第九話・13

 香奈姉ちゃんは、いつまで下着姿でいるつもりなんだろうか。

 たしかに目の保養には…なるかもしれないが、母や兄が帰ってきたらどうするつもりなんだ。

 そう思いながら香奈姉ちゃんと一緒にベッドで寝ていると、部屋のドアをノックする音が聞こえてくる。

 ──誰だろう。

 僕は、香奈姉ちゃんを起こさないようにベッドからゆっくりと起き上がり、ドアの前まで行く。


「はい」

「あら、楓。起きてたのね」


 ドアの向こうから、母の声が聞こえてきた。

 どうやら、ドアをノックしたのは母のようだ。

 僕は、そのままドアを開けようかどうか迷ったが、返事をするだけにした。


「今、起きたところだよ」

「…てことは、完全に私が起こしちゃった感じかな。なんかごめんね」

「ううん。気にしなくていいよ。…それで、何か用事でもあった?」

「ちょっと香奈ちゃんにね。頼みたいことがあったから……。今、楓の部屋にいるんでしょ?」

「うん。いるけど……」


 僕がそう言うと、母は部屋のドアを開ける。

 鍵はかかっていないから、ドアを開けて入ってくるのは容易だ。


「あらまぁ……。香奈ちゃん」


 母は、僕のベッドでスースーと寝息をたてている香奈姉ちゃんを見て言葉をもらす。

 一応、掛け布団を掛けているので下着姿の状態を見られることはなかったが、それでも僕のベッドで寝ていること自体には問題があったようだ。

 僕は、懸命に言い訳をしようと口を開く。


「あの……。母さん。これは、その……」

「二人とも、一体どこまで仲良くなったのかな?」


 母は、すごくニヤニヤして僕の方を見ていた。

 はっきり言うけど、破廉恥なことは何もしてないからね。


「だから、その……。これは、香奈姉ちゃんがいきなり──」

「言わなくても、わかってるわ。楓にそんな度胸があるわけがないし。──きっと、香奈ちゃんは欲求不満だったのね」

「そんなものなの?」

「女の子って、そういうものなのよ。欲求不満になると、好きな男の子の側にいたいっていう気持ちの方が勝ってしまうの」

「だから今日、学校を休んだのか」


 僕は、妙に納得してそう言っていた。

 すると母は、びっくりしたような表情を浮かべて香奈姉ちゃんを見る。


「あらあら……。香奈ちゃんったら、学校を休んだの?」

「うん。学校側には、体調不良ってことで休んだみたい」

「そこまでして、学校を休んだの。よほど楓のことが心配だったのね」

「僕は、『気にしなくていいよ』って言ったんだけどね」

「何言ってるの。香奈ちゃんは、他のことが手につかなくなるくらい楓のことが心配だったのよ。そんな香奈ちゃんの想いを、きちんと汲んであげるのが男の子である楓のやることよ」

「僕が、香奈姉ちゃんの想いに?」

「そうよ。これは、いつか絶対に応えなくちゃいけないことだから、楓もその時がくるまでに覚悟を決めておきなさい」

「うん。…わかった」


 母が言うのだから、たしかなことなんだろう。


「香奈ちゃんが寝てるんならしょうがないか。後でお願いしようかしら」

「一体、何を頼むつもりだったの?」

「ちょっとしたことよ。たいしたことじゃないの」

「そうなんだ」


 ちょっとしたこと…ね。

 母が言う『ちょっとしたこと』というのは、僕が知る中ではちょっとしたことじゃないな。

 一体、何をさせようっていうんだ。


「そういうことだから、香奈ちゃんが起きたらお願いできる?」

「うん。香奈姉ちゃんが起きたら伝えるよ」

「ありがとう。もしかしたら、楓にも手伝ってもらうことになるかもしれないけど、その時はお願いね」

「わかったよ」


 僕が頷くと、母は僕の部屋を後にした。

 香奈姉ちゃんと僕に手伝ってほしいことって、一体何だろう。

 すごく気になるが、今は香奈姉ちゃんの寝顔を見ていようかな。

 うん。そうしよう。

 僕は静かに、あどけなさが残る香奈姉ちゃんの寝顔を見ていることにした。


 しばらくして、香奈姉ちゃんが目を覚ます。


「あ、楓。起きてたの?」

「うん。なんとなく目が覚めてね」


 僕は、つとめて笑顔を浮かべてそう言った。

 体調は良いとは言えないけど、香奈姉ちゃんには変な心配をさせたくない。

 香奈姉ちゃんは、ゆっくりとベッドから起き上がる。


「今、何時?」

「午後の四時半かな」


 近くに置いてあった置き時計を見て、僕はそう答えた。


「もう四時半か。なんだかはやいな」

「今日一日、寝て過ごしていたからね。時間が過ぎるのがはやいのも仕方ないんじゃない」

「学校をズル休みしちゃったからね」


 香奈姉ちゃんは、そう言って僕の目の前で制服を着はじめる。

 さすがに、下着姿は恥ずかしいと思ったんだろう。

 それにしても、制服って……。

 私服は持ってこなかったのかな。


「僕は、ズル休みじゃないけどね」


 僕は、そう言って肩をすくめる。

 香奈姉ちゃんにとってはズル休みでも、僕の方はズル休みじゃない。風邪で学校を休んでいる。

 香奈姉ちゃんは、そのことを思い出したのか僕の方を見て言った。


「そうだったね。風邪で休んだんだよね」

「うん。でも香奈姉ちゃんのおかげでだいぶ良くなったし、明日からは学校も大丈夫だと思う」

「そっかぁ。それなら、ズル休みした甲斐があったかな」


 嬉しそうに言う香奈姉ちゃんを見て、僕は苦笑いをする。

 そして、ふいに母が言ったことを思い出す。


『香奈ちゃんの想いを汲んであげることが、男の子である楓のやること』


 香奈姉ちゃんの原動力が僕だとしたら、僕はどうやって香奈姉ちゃんの想いに応えてあげたらいいのか。


「ありがとう。香奈姉ちゃん」


 今の僕にできることは、香奈姉ちゃんに礼を言うことくらいだ。

 そういえば、母が香奈姉ちゃんに頼みたいことがあったみたいだけど、それって一体何だろうか。

 僕にも手伝ってもらうかもって言っていたけど、何をしてほしいんだろう。

 う~ん……。すごく気になる。

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