺した。

 あの時の感覚と、反復して試したことを思い出しながら。


「あ? なんだそりゃ? やっぱり諦めましたとでも――」


『いぎゃあああああああ!!』


 奇妙な行動に船長が眉をしかめると同時に、辺り一帯に響き渡る背後からの多数の悲鳴。

 振り返ったハンガは自分の見た光景に驚愕しているようだ。


 船員たちは蠢いていたり、ピクリとも動かなかったりと様々だった。

 それでも甲板に倒れ込んでいるというのは皆一様である。

 未だに立っているのはハンガと周りにいた3人の船員だけだ。


「どうしたんだ!? お前ら! この一瞬で何があったんだよ!」


 しかし返事は誰からも返ってこなかった。

 床に伏す者たちは口がきける状態ではなかったし、ハンガと共に助かった者も理解してはいないのだから。


 一方で今起きたことを目にしていた二輪の風のメンバーは、ただ黙って目を見開いているだけだった。

 そしてそれはあのスクレナでさえも同様である。

 その反応のおかげで、どうやら美味い酒が飲める期間を延長できそうだ。

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