第五話・8
「奈緒さんのことだけど……。会わなくていいの?」
僕は、ちょっと遅めの夕飯を食べながら香奈姉ちゃんに聞いていた。
「急にどうしたの?」
香奈姉ちゃんは、思案げな表情でそう聞き返してくる。
僕は、あの時の奈緒さんの顔が忘れられず言った。
「いや、あの日以来、しばらく会ってないからさ。大丈夫なのかなって思って……」
「私たちは、学校内で毎日会っているから心配ないよ」
「そうなんだ」
まぁ、香奈姉ちゃんたちは、学校内でも会っているんだから問題はないんだろうけどさ。
僕の方は男子校だから、奈緒さんが普段どうしてるのかすらも知らないし。
「奈緒ちゃんなら、大丈夫だよ。普段と変わりなくすごしているよ。ただ、『楓君と会えないのがちょっと寂しい』って言ってたかな」
「うん。僕も、奈緒さんを見てないから、ちょっと寂しいかも」
「そっかぁ。寂しいかぁ。さすがに数日も奈緒ちゃんを見なかったら、やっぱり何してるか気になるよね。私たちがいるから、なんとも思ってないのかと思っていたよ」
「みんな奈緒さんのことを口にしなかったから、言わなかっただけだよ」
「そっかそっか。ホントはずっと気になっていたんだね。相変わらず、楓は優しいんだね。でも──」
「でも?」
僕は、首を傾げる。
すると香奈姉ちゃんは、すこしムッとした表情でこちらを睨んでくる。
その顔は確実にやきもちを妬いている証拠だ。
「楓は、奈緒ちゃんのことを気にしすぎだよ」
「だって、あの日以来、なんの音沙汰もないから、どうしてるのかなって……」
「心配ないって何度も言ってるのに、私の言葉は信用できないんだね」
「いや……。そんなことは……」
「この際だからはっきり言ってあげる。楓は、もっと私を大事にしないとダメだよ」
「え……。それって……」
僕はてっきり、香奈姉ちゃんから説教でもくらうのかと思っていたんだけど。
「つまり、私のことを優先しないと、楓のことを許さないって言ってるの」
「香奈姉ちゃんのことは大事にしてるよ。信頼もしてるし」
「本当に、信頼してるのかな?」
「もちろんだよ。香奈姉ちゃんは、僕の大事な人だよ」
僕の言葉に、香奈姉ちゃんは照れくさかったのか頬を赤く染める。そして──
「大事な人だと思っているんなら、誠意を見せてよ」
と、僕にそう言ってくる。
「え……。誠意って?」
「色々あるでしょ。自分で考えなさいよ」
こんな時にツンデレみたいなことを言われても……。
──誠意か。さて、こんなときは何をすればいいのかな。
僕は、香奈姉ちゃんをまっすぐに見る。
すると香奈姉ちゃんは、ゆっくりと目を閉じた。
え……。それって、まさか……。
僕の方から、キスをしろってことなのか⁉︎
そんなことされても、まだ心の準備が……。
僕は、恐る恐る香奈姉ちゃんに近づいていく。
そのまま、香奈姉ちゃんに近づいていき、キスする直前までいった時──
「──ただいまー」
と、兄の声が、玄関の方から聞こえてきた。
香奈姉ちゃんと僕は、あまりのことにビクッとなり、お互いに顔を見合わせた後、すぐに定位置に戻る。
タイミングが良かったというか悪かったというか。よくわからないけど、香奈姉ちゃんにキスをするという行為は避けることができたから、今は良しとしよう。
僕にも、心の準備がいるし。
そうこうしているうちに、兄が居間に入ってきた。
「よう。帰ってきてたのか。香奈も一緒だったんだな」
「おかえり、兄貴」
「隆一さん、おかえりなさい」
「おう。ただいま。香奈は、楓と何してたんだ?」
兄は、僕と香奈姉ちゃんを見て思案げな表情を浮かべる。
「ん? 私? 何してたって言われてもなぁ。楓と夕飯の準備をして食べてただけかな」
香奈姉ちゃんは、微苦笑してそう言う。
兄は、「夕飯の準備?」と言って、キッチンの近くにあるテーブルの方に視線を移す。
そこには、香奈姉ちゃんが作った料理が並べられている。
僕が、敢えて食べなかった香奈姉ちゃんの手料理だ。
兄は、その料理を見て「美味しそう」と言うような顔で席に着いた。
「そっか。香奈が料理を作ってくれたのか。ちょうど腹が減っていたところだったんだよな」
「あ……。それは……」
香奈姉ちゃんが制止する間もなく、兄は香奈姉ちゃんが作った手料理を食べ始める。
「やっぱ美味いな。香奈の手料理は──」
兄は、ご満悦の様子でそう言う。
香奈姉ちゃんは、「あはは……」と苦笑いをする。
「まぁ、お世辞でも嬉しいかな」
「お世辞じゃねえって。ホントに美味いんだって。お袋でも、こんなの作れないよ」
兄は、料理を食べながらそう言う。
まぁ、香奈姉ちゃんが作った料理なら、絶対に不味いなんてことはないだろうし。
ホントは僕のために作ってくれた料理だったんだけど。
結果的には、急に家に帰ってきた兄に食べられてしまい、香奈姉ちゃんはどこか落ち込んだ様子だった。
兄が帰ってきたからなのか、香奈姉ちゃんは微妙に態度がおかしかった。そっと僕に近づこうとするんだけど、兄がいる手前、それもできずに軽くため息を吐いていた。落ち込んでいるのがすぐにわかる。
さすがに、その状態で僕の家に泊ろうなんて考えていなかったらしい。しばらくすると、残念そうな顔で自分の家に帰っていった。
本当は、僕と二人っきりでいたくて僕の家に泊ろうと考えていたんだろうな。
僕の方はというと、自分の部屋に入り、音楽関係の雑誌に目を通していた。
別に音楽雑誌に興味があって見ているわけじゃない。
ただ、することがなかったのだ。
適当に時間をつぶそうとしているところに、僕のスマホが鳴った。
電話の着信音じゃない。
この音は間違いなくメールだ。
こんな時にメールをしてくる相手は一人しかいない。
そう思いスマホを確認すると、案の定、香奈姉ちゃんからメールがきていた。
内容はこんな感じだった。
『今日は、ごめんね。いきなり隆一さんが帰ってきたから、気を遣って家に帰っちゃったよ。今日も、楓と二人っきりでイチャイチャできると思っていたのに……』
香奈姉ちゃんも、考えることは僕と一緒だったみたいだ。
僕はただ、そう考えただけなんだけどさ。
やはり兄と香奈姉ちゃんの関係は、微妙なものになっているみたいだ。
兄からはその兆候は見られないが、香奈姉ちゃんが一方的に避けているような状態みたい。
兄は、香奈姉ちゃんのことを諦める様子は一向になく、むしろ猛烈にアタックしているみたいである。
既読無視はいけないと思い、僕は返信した。
『今日来たのは、やっぱり僕と二人っきりで居たかったからなんだね』
『いけないことかな?』
『いけなくはないけど、一緒に寝るのはどうかと……』
『楓は、あまりスキンシップが激しい方じゃないから仕方ないじゃない。私だって、鬱憤が溜まっているんだよ』
『ごめん……。さすがに、香奈姉ちゃんにそんなことするのは、失礼じゃないかと思って……』
『そんなに気を遣わなくたっていいよ。楓は、私の彼氏さんなんだから、もう少し積極的に向かってきてもいいんじゃないかなって思うんだよね』
そんなことメールで言われたって、急にそんなことはできないよ。
『そうだね。善処してみるよ』
『そういえばだけど、彼氏彼女になってから一緒にお出掛けとかしてないよね? 今度の日曜日、一緒に買い物とかどうかな?』
『もしかしてデートのお誘いなのかな?』
『もしかしなくても、デートのお誘いだよ! どうかな? ダメ?』
『日曜日だったら、特に予定もないから全然オーケーだよ』
『ホントに? それじゃ、日曜日にショッピングモールに行こうよ』
『わかった。ところで、待ち合わせ場所はどこにするの?』
『楓の家からでいいんじゃないかな。ショッピングモールの辺りだと、変な人からナンパされたりして嫌なのよね』
あそこって、結構ナンパされたりするんだ。これは初耳だ。
僕は、見た目も格好も地味な方だから、ナンパされたりしたことはないな。
『そうなんだ。それじゃ、待ち合わせ場所は僕の家ってことで』
『うん。その日に楓の家に行くね』
これで、僕はメールを終える。
とりあえず、日曜日にデートの約束をしたから、忘れないようにしなきゃ。
香奈姉ちゃんとのメールを終え、しばらくボーッとしていると、誰かが僕の部屋の扉をノックしてきた。
今、家には母がいないから、誰なのかはすぐにわかるんだけど。
「おい。俺だ。いるんだろ、楓」
その声は、間違いなく兄のものだった。
僕は立ち上がり、すぐに部屋の扉の方に向かう。
「どうしたの、兄貴?」
そう言いながら部屋の扉を開けると、兄はギターを持って部屋の前で立っていた。
一体、何の用件だろう。
思案げな表情を浮かべている僕に、兄はこう言ってきた。
「ちょっとだけでいいから、練習に付き合ってくれ」
「え……。またなの?」
「実は、まだ本調子じゃないんだ。そういうわけだから、頼む」
「いや……。頼むって言われても……」
才能のない奴に頼むのはどうかと思うんだけど。
兄は、僕の都合などお構いなしに、僕の部屋にずかずかと入ってくる。
「お前しかいないんだ。嫌と言っても、手伝ってもらうぞ」
こうなってしまうと、僕に拒否権はない。
仕方ない。少しだけ付き合ってあげるか。
「…少しだけだよ」
僕は、ため息混じりにそう言っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます