第六話・4

 なんだかドキドキするな。

 渡されたお弁当の蓋を開けるのは、自分のお弁当の蓋を開けるのよりも緊張してしまう。

 昼休みになり、みんな思い思いの場所に行って弁当やらパンやらを食べている最中、僕は一人、屋上に来ていた。

 当然だけど、ここにも何人か生徒たちがいる。

 こんな中で、香奈姉ちゃんの手作り弁当を開けるのは、やっぱり恥ずかしい。

 前はご飯のところにハートマークが描かれてあったが、今回は何があるんだろうか。

 何もないということは、香奈姉ちゃんの性格上、絶対にありえない。


「なんだか蓋を開けるのが怖いなぁ……」


 僕は、不安そうな表情を浮かべてお弁当箱を見下ろしそう言った。

 今回は、近くに誰かがいるわけじゃないので、完全な独り言になるんだが。


「…でも、誰かが見てるわけじゃないから、別に構わないよね。よーし……」


 うじうじ悩んでいてもしょうがない。

 僕は、思い切ってお弁当の蓋を開けた。


「う……。これは……」


 お弁当の中身を見て、僕は驚愕してしまう。

 この前はハートマークが描かれていたお弁当だったが、今回はご飯の部分に『LOVE』と描かれていたのだ。

 まぁ、おかずの方はバラエティ豊かで栄養バランスも取れたものが入っていてクオリティ的には高かった。だけど、これも他の人には見せられないお弁当なのは間違いない。


「香奈姉ちゃん……。これは、ちょっと恥ずかしいよ……」


 僕は、恥ずかしさのあまり赤面してしまう。

 弁当を作ってくれるのはとてもありがたいことだけど、やっていいことと悪いことがある。

 以前のお弁当もそうだが、今回のお弁当も、とてもじゃないが教室では食べられないものだ。

 手間暇掛けて作ってくれたものに文句を言うつもりはないけど、もっと普通のお弁当って作れないんだろうか。

 僕でさえ、香奈姉ちゃんには気を遣って普通のお弁当を作って渡しているのに……。

 ホント、今日は慎吾が近くにいなくてよかったよ。いたら、なんて言われるかわかったもんじゃない。

 僕は、他の生徒たちがこちらを見に来る前にお弁当を食べ始めた。

 もう、お弁当交換なんてやめておこうかな。

 切実にそう思う僕だった。


 僕がいつもどおりに家に帰るころには、21時半くらいになっているはずだ。バイトがある日は、どうしてもこの時間になる。

 家にたどり着き玄関の扉を開けると、そこには香奈姉ちゃんがいて、いつもどおりに出迎えてくれた。


「おかえり、楓。…晩ご飯できてるよ」

「うん。ありがとう」


 そう言って家の中に入り、鞄をソファーに置き、空になってるお弁当箱を台所に持っていく。

 家の性質上、僕や兄がいなくても香奈姉ちゃんは僕の家にいる。

 なぜなら、香奈姉ちゃんの家は両親共働きで常に誰もいない状態だからだ。

 そんなものだから、僕の両親は、香奈姉ちゃんを『一人で寂しい思いをさせるわけにはいかない』と言って、家の中に入れている。…ていうか、家の合鍵を渡しているのだが。

 それが小さい頃から続いているものだから、僕や兄にとっては兄弟みたいな感覚で育ってきたのだ。

 僕も香奈姉ちゃんのことを、姉的な存在に思えるようになってきたのはその頃からだろうと思う。

 まさか好意を持って、僕に急接近してきたのは、予想外のことだったけど……。

 香奈姉ちゃんは、すぐにお弁当箱に気付いて口を開いた。


「今日のお弁当はどうだった?」

「とても美味しかったよ。だけど……」

「だけど? どうしたの?」


 僕が深刻な表情を浮かべていたから、香奈姉ちゃんは思案げな顔をして聞いてくる。

 まさか香奈姉ちゃん自身、作って渡したお弁当に何をしてしまったのかわからないってことはないだろう。

 僕は、少しばかり怒りがこみ上げてきて、香奈姉ちゃんを見る。


「…香奈姉ちゃん」

「ん? 何?」

「さすがに、今日のお弁当はやりすぎかなって──」

「うん。今回のお弁当は、楓のために丹精込めて作ったんだよ」

「それは、わかるけど……」


 香奈姉ちゃんの言葉から、『僕のために』などと言われるとなんともいえなくなる。

 僕の口から、『ハートマークとかの彩りがついたお弁当はやめてほしい』と思っていても、それをはっきりと言うことができない。

 だから僕って、だめなんだよなぁ。

 怒りたいときに怒れないっていうか。怒るタイミングを失ってしまうっていうか。

 香奈姉ちゃんは、嬉しそうな顔で聞いてきた。


「楓のお弁当も、丹精込めて作ったんだよね?」

「そりゃあね。せっかく作るんなら、美味しいものを食べたいし」


 僕は、そう言って肩をすくめる。


「うんうん。わかるよ、その気持ち。──ちなみに私のは、楓のためを思って愛情たっぷりに仕上げたお弁当だから、腕によりをかけたんだよ」

「気持ちは嬉しいけど……。無理しなくてよかったのに」

「ううん。これも楓のためなんだよ」

「僕のためって……。あのお弁当がかい? すごく恥ずかしかったんだけど」


 あの『LOVE』って描かれたお弁当を見た日には、びっくりして周囲を見回してしまったくらいだ。

 香奈姉ちゃんは、不思議そうな顔で聞いてきた。


「そんなに恥ずかしかった? そこまで出来の悪いお弁当じゃなかった気がするんだけどな」

「いや……。出来が良いとか悪いとかの話じゃなくて……」

「それじゃ、何が問題だったの? おかずの方は栄養バランスを考えた上で盛り込んだし」

「あー、うん。僕もお弁当を作るときは、栄養バランスを考えて作るから、そこのところは問題ないんだよね。ただ──」


 僕は、言いづらそうに香奈姉ちゃんから視線を逸らす。


「ただ? 何?」

「ハートマークとか『LOVE』とか描かれたお弁当は、あまり関心しないかな。あれは、さすがに……」

「え~。自信作なんだけどなぁ。…そんなに気に入らなかった?」


 香奈姉ちゃんは、ムッとしたような表情で僕に聞いてくる。


「お弁当自体は、非の打ち所がないものだとは思うんだけどさ……。みんなが見てる前で食べるのは、ちょっと恥ずかしいかな…と」

「ホントは、私が楓に食べさせてあげると完璧なんだけどなぁ」

「香奈姉ちゃんが僕に? 冗談はやめてよ。そんなことされたら兄貴に何て言われるか」

「隆一さんは関係ないでしょ。楓がどう思っているかが重要なんだよ」

「う~ん……。僕がどう思っているか…かぁ」


 そんなこと言われても、返答に困るだけなんだけどな。


「具体的には、どう思ってる? 私が、楓にお弁当を食べさせてあげるのに関して」

「そう言われてもなぁ。考えたこともないんだけど……」

「例えば…でもいいからさ」


 香奈姉ちゃんにそう言われ、僕はふと想像する。

 香奈姉ちゃんから、そんなことをされたら──

 正直に言えば嬉しいかもしれない。


「普通に考えたら、それをされて喜ばない男子はいないと思うけど……」

「そうでしょ? それなら──」

「だけど、みんなが見てる前でそれをされたら、恥ずかしくてしばらく表に顔を出せないかもしれない……」

「そんなに恥ずかしいの? ただお弁当を食べさせるだけだよ?」


 香奈姉ちゃんは、なぜか不思議そうな顔をして僕を見てくる。

 そんな顔をして見てきても、ダメなものはダメだ。

 いくら彼氏彼女の関係でも、できることの許容範囲ってものがある。


「香奈姉ちゃんにとっては普通のことでも、僕にとってはすごく恥ずかしいことだからさ」

「そっかぁ。恥ずかしいこと…か。私にとっては、一大イベントみたいなものだから、それができるなら是非ともやってみたいことだよ」

「そうなんだ」


 僕はそう言ってテーブルに着いて、香奈姉ちゃんが用意してくれた晩ご飯を食べようと箸を持つ。

 すると香奈姉ちゃんは、閃いたかのように言った。


「そうだ! その晩ご飯だけど、私が食べさせてあげるっていうのはどうかな?」

「え? これを?」

「うん! 今なら誰もいないし、やっても問題ないと思うんだけど……。どうかな?」

「気持ちは嬉しいけど、遠慮しておこうかな」

「どうしてよ?」

「そんなことされたら、後で香奈姉ちゃんからお願いされることを断れそうにないから……」

「え~。ダメなの? 楓なら、絶対に私と一緒にお風呂に入ってくれると思っていたのに……」

「僕が入っていたら、いつも強引に入ってくるくせによく言うよ」


 僕は、ため息を吐く。

 香奈姉ちゃんは、僕が持っていた箸を奪い取ると、テーブルに並べられたおかずに箸を伸ばし、そのまま掴む。


「ほら、楓。『あーん』して──」

「どうしても、しなきゃダメなの?」

「うん。楓は、私の言うことをしっかりと聞かないとダメなんだよ。なんて言ったって、私の方がお姉さんなんだから」

「うぅ……。それを言われると返す言葉がないよ」


 僕は渋々、香奈姉ちゃんが箸で掴んだおかずを食べる。


「──どう? 美味しい?」


 香奈姉ちゃんは、なぜだか気難しい表情でそう聞いてくる。

 味に関しては、特に問題はない。

 そもそも、香奈姉ちゃんが作った料理が不味いわけがないのだ。


「うん。美味しいよ」


 僕は笑顔でそう答える。

 その笑顔も、若干引きつっているのだが。

 誰もいないとはいえ、さすがにちょっと恥ずかしいな。

 新婚夫婦じゃあるまいし、こんなことやってられないだろうって思うんだけど、香奈姉ちゃんはまだやるつもりらしい。

 今度はご飯を箸で掴み、僕に向けてくる。


「はい。『あーん』して……」


 あ……。これは、最後までやるつもりの流れだ。

 ここで嫌がったら、香奈姉ちゃんは絶対に拗ねるだろうし。どうしたら……。


「………」

「ん? どうしたの?」


 香奈姉ちゃんは、思案げに僕を見てくる。


「ううん。なんでもないよ」


 考えていても仕方ないので、僕は最後まで付き合うことにした。

 たぶん、これから入る予定のお風呂にも乱入してくるんだろうな。きっと──

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