第十九話・12
家に帰ると、さっそく花音と出会してしまう。
自分の部屋に向かう途中の階段の前に立っていたのだから、避けようがないのだけど。
花音は私の姿を見るやいなや、なぜか不機嫌な様子になって口を開く。
「お姉ちゃん。今日は、ライブだったんだよね?」
「そうだけど。…どうかしたの?」
「別に……。ただ、うまくいったのかなって……。楓は……」
花音にとっては、ライブそのものではなく、楓の女装がうまくいったのかが気になるみたいだ。
そんなこと気にしたって、しょうがないと思うんだけど。
だからといって何も話さなかったら後でしつこいので、テキトーに言っておこう。
「楓は、うまくやってくれたよ。花音が心配するような事は、何もなかったよ」
「そうなの? てっきり失敗しちゃって、今頃、部屋で塞ぎ込んでるんじゃないかなって──」
たしかに花音の言うとおり、多少のトラブルには見舞われたかもしれないが、それはなんとか乗り切ってくれたし。
なにより、ライブがうまくいったのだから、むしろ良かったのではないかと思う。
そのことも含めて、後で楓の家に行ってみようかと──
「楓に限ってそんなことはないよ」
「そうかなぁ。内心では、結構ショックを受けたんじゃないのかな? よくわからないけど……」
花音は、神妙な面持ちでそう言った。
いやいや。失敗したっていうことはないでしょ。
楓だって、満ち足りた表情をしていたし。
私は、何事もなかったかのように階段に一歩だけ足を乗せる。
「大丈夫だよ。楓だって、私たちのバンドの大切なメンバーなんだし。ショックを受けたのなら、まず私に言ってくるはず──」
その言葉と同じタイミングで、メールの着信音が鳴った。
私は、すぐにスカートのポケットの中からスマホを取り出す。
入ってきたメールを確認すると──
『どうしよう。兄貴に女装が見られちゃった……』
そんな内容だった。
あらまぁ。
隆一さんに見られてしまったか。
楓の女装姿は可愛いからね。
もしかしたら、楓と気づかずに口説きにいってるかもしれないかも。
楓の部屋に行くと、ずいぶんと気落ちした様子の楓が女装姿のままで座っていた。
しかも部屋の隅っこにだ。
「大丈夫、弟くん? 女装姿を見られたって書いてあったけど……」
私は、本気で楓のことが心配でそう声をかけた。
悪いことをしていたわけでもないのに体育座りをしていたら、心配にもなる。
しかし、そんな姿も普通に見たら『女の子』のそれにしか見えない。
楓は、今にも泣きそうな顔でこちらを見てくる。
「香奈姉ちゃん……」
こんな時、なんて声をかけてあげればいいかわからない。
だけど楓に女装を促したのは、まぎれもなく私たちだ。
だからこそ、責任は取らないといけない。
「とりあえず、女装姿はやめにしようか? 話はそれからでも──」
「うん。そうだね……」
楓は、素直に頷くとゆっくりと立ち上がって服を脱ぎ始める。
その立ち振る舞いは、まるで一人の女の子を見てるみたいだった。恥じらいながら服を脱いでいる姿なんて、女の子のそれだ。
そんなことを思うのは、楓に対してすごく悪いんだけど。
私の目からは、そんな風に見えてしまったのだ。
これは、私も手伝わないとダメだろう。
「香奈姉ちゃんは、一旦、部屋から出てくれないかな? 着替えが終わったら、呼ぶから──」
「え、でも……」
「着替えを見られてしまうと、とても恥ずかしいんだ。…お願い」
そんなことお願いされても……。
楓は、乙女じゃないんだから。
そんなツッコミにもなんとか耐える。
「わかった。弟くんがそう言うのなら、私は部屋の外で待ってるよ。着替えが終わったら呼んでね」
私は、そう言うと楓の部屋を後にした。
楓の裸だったら、何度も見てるんだけどな。
何が恥ずかしいんだろう?
まさか女装にハマってしまったとか。
そんなことは、万が一にもないか。
たしかに最近、私とのセックスもほとんどないけど。
そのことが原因でってわけでもないだろうし。
最近の楓の気持ちって、ほとんどわからなくなってるのはたしかだ。
今日からでも、楓の気持ちを知るためにスキンシップをとってみるのもいいかもしれない。
少し時間があるから、準備しておこう。
緊張してるのか、楓は私の方を見て何か言いたそうな表情をしている。
そんなに女装姿を見られたことが、恥ずかしいのかな。
私は、思案げな表情を浮かべ、訊いていた。
「それで? 隆一さんに女装姿を見られたって言ってたけど。…何かあったの?」
「そのことなんだけど……。なんて説明すればいいのか……」
「そんなもったいぶらずに、わかるように言いなさいよ。何があったの?」
「それが……。僕の女装姿を見て、兄貴がおかしくなったんだよ」
「おかしくなったって……。まさか口説きにきたとか?」
まさかね。
口説きにきたっていうのは、さすがにないか。
楓の反応を見るに、そんなことはなさそうだ。
「さすがに口説きにはこなかったけど、なんかフリーズしてたんだよね。まさに嵐の前の静けさって感じで──」
「なるほどね。それで、弟くんも『まずい』と思って、自分の部屋に避難してきたってわけなのか?」
「うん。まぁ、そんなところ。何をしてくるかわからないから、とりあえず自分の部屋に避難して、香奈姉ちゃんにヘルプのメールをっていうところかな」
「それじゃ、これからかな。口説いてきそうなのは──」
私がそう言って納得していると、誰かが部屋のドアをノックしてくる。
誰なのかすぐにわかるのが、なんとも言えないけど。
とりあえず、部屋のドアは開けなかったが、楓が冷静に応対する。
「どうしたの?」
「さっきの女の子だけど、お前の知り合いか? すげー可愛かったんだけど──」
「………」
あまりのことに、楓は絶句してしまう。
それは、私も同じだった。
なんて説明すればいいんだろう。
隆一さんがいう『女の子』の正体は、楓なんだけどな……。
「その女の子なら、もう家に帰っていったよ」
「そうなのかぁ。名前くらいは知りたかったなぁ……」
隆一さんは、ドアの向こうでもわかるくらいに残念そうな声色でそう言っていた。
冗談にしても、他の女の子の名前なんて知りたいものなんだろうか。
だから、隆一さんは恋愛対象にならないんだよな。
浮気癖みたいなのがあるから。
その点、楓は違う。
楓には、一途なところがあるから、他の女の子に気を取られることはない。
なんにせよ、せっかく楓の部屋に来たのだから、それなりのスキンシップはしていくつもりだ。
「話はそれだけ? 夕飯なら作り置きがあるから、温めるだけだよ」
「おう。わかった。ありがとうな」
隆一さんは、そう言って部屋の前から去ったみたいだった。
それからしばらくして──
「ふぅ~」
私と楓は、ほぼ同時に息を吐く。
「よかった……。バレてなくて……」
楓は、安心したのかその場にへたり込んだ。
それもそうだろう。
女装した時の洋服が、まだベッドの上にあるのだから。
「ごめんね、弟くん。今度からは、気をつけるようにしよう」
私は、そう言って楓に寄り添う。
とりあえず、その洋服は楓の部屋には置いておけない。
どこかに隠さないと。
今は楓とのスキンシップよりも、そちらの方が先だ。
私は、考えを巡らせる。
いい隠し場所はないものかな。
結局、楓の女装用の洋服は、私の部屋のタンスの中に隠すことにした。
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