第27話 光を喰らう者たち

 部屋の中は未だ沈黙に包まれていた。

 セリアはエルトの鋭く冷たい視線にすっかり萎縮してしまっている。

 それでもなんとか口を開くと、絞り出すように声を発した。


「今日はちょうど節目の日でしょ……だから……」


「ああ、そういえば日にちを決めたのもお前だったな。パレードの時のことに全く触れてこないから少しは感心していたのに、そこまでして人の傷を抉りたいのかよ」


 懸命に口にした言葉も失敗した便箋のように簡単に投げ捨てられてしまい、セリアは閉口してしまう。


「君、僕たちのことを快く思っていないのは承知しているけど、さすがにこれは失礼じゃないかな」


「黙れよ、部外者」


 さっきまでの繕いなど一切なく、エルトはイグレッドへ感情そのままの言葉を浴びせる。

 本来なら外にいる部下を招き入れ、不敬な言動であるとこの平民を罰することも出来た。

 だが剣聖がそれをしなかったのは、エルトの醸し出す重苦しさによるもの。

 そして今この時に人を呼べば、自分が敗北してしまうような気がしたからだ。


「いいの、イグレッド。私も非難されるのは覚悟していたから。それでも……どうしても伝えたかっただけ」


 セリアがエルトの怒りを買ってしまった理由。

 それは言わずもがな、本人が持参したケーキにあった。

 エルトがここで待機している際に目についた壁のボード。あれはその日の日付を表したもの。

 そこに並んだ数字に気を取られたのも無理はない。


 剣聖たちの訪問で頭がいっぱいであったこと、加えてここ数年は意識することもなかった為にすっかり記憶が薄れていた。

 しかし予想外の贈り物をきっかけに思い出すこととなったのだ。

 今日が自分の20歳の誕生日であることを。


 そしてセリアが時間に遅れてまで準備をしていたのは、故郷の村で過ごしていた時に毎年食べてもらっていた手作りのケーキだった。

 だからこそ、彼には許せないものがあったのだ。


「お前は顔を合わせてすぐに俺が変わってないって言ったな。だったらこれを見ろよ」


 そう言うとエルトは袖を捲り、自ら右腕に巻いた包帯を解いていく。

 その下から現れた光景にはセリアはもちろん、イグレッドでさえ目を見開いて驚いていた。


「これを見ても……これでも俺に何の変化もないって言えるのか?」


 2人の聖者の目の前に差し出された黒い腕。

 まるで影――いや、空間そのものを削ぎ落とすほど真っ暗な闇のような腕だ。

 それがセリアの顎に触れると、体温の感じられない冷たさに彼女の心臓は一瞬跳ね上がる。

 それから顔を上に傾けられると、テーブルに片膝をつき、身を乗り出して顔を近づけている幼馴染と目が合った。


「なぁ、聖女様。3年前の帝都での一件の直後、俺は先の人生に望みもなく命すら絶とうと思っていたよ」


 エルトの言葉はまるでセリアの胸に突き刺さる剣であった。

 あまりにも平然と言うからこそ、尚も深く食い込み、聖女は思わず瞳を揺らしてしまう。


「そんな時に生きる目的を与えてくれたのがこのレイナだった。俺は2人で歩む新たな道を邁進することで過去を忘れようとし、少しずつ傷を癒してきた。なのに厚かましくこの領域に上がり込んで、目の前に立つとはどういう了見だ」


 エルトに詰め寄られる中で、セリアは息苦しさを感じて無意識に自分の喉元に手を添える。

 はじめは自身の感情からくるものだと思っていた。

 だけど徐々に強くなっていくその感覚は、見えない手でゆっくりと首を締め上げられるようだった。


 セリアが体験する異様な現象はそれだけに留まらない。

 暖かな陽光が窓から射し込んでいた部屋の中は、気がつけば夕暮れ時ほどの薄暗さになっていた。

 その闇の中で全ての調度品が微かな振動を起こしているにもかかわらず、耳に入ってくるのは眼前の幼馴染の声だけ。

 そして最も驚愕し、恐怖したのは、真っ直ぐと自分を見据える双眸だ。

 瞳は赤い光を灯し、奥に秘めたる激情はおよそ人間が抱くものとは思えなかった。


「いきなり半端な優しさを見せて、何がしたいのか、何を考えてるのか理解できるわけがないだろう! 気が触れてるとしか思えないんだよ!」


「エ……ルト……やめ……」


 いよいよ呼吸までも困難になってきたセリアの頬には涙が伝う。

 苦しみの中にいるのはイグレッドも同様のようで、狼狽こそしていないが口を噤んだまま額に汗を滲ませていた。


「これ以上引っ掻き回すというなら、俺はお前を――」


「そこらへんにしておけ」


 ずっと隣で傍観していたスクレナは、エルトの襟首を掴むとソファーの背もたれに向けて引き倒す。

 そして何を思ったのか、膝上に跨ると首に手を回し、体を密着させながら唇を重ねた。


 それと同時に聖者たちを襲っていた呪縛が少しずつ解けていくが、今度は別の意味で体が固まる。

 スクレナの頭によって隠れてはいるが、察するに2人の口づけは決して軽いものではなかった。

 聞こえてくる淫らな音によって、目のやり場に困るほどに。


 しかしこの奇異な行動には意味があった。

 スクレナはエルトの体内の魔力を直接吸い出していたのだ。

 激しい怒りによって、尋常ではない勢いで膨張を続けていた闇の魔力。

 あのまま放置しておけば許容量を超え、その器となるエルトの肉体や精神は崩壊の一途を辿っていただろう。

 スクレナはそれを自分の中に移すことにより、未然に防ぐことにした。

 当然セリアにもイグレッドにも、意図を汲み取ることは不可能であったが。


「うむ、美味であったぞ」


 しばらくした後、顔を離してからの第一声にセリアは思わず赤面してしまう。

 そして振り返る女王と聖女、互いに目が合うとスクレナは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 当のエルトは危機的状況を脱したものの、精気を失ったように天井の一点を見つめたままである。


 静けさを取り戻した部屋の中では、暫し誰も動こうとしなかった。

 そんな中で口火を切ったのは、この空気を作りだした本人である。


「剣聖よ、何か聞きたいことがあると言っておったな。しかしエルトがこの状態だ、特別に我が問いに答えてやろう。光栄に思え」


 多くの国民に持て囃される英雄であるはずのイグレッドだが、なぜか初対面の女の尊大な態度も簡単に受け入れられた。

 そのことが不思議で仕方がなかったが、さしたる疑問ではないと心にしまい込む。

 それに剣聖が知りたがっていたことは、とっくに自己解決しているようだった。


「実は聖魔道士からの報告で、エルトが黒騎士ではないかという話が出たんだ。だから真偽を確かめたかったのだけど――」


 一旦言葉を区切ると、イグレッドは話題にあげた男を一瞥する。

 時が進むごとに復調していくエルトと視線が交わるや否や、その顔には笑顔を貼り付けた。

 喜びでも余裕でもなく、自分の心の内を誤魔化す為の滑稽な笑顔をだ。


「どうやら、君が普通ではないということは確かなようだね」


 身を持って知らしめられたことに奥歯を噛みつつ、イグレッドは傍らの伴侶の腕を強く掴んで立ち上がる。


「帰るぞ、セリア。もう全ての話は片付いたんだ、ここに長居することもないだろう」

 

 早い口調で急き立て、セリアの体を引き摺るように出口へ向かうイグレッド。

 そんな彼がドアノブに手をかけた瞬間、目の前から扉が消失してしまった。

 いや、扉だけではない。

 空間には一筋の光すらなく、隣にいた相手の姿もほとんど見えないほどの闇が広がっていた。

 聖者たちは先とは比較にならないほど喉の閉塞感を覚え、加えて心まで凍てつくような寒さに包まれる。

 それにより、2人には更なる恐怖が刻まれることとなった。


『まぁ待て、早々と逃げ帰ることもあるまい。我とて話をしたいことがあるのだ』


 同じ状況に置かれているはずなのに、頭の中に響く声に反応したのはセリアのみだった。


『聖女よ。貴様はここに来てからずっと物欲しそうな顔で幼馴染のことを見ていたな』


 核心を突かれたことにより慌てて偽りの言葉を口にしようとするも、間髪入れずにスクレナが言葉を投げかけてくる。


『大方、噂に名高い黒騎士の正体がエルトであると聞いて、自ら婚約者を捨てたことが急に惜しくなったのであろう? それで今の男からまた乗り換えようと画策しておると。とんだ尻軽よな』


「ど、どうしてあなたなんかにそんなことを……!」


 あからさまな侮辱にセリアが声を荒らげると、闇の中には静かな笑い声が木霊した。


『ふふ、今のはほんの戯れだ。だがな、これだけは言っておくぞ』


 未だに感情の高まりが収まらないまま、聖女は黙って耳を傾ける。


『エルトの隣は我の玉座であると』


 高らかな宣言を受けてもセリアは沈黙したままだった。

 突然のことに開いた口が塞がらないと言う方が的確か。

 だが交渉前の一言、そして先程の人前での如何わしい行為。

 それらを踏まえると決して驕りではないということが窺える。


『鳴いていれば餌を放ってもらえると思っている、家畜同然の貴様には奪いに来る資格もない。大人しく肉となり、下卑た者たちに食われる運命を受け入れるがよい。それが嫌なら自ら主人に抗ってみせろ。豚といえど噛みつく牙くらいはその口に備えておるのだろう?』


 傍目からすると酷い言われようではあるが、セリアにとっては自身の胸を打つ思いがした。


『まぁ、何があっても席を譲る気は毛頭ないがな。ここほど座り心地がいい場所もそうはないであろう』


「私は……私だって!――」


『話は以上だ。この闇の中に光の者を置いておけば臭いが移って敵わん。即刻立ち去るがよい』


 何かが弾けるような甲高い音がすると、聖女は自身が落下していくような思いがした。

 周囲は何も見えないのだから、実際には錯覚なのかもしれない。

 それでも深淵に飲み込まれるような絶望に、セリアはただ体を硬直させるだけだった。



「どうした? 剣聖殿、聖女殿。長旅の疲労が出たか? それとも度重なる公務によるものなのか」


 セリアもイグレッドも、気付けば荒い息遣いのまま床にへたり込んでいた。

 スクレナはそんな2人に気遣いを見せる振りをしているが、その顔に混ざるのは愉悦である。

 双方ともたった今見たこと、聞いたこと、その身に起こった全てのことが朧気なのは、人体による自己防衛本能によるものだった。

 無理にでも忘れようとしない限り自我を保てない。

 あの空間に身を置くということは、それほどの苦痛を伴うものであったようだ。


 そして聖者たちは近づく足音を耳にして、床に視線を滑らせる。

 やがて何者かの足が視界に入ってくると、イグレッドは力なく顔を上げた。

 国の英雄を見下ろす者、それは倦怠感から回復した青銅の冒険者である。


「イグレッド、俺たちの再会が交渉の場でよかったな。テーブルという境界線に守ってもらえたんだから」


 ここが戦場であるならば命はなかった。そう言いたげだった。

 かつては手の中に握られた虫のように、この男の運命をどうとでもしてやれたのに。

 今は全く逆の立場であることに、剣聖は耐え難い屈辱を味わった。

 衝動的に衣服の下に隠した短剣を抜きそうになるが、相手の言う通りここは交渉の場である。

 剣術に覚えがある者としての矜恃が、寸でのところでそれを押し留めた。


 イグレッドは勢いよく立ち上がり、捨て台詞もなく無言のまま気丈に退室していく。

 その姿は彼の最後のプライドがさせたことなのだろう。


「待てよ、聖女様」


 一礼して剣聖の後に続こうとするセリアをエルトは呼び止めた。

 二度の怪異により、ここへ到着したばかりの時とは違って幼馴染を見る目には怯えが宿る。


「俺はこの3年の旅で見聞を広めたことによって、お前から伝えられたことの意味をようやく理解したよ」


 その一言にセリアの顔には笑顔が戻った。

 希望を抱いた面持ちで、エルトに向かって一歩踏み出す。


「どうやら俺も狭い世界しか知らなかったようだ。そして、もっと満たしてくれる人がいるということもな」


 意図したことなのかエルトのしたことは、パレードの日に自分が受けた仕打ちをなぞるようなものであった。

 それを聞いた途端にセリアは足を引っ込め、元の立ち位置へと戻っていく。

 そして体の前で手を組んで再び頭を下げると、項垂れたまま部屋を後にした。


 その背中に向かって、スクレナは小声で声をかける。

 およそ聞こえるわけもないほど小さなものでだ。


「帝都へ戻ったら、あの女へよしなに伝えておけ」


 その時、顔には何かを含んだ笑みを浮かべていた。

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