第五話・14

 楓には、心に負ったキズがある。

 それは、たぶん中学生の頃に負ったものだと思う。

 私がまだ隆一さんにベッタリだった頃、楓には好きな女の子がいた。

 名前は、なんて言ったかよく覚えてない。

 その子とは、まったく面識もなければ話をしたこともなかったから。

 楓が思い切ってその女の子に告白しにいくと言ったとき、私は姉的存在の幼馴染として背中を押してあげた。だけど、それがいけなかった。

 その日、楓はその女の子からひどい振られ方をしたみたいだ。

 知り合いから聞いた話では、その女の子は、楓ではなく兄の隆一さんのことが好きだったらしく、なんでも楓に


「周防先輩の弟なんて、こっちから願い下げなんですけど。──せっかくだからさ。あんたから、周防先輩を紹介してよ。私、周防先輩みたいなワイルドな人が好みなんだ。あんたみたいな、ナヨナヨとした男なんて大嫌いなの。そんなんで、よく周防先輩の弟だなんて言えるわね。ホントに兄弟なの? 信じられない」


 と、言ったらしい。

 そう言われた楓はひどくキズついたらしく、しばらく落ち込んでいたみたいだ。

 隆一さんも隆一さんで、楓にこう言ったのを覚えている。


「お前は落ちこぼれだ。何をしたってダメなんだよ」


 その言葉に私は憤りを覚え、隆一さんに対する好意が一切無くなった。

 女の子に振られてしまった楓に、励ましの言葉じゃなくて貶めるようなことを言った隆一さんに愛想が尽きたのだ。

 その頃からだろうか。

 私が、楓に対する想いが募り始めたのは──。

 私が中学を卒業する頃には、楓は他の女子生徒たちからもバカにされるようになっていて、それが余計に楓を孤独にさせた。たぶん、楓に告白された女の子が、その事をまわりに吹聴したんだと思う。

 私は、なんとか楓を励ましてあげたかったが、隆一さんが邪魔をして何もできず、結果的に楓が高校に上がるまで接触できなかった。

 時は過ぎて、楓も高校生になり、ようやく私は楓と接する時間ができるようになったのだけど。

 私が楓に接した時には、まるで別人のような感じだった。

 ホントに楓なのかって思うくらいよそよそしさがあって、私と話している時にも、他人行儀な態度をとってくるのだ。

 その女の子を取り巻く女子生徒たちによるいじめは、ここまで楓を変えてしまうのかと思うくらいに……。

 このままじゃ、楓がホントにダメになると思った。

 楓が女性恐怖症になっているのは知ってはいたが、ここまでひどいとは……。

 仕方ないと思った私は、楓と恋人同士になってしまおうと考えた。

 別に同情心から恋人同士になろうと思ったわけじゃない。

 楓には楓で、良いところがたくさんあると思ったから、そう考えたのだ。

 一番手っ取り早い方法は、一緒にお風呂に入ったり、夜に一緒に寝たりすることだろう。

 私も、女としては十分に成長していると思うから、楓もエッチなことをしてくるだろうと期待した。

 しかし、ダメだった。

 楓の心のキズは、私なんかじゃ癒せないのかなって思ってしまうくらい酷かったのだ。

 私は、すぐに楓のお母さんに相談した。

 相談内容は、こうだ。


「私の大好きな人が女性恐怖症に陥ってるんだけど、どうしたらいいかな?」


 私の恋の悩みに、楓のお母さんは微笑を浮かべて言ってくれた。


「女性恐怖症に陥っている男の子に効果的なのは、何も言わずにそっと寄り添うことだよ。お風呂に入る時でも、寝る時でもいい。──とにかく、傍にいてあげることが一番効果的なのよ」


 私は、楓のお母さんの言葉通り、なるべく楓の傍にいることを選んだ。

 多少しつこいと思われても、楓の傍にいようって思って、楓が入っているお風呂に乱入したり、楓が寝ている布団に突撃したりもした。

 少しでも、楓とスキンシップをとりたくて──。

 楓が何を考えてるのかはわからない。

 もしかしたら、女子生徒たちにバカにされたことがトラウマになっているのかもしれない。

 でも、少しでも楓の心のキズが癒やせるのなら、私はどんな事だってするつもりだ。

 それがたとえ、一線を越えたエッチなことでも──


「どうしたの、香奈姉ちゃん? 僕の顔に何かついてる?」

「ううん。何もついてないよ。ただ弟くんの顔を見ていただけだよ」


 楓がそう聞いてきたので、私は笑顔でそう返す。

 楓は嫌がってはいるけど、私のことを嫌いになっていないのだから別に構わないよね。

 私は、周防楓のことが大好きなのだから。


 ───────


 完璧な兄よりも、ダメダメな僕を選んでしまう香奈姉ちゃんは、何を基準にしているんだろうか。

 香奈姉ちゃんも、どちらかといえば兄に劣らず完璧な方だと思うし。

 たぶん、本人にそれを聞いても、まともな答えは返ってこないだろうな。


「ねぇ、楓」

「どうしたの? 香奈姉ちゃん」

「私と奈緒ちゃん。どっちが可愛いと思う?」

「いきなり、どうしたの?」


 僕は、香奈姉ちゃんのいきなりすぎる質問に答えられず、つい香奈姉ちゃんの方に視線を向けていた。

 これは、ずいぶんと踏み込んできた質問だな。

 この質問は、まず僕の部屋にいるからこそできる質問でもある。


「楓ったら、奈緒ちゃんのことを気にしているように見えるからさ。ちょっと心配で……」

「まぁ、練習に来ていないからね。いなければいないで心配になるよ。香奈姉ちゃんは、心配じゃないの?」

「それは……。心配だけど、たぶん大丈夫だろうなって」

「そっか。信頼してるんだね」

「当たり前だよ。友達だもん!」


 香奈姉ちゃんは、自慢げにそう言った。

 香奈姉ちゃんが、そう言うのであれば問題はないだろう。


「明日も学校だから、そろそろ寝ようか?」

「…そうだね」


 僕の言葉に、香奈姉ちゃんはそう答える。

 気がつけば、時刻は真夜中。

 もう就寝時間だ。

 結局、香奈姉ちゃんは、僕の部屋でお泊りすることになったが、別に問題はない。

 もちろん、ベッドは香奈姉ちゃんに貸すハメになってしまったが、そのことについても問題はない。

 まぁ、この間のように、僕のところに突撃してくることはさすがにないとは思うが……。

 香奈姉ちゃんのことだから、油断はできないな。

 とりあえずは、香奈姉ちゃんが熟睡するまでは横になったまま起きていよう。


 ──朝。

 目を覚ますと、香奈姉ちゃんが着替えをしている姿が目の前に広がっていた。

 機嫌が良いのか、鼻歌なんか歌っている。

 着替えをしているといっても、まだ途中でスカートも履いておらず、下着が丸見えの状態だった。

 まさか、本当に僕の部屋で着替えをしてるだなんて思わなかったものだから、僕自身がびっくりしてしまう。


「あ、楓。おはよう」

「おはよう、香奈姉ちゃん。あの……」


 僕は、ゆっくりと身を起こす。

 香奈姉ちゃんは、下着姿を見られても恥ずかしがる素振りも見せず、むしろ僕に微笑を浮かべていた。


「ん? 何かな?」

「僕、部屋の外に出ていようか?」

「ううん。別に構わないよ。着替えならすぐに済ませるから」

「そう。それなら、いいんだけど……」

「もしかして、私の着替え中の姿を見てドキッてなった?」

「うん。朝起きたら、香奈姉ちゃんが着替えてたから、違う意味でドキッてなった」

「それなら、よかったよ」

「何がよかったのか、よくわからないんだけど……」

「楓も健全な男の子なんだなってわかったから、よかったんだよ」

「そうなの?」


 僕は、思案げな表情で首を傾げる。

 健全な男の子って言われても、そんな意識したつもりはないんだけどな。

 ただ下着姿の女の子を見てドキッてなっただけで──


「そうなんだよ」


 香奈姉ちゃんは、そのままの格好で僕に抱きついてきて、僕にキスをしてきた。

 こんなことが毎朝起きると思うと、ドキッてするよりも神経がおかしくなりそうだ。

 香奈姉ちゃんは、キスすることに対してまったく迷いがないし。

 これは夢なんじゃないかって思うくらいだ。

 まぁ、夢じゃないことは香奈姉ちゃんのぬくもりですぐにわかることなんだけど。

 どうでもいいから、はやく着替えを済ませてほしいな。

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