第十七話・12

 やっぱりこの寒さだと、ストッキングが必要なのかな。

 私は、太ももの辺りを手で触れて、脚の温度を確認する。


「冷たっ……」


 脚の温度よりも自分自身の手の冷たさに、思わず声をあげてしまった。

 男子生徒たちが当然のように往来している男子校の校門前で何をやってるんだろうと思ったが、楓がやってくるまでの間、なんとなく退屈だったのだ。

 傍らにいる奈緒ちゃんも、私と同じことをしているし。

 どうやら、奈緒ちゃんもストッキングは穿いていないみたいだ。

 やっぱり、奈緒ちゃんもストッキングは穿かない派なのかな。

 まぁ、ストッキングは伝線したりして面倒が多いから、穿くのはちょっと苦手だったりするんだけど。

 穿いてる女の子は、伝線しないようにするためにどういった工夫をしてるんだろうか。ちょっと気になるな。

 そうして退屈しのぎにスカートやら着崩していた制服などを直して待っていると、楓がやってくる。


「お待たせ、香奈姉ちゃん。それと、奈緒さんも──。こんな寒い中、待たせてしまって」

「ううん。そんなに待ってないから、気にしないで」

「香奈の言うとおりだよ。あたしも、そんなに長い間、待ってたわけじゃないから」

「でも……。寒かったでしょ?」


 楓は、心配そうにそう訊いてきた。

 それを言われると、素直に『寒かった』と言えるけど。

 でも、楓がちゃんと私たちのところにやってきてくれたので、『寒さ』よりも『嬉しさ』の方が上だ。


「大丈夫だよ。弟くんがやってきてくれたおかげで、『寒さ』なんてどこかへ吹っ飛んで行っちゃったよ」

「あたしも、香奈と同じかな。楓君が来たから、『寒さ』なんて感じなくなったよ」

「だったら、いいんだけど……」

「それよりも、はやく帰ろう。今日も、バンドの打ち合わせがあるから──」


 私は、そう言って楓の手を握る。

 楓の手は、とても温かい。

 きっと私の手の冷たさに驚いただろう。


「うん」


 楓は、そのことについて何も言わず、微笑を浮かべて頷いた。


 楓の部屋にやってくるなり、奈緒ちゃんは部屋中を舐め回すように見て、その中に楓が書いただろう音楽のノートを見つける。


「お! 音楽のノート発見。楓君は、どんなのを書いたのかな? さっそく拝見させてもらうね」

「あ……。それは……」


 楓が何か言いかける前に、奈緒ちゃんはノートを開き、中を確認していく。

 もちろん私も興味を持ったんだけど、楓の顔を見ると、とてもじゃないけど奈緒ちゃんのようにはできなかった。

 奈緒ちゃんは、真面目な表情でノートを見る。


「へぇ~。結構、ガチじゃない」

「そうかな? 僕的には、大したものじゃないんだけど……」


 楓は、気恥ずかしそうな態度でそう言った。

 すると奈緒ちゃんは、口元に笑みを作りノートのページを開いていく。


「そんなことないよ。あたしからしたら、こういう風に書けること自体がすごいんだ」

「そうなの?」

「そうだよ。あたしたちだけだったら、どうしても限界があるからね。──香奈も、良かったら見てみなよ」

「どれどれ──」


 私は、奈緒ちゃんに促されるまま、楓の音楽のノートを見てみた。

 そこには、楓が自作しただろうと思われるオリジナルの音楽がきちんと書かれていた。

 パッと見てもよくわからないかもしれないが、これは間違いなく楓が作った曲だ。

 私は、気になって楓に訊いてみる。


「これは、何の曲なの?」

「これは、その……。なんというか……」


 楓は、とても言いにくいのか頬を真っ赤にして私たちから視線を逸らす。

 これはなんとしても、楓から聞き出さないと。


「何なのかな? はっきりと言いなさい」

「ちょっとした趣味みたいなものだよ。特に意味はないよ」

 わ

 これは、楓の趣味なのか。

 だったら、ちょうどいいかもしれない。


「趣味か。まさか楓に、そんな趣味があったなんて思わなかったな。こんな曲を作曲するくらいの能力があるなら、楓にも手伝ってもらおうかな」

「手伝うって、何を?」

「そんなの決まっているじゃない。私たちと一緒に曲を作ってもらうの。…どう? いい考えでしょ?」


 私は、楓の手をギュッと握り、そう言っていた。

 楓は、何かものすごく嫌そうな顔を浮かべる。


「いや、さすがにそれは……。面倒臭そうだし……。遠慮しておこうかな」

「やっぱりね。楓なら、そう言うと思っていたよ」

「うんうん。楓君は、家事とかは万能なくせに、その辺りのことはものぐさだからね。そう言うって、わかってたよ」


 奈緒ちゃんは、優しい眼差しを楓に向けてそう言っていた。

 楓がものぐさなのは、私も初めて聞いたんだけど。

 いつも行動がしっかりしてるから、真面目なんだと思ってた。


「それって……」

「なんて言おうと、楓は私たちのバンドメンバーなんだからね。私たちに黙って作曲してたって怒らないよ。だから私たちの前で、この曲を披露してみなさい」


 私は、音楽のノートに書かれている譜面を楓に見せる。

 私に言われたら、楓なら嫌とは言わないはずだ。しかし──


「そんなこと言われても……。これは、ベースソロで作曲したものだから……」

「そうなの?」

「うん。だから、これを披露するのはちょっと……」


 楓は、そう言って嫌がる素振りを見せた。

 ここまで拒絶されてしまうと、私には何も言えない。


「そっか。そこまで嫌なら仕方ないな。なんの曲なのか興味はあったんだけど……」

「ごめん、香奈姉ちゃん」

「謝る必要はないよ。だけど、今後の私たちのバンドの作曲には、手伝ってもらうから」

「それは、もちろん。手伝うよ」

「ありがとう、楓」


 なんとか楓にも、作曲を手伝ってもらうことだけは了承してもらえた。

 それなら、今後は私の部屋で作曲をした方がいいのかな。

 でも、それだと。

 そんなことを考えていたその傍らで、奈緒ちゃんは音楽のノートを見て、目をキラキラさせていた。


「あたし、やっぱりこの曲に興味あるかも。ちょっと弾いてみてもいいかな?」

「え……」


 私は、思わず呆然となってしまう。

 奈緒ちゃんが弾くの? ギターで?

 楓はなんて言うんだろうか。

 私は、楓の顔を見る。

 楓は、少し悩んだ後、すぐに微笑を浮かべ言った。


「別にいいよ」

「いいの?」

「うん。ちょっと恥ずかしい気もするけど、奈緒さんが興味があるんなら、仕方のないことだし」

「ありがとう」


 奈緒ちゃんは、音楽のノートを抱きしめるかようにギュッと胸元に引き寄せる。

 楓の反応が、私の時と違う。

 私は、ムッとした表情で楓を睨む。


「ちょっと、楓。これは、どういうことかな?」

「どうもしないよ。奈緒さんが興味があるんなら、仕方のないことじゃないか」

「それは、そうだけど……。でもね──」

「それにギターと合わせて弾くと、どうしても…ね」


 楓は、微妙そうな笑みを浮かべてそう言った。

 どうやら楓のノートに書かれている曲には、それなりに難点があるみたいだ。

 表情を見ればわかる。


「──なるほど。ベースに合わせて弾いたら、何かが変わるんだね。…余計に試してみたくなったよ」


 奈緒ちゃんは、ゆっくりと楓のベッドに座ると、肩に担いでいたケースの中からギターを取り出した。

 楓も、それに合わせてベースを手に取る。


「合わせるタイミングは、奈緒さんに任せるからね」

「うん。やってみるね」


 ちなみにベースソロで作った曲なのだから、ギターの演奏になると完全にオリジナルだ。

 奈緒ちゃんは、その意味がわかっているのだろうか。

 ──いや。

 わかっているからこそ、そんなに楽しそうなんだ。


「それじゃ、さっそく──。いくよ」


 楓は、そう言ってベースを弾き始めた。

 言うまでもないが、ベースの音は低音だ。

 しばらく楓が低音の音を弾いていると、タイミングを合わせて奈緒ちゃんがギターを弾き始める。

 少し勝手が違うのか、奈緒ちゃんは少しだけもたつきながら楓の音源に合わせていく。

 楽譜も何もない、奈緒ちゃんだけのオリジナルの曲だ。

 奈緒ちゃんは、どう思っているのだろうか。

 ほとんどがアドリブに近い手探りの状態で、弾くのは辛いんじゃないだろうか。

 しかし、そんな思いも杞憂だったみたいだ。

 奈緒ちゃんは楽しそうにギターを弾いている。

 なんだか、見ていて楓と一緒に楽器を弾いてるのが楽しそうに思えるのは、私だけかな……。

 私は、二人が楽器を弾いているのを黙って見ていただけだった。

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