第十八話・3

 楓の家に帰ってきた頃には、時刻はもう15時になっていた。

 私たちが帰ってきても、楓の家には誰もいない。

 楓は、居間の方へと向かうと、さっそく暖房を入れた。


「とりあえず、夕飯の支度をしてから僕の部屋に行こうか?」

「そうだね。私も手伝うよ」

「ありがとう」


 お礼の言葉なんていらないのに。

 私は、ジャケットを脱ぐと台所の近くに掛けてあったエプロンを着用して、服の袖を捲る。

 今日は、何を作るつもりなのか気になるところだけど、下準備くらいはやっておきたいところだ。


「ところで、今日の献立はもう決めてるの?」

「そうだなぁ。体も冷えてしまったことだし、シチューなんてどうだろうか」

「いいね。シチューなら、体も温まりそうだね」

「香奈姉ちゃんがそう言うのなら、決まりだね。今日の夕飯はシチューにしよう」


 楓は、そう言うとさっそく準備に取りかかった。

 私の一声で簡単に決めてしまう辺り、そんな深くは考えていなかったんだろう。

 とにかく。

 シチューを作るのなら、私も手伝わなきゃいけない。

 そう思っていた矢先、家のインターホンが鳴った。

 言うまでもなく楓は、思案げな顔を浮かべている。


「誰だろう?」

「私が出るね」

「うん。お願い」


 どう見ても、楓は今、手が離せる状態にない。

 そう思った私は、そのままの格好で玄関に向かう。


「どちら様……って、美沙ちゃん⁉︎」


 ドアを開けた先に立っていたのは、美沙ちゃんだった。

 しかも、いつもよりもお洒落な格好でやってきている。

 冬とはいえ、それに合わせたコーディネートでそこに立っているのだから、なんとも言えない。

 ──それにしても。

 奈緒ちゃんならともかく、美沙ちゃんが一人で楓の家にやってくるのはめずらしい。

 美沙ちゃんは、私の顔を見ても驚きもせずに微笑を浮かべている。


「やぁ、香奈ちゃん。楓君は、いるかな?」

「楓は、いるけど……。いったい何の用件で──」

「楓君に会いにきた時点で、用件は一つしかないよ」

「え……。それって……」

「私は、楓君をデートに誘いに来たんだよ」


 美沙ちゃんは、私の目の前でとんでもないことを言い出した。

 デートに誘いに来たって……。

 そもそも、楓の許可は得ているんだろうか。

 私は、少しだけ動揺しながら言う。


「へ…へぇ、そうなんだ。か、楓は、『行く』って言うかな?」

「そんなことなら大丈夫だよ。楓君は、私の言うことなら、絶対に聞くはずだから──」

「そうなの?」

「うん。私は、楓君の弱みを握っているからね」

「楓の弱み? それって──」

「それは、香奈ちゃんには言えないな」


 美沙ちゃんは、意地悪そうな笑みをつくり、そう言った。

 私にも言えないほどの楓の弱みって、なんだろう?

 気にはなったけど、美沙ちゃんの口からは、これ以上聞けそうにない。

 美沙ちゃんは、寒いのかその場でもじもじしだす。


「とりあえず、中に入ってもいいかな?」

「あ、うん。どうぞ」


 私は、美沙ちゃんを家の中に招く。

 楓に用件があるみたいだから、私があれこれと何か言うよりも、楓本人に判断してもらった方がいい。

 楓は今、料理中だから。

 美沙ちゃんは、さっそく台所にいる楓に話しかけた。


「やっほー。さっそくデートに誘いに来たよ。楓君」

「え……。美沙先輩。どうして……」


 楓は、案の定というべきか、呆然とした表情になっている。

 そりゃ、いきなり美沙ちゃんが顔を出したら、そんな表情にもなるよね。

 いつそんな約束をしたのかわからないが、あまりにも急すぎるような。


「そんな顔したってダメだよ。今日は、私と付き合ってもらうんだから──」

「気持ちはわかるけど、今は料理中で……」

「料理って、何を作ってるの?」


 美沙ちゃんは、思案げにそう訊いてくる。

 まだ馬鈴薯やにんじん、鶏肉などを鍋の中に入れて煮ている工程みたいなので、何を作ってるのかわからないんだろう。


「シチューだよ。今日は、寒いからね」


 楓は、鍋の中を確認しながら答えた。

 美沙ちゃんは、楓の作ってる料理に興味津々といった様子で、口を開く。


「シチューかぁ。たしかに、それは体が温まるものだね。その──」

「美沙ちゃん? どうしたの?」


 何か言いたげだったのを、私は見逃さなかった。

 もしかして、美沙ちゃんは楓の作る料理を食べに来たんじゃ──

 そのことに楓が気づいたのか、微笑を浮かべて言う。


「もしかして、食べたくなったのかな?」

「うん。楓君の作る料理なら、なんだか美味しそうに見えてきちゃって……。ダメかな?」

「別に構わないよ。結構、多めに作ったから」

「わーい! ありがとう、楓君。それじゃ、夕飯を食べ終わったら、私とデートに行こうね」

「さすがにデートまでは……。今日は、香奈姉ちゃんと一緒なわけだし」

「え~。デートは、ダメなの? 私が誘ってるのに? それなら、言っちゃおうかな。楓君が香奈ちゃんに隠している事を──」


 美沙ちゃんは、すっかりむくれてしまい、そう言った。

 楓が私に隠してる事?

 なんだろう?

 すごく気になるんだけど。


「え……。それは、ちょっと困るっていうか……」


 楓は、いつになく取り乱した様子で美沙ちゃんの方を見ていた。

 だからといって、料理中の手を止めることも目を離すこともできずにあたふたしている。

 楓の素振りを見る限り、やっぱり私に隠してる事があるんだな。

 その隠し事が、楓にとっての弱みであることも事実みたい。

 ホントになんだろう。

 よけいに気になっちゃうよ。

 それで、バンドメンバー内の仲が悪くなってしまっても聞きたいような気がする。


「でしょ~。言われたら困るよね?」

「困るけど。今日は、デートには行けないかな」

「え~。どうしてもダメ?」

「うん。今日だけは、さすがにね」


 楓は、そこだけは頑なに折れようとしない。

 押し切られたら弱いはずなのに……。

 今日は、どうしても無理なんだろう。

 美沙ちゃんに弱みを握られているというのに、聞こうとしないし。

 なんでも言うことを聞くっていっても、限界はあるみたいだ。

 美沙ちゃんも、それはわかっていたんだろう。


「そっか。それなら、仕方ないか。んじゃ、次の日はどう?」

「次の日?」

「うん。次の日。その日なら、楓君も特に予定はないよね?」

「まぁ、次の日なら別に構わないよ」


 美沙ちゃんの提案に、楓はそう答えた。

 それこそ、あっさりとである。


「ホントに? それじゃ、次の日に私とデートしよっか?」

「デートというのは、さすがに……。買い物くらいなら、付き合っても──」

「そういうのを、一般的には『デート』って言うんだよ」


 美沙ちゃんは、笑顔でそう言っていた。

 ダメだ。

 次の日に美沙ちゃんと二人っきりだなんて──。

 何が起こるかわからない。


「美沙ちゃんとデートに行くつもりなら、私も一緒に──」

「香奈ちゃんは、ダメだよ。今日一日、ずっと一緒だったんでしょ?」

「そうだけど。でも私は、楓の恋人だし──」

「恋人でもさ。一日くらい楓君を貸してくれてもいいんじゃないかな? 一人で占有しちゃうのはずるいよ。それに──」

「それに?」

「香奈ちゃんは、楓君の弱みを知りたくないのかな?」

「それは……。知りたいけど……」

「だったら、今回はいいよね?」


 美沙ちゃんは、意味ありげな笑みを浮かべる。

 その顔を見れば、『私に任せて』と言っているのがすぐにわかるくらいだ。

 仕方なく私は──


「そういうことなら。だけど、くれぐれもエッチなことだけはしないでね」

「うん! もちろん」


 美沙ちゃんは、そう言って私にウィンクする。

 なんだか、私だけが知らないみたいだ。

 奈緒ちゃんとかは、知ってるのかな?

 楓の弱みを──


「僕の弱みって……。美沙先輩には、そんなもの見せてないんだけどなぁ……」


 楓は、ボソリとそう言っていた。

 楓の言動からは、あきらかに弱みがあるって言う感じだ。

 ほとんど一緒にいるっていうのに、楓の弱みがわからないなんて……。

 恋人失格なのかな。

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