第二十五話・7

 まさか家に帰るまでこのままの格好だなんて思いもしなかった。

 ただでさえ、こんなゴスロリ風の黒を基調としたステージ衣装はヒラヒラしてて動きづらいのに……。


「はやく行こう、楓」

「うん」


 僕のことをわざとそう呼んで、まわりの人たちに『女の子』だという認識を持たせたいのだろう。

 香奈姉ちゃんは、僕の手を握り、普通に歩くくらいの速度で街の中を歩いていく。

 やっぱりこんな服装で歩くには、とても違和感がある。


「あたしたち、完全に見られてるよね?」


 奈緒さんが、まずその感想を漏らす。

 次に言い出したのは、美沙先輩だった。


「なんか、まわりの人の視線が痛いかも……」

「いくらなんでも無理があると思うよ」


 理恵先輩も、恥ずかしいのか美沙先輩にくっついて一緒に歩いている。

 とりあえず、途中にある公園まで我慢だ。


「仕方ないじゃない。着替える場所がなかったんだから……」


 香奈姉ちゃんは、わざとらしくそう言った。

 それは絶対に嘘だ。

 僕が人前に出ても緊張しないようにするために、そうしたんだろう。

 巡回中の警察官がいないことが、まだ救いだが……。

 どちらにしても、はやく公園に向かった方がいいんだろうな。この場合──


「とりあえず公園に向かった方がいいかもね。そこでなら、着替えもできるかも──」


 僕は、そう提案してみる。

 香奈姉ちゃんがそれを許してくれるかどうかわからないが……。

 香奈姉ちゃん自身、訝しげな表情で僕を睨んでくる。


「ダメだよ、弟くん。せっかくその服装で歩いているんだから、楽しまなくちゃ」


 やっぱり、そう言ってくるとは思っていた。

 それだけなら、よかったんだけど……。


「そうそう。いくら女装するのが嫌だからって、公園に行くのは、ちょっと許せないかな」

「せっかく似合っているのに、脱いじゃうの? わたしとしては、次の衣装の参考にしたいから、そのままでいてほしいな……」


 なんと理恵先輩もそう言っていた。

 似合っているって言われても、あんまり嬉しくはない。

 でも、先輩たちにそう言われてしまったら、そうせざるを得ないわけで……。


「わかったよ。でも派手なことは控えてくださいね。僕にも、無理なことがありますから」

「うん。気をつけるね」

「わかってるって。そこは、私たちがちゃんとエスコートしてあげるから、安心していいよ」


 美沙先輩は、そう言って僕の手を握ってくる。

 しかし、それを許さないのが香奈姉ちゃんだ。


「こら! ちゃっかり抜け駆けするのはダメだよ! そんなことをするなら、私だって──」

「香奈の場合は、いつも楓君を独占してるんだし。このくらいは、いいんじゃない?」

「むぅ……。奈緒ちゃんだって……。私の見てないところで、スキンシップを図ったりしてるじゃない」


 香奈姉ちゃんは、ムッとした表情で言う。

 奈緒さんは、ちょっとだけ驚いたような表情を見せてから、香奈姉ちゃんから視線を逸らす。


「それは、まぁ……。あたしだって、一応ね」

「奈緒ちゃんの気持ちは、なんとなくわかるなぁ。私だって、楓君と2人っきりなら、ついつい色んなことをやってしまいそうだし」


 あろうことか美沙先輩は、そう言っていた。

 さりげなくアプローチをしてきていたから、なんとなくはわかる。

 たぶん、理恵先輩もそうなんだろうな。


「わたしも、美沙ちゃんや奈緒ちゃんには負けないよ」


 やはりというべきか理恵先輩は、僕のもう片方の手を握ってくる。

 まさに両手に花の状態だけど、嬉しくないのは、きっと香奈姉ちゃんと奈緒さんが原因だろう。

 さて。どうしたものかな。

 そう悩んでいると、香奈姉ちゃんはいかにも不満そうな顔で言ってくる。


「弟くんは、なんで喜んでいるのかな?」

「いや……。喜んでは……」

「ふ~ん。そのわりには、やけに顔が赤いけど……。それは、気のせいなのかな?」

「それは、まぁ……。いきなり触れられたら、誰でもそうなるっていうか……」


 僕は、なんて言えばいいのかわからず、完全にしどろもどろになってしまう。

 香奈姉ちゃんのやきもち妬きが、こんなところでも発揮してしまうとは……。

 これじゃ、なにを言っても言い訳にしかならないじゃないか。


「なるほどねぇ。弟くんは、そうされたら嬉しい、と」


 香奈姉ちゃんは、そう言いながらメモを取っていた。

 メモ帳なんて、一体どこから出したんだろうか。


「ちょっと、香奈姉ちゃん? なんでメモなんか取ってるの?」

「ん? なにかの参考になるかなって思って」

「なんの参考にもならないよ。頼むからやめて──」


 やめてほしいって言うつもりだったが、美沙先輩たちがそれを止めてくる。


「少しくらい、いいじゃない。楓君だって、まんざらでもないみたいだし」

「えっ……。でも……」

「こういうのは、素直じゃないとダメなんだからね」


 そう言って、奈緒さんは僕のことを優しく抱きしめてきた。

 どうやら彼女たちにとっては、場所なんかは関係ないみたいだ。


「そこまで言われたら……。僕も、みんなのことが大切だと思うから」

「うん。弟くんなら、そう言ってくれると思っていたよ」

「楓君は、私たちの大事な『弟』なんだから。私たち以外の女の子を好きになっちゃダメなんだからね!」

「それは、さすがに……。恋愛の自由くらいはあっても──」

「もしかして、他に好きな人がいたりするの?」


 そんなことを訊いてくる香奈姉ちゃんは、なぜだか悲しげな表情だった。

 それって重要なことなのかな。

 個人的なことなのに……。

 だけど、いないっていう事実は変わらない。


「いないけど……」

「なら安心かな。私個人としては、弟くんのお世話をしたいから」

「ずる~い! 私だって同じだよ!」


 美沙先輩は、ムキになってそう言う。

 ギュッと抱きついてくる美沙先輩は、いつもよりかずいぶんと可愛らしい。

 これには奈緒さんや理恵先輩も黙ってはいられなかったみたいだ。


「あたしだって美沙と同じ気持ちなんだから……。楓君は、しっかりとついてこないとダメだからね」

「そうだよ。わたしたちにとっても、楓君は大事な『弟』なんだから。その辺をちゃんと理解してもらわないと」

「『弟』なんだ……。それなら普通に恋愛をしたって自由かと……」

「なにか言った?」

「いえ……。別に……」


 そう訊いてくる香奈姉ちゃんが、さりげなく怖いな。

 香奈姉ちゃんは、あくまでも笑顔だ。

 その笑顔が本物であるのかどうかは、僕には判断がつかない。

 ここは慎重になって香奈姉ちゃんたちを見守るしかないか。

 僕は、そんなことを考えながら公園へと向かって歩いていた。

 もちろん、みんなと一緒にだ。

 いい加減、女装姿で歩かせるのはやめてほしい。

 ただでさえ、まわりの人たちの視線が痛いのに──

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