第十五話・5

 今日も、香奈姉ちゃんはいつもどおりに校門前で待ってるだろうか。

 もし待ってるんだとしたら、早めに行ってあげないと。

 そう思い、僕は鞄を手に持って教室を後にする。

 香奈姉ちゃんを長く待たせると、僕を迎えに男子校の中にまで入ってくるから、それだけは避けないと。

 普段どおりに校門前まで行くと、そこには香奈姉ちゃんと奈緒さんの二人がいて、なにやら談笑していた。

 今、二人に近づいても大丈夫なのかな。

 和やかな雰囲気をぶち壊したりしないだろうか。

 そんなことを思いつつ近づいていくと、奈緒さんがこちらに気づいて、微笑を浮かべる。


「やっと来たね、楓君」

「もう! 来るのが遅いよ! 何をやってたのかな?」


 それとは対照的に、香奈姉ちゃんは不機嫌そうな表情を浮かべていた。

 特に何かをやっていたってわけじゃないんだけど、香奈姉ちゃんが不機嫌そうにしているのを見ていると、なんとなく申し訳ない気持ちになる。


「遅れてごめん。そ、掃除当番だったから、その……」


 僕は、思わずそう言っていた。

 掃除当番だったというのは、もちろん嘘だ。

 ただ単純に、授業が長引いてしまっただけだ。

 正直に説明しても、香奈姉ちゃんは納得してくれないだろう。

 だからこの場合、掃除当番だったという事で納得してもらうしかないと思ったのである。


「そういうことなら、まぁ……。許してあげてもいいけど……」


 香奈姉ちゃんは、仕方ないといった表情でそう言っていた。

 よかった。許してくれたか。


「ありがとう、香奈姉ちゃん」


 僕は、笑顔でそう言っていた。

 なんにせよ、僕のことを待っていたのだ。

 お礼くらいは、言っておかないとね。

 香奈姉ちゃんは、さっそく僕の腕にしがみついてくる。


「許すかわりに、とことん付き合ってもらうんだから。…別にいいよね?」

「いいけど……。どこに行くつもりなの?」


 僕は、腕にしがみついてきた香奈姉ちゃんを見て、戸惑ってしまう。

 付き合ってもらうって、僕をどこにつれていくつもりなんだろうか。

 香奈姉ちゃんは、嬉しそうに腕を引っ張りながら言う。


「それは、着いてからのお楽しみってことで──」

「今日は、あたしも一緒だから、安心していいよ」


 奈緒さんは、フッと笑みを浮かべて僕の肩に手を触れてくる。

 奈緒さんまで、そんな……。

 まぁ、二人が知ってるような場所だから、いかがわしいところじゃないのはたしかなんだろうけど。

 やっぱり気になるな。


 香奈姉ちゃんたちと一緒にやって来たのは、カラオケボックスだった。

 学校帰りに寄っていくのは予想外だったが、香奈姉ちゃんの歌の練習のためだと奈緒さんから聞かされてしまうと、妙に納得してしまう僕がいる。

 ちなみに、今回は美沙先輩と理恵先輩も一緒だ。

 いつもは奈緒さんと香奈姉ちゃんとの三人であちこち行くことが多いんだけど、場所がカラオケボックスだったということもあり、いつものバンドメンバーが揃ったわけである。

 特にもボーカルは、本番に近い形でないと練習にならないからな。

 その点では、カラオケボックスは良い練習場所になるんだろう。

 その証拠に、香奈姉ちゃんは楽しそうに歌っている。

 奈緒さんたちは、香奈姉ちゃんの歌声に聴き入っている様子だし。

 そういえば、三人は歌わないのかな。

 僕は、気になって訊いてみた。


「奈緒さんたちは、歌わないの?」

「あたしたちは…ねぇ。口ずさむ程度でいいかなって……」

「まぁ、基本的に歌唱力はないからね。楽器を弾いていた方が好きなのよね」

「わたしも、同じかな。楽器を弾きながら口ずさむように歌う方が好きかな」


 三人は、一様にしてそう言う。

 そんなものなのかな。

 まぁ、僕も歌唱力に関しては絶望的だから、なんとも言えないんだけど……。


「そうなんだ」

「楓君は? 歌わないの?」

「僕は、どちらかというと音痴だから。歌うのは苦手かな」

「そうなの? 楓君が歌ったところを見たことないから、わからないな。香奈ちゃんが歌い終わったら、試しに歌ってみてよ」


 そう言って美沙先輩は、僕にウィンクする。

 そんなこと言われてもな。

 まだ香奈姉ちゃんが歌っているし。

 次に僕が歌うといっても、何を歌えばいいんだ?

 音痴の僕に歌えというのは、ある意味、晒し者にしてるような気もするんだけど……。


「やめときますよ。香奈姉ちゃんの後っていうのは、さすがに……」

「え~。歌ってくれないの? 私も、歌おうと思ってたのになぁ……」


 美沙先輩にそう言われても、僕の答えは変わりません。


「僕は歌わないので、気になさらずに。せめて、みなさんで楽しんでください」

「え……。楓は歌わないの?」


 そう言ってきたのは、香奈姉ちゃんだった。

 まだ歌ってた最中だったはずだ。

 その証拠に、まだ曲は流れている。

 どうやら、僕と美沙先輩との会話を聞いていたみたいだ。


「香奈姉ちゃん⁉︎ 聞いていたの?」

「そんなことは、どうでもいいでしょ。──楓。歌わないって、ホントのことなの?」


 香奈姉ちゃんは、めずらしく真顔だった。

 そんなときの香奈姉ちゃんに対しては、真剣に答えてあげないとダメだ。


「僕は音痴だからね。みんなを笑わせてしまうのが、関の山だよ」

「何言ってるのよ。歌ってもらわないと困るよ」

「どうして?」

「今度の新曲は、楓にも歌ってもらおうって、みんなで話していたんだからね。…だから、ここで楓の歌唱力を披露してもらわないと、私が困るの!」

「ええ⁉︎ そんな急に言われても、困るよ」


 そんな話は聞いてないし……。

 そもそも新曲って言うのも、初めて聞いたよ。


「言ってなかったっけ? 今度の新曲は、ベース担当である楓にも歌ってもらうって」

「今、初めて聞いたけど……」

「あれ? そうだったっけ? なんか色々とありすぎて、説明し忘れちゃった…のかな?」


 香奈姉ちゃんは、らしくなくそう言った。

 めずらしく困惑してる。

 バンドのことだけならともかく、生徒会の手伝いなんてやってたら、説明の一つや二つ、忘れてしまうよね。

 奈緒さんは、呆れた様子で言う。


「香奈は人が良いから、手伝いとかをやりすぎなんだよ。少しは自重しないと」

「うん……。わかってはいるんだけどね……。宮繁先輩が直接持ってくるから、つい……」


 香奈姉ちゃんは、苦笑いをして言葉を返す。

 宮繁先輩って、この間、男子校にきたちょっとキツめの女子のことかな。

 たしか中野先輩とは、幼馴染だと思ったけど。

 やっぱり中野先輩も、恋愛禁止を守り通しているんだろうか。


「いくら生徒会から頼まれてもね。無理な時は、無理なんだからね。丁重にお断りする勇気も必要だよ」

「そうそう。香奈ちゃんは無理する必要はないんだからね。それにしても宮繁先輩は、香奈ちゃんに任せすぎだよ。いくら成績優秀で真面目だからって、やっていい事とダメなことがあるよ」


 美沙先輩は、ムッとした表情でそう言った。

 たしかに僕もそう思う。

 成績が優秀な人に頼りたいっていう気持ちはわかるんだけど、僕にバンドの新曲の件を説明し忘れるくらい余裕を無くしてるのは、見過ごすことはできない。


「まぁ、頼まれたら嫌とは言えない性格なのは、昔と全然変わらないからいいんだけどね。僕としては、程々にしてほしいような気もするかな」

「わかったよ。今度からは、気をつけるね……」


 僕の言葉に、香奈姉ちゃんはショックを受けたのか落ち込んだ様子で俯いてしまう。

 僕は、香奈姉ちゃんの事を思ってはっきりと言ったんだけど、どうやら逆効果だったみたいだ。

 この時の香奈姉ちゃんは、相当落ち込んでいる。

 だから僕は、取り繕うように微笑を浮かべて言葉を続けた。


「いや、その……。あくまでも、無理しない程度にって意味だよ。全部がダメとは言わないからね」

「うん。わかってる。…ありがとうね」


 香奈姉ちゃんは、そう言うと僕に抱きついてくる。

 いきなり抱きつかれても、僕が困るだけなんだけどな……。

 それでも抱きついてくるってことは、僕のことが好きだから…なのかな。

 きっとそうだ。

 恋人同士なんだし、そうだと信じたい。

 香奈姉ちゃんは、上目遣いで僕を見てきて言ってきた。


「楓は、私のことが心配なんだよね?」

「う、うん。心配だけど……」

「だったら、これから何があっても私とは絶対に別れないって約束してくれる? そうしたら、私も安心なんだけど……」

「そんなことくらいなら、約束できるよ。香奈姉ちゃんとは、ずっと幼馴染関係を続けてきたからね。別れることなんてできないよ」


 僕は、はっきりとそう言う。

 香奈姉ちゃんとは幼馴染で、普通に付き合いも長い。だから、告白に近いことも恥ずかしげもなく言える。

 美沙先輩と理恵先輩が、恥ずかしそうにキャーキャー言ってたのは、聞かなかったことにしておく。

 香奈姉ちゃんは、僕の唇に軽くキスをして言った。


「ありがとう、楓。その言葉を聞けて、私は安心したよ。これで心置きなく、楓にボーカルを任せることができるかな」

「え……。それって……」

「今回の新曲は、主に楓が歌っていくスタイルにしようかと思ってね」

「冗談…だよね?」


 僕は、あまりのことに唖然となり、そう訊き返す。


「冗談なんかじゃないよ。この新曲は、楓のために作った曲なんだから」


 香奈姉ちゃんの言葉に、その場にいた美沙先輩や理恵先輩、奈緒さんが口を開く。


「バンドメンバーなら、当然やってくれるよね?」

「今さら、後には引けないよね」

「楓君なら、やってくれるって信じてるよ」


 ここにいる先輩たちは、なんとしても僕にボーカルをさせたいらしい。

 うちのバンドのボーカルは、リーダーである香奈姉ちゃんだけなのに……。


「そこまで言われてしまったら、しょうがないことなんだろうけど……。香奈姉ちゃんは、何をするつもりなの?」


 僕は、疑問に思いそう訊いていた。

 基本的に、僕が所属してるバンドは、香奈姉ちゃんがボーカルのバンドだ。

 香奈姉ちゃんが歌わないのは、あまりにも不自然だろう。

 香奈姉ちゃんは、微笑を浮かべて答える。


「もちろん、歌うよ。楓と一緒にね」

「僕と一緒にって? それって、まさか……」


 僕は、ベースを弾かないといけないから、歌うと言ったって口ずさむ程度だと思うんだけど……。

 美沙先輩たちの態度を見ていると、どうやら違うらしい。

 香奈姉ちゃんは、頬を赤く染めて、真っ直ぐに僕を見てきた。


「言葉どおりの意味だよ。楓と一緒に歌うの」

「香奈姉ちゃんと一緒に歌うって……。なんかある意味でプレッシャーだな。足を引っ張ったりしないか心配だよ」


 僕は、不安と緊張を孕んだような表情を浮かべて香奈姉ちゃんの顔を見る。

 香奈姉ちゃんは、部屋に置いてあるマイクを手に持ち、そのまま僕に向けてきた。


「だから練習するんじゃない。──ほら、マイクもあるから。練習と思って、何か歌ってみてよ」

「練習…か。そう言われたって、曲を弾いたことはあるけど、歌ったことなんてないしなぁ……」


 僕は、香奈姉ちゃんからマイクを受け取り、歌っても恥ずかしくないような曲を探す。

 ここまできたら、歌わないっていう選択肢はない。


「そんなこと言わずに…ね。お願い」


 香奈姉ちゃんにそんなこと言われてしまったら、嫌とは言えないじゃないか。


「わかったよ。絶対に笑わないでよ」


 僕は、ある曲名を選曲すると意を決して歌い始めた。

 僕は音痴だから、歌いたくないんだよな……。

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