第二十話・8

 奈緒ちゃんは、うまくチョコレートを渡せたかな。

 わざわざ私に、『楓君を貸して』と頼んできたくらいだからな。きっと、うまくやっているだろう。


「信頼してるからね。奈緒ちゃん……」


 私は、生徒会においての書類の整理などをやりながらそう言っていた。

 今日は、奈緒ちゃんに気を利かせて、楓と二人きりになれるようにしたけど大丈夫かな。

 まさかエッチなことはしていないよね。

 そこまでいくと、不純異性交遊になっちゃうだろうし。

 真面目な奈緒ちゃんの性格を考えたら、そんなことはしないか。

 もし万が一にでもそんなことをしていたら──。

 あんまり想像したくない。

 だけど──。

 もう一回、楓とスキンシップを図る必要があるな。


「そういえば、しばらく弟くんとエッチなことをしてなかったな。今日のライブが終わった後にでも、私の家に招いてやってみようかな」


 そんなことを自分で言ってしまう辺り、私は欲求不満なんだろうか。

 ──いけない。

 今は、生徒会のお仕事をやらないと。


「いけない、いけない。私がこんなんじゃ、弟くんとスキンシップをする以前の話だよ。真面目にやらないと──」


 私は、ぶんぶんと首を振って雑念を振り払う。

 しかし、誰が聞き耳を立てているのかホントわからないものだ。

 一人の女子生徒が、さも不機嫌そうに訊いてきた。


「なにをやるつもりなの?」

「え?」


 私は、驚いたように声がした方に視線を向ける。

 そこにいたのは、古賀千聖だった。


「古賀さん? どうしてここに?」


 なんで彼女が生徒会室に?

 不思議には思ったが、彼女は女子校の生徒だったのを思い出した。

 楓のバイト先の同僚なのは知ってはいたけど。


「そんなことはどうでもいいでしょ! 楓君と何をやるつもりなのか聞いてるの! 西田先輩は、楓君とどんな関係なのよ?」

「えっと……。今のは──。愚痴みたいなもので……。深い意味は……」

「誤魔化さないで! 楓君と何をやるの? スキンシップって、何?」

「それは……」


 そこまで聞かれていたとは……。

 古賀さんには悪いけど、本当のことを言うわけにはいかない。


「ここじゃ言えないことなの? だったら、場所を変えて話そっか?」

「言えないことはないけど……。それって、古賀さんが気にするようなことなの?」

「そうよ。気になるわよ。私だって、楓君のことが好きだし……」


 古賀千聖は、恥ずかしげな表情で体をもじもじとさせながらそう言っていた。

 こうして見たら、古賀さんは充分に可愛い。

 一体、楓のどこに惚れたんだろう。

 優しいだけの男の子なんて、いくらでもいるというのに……。

 気になった私は、ふと訊いてみる。


「古賀さんは、弟くんのどこを好きになったの?」

「う~ん……。『どこを』って聞かれてもなぁ。敢えて言わせてもらえば、優しいところかな」


 古賀千聖から返ってきた答えは、ありきたりというか定番のものだった。

 たしかに楓は優しいし、気が利くし、料理も得意だ。

 私も料理は得意だけど、楓から聞くことの方が多いから、お姉ちゃんとしての威厳がたまに無かったりする。

 でも楓は、そんな私のことを『香奈姉ちゃん』と呼んで慕ってくれるから、地味に嬉しかったり。

 ホントは、二人きりの時は『香奈』って呼んでほしいけど、楓にとっては色々と難しいのかもしれない。


「優しい男の子なら、他にもたくさんいると思うけど……」


 私が率直にそう言うと、古賀千聖はなぜかムッとした表情を浮かべる。


「たしかにいますね。でも親身になってくれる人は、そんなにいないです。みんな下心のある男の人ばっかりで──」

「親身に…ねぇ。私には、そんなことなかったりするんだよなぁ」

「そりゃ、西田先輩は私や楓君よりも一つ年上だから、変な相談事なんてできないでしょ」

「そんなものなの?」

「普通はそうですよ」

「なるほど」


 私は、納得したような表情でそう言っていた。

 心の底では、納得なんてしていなかったけど。

 一つ年上というだけで、そんなに聞きにくいものなのか。

『お姉ちゃん』というのも、なかなか大変だな。

 もしかして、花音もそうなのかな?

 私に、相談したいこととかってあるんだろうか。

 普段の花音の態度からして、それはなさそうだけど。


「とにかく。私は、今日という日を逃したりなんて絶対にしないんだから! だからこそ楓君に──」


 古賀千聖は、何かしらの意気込みを見せてそう言っていた。

 たしかにバレンタインデーという日に本命チョコを渡しそびれるのは、恋する女の子としてはトラウマ級の失敗談になりかねない。

 かくいう私も、楓に渡すチョコレートは用意しているし。


「うん。まぁ、渡せるといいね」

「先輩に言われなくても、渡すつもりだよ」


 そう言ってくる古賀千聖には、余裕すらみせている。

 その余裕はどこからくるものなのかわからないけど。

 とりあえず、生徒会のお仕事は無事に終わりそうだ。

 私は、プリントの束を机にトントンと軽く叩いてまとめ、バインダーの中に仕舞う。

 これで次の生徒会長にも、問題なく仕事がまわせそうだ。

 ちなみに次の生徒会長は、私ではない。

 私が生徒会長になる事態には、ならなかった。

 これも宮繁先輩が、不承不承ではあるが後任を見つけてくれたおかげでもある。

 ──とにかく。

 これで私も、楓のいるであろうところに行ける。


「そうなの。頑張ってね。それじゃ、私はもう帰るね」


 私は、手近にあった鞄を掴んで、そのまま生徒会室を後にしようとした。しかし──


「ちょっと待ってよ」


 そう言って私の腕を掴んで引き止めにきたのは、どういうつもりだろうか。


「まだ何かあるのかな?」


 私は、あくまでもつくり笑顔でそう言っていた。

 正直言って、私ができるようなことは何もないかと思うんだけど。


「もしよかったら、西田先輩にお願いできるかな?」

「お願いって、何を?」

「私からのチョコレートを、西田先輩が楓君に渡すの。…ダメかな?」


 何をお願いするかと思いきや、そんなことなのか。

 そういうのは、自分で直接相手に渡すのが筋道だと思う。


「そういうのって、自分で渡した方が良くない? 後々面倒なことも起きないと思うし──」

「う~ん……。そうだけど……」


 きっと、今日のライブが終わってから渡せるかどうか不安になったんだろう。

 時間も時間だし。


「自分の気持ちに間違いがないのなら、勇気を持って渡してみるのが大事だと思うよ」

「勇気…か。西田先輩に言われたら、やってみようって気持ちになれるな。…ありがとう。そうしてみるね」


 古賀千聖は、そう言うと笑顔を浮かべていた。

 私にも、そんな勇気があれば……。

 ううん……。

 ダメダメ。

 渡す前からそんな弱気じゃ。

 私だって、勇気を持って渡さなければ。

 せっかくのバレンタインデーが台無しになってしまう。

 今日のライブの後に渡せば、なにも問題ないはず。

 奈緒ちゃんは、ちゃんと渡せたのかな。

 私は、素直に渡せるだろうか。

 バレンタインデーという日に躊躇いというのは、許されないものだと、古賀千聖を見てそう思うのだった。

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