第十七話・14

 彼の家に泊まっていくにあたってまずやるべき事は、あたしの家に連絡を入れることだ。


『今日は、友達の家に泊まります。心配しないでください』


 電話にしようと思ったのだが、口頭で伝えるとなんとなく反対されると思ったのでメールにした。

 あたしの両親は、そこまで厳しい人じゃない。

 一言でもいいから連絡を入れておいたら、それでオッケーなのだ。

 かといって、放任主義ってわけでもないのだけど。


「ねぇ、奈緒ちゃん。お風呂入るでしょ?」


 香奈は、こちらにやってきてそう訊いてくる。


「え、あの……。えっと……」


 あたしは、なんて答えればいいのかわからず、ジッと香奈のことを見ていた。

 彼の家にお泊まりするだけでも申し訳ない気持ちでいっぱいなのに、お風呂って……。


「楓の家だからって、遠慮する必要はないんだからね。なんだったら、楓が入っている時に突撃するのもアリだよ」

「それは、さすがに……」

「まぁ、奈緒ちゃんにはできないよね。ごめん……」

「別に謝らなくてもいいよ。お風呂はいただくけど……」


 あたしは微笑を浮かべ、そう言った。

 さすがに、彼と一緒にお風呂に入るのはまだ早いというか。恥ずかしいというか……。


「今、楓がお風呂に入っているから、チャンスだよね。どうしようかなぁ」


 香奈は、彼が入っているお風呂場に行こうかどうしようか、悩んでいる様子だった。

 本当は行きたいのかな。

 もしかして、あたしがいるから気を遣っているとか。


「あの……。香奈。あたしのことなら、気にしなくても──」

「ねぇ、奈緒ちゃん。せっかくだから、一緒にお風呂に入らない?」


 香奈は、何を思ったのかいきなりそう言ってきた。

 一緒にお風呂に入るくらいなら、別に構わないけど。


「別に構わないけど。急にどうしたの?」

「そういうことなら、構わないよね?」

「え……」


 あたしが何か言う前に、香奈はあたしの手を掴み、そのまま浴室へと向かっていく。

 あたしは、慌てて口を開いた。


「ちょっと……⁉︎ 何をするつもりなの?」

「そんなの、決まっているでしょ。一緒にお風呂に入るんだよ」

「いや、だって……。今、楓君がお風呂に入っているよね?」

「うん。入っているよ」


 香奈は、笑顔を浮かべてそう言う。

 もう彼のところに踏み込む気マンマンである。


「それだったら、お風呂から上がってくるまで待った方がいいんじゃ──」

「ダメだよ、それだと──。楓をびっくりさせることができなくなるじゃない」

「別にびっくりさせようとか、そんなつもりは……。あたしは、ただ──」


 彼にも、一人になりたいときがあるんじゃないかと思って言ったんだけど。

 この場合は、香奈が彼と一緒に入りたいってだけのことなのかもしれない。


「大丈夫だよ。楓なら、きっと湯船の中でゆっくりしていると思うし。私たちが入っていったって、嫌がったりはしないよ」

「だけど……」

「奈緒ちゃんだって、楓と一緒にお風呂に入りたいでしょ?」

「あたしは……」

「遠慮しなくてもいいんだよ。私には、ちゃんとわかっているから」


 香奈は、屈託のない笑顔でそう言った。

 いや。さすがに彼と一緒にお風呂に入るのは……。

 まずいというか。

 だけど、そんな事とはお構いなしに香奈はあたしの手を引っ張っていく。

 そして、浴室に着くなり彼に声をかけた。


「楓~、湯加減はどう?」

「うん。ちょうどいいよ」

「そっか」


 彼からの返答を聞くと、香奈はなんの躊躇もなく制服を脱ぎ始める。


「奈緒ちゃんも、一緒に入ろ?」


 香奈は、彼には聞こえないようにあたしにそう言った。

 あたしは思わず。


「え……。あたしも入るの?」


 そう訊いてしまう。

 香奈は、当然だと言わんばかりの表情を浮かべて口を開く。


「当たり前だよ。私と一緒に入るんだったら、来てくれないとね」

「う~ん……」


 あたしは、制服を脱いで下着姿になった香奈を見る。

 よくもまぁ、そんな躊躇いもなく彼が入っている最中のお風呂場に行けるもんだな。

 あたしだったら、裸を見せることに対して、無理があるかも。

 香奈は、改めてあたしの手をギュッと握ってきて言ってくる。


「ね。私たちと一緒に入ろう」

「…仕方ないなぁ」


 あたしは、観念したかのように制服を脱ぎ始めた。

 香奈にそんな風に言われたら、断われる気がしない。

 香奈は下着を脱ぐと、近くに置いてあるバスタオルを持ってお風呂場に向かう。


「楓~、入るね」


 その言葉と同時に、ガラス戸を開けた。


「え⁉︎」


 彼は、びっくりした様子で香奈に視線を向ける。

 バスタオルを体に巻いてないから、香奈の裸がバッチリ見えているはずだ。

 全裸なはずなのに、恥ずかしくないのかな?

 そういうあたしも、裸だけど……。

 バスタオルは香奈と同様、近くにあったものを借りた。

 もちろん香奈とは違って、体には巻いたけど……。

 彼は、あたしの姿に気がつくと、慌てた様子で湯船から出ようとする。


「あ……。ちょっとだけ待ってくださいね。すぐに上がるので──」

「何言ってるの。私たちは、一緒に入るためにここに来たんだよ」


 香奈は、さも当然だと言わんばかりにその場に立って、彼にそう言っていた。


「いやいや。さすがに無理があるでしょ。香奈姉ちゃんだけならともかく、奈緒さんまで一緒っていうのはさすがに──」


 彼は、あきらかに取り乱している様子だ。

 問題なのは、あたしがいるからなのか。

 たしかに、あたしがここにいるのは場違いかもしれない。

 香奈は、ムッとした表情を浮かべて言う。


「奈緒ちゃんは、私と一緒に入るためにお風呂場に来てるんだよ。文句を言うのは、お門違いだよ」

「文句じゃないんだけど……。僕はただ──」

「言い訳なんて聞かないよ。これはもう、決定事項みたいなものだから」

「そんな……」


 彼は、香奈のその態度を見て、諦めたかのように湯船の中に戻っていく。

 この場合、あたしはどうしたらいいんだろう。

 香奈は、あたしがその場から逃げ出さないようにするためなのか、笑顔であたしの腕を掴んでくるし。


「そういう事だから、奈緒ちゃん。まずは体から洗っちゃおうか?」

「う、うん」


 あたしは、微苦笑して頷いていた。

 その笑顔が逆に怖いんだけど……。

 彼はというと、最初はあたしたちを見ていたが、巻いていたバスタオルを外した瞬間に視線を逸らし、窓から覗く夜空を見ていた。

 そりゃ、妄想で女の子の裸を見て喜ぶ人はいるけど、実際に女の子の裸を見たら視線を逸らしちゃうよね。

 なんか色んな意味で申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 香奈は、ボディスポンジを石鹸で泡立てると、楓の方を見て言った。


「それじゃ、さっそくだけど、背中から洗ってくれるかな?」

「え……。僕がやるの? 香奈姉ちゃんの背中を?」


 彼は、困惑した様子であたしたちを見ている。

 普通に、女の子の背中を洗えと言われたら、そんな表情になるのも当然かと思うけど……。

 香奈は、当然だと言わんばかりの表情で言葉を返す。


「そんなの当たり前じゃない。一緒にお風呂に入るんだから、このくらいの事はしてくれないと。楓だって、悪い気はしないでしょ?」

「あー、うん……。悪い気は…しないけどさ……」


 彼は、おもむろにあたしの方を見る。

 きっと彼は、あたしに気を遣っているんだろう。

 目を見たらわかる。

 香奈の場合は、姉的存在の幼馴染だから気を許せる間柄なんだろうけど、あたしの場合は、香奈の親友っていうだけだからなぁ。

 彼が、そんな反応になるのもわかる気がする。

 そんな彼に、あたしが言えることは一つだけだ。


「頑張って」

「っ……⁉︎」


 彼は、あたしが微笑を浮かべてそんなことを言うなんて思ってもみなかったらしく、ショックを受けたようだった。

 そんなショックを受けるようなことでもないんだけど。

 まぁ、香奈の体を洗い終わったら、次はあたしの体なんだろうな。

 ここまで来たら、もう諦めるしかない。

 相手が楓君なら、それも別に構わないかな。

 あたしは、香奈の背中を洗っている彼を見て、そう思うのだった。

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