緑人鬼の襲来

桑昌実

 収穫祭を終え、ふたたび日常に戻ったはずの『追い剥ぎの町』はしかし、騒然としていた。

 奴隷商人ダミタルの首が、城壁の外にさらされていたのだ。その家族も行方をくらませている。

 町雀たちは、彼の物故を惜しみこそしなかったが、兇漢がいまだ天下を往来していることには不安の念をあらわした。一方、陰謀に関わった者たちは、ひそやかな安堵あんどのため息をもらした。ダミタルの死によって、町を二分する争いに決着がもたらされたからだ。

 そしてまた、すでに実行犯ジフィトーが捕らえられたことを知る者もごくわずかにいた。



 ジフィトーと名乗る男は、貴族の屋敷にしては質素な執務室に通された。

 鼻梁びりょうを横切るように、古傷の跡がある。口ひげも、頭頂部近くまで禿げ上がっている髪も半白髪しらがだった。彫りが深く、落ちくぼんだ眼は湖水のような静けさをはらみ、なにを考えているのかを悟らせない。

 ガラスの張られた大きな窓を背にして、重厚な執務机のむこうに、彼の身元引受人となった貴族、ボワダンが座っていた。

「お目にかかれて重畳ちょうじょうです、バロシャム男爵」

 ボワダンは机の上に身を乗り出して手をさし出した。

 ジフィトー、改めバロシャムは、本名をいい当てられたことに驚きもせず、ボワダンの手を握り返した。

「こちらこそ、ボワダン将軍閣下。というより、お久しぶりと申すべきかな」

「将軍はおよしなさい。いまでは痛風がひどくてねえ、馬にも乗れないありさまですよ」

 元将軍は小太りで背が低く、風采ふうさいの上がらない印象だったが、飄々ひょうひょうとして滑稽こっけい味を含んだ表情に、親しみやすさがあった。バロシャムと同様、口ひげをたくわえている。年のころはひと回り上といったところだ。

 ふたりはしばし、思い出話に花を咲かせた。国は以前、いつ国の脅威に抗するべくろう国と同盟を結んだことがある。ボワダンはそのときにバロシャムの知己を得たものらしい。

 収穫祭へおもむいた折に、闘技場でバロシャムを見かけた、と彼は語った。思うところあって、居どころを調べさせようとした矢先にこの事件だ、という。

「このたびはけいもとんだことに巻き込まれたようですな」

 いかにも身を案じるような顔でボワダンはいった。真意をはかりかね、バロシャムは黙って苦笑を浮かべた。

 ここへ連行されたということは、ボワダンは町の治安を守る責任者なのかもしれない。それどころか、ダミタル側の人間という可能性さえある。いま、バロシャムの生殺与奪の権は、彼の手に握られているといってもよかった。

「まあ、その件はよろしい。さいわい、卿が関わっていることを知る者も少ない。今日お招きしたのは、別のお話でして」

 バロシャムの考えを知ってか知らずか、彼は告げた。

「わがあるじに、卿を推挙したいのです」

 ボワダンの主君に仕えないか、ということである。

 そう申し出るからには、現在バロシャムが領地を持たない漂白の身であると、知っているか、少なくともそう考えている。また、身柄を引き受ける過程で、ジフィトーという偽名も耳に入っているに違いない。

 かつては爵位までたまわった人間が、故国を離れ、本名を隠して放浪する。示すところはつまり、不名誉な経緯があるということだ。それを踏まえての申し出である。そこまで彼のことを買っているのだろうか。

 しかしバロシャムは、

「身に余るお話ですが、お受けできません。ご容赦を」と、率直かつ丁重に、辞退した。

 ボワダンは眉を上げたものの、「卿が望まないのであればしかたがない」とあっさり引き下がり、

「そのかわりといってはなんですが、ひとつお力をお貸し願えませんかな」

 と、いかにもきゅうした声色で切り出したところを見ると、むしろこちらが本題だったのかもしれない。

 彼の依頼は、緑人鬼りょくじんきよう撃戦に参加することだった。

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