第十六話・5

 バイト先の喫茶店にて。

 千聖は、僕に会うなり笑顔で近づいてきた。


「この間はありがとう、楓君。おかげで男の人たちからのナンパから、なんとか逃れることができたよ」

「僕は、何もしてないよ。ただ声をかけただけだよ──」

「それでも……。あの時は、ホントに助かったから」


 千聖は、そう言って頬を赤く染めてもじもじとした態度をとる。

 今、仕事中なんだけどな。

 お客さんが大して入っていないから、話しかける暇ができたんだろうけど。


「そんな気にしなくていいよ。僕が、なんとなく気になっただけだから」

「やっぱり気になるものなの?」

「僕が知ってるバイトの後輩が、知らない男の人たちにナンパされていたら、気になってしまうよ」


 あの時は、本当に気になって声をかけてしまったのだが。

 そもそも、僕の知り合いがあんな乱暴なナンパをされていたら、声をかけない方がおかしいだろう。

 千聖は、何を思ったのか意味深な笑みを浮かべる。


「そっかぁ。それなら、また男の人たちにナンパされていたらいいんだね」

「ん? どういうこと?」

「私が男の人たちにナンパされていたら、楓君は声をかけてくれるんでしょ? そしたら、万事解決じゃない」

「いや、それは……。あの時は、ああするしかなくて……」

「うんうん。よくわかっているよ。楓君は、私を助けようとしたんだよね?」

「そうだけど……。あれは、たまたまであって……」


 僕にとっては、偶然、そこに居合わせたのが千聖だったってだけの話なんだけど……。

 千聖の中では、僕はどんな風に脚色されてるんだろうか。

 千聖は、僕にウィンクをして言う。


「だから、またナンパされそうになったら、楓君に連絡するね。それなら、わかりやすいでしょ」

「さすがにそれは──」

「すいませ~ん」


 僕が何かを言いかけたところで、お客さんからの呼び出しが入った。

 注文の呼び出しだろう。


「あそこの席は、私の担当なんだ。そういうことだから、行ってくるね」


 千聖は、そう言い残すと速やかにテーブル席へと向かっていく。


「僕の連絡先…教えたの、失敗だったかな……」


 僕は、ため息を吐いてそう言っていた。

 一応、バイト仲間でもあるからと思い、僕の連絡先を教えたんだけど。

 千聖にとっては、そういう使い方もできるんだな。

 今度から気をつけようっと。


 家に帰ってくると、僕はとりあえず一息吐く。

 どうやら、今日も香奈姉ちゃんは来ているみたいだ。

 玄関にある靴を見れば、すぐにわかる。

 僕は、とりあえず居間の方に向かう。

 居間の方には、誰もいない。


「香奈姉ちゃんは、別室かな? それなら、着替えてからでもいいか」


 独り言のようにそう言うと、僕は二階に上がる。

 兄もいないみたいだから、今日は別室の取り合いは無しだな。

 これなら、安心して別室で練習できる。

 そう思いながら自分の部屋へと向かい、そのままドアを開けた。

 すると、そこには香奈姉ちゃんがいた。しかも、下着姿でだ。

 香奈姉ちゃんは、キョトンとした様子でこちらを見てくる。


「あ……」

「え……」


 僕の方も、あまりのことに呆然となってしまう。

 先に動いたのは、香奈姉ちゃんだった。

 香奈姉ちゃんは、すぐに僕のベッドの上に置かれた自分の着衣を取り、そのまま着用し始める。


「ごめん、楓。楓のお母さんに『ゆっくりしていってね』って言われたものだから、ついくつろいじゃって……」

「ううん。香奈姉ちゃんなら、別に構わないよ」


 僕は、安心して自分の部屋の中に入った。

 ん?

 逆に部屋から出た方がいいのかな?

 僕は、改めて香奈姉ちゃんを見る。

 香奈姉ちゃんは、僕が部屋にいることなんか気にした様子もなく服を着ていた。

 まぁ、香奈姉ちゃんが気にしてないなら、別にいいか。


「どうしたの、楓? 私の体に何かついてる?」


 香奈姉ちゃんは、恥ずかしそうな表情を浮かべ、両手を胸元に添える。

 どうやら、香奈姉ちゃんをまじまじと見過ぎてしまったらしい。

 着替えは終わったみたいだけど、それでも僕に見られてしまうのは恥ずかしいみたいだ。

 仕方ない。

 僕は、すぐに香奈姉ちゃんから視線を逸らす。


「ううん。何もついてないよ。むしろ綺麗だなって……」

「そ、そう……。ありがとう」


 香奈姉ちゃんは、緊張してるのか顔どころか耳まで真っ赤になってるし。

 いつもの褒め言葉なのに、どうしたんだろう。


「ところで、楓。今度の日曜日だけど、何か予定とか入ってる?」

「今度の日曜日? その日は、特に入っていないけど……。どうかしたの?」


 僕は、部屋に掛けられたカレンダーを確認しながら、そう言っていた。

 ちなみに香奈姉ちゃんの言う、日曜日のところには、何も書かれていない。

 つまりは、なんの予定も約束もしていないってことだ。

 香奈姉ちゃんは、嬉しそうに僕に抱きついてくる。


「それならさ。また私と、デートに行こう」

「別に構わないけど……。どこへ行くつもりなの?」

「遊園地なんか、どうかな? あそこはまだ行ったことないでしょ?」

「うん。たしかに行ったことはないけど……」


 そもそも、一人で行くような場所でもないし。

 遊園地なんて、子供連れの家族か、何人かの友人たちを連れて行くような場所だ。

 たしか香奈姉ちゃんも、行ったことはないかと思う。


「それなら、決まりだね。今度の日曜日のデートは、遊園地に行こう。約束だよ」

「うん。約束」

「もし約束を破ったら……。どうなるか、わかってるよね?」

「あまり聞きたくないけど。…どうなるの?」


 僕は、恐る恐る聞いてみる。

 基本的に約束を破るってことはしないけど、もし破ってしまったらどうなるのかくらいは聞いておかないとダメだろう。

 香奈姉ちゃんは、僕のベッドに手を添えて言った。


「もし約束を破ったら、私に対しての反省の証として、私に絶対服従すること。…拒否は絶対に許さないからね」

「わ、わかったよ。とりあえず雨が降らなければ、守れそうな約束だから、安心していいよ」


 僕は、引きつった笑みを浮かべる。

 香奈姉ちゃんに絶対服従っていうのは、ある意味で怖い。

 どんなことを要求してくるのかを考えただけでも、ゾッとする。


「雨…かぁ。それは、考えてなかったな」

「さすがに雨の日の遊園地デートは無理だよ。約束以前の話だよ」

「そうだね。もし雨が降ってたら、私の家で勉強会をしよう。それでいいよね? 楓」

「う、うん。それでいいよ」


 僕は、仕方ないなと思いつつ、そう答えていた。

 どうやら香奈姉ちゃんの中では、一人で過ごすっていう選択肢はないらしい。

 もうわかりきってる事だから、いいんだけどね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る