第26話 セリアの贈り物

 剣聖と聖女が訪ねてくるという一報を受けてから数日後、俺とスクレナは2人並んでソファーに腰掛けていた。

 冒険者ギルドの建物内に設けられた会議室でまさに今日、先の聖魔道士の一件についての話し合いが行われる。

 日時の指定は先方がしてきたが、一応は出迎えるという形で早めに待機をしていた。

 待たされることにスクレナが苛立つかと思いきや、意外にも冷静なようだった。

 それだけ今回の交渉が大事だということか。

 さっきからずっと目を瞑り、腕と足を組んで精神を集中させている。

 今ちょっとガクッとなったのは見なかったことにしておこう。


 対して俺は気持ちが落ち着かずに、意味もなく部屋のあちこちに目をやっていた。

 その時に壁にかけられたボードが視界に入り、何となく目を止める。

 そこに表示された数字の羅列に見覚えがあったからだ。


 だがしばらくして、室内にいても聞こえてくるくらいの外の騒がしさに気を移される。

 この訪問についての噂はすぐに街中に広まり、俺たちがギルドへ来た頃には既に多くの人が集まっていた。

 祖国の英雄を一目見ようと建物の周りはもちろん、沿道にも所狭しとだ。

 そんな人たちの歓声が上がるということは、どうやら剣聖一行のお出ましのようだ。


「ぬ? ようやく到着したか」


 目を擦ってあくび混じりに呟いてから、スクレナは両手を掲げて体を伸ばす。


「本当ならこんな交渉など我だけで事足りるのだが。昼間のうちはお前が傍にいてくれぬと困るからな」


「気を使ってるのか? けど平気さ。これくらい」


 スクレナは俺が気を重くしていると思って声をかけたんだろう。

 だけどいずれは向き合わなければならないことなんだ。

 いつまでも目を背けていては、ずっと心に蔓延ったままな気がする。


 そんなことを考えている間にも、多数の足音が徐々に大きくなっていく。

 やがて部屋の前に到達すると一斉に止まり、次いでコンコンと二度の乾いた音が聞こえた。


「どうぞ」


 ソファーから立ち上がって入室するように勧め、扉が開き1人の軍人が顔を覗かせる。

 その後、腕を目一杯伸ばし全開にすると、ドア枠の端からは男が堂々とした佇まいで現れた。

 姿を目にした瞬間には感情が跳ね、体がカッと熱くなる。


 表面だけだということは分かるが、後ろに手を組んで親しみ深い笑みを浮かべるイグレッド。

 それから一歩引いて続くのは、慎ましやかに体の前で手を組むセリアだった。


「遅れて申し訳ない。日にちを決めたセリア本人が準備に手間取ってね。久々の幼馴染との再会に気合を入れてるのかと思ったんだけど……」


 イグレッドの言葉を聞いて、さりげなくセリアに目を向けてみる。

 その顔はパレードの時とは違って化粧っ気が全くなかった。

 でもそれが自分にとっては懐かしく感じられる。


 確か12歳くらいの時だったか。

 街へ行った時にセリアが自分で貯めたお金でこっそり化粧品を買って、次の日にお披露目してくれた。

 だけど俺は「可笑しい」とか、「ブス」だとか馬鹿にして泣かせてしまったんだ。

 本当は見惚れるほどだったんだし、素直に「綺麗だ」と言ってやればよかったのに。

 きっと唐突に幼馴染が別人に変わってしまったような気がして、反発したんだと思う。

 だからなのか、次の日から帝都に連れていかれるその日まで、どんなことがあろうとセリアが化粧をしているのを一度も見たことがなかった。


 そんな思い出にふけっていると、ふとセリアと目が合ってしまう。

 どうやらずっと注視したままでいたようだ。


「エルト、つい先日あなたの話をいろいろと聞いたけど、実際には変わりないようで安心したわ」


「聖女様も、ご息災にお過ごしのようで何よりです」


 笑顔で握手を求めるセリアに対して、無表情のまま深いお辞儀をして応えてやる。

 握り返すつもりがないことを悟った聖女は目を伏せながら、どこか寂しげに手を引っ込めた。

 あえて敬語を使うことによって感情を殺し、意図的に壁を作るという策が上手く事を運ばせてくれそうだ。


「そちらの女性がレイナさん……でいいのかな?」


 イグレッドに聞かれて隣に目を向ければ、スクレナはまだソファーに座ってふんぞり返っていた。

 こいつは……自信ありげだったけど、本当にまともな話し合いなんて出来るのか?


「モンテス山の戦の時も一緒にいたようだけど、エルトの仕事仲間……ということだよね?」


 セリアの問いにスクレナは、姿勢はそのままに視線だけを移して口元を緩めた。


「仕事仲間だと? そんな浅いものではないわ。我らはもう切っても切れぬ関係なのだ。何せ既に体をひとつに繋げた間柄なのだからな」


 いや、言い方が……

 確かに間違ってはいないんだけど。


「いきなりそんな赤裸々な告白をされてもね……反応が難しいかな」


 困惑して苦笑いしているイグレッドの傍らで、セリアは焦点を俺たちの背後の壁に合わせたまま真顔で硬直していた。


「剣聖様方もご多忙と存じますので、すぐにでも協議に入りましょう」


 本音を言えばサッと決めてサッと帰ってほしいだけだ。

 見ていてあまり気分のいい顔でもないし、さらに居心地の悪い空気になってしまったからその気持ちが顕著になっていた。


「失礼します」


 2人を向かいの席に座らせ、自分も着席すると同時に女性職員が室内に入ってくる。

 紅茶を持ってきれくれたようだが、テーブルに置く際にはソーサーに添えている手が震えていた。

 おそらく剣聖たちを前にして粗相がないかと緊張しているのだろう。


「いただくよ」


 ここに通されたということは毒味や身体検査は済んでいることと思うが、イグレッドは躊躇せず口に含む。


「うん、実に美味しい紅茶だね。茶葉がいいのか……いや、君が入れてくれたからかな?」


 歯の浮くようなセリフに職員はトレイで口元を覆って赤面していた。


「あの! 私、イグレッド様やセリア様に憧れてて……こうして言葉を交わせるだけでも夢のようです! これからも聖者様たちのご活躍をお祈りしています!」


「そう? ありがとう。僕たちは互いに固い絆で結ばれているからね。国に住まうみんなの為にどんな困難にも打ち勝ってみせるさ」


 胡散臭いにも程がある。

 この間のルナの言動からはとても信じられる話ではないが。


 勝手な会話や長居を護衛に注意され、職員は慌てて退室していった。

 そして入口付近に立っていた部下たちにも、扉を閉めて部屋の外で待機するように剣聖が命令する。

 これで完全にこの空間には4人だけだ。


 イグレッドはもう一口紅茶を飲んでからティーカップを受け皿の上に戻すと、肘を膝の上に置いて少し前屈みになる。


「それで、君たちはいくら欲しいの? 陛下からは最大限に譲歩しろと言われてるから額を提示してみなよ」


 打算など微塵もないが、それゆえ下衆なくらい直接的な言葉に少しだけ怒りを覚えた。

 スクレナなどはかなり頭に血が上ったかと思いきや、拍子抜けするほど涼し気な顔をしている。


「俺たちが要求するのは金銭ではありません。また別のものです」


「別の? 何か知らないけど、物なら貰った金で買えば問題ないんじゃない?」


 イグレッドの言うことは的を射ている。

 だがヴァイデルから聞かなかったのか?

 生半可なものでは済まないと。

 スクレナはすかさず持参した帝国領の地図を取り出すと、テーブルの上に広げた。


「我らはこの国が所有する土地の一部を貰い受ける」


「土地を? さすがにそれは突飛じゃないかな。手続きするにしろ領主の貴族ないし、属州総督との相談も必要になってくるし」


「別に広い領地というわけではありません。欲しいのはここ。この山とその周辺の僅かな土地だけです」


 俺が地図上の一点を指さすと、イグレッドはそこに目を落とす。


「随分と帝都からは離れた場所だね。というか、もうラストリア王国との国境から割と近くの所じゃ……あれ? ここら辺って」


 首を捻る剣聖の反応が気になったのか、聖女も横から地図を覗き込んだ。

 その理由が分かった途端にセリアは驚愕するが、これは思った通りの反応と言っていいだろう。


「どうして? だってここは……」


「我が調べたところ、近くの村を除けば国が直に監督している土地のようだ。そうであれば陛下に一任されてここへ赴いた貴様との直接交渉も可能なはず」


 俺とスクレナが欲しているもの。

 それはヤディ村の近くの山、俺が狩場にしていた山、そしてセリアにプロポーズをしたあの山だ。


 だが予想外の要求に面食らってしまったのか、イグレッドは懸命に思考を巡らせ的確な答えを探っている。

 だからこそ、ここで畳み掛ける為に次の一手を講じた。


「申し訳ありません。剣聖様」


「え? 何が?」


「無理を言ってしまってですよ。いくら名代と言っても剣聖様の一存でどうにかなるものではないですからね。公職として覚えがなければ咄嗟の判断も難しいでしょうし。どうぞこの話は帝都までお持ち帰りください」


 気遣う言葉にイグレッドは眉を微かに動かす。

 どうやら声にせず隠した意味に気付いてくれたようだ。

 『所詮は』剣聖だと。いくら地位を上げたところで戦闘以外に価値はないという中傷。

 加えて進展のない話をこのまま主君の元へと戻せば、自らそれを証明してしまうようなものだ。


「分かった……いいよ。ここらは希少な資源もない場所だ。山ひとつに僅かな土地くらいなら僕の裁量でなんとかする。今ここで正式な書類を用意するから時間をいただくよ」


「感謝します。剣聖様」


 ああ、本当に感謝するよ。剣聖様。

 何の目的があってかは知らないが、交渉相手としてお前が席に座ってくれたことに。

 自尊心の塊である人間は実に動かしやすい。

 ここが戦場であったのなら、ご自慢の剣でどうとでも状況の修正は出来たのだろうけど。

 握っているのが羽根ペンではさすがのイグレッドもどうしようもないだろう。

 そもそも自分が仕出かしたことも気付いていないのだから。

 あの山が俺たちにとってどれだけ重要な意味を持つのか。


「よし、書けた。これであそこは君たちの所有する土地と言っても問題ないよ」


 イグレッドが自分の記した文章の最後にサインをして、さすがに御璽ぎょじではないが、公式に用いる印章を押した。


「これで担保にしていたものは全て返してくれるよね? 事が済んだのなら少し話をさせてくれないかな? 実のところ君を訪ねた理由は他にもあるんだ」


 こちらは十分に必要なものを得られたのだからもう用はない。

 無駄に長居をしないで早く帰ってくれないだろうか。


「あの……私からいいですか?」


 だが次の話題に移ろうとするイグレッドに対して口を挟んだのは、下を向いたままのセリアだった。


「どうしたんだい? セリア」


「実は贈り物を用意してきたので、それをお渡ししようかと」


「ああ、そうか。僕としたことが不躾だったね。手土産のひとつも考えてなかったなんて。君のおかげでギリギリ面目を保てたようだ」


 セリアは扉に向かって声をかけると、部下の者が何かを持って部屋に入ってきた。

 手にしているのはクロッシュで蓋をされた大きな皿。

 それをセリアに手渡すと、すぐに退室していく。


「む? 中から甘い匂いが。気が利くではないか。我は菓子の類には目がないのだ」


 犬かよ、お前は。

 頼むからこれ以上はしたないことはやめてくれよ。

 なんて俺の願いも虚しく、テーブルの上に皿が置かれた途端にスクレナは勝手に蓋を開ける。

 その下から現れたのはホールケーキだった。

 ただし少しの果物が盛り付けられただけで、クリームが一切塗られていない飾り気のないものだ。


「僕が言える立場ではないけどさ、どうせならもっとマシなのにすればよかったのに」


「ごめんなさい。ですが早めに召し上がってくださいね。出来れば今日――」


 セリアの言葉の途中で、一瞬にしてテーブルの上からケーキが消えた。

 次の瞬間には横から大きな音が聞こえ、俺以外の3人は反射的に注目する。

 そこには爆ぜて壁にへばりつくケーキであったもの。

 その下の床には割れた皿の破片が飛び散っていた。


「なんのつもりだよ……お前」


 勢いよく手で払い除け、贈り物を台無しにしたのはこの俺だった。

 怒気のこもった冷ややかな声に、セリアは顔をこわばらせる。

 だけど俺にこんな感情を湧かせ、それを向けられる理由が目の前の女にはあるはずだ。

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