第十一話・2

 いつもどおりにバイトを終えてスタッフルームに戻ると、そこには慎吾がいた。

 慎吾は、ふぅっと一息ついて椅子に座っていた。


「楓か。今日もおつかれー」

「うん。お疲れ様」


 僕は、慎吾を見て安堵の笑みを浮かべる。


「ところで、最近はどうなんだ?」

「どうって?」

「西田先輩とは、うまくいってるのか?」

「も、もちろんうまくいってるよ。それがどうかしたの?」

「…てことは、もう抱いたってことでいいんだよな?」


 慎吾は、ニヤリと笑いながらそう言った。

 抱いたっていうのは、一線を越えたって意味のものだ。

 香奈姉ちゃんとは、たしかにそういう関係になったかもしれないが。


「抱いたって言われたら…抱いたかもしれないけど……。だけどアレは……」

「アレって何のことだ?」

「アレはその……。セ……。いや、とにかくアレはアレだよ」


 僕は、先にタイムカードを通すと男子校の制服に着替え、そう言った。

 あの日の夜のことを考えたら、恥ずかしくなってしまう。

 慎吾は、そんな僕の心中を察したのかニヤリと笑みを浮かべる。


「なるほどな。抱くとこまでいって、さらにセックスまでしたってことか」

「いや、ちがっ……。僕は……」

「あーあ……。男子校の男子たちの羨望の的である西田先輩が、よもやお前とセックスするなんてな。これで、決まりじゃねえか」

「決まりって、何のこと?」

「西田先輩は、お前のことしか好きにならないってことだよ」

「香奈姉ちゃんが、僕のことを?」

「他になんて考えられるんだよ? セックスまでしちゃったんだろ?」

「でも……。ゴムはきちんと着けてたし」

「そりゃあな。ゴムは必要だろ。男として、ゴムの一枚や二枚、持ってなきゃダメだろう」

「うん。…そうだね」


 それも香奈姉ちゃんが用意してくれただなんて、口が裂けても言えないな。


「それで。どっちが先だ? お前か? 西田先輩か?」

「何のこと?」

「リードしたのはどっちなんだよ?」

「それは……。順序ってものがあって……」

「なるほど。リードしていったのは、西田先輩か。意外とやるもんだね」

「え、ちがっ……。香奈姉ちゃんは……」

「そうか、そうか。愛しの西田先輩とのセックスは気持ち良かったのか。それも西田先輩からの据え膳なら、なおさらやらないわけにはいかないよなぁ」

「………」


 この時点で、僕は何も言えなくなってしまう。

 僕の顔は羞恥ですでに真っ赤になっていた。


「まぁ、それの話は置いといて、今度の共同実習はどうするつもりなんだ?」

「どうするって、何を?」

「参加するのかって訊いてんだよ」

「一応、学校の行事だから参加するけど……。何か、不都合なことでもあった?」

「そうか、参加するのか」


 慎吾は、なぜかため息混じりにそう言った。


「どうしたの? そんなため息吐いて」

「いや、なんでもねえよ。お前には、西田先輩がいるのになぁって思ってさ」

「話が見えないんだけど。一体、どういう意味?」

「お前は、女子校内で伝わっている話を知らないのか?」

「女子校内で伝わっている話? それって──」


 女子校に伝わっているジンクスってやつと同じようなものかな?

 好きな男子にパンツを渡すとか、そういうものの類いか。


「共同実習っていうのは、一年生のみのイベントみたいなんだけどな。そこでペアを組んだ男女は、うまくいけばカップルになれるっていう話が女子校内で伝わっているらしいんだよ」

「そうなの? 全然知らないんだけど……」

「西田先輩という彼女がいるお前には、あんまり関係のない話だしな。期待しない方が賢明かもな」

「香奈姉ちゃんが僕の彼女…かぁ。あんまり実感はないんだけどなぁ……」


 だからと言って、香奈姉ちゃん以外の女の子を好きになれるかって聞かれたら、なれそうにもないけど。


「言うねぇ。やっぱ、幼馴染が西田先輩だと、そんな余裕があるのか。俺にも、そういう幼馴染がほしかったなぁ」

「幼馴染がいるからって、別にいいものじゃないよ。僕がベッドで寝てる時に、いきなり突撃してきたりするしさ」

「それが、羨ましいことなんだって。俺なんか、そんなことしてくれる幼馴染なんかいないからな」


 慎吾はフッと笑い、寂しそうな表情を浮かべる。

 そういえば、慎吾とは小学生の頃から親友だが、女の子の友達がいたことはなかったな。


「だから、今回の共同実習は慎吾にとってはチャンスなんだね」

「当たり前よ。もしかしたら、今回の共同実習で彼女ができるかもしれないしな」

「彼女…できるといいね」

「おう!」


 慎吾は、今回の共同実習が楽しみなのか、いつにも増して気合いが入っている。

 これは、僕も応援してあげないとな。

 着替えを済ますとロッカーを閉めて、裏口の扉に手をかける。


「それじゃ、僕は先にあがらせてもらうよ。おつかれ様でした」

「おう、お疲れ。また明日な」


 慎吾は、軽く手を振ってそう言った。


 ──帰り道。

 僕は、今回の共同実習のことを考える。

 一年生同士での実習になるから、言うまでもなくお互いに同い年だ。

 普通に考えたら、お互いに意識してしまうところはあるかもしれない。

 だからといって、それが恋愛に繋がるかって聞かれたら、ノーと答えられる自信がある。

 なぜなら、共同実習の日数はわずかに二日間だけなのだ。

 その二日間で、どうやったら色恋沙汰に発展するんだろうか。僕にとっては、そっちの方が疑問だ。

 よほど女子校の女の子の頭の中が恋愛脳なんだろうな。


「今回の共同実習には、どんな女の子がやって来るのかな? 慎吾好みの女の子がやってくるといいんだけど……」


 慎吾の場合は下心があるから、ちょっと不安もある。

 僕の場合は、香奈姉ちゃんがいるから、誰とペアになろうと関係はないけど。

 しばらく一人で歩いていると、向こうから声をかけられる。


「楓」

「ん?」


 考え事をしていたので、すぐには反応できなかった。

 誰かと思いそちらに視線をやると、そこには香奈姉ちゃんの姿があった。

 バイトが終わったばかりなのか、女子校の制服姿だ。


「香奈姉ちゃん」

「こんなところで会うなんて、偶然だね」


 香奈姉ちゃんは、僕の側に来ると歩幅を合わせるように歩き出す。


「そうだね。バイト先は逆方向なのにね」

「逆方向でも会うことはあるんだよ。特にも、帰る場所が一緒だったらね」

「そんなものなの?」


 僕は、思案げな表情を浮かべる。


「嘘でした。実は、弟くんがバイトを終えるまでの間、待ってたんだ」

「待ってたって、どのくらい?」

「ほんの少しの間だけだよ。まぁ、その間に何人かにナンパされてしまったけどね」


 香奈姉ちゃんは、そう言って苦笑いをする。

 香奈姉ちゃんの性格上、丁重に断ったんだろうけどさ。


「それは大変だったね」

「やっぱり心配?」

「ちょっとだけ、心配かな」

「ちょっとだけ? 私たち、アレをやった恋人同士なのに、ちょっとだけなの?」

「いや、アレはさすがに……。ここで言うことじゃ……」

「私の大事なものを楓にあげたんだから別にいいじゃない。それとも、何か隠してることでもあるの?」

「別に何もないけど……」

「そうだよね。楓が隠し事なんて、似合わないしね」

「………」


 香奈姉ちゃんの言葉に、僕は押し黙ってしまう。

 いくらエッチなことをした関係とはいえ、こんなところでしていい話ではない。

 セックスの話なんて、街中で話されたら返答に困るというものだ。

 香奈姉ちゃんも、さすがにそれを察したんだろう。

 香奈姉ちゃんは、話題を変えるためか思い出したかのようにこう言ってきた。


「ところでさ。共同実習のことなんだけど……。どうするつもりなの?」

「どうするって、何を?」

「出るつもりなの?」


 そういえば、慎吾にも同じことを聞かれたな。

 慎吾には参加するって伝えたから、香奈姉ちゃんにも同じことを言わないと。


「一応、出る予定だけど」

「そっか。出席するんだ。私という女の子がいるのに、参加するんだね、楓は──」

「学校の行事だからね。出席しないと、単位が足りなくなるし」

「楓は、風邪以外で学校を休むことってないでしょ?」

「まぁ、そうなんだけど……」

「だったら共同実習くらい、休んでも何も問題ないんじゃないの?」


 その日は学校を休めというのか。

 慎吾だけならともかく、真面目な香奈姉ちゃんまでそんなことを言うなんてめずらしいな。

 そんなに、僕を共同実習に参加させるのは嫌なのか。


「何を考えているの? 香奈姉ちゃん」


 僕は、思案げにそう訊いていた。

 香奈姉ちゃんは、ムッとした表情を浮かべて僕を見る。


「別に何も考えてないよ。…ただ、楓が他の女の子とイチャイチャしてるのを考えると、ちょっとね。イライラするっていうか……」

「イライラって……。まだ始まってさえいないのに……」

「わかってはいるんだよ。恒例の行事でもあるから、こんなことでイライラしちゃいけないってことは……。でも──」

「香奈姉ちゃんのときはどうだったの? ペアを組んだ男の子と恋愛沙汰になった?」

「なってはいないけど……。告白はされたかな」

「告白…ねぇ」

「もちろん断ったよ。あの時は、隆一さんとのこともあったからね」

「そっか……」


 僕は、相槌を打つ。

 その時の香奈姉ちゃんは、ちょうど兄と付き合ってた時期だ。

 そういえば、兄とは何があったんだろう。

 あの日から香奈姉ちゃんは、兄にではなく、なぜか僕に寄り添うようになってしまったのだ。


「どうしたの? 何があったか気になる?」

「ううん、別に気にならないよ。香奈姉ちゃんの時に恋愛沙汰にならなかったのなら、僕の時もきっと大丈夫かな」

「そうだと、いいんだけどね」


 香奈姉ちゃんは、そう言って僕の手を握ってくる。

 そんな不安そうな顔をしなくても……。

 僕は、香奈姉ちゃんを不安にさせないために、香奈姉ちゃんの手を握り返していた。

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