第七話・2

 いくらなんでも、これはない。

 さすがにこんなヒラヒラした格好で、人前に出て接客するのは一種の拷問みたいなものだ。

 いくら長髪のカツラと黒のストッキングがあっても、すぐに男だとバレるぞ。これは──


「弟くん。準備はできた?」


 そう言って、香奈姉ちゃんがいきなり顔を出してきた。


「うわ!」


 僕は、びっくりして後退りする。

 もし着替えてる途中だったらどうするんだよ。

 もしかしたら、女の子の方が遥かにデリカシーがないのかもしれない。

 香奈姉ちゃんは、着替えを済ませた僕を見るなり、目をキラキラさせて言った。


「うわぁ……。すごく可愛い。弟くん、とても似合っているよ」

「そうかな? いくらなんでも、これはすぐにバレそうな気がするんだけど……」


 僕は、そう言って自身が着ているミニスカメイド服を鏡越しに見やる。

 ──やっぱり不安だ。

 いくら接客すると言っても、この格好だとね。男だとバレないようにするのは大変だと思う。

 香奈姉ちゃんは、不安そうにしている僕を見て言う。


「そんな不安そうにしなくても、大丈夫だよ。女の私から見て、弟くんの女装のクオリティはかなり高いと思うよ。…絶対にバレないって」

「そんなものなのかな……」


 僕は、鏡に映っている自身の姿を見る。

 たしかに目の前に映っているのは、ミニスカメイド服を着た一人の女の子のように見えるけど……。

 バレないものなのかなぁ。


「着替えは済んだ?」


 そこに、メイド服を着た女子生徒が顔を出してくる。

 紹介を忘れてしまったが、この女子生徒の名前は、小鳥遊さんって言うらしい。

 さっき香奈姉ちゃんから教えてもらった。

 僕は、更衣室の中に入ってきた小鳥遊さんに笑顔で答える。


「あ、うん。とりあえずは着替えました」

「う……。これは……⁉︎」


 小鳥遊さんは、僕を見て何故か驚愕の表情を浮かべていた。

 何かあったのかな?

 僕は、思案げに首を傾げる。


「どうしたの?」


 すると更衣室の外の方にいた奈緒さんまで顔を出してきた。

 きっと小鳥遊さんが、出入り口近くでそう言ったものだから、近くにいた奈緒さんも気になったんだろう。


「あ、奈緒さん。ちょうどいいところに。やっぱり、これはさすがにないですよね?」


 僕は、奈緒さんに意見の同意を求めた。

 しかし奈緒さんは、僕の姿を見て、小鳥遊さんと同じく、やはり驚愕の表情を浮かべる。


「こ、これは……⁉︎」

「二人とも、どうかしたんですか? 僕の顔に何かついてるんですか?」


 僕は、釈然としない表情でそう聞いていた。

 奈緒さんと小鳥遊さんは、なぜかショックを受けた様子で言う。


「楓君。その格好は、あまりにも可愛すぎるよ……」

「私は、君のことを少し甘く見ていたみたい……。まさか、ここまでの突破力があるだなんて……」

「いや……。突破力って言われても……。これはさすがにないんじゃ……」


 この格好で人前に出るのは、さすがに抵抗がある。

 そう思って言おうとするも、香奈姉ちゃんが僕に言ってくる。


「そんなことないよ。弟くんは、自覚がないかもしれないけれど、その服装も結構似合っているよ。だから絶対にバレないって──」

「そうそう。男の子でメイド服が似合う人は、そうはいないよ。…だから大丈夫。自信を持っていいよ」


 と、奈緒さん。

 そんなこと言われても……。

 今、こうして立っているだけで、すごく恥ずかしいし……。

 こんなヒラヒラした格好で人前に出る男の気持ちって、なかなか理解されないんだよな。

 似合っていれば、なんでもいいのかって思ってしまうくらいだ。

 まぁ、女の子の場合は、男装してもそんな違和感はないから、わからないんだろうな。


「そう言われても……」

「さぁ、はやく行かないと。お客様をお待たせしてしまう。着替えが済んでるのなら、はやくして!」


 そう言うと小鳥遊さんは、僕の腕を掴んで引っ張っていく。


「あ……。ちょっと……」


 僕は、更衣室から出る前に急いで身なりを整える。

 ホントに、大丈夫なんだろうか。


 喫茶店は、なかなかの盛況ぶりだ。

 お客様の入り具合で、すぐにわかる。

 ミニスカメイド服を着た女子生徒たちが忙しそうに、やってきたお客様の対応をしていた。


「いらっしゃいませ~」

「紅茶セットにコーヒーセットですね。しばらくお待ちください」


 と、フロア内は、女子生徒たちの声であふれていた。

 男性客もいたが、それはカップル限定でだ。

 さすがに一人で行動するには、それなりに勇気がいるんだろう。

 かくいう僕も、香奈姉ちゃんたちと同じくメインのフロアの方を手伝っている。


「いらっしゃいませ。ご注文は何になさいますか?」


 僕は、伝票を手に二人の女の子の接客を任されたので、声をかけた。

 声を聞けば一発で僕が男だってわかるようなものなんだが、なかなかバレないものである。

 二人の女の子は、女装している僕を見て呆然としていた。


「あの……。紅茶セットを……」

「わ、私は、コーヒーセットをお願いします」


 あ……。その顔は、僕が女の子だと思っているな。

 声でわかりそうなものなのに……。


「かしこまりました。紅茶セットとコーヒーセットですね。…しばらくお待ち下さい」


 僕は、伝票に内容を書くと、すぐにテーブルから離れ、注文した内容を伝えにキッチンの方に戻る。

 そんな僕の姿を何人もの女子生徒たちが見ていた。


「誰、あの子? すごく可愛いんだけど……」

「あんな子、学校にいたっけ?」

「思い切って、声かけてみようか?」


 僕の方を見て、そんなこと言われてもなぁ。

 すごく困るんだけど……。

 気がつけば、他のクラスの催しものよりも、すごく注目されちゃってるし……。

 しばらくの間は、我慢して接客をしようかな。


 しばらく経ってお客さんが減ってきた後、香奈姉ちゃんは嬉しそうな顔をして、小鳥遊さんに言っていた。


「予想どおりだったね」

「何言ってるの。…予想以上よ。これは……」


 小鳥遊さんは、予想してなかったのか売り上げ伝票を見て驚きの表情を浮かべる。


「予想以上なの?」

「まさか、西田さんの幼馴染にヘルプを頼んだだけで、こんなにお客さんが来てくれただなんて……。予想以上よ」

「弟くんなら女装も様になってるし、当然のようにやってくれるから、予想どおりかなって思ってたよ」

「そうだったの?」

「うん。弟くんは、私の自慢の彼氏だからね。このくらいは平気でやってくれるよ」


 香奈姉ちゃんは、自慢げにそう言った。

 そうか。香奈姉ちゃんは、僕のバイト先を知ってて頼んだんだな。

 まぁ、やってるバイトの都合上、接客は慣れてるから問題はないんだけどさ。

 多少のミスなら、ある程度フォローできるし。

 小鳥遊さんは、布巾でテーブルを拭いてる僕の姿を見て


「なるほどね。西田さんの自慢の彼氏さんは接客もできて、女装もできるってことか」


 と、言った。

 ちょっと待って。

 女装ができるってのは余計だよ。

 今だって、この格好でいるのは恥ずかしいんだからね。

 小鳥遊さんの言葉に、奈緒さんがプッと笑い出す。


「女装は余計かもしれないよ」

「どうしてよ? とても似合っているのに」


 と、香奈姉ちゃん。

 そう言われても、僕的にはちっとも嬉しくないな。

 奈緒さんは、微苦笑して言う。


「まぁ、たしかに楓君のメイド服姿は似合っているけどさ。男の子に対して言うことじゃない気もするんだよね」

「たしかに奈緒ちゃんの言うことは正論だとは思うけど……。それでも弟くんには、楽しんでもらいたいなって……」


 香奈姉ちゃんは、微笑を浮かべてそう言った。

 まぁ、それなりに楽しんではいるけどさ。

 香奈姉ちゃんの手伝いという範疇で、だけどね。でも、このミニスカメイド服姿は、さすがにどうかとも思いますが。

 奈緒さんも、そこだけは香奈姉ちゃんと同じみたいだ。


「そうだよね。せっかく女子校の文化祭に来てくれたんだしね。楽しんでいってほしいかな」

「楽しむ…か。まぁ、それなりには楽しんでいるかな」


 僕は、そう言って肩をすくめる。

 別に、女子校の文化祭でミニスカメイド服姿になることについては、恥ずかしいってだけで不服ではないし。


「ホントに?」


 僕の言葉に、香奈姉ちゃんはそう聞いてくる。

 こんな時に、嘘を言ってもどうしようもないと思う。

 だからホントのことを言おう。

 僕は、香奈姉ちゃんの方を向いて、言った。


「うん。香奈姉ちゃんと奈緒さんに呼ばれて、香奈姉ちゃんのクラスの喫茶店を手伝っているけど、結構楽しいよ。ありがとうね」

「弟くん……」


 香奈姉ちゃんは、今にも泣きそうな顔になる。

 そんな感動されてもなぁ。

 そして香奈姉ちゃんは──


「それじゃあ、せっかくだから今日のライブは、このままの格好でやろうか?」


 何を思ったのか、そう言ってしまう。


「え……」


 僕は、思わずひきつった表情を浮かべる。

 奈緒さんは、香奈姉ちゃんの言葉に異論はないみたいで、笑みを浮かべた。


「あたしは、別に構わないよ」

「あの……。さすがにそれは……。仮装パーティーじゃあるまいし……」


 ライブまでこのままの格好でやったら、僕が恥ずかしい思いをする。

 ここはなんとかして、普段の服装でできるようにしないと。


「…そっか。西田さんたちは、これからライブがあるんだもんね」


 と、小鳥遊さん。

 香奈姉ちゃんは、小鳥遊さんの方を見る。


「うん。小鳥遊さんは見にくるの?」

「悪いけど、見にいけそうにないわ」

「そっか。来れそうにない…か。残念だなぁ」

「その代わりと言ってはなんだけど、このメイド服なら特別に貸すことはできるわよ」


 小鳥遊さんは、笑顔でそう言った。

 こんなミニスカメイド服でステージに立ったら、下着が丸見えになるんじゃ……。

 僕が今、穿いてるのだってトランクスだし。

 トランクスの上にストッキングを穿いてる状態なんだけど。


「え……。いいの?」

「ライブ衣装が無いのなら…の話になるけどね」

「私たちのライブ衣装はあるんだけどね。弟くんのだけが無いんだ……」

「それならちょうどいいじゃない。特別に彼氏さんに貸してあげるよ」

「ありがとう、小鳥遊さん」


 香奈姉ちゃんは、小鳥遊さんにお礼を言っていた。

 いや、メイド服を着るだなんて言ってないし、決まってもいないでしょ。


「いや……。僕は、今日着てきた普段着でやるから、気にしなくていいよ」

「ダメだよ。せっかくのライブなんだから、ライブ衣装はきちんとしないと」

「だからって、メイド服はないでしょ?」

「弟くんの場合は、似合っているんだからいいんだよ」

「でも……」

「とにかく! 今日一日は、その格好で文化祭を楽しむこと! よくわかった?」


 今日一日、メイド服姿って……。

 これは、拷問ですか?

 だけど香奈姉ちゃんには逆らえないし、そう言われたら従うしかないのか。

 更衣室のロッカーのカギは、いつの間にか香奈姉ちゃんが持っているし……。


「…わかったよ、香奈姉ちゃん」


 僕は、ため息混じりにそう言った。

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