第二十五話・9

 やっぱり楓にとっては、理恵ちゃんみたいなおしとやかなタイプが好みなのかな。

 楓のなにやら落ち着かない様子を見てそう思えてしまう。


「まだ着替えるのはダメだよ。楓君のサイズは、なかなか合わせにくいんだから」

「気持ちはわかるけど……。なんかスースーして落ち着かないんだ」


 楓は、スカートの裾を指で摘んでそう言う。


「まぁ、スカートはね。男の子が穿くようなものじゃないからね」


 理恵ちゃんは、いかにも楽しそうにそう言った。

 楓にとって、その衣装を着続けるのは、ちょっと苦痛なのかもしれない。

 それでも理恵ちゃんの言うことをきくのは、楓なりに気を遣っているんだろう。


「それ以前に、この衣装はちょっと……」

「もう少しだけ待ってね。次の新しい衣装の参考にしたいから」

「うん」


 楓は、渋々といった感じで頷く。

 花音が見たら、きっと違う意味で新たな世界の扉が開いてしまうだろう。

 私は、黙って楓のことを見守っていた。


「理恵ちゃんの衣装のセンスは確かなものだから。安心していいよ」

「………」


 私の言葉に、楓は哀しげというかなんというか微妙な表情になる。

 なにかを訴えてくるような眼差しでこちらを見てきたが、見なかったことにしておこう。

 楓には、理恵ちゃんの作った衣装をもっと着てほしいし。


「あたしはわりと気に入っているよ。理恵の作った衣装はね。全然キツくないし」


 奈緒ちゃんは、スカートの裾を指で摘んでそう言った。

 まだ楓がいるというのに、その無防備なところは奈緒ちゃんらしい。

 楓になら、見られてしまっても大丈夫っていう意味なんだろう。

 理恵ちゃんには、恥じらいがあるっていうのに。

 採寸はちゃんと理解しているみたいだから、キツいわけがない。

 しかし、不満がある人は少なからずいるわけで──


「スパッツを穿かせてくれないのは、ちょっと嫌だけどね。それ以外としては、完璧だよ」

「やっぱりスパッツは必要?」

「まぁ、それはね。下着だと安心してドラムを叩けないし……」

「わたしとしては、可愛いと思うんだけど……」

「可愛いだけじゃ、恥ずかしさを克服できないんだよ。理恵」

「そういうものなんだ。それなら、なにか対策を考えておくね」

「うん。お願い」


 ドラム担当の美沙としては、スカートを穿いた状態でドラムを叩くのは、ちょっとした勇気がいるらしい。

 まぁ、どうしてもガニ股になっちゃうもんね。

 美沙ちゃんにとっては、その辺りの配慮も必要にはなってくるか。

 理恵ちゃんは、どんな風に考えているんだろう。

 美沙ちゃんとは幼馴染みたいだから、それなりには考えていると思うけど。

 こんな時、私にはなにも言えないのが、ちょっともどかしかったりする。

 理恵ちゃんなら、なんとかするだろうとは思うが。

 楓がお手洗いに行ったタイミングで、理恵ちゃんは口を開く。


「楓君は、やっぱりストッキングの方がいいのかな?」

「いきなりなんの話? 次の衣装のこと?」


 私は、思案げに首を傾げてそう訊いていた。

 理恵ちゃんは、当然のことのように答える。


「そうなるのかな。香奈ちゃん的には、どう思う? 楓君の女装姿は、かなりグッとくるよね?」

「まぁ、よく似合っているとは思うけど……」


 たしかに楓の女装姿はよく似合ってはいるが、楓がいる前でそんなこと言いたくはない。

 もしかしたら、楓が傷つくかもしれないし。


「それなら、これなんかはよく似合いそうなんだけど。…どうかな?」


 そう言って、理恵ちゃんは衣装のスケッチを私に見せてきた。

 これには、私だけじゃなく、奈緒ちゃんや美沙ちゃんも確認のために見にくる。


「どれどれ……」

「ちょっと拝見っと……」


 興味津々といったところなんだろうけど、スケッチに描かれた衣装は、とてもじゃないけど楓に着せていいものじゃない。

 白黒なんで判断できかねるところはあるが、フリルの付いたスカートといい、上の洋服といい、これはほぼコスプレの領域だ。

 ステージ衣装とは、ちょっとかけ離れたものである。

 私は、思わず口を開いた。


「理恵ちゃん。これって、まさか……」

「うん。次のステージ衣装かな」


 もう次のステージ衣装を描いてたんだ。

 私からしたら、すべてが初耳なんだけど。

 美沙ちゃんと奈緒ちゃんは、あまりのことになんとも言えない様子だった。

 さすがに男の子にこんなものを着せるのに、抵抗があるみたいだ。


「そ、そうなんだ。まだ配色とか、決まっていなさそうだけど……。大丈夫なの?」

「それについては大丈夫。もう決めてあるんだ」


 意気揚々としてそう言う理恵ちゃんに、私はなんとも言えなかった。

 一つだけ気になったのは、楓が着る予定の衣装はどうなったのかについてだ。


「もしかして弟くんだけじゃなく、私たちもそれを着る予定なの?」

「ん~。わたしたちのは、もう少し改良の余地があるかも」

「そうなんだ。その割には、弟くんに着せる衣装には、ずいぶんと力を入れているような」

「うん! 楓君の女装姿は、わたしの創作意欲を湧き立たせるのよね」

「そんなものなんだ……。心なしか、私たちの衣装にも影響がきてるような……」


 理恵ちゃんのスケッチに描かれた衣装の絵は一枚じゃない。

 何枚か見せてもらっているが、楓に見せたものだけかなり凝ったものになっている。

 なにか狙いがあるのかな。


「それは、まぁ……。わたしたちも着る予定のあるものだからね。それなりにお洒落で凝ったものを着たいじゃない」

「私たちのは、『ついで』なんだ……」


 これ以上は、さすがの私も言えなかった。

 お裁縫が得意な理恵ちゃんに対しては、誰もなにも言えないのはいつものことだ。

 文句なんてあるわけがないのだから。

 そして、何事もなく楓がお手洗いから戻ってきたことについては、みんな少しだけ驚いていた。


「ねぇ、弟くん」

「なに?」

「お手洗いに行ってたんだよね?」

「そうだけど。なにかあった?」

「ううん。なにもないよ。ただちょっと──」


 私にも、うまく表現できない。

 スカートのままお手洗いに行ったってことは、つまりは──

 私は、まじまじと楓の顔を見る。


「だ、大丈夫だよ。衣装は汚していないから」


 楓は、なにかを悟ったのか慌てた様子で言う。


「そっちの心配はしてないから大丈夫だよ」


 なにもなかったというのは、楓の態度からしてよくわかる。

 ライブの時に着る衣装って、大抵の場合は一回着たらもう着なくなることが多いんだよね。

 だけど、なんとなく大切にしておくのは、次のライブのためだろう。

 もう着ないと言ってて、また着る可能性があるからだ。

 楓に対しては、なんだか申し訳ないな。

 本来なら、女装させる意味なんてないのに。

 半分は理恵ちゃんたちの趣味みたいなものだろう。

 一体、いつまで続くのやら。

 私は、不安そうにしている楓を黙って見守っていた。

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