間違いだらけの世界
みりあむ
第1話 鍛冶屋の息子
「おまえはいつか、平原区から出て行く」
父は言った。アメヌイが九歳になってしばらくしたころに、ぽつりとつぶやくように。
アメヌイは眉をひそめたが、父に異を唱えはしなかった。自分はここから出て行こうとは思わない。だが、父に反抗したところで、面倒な議論がはじまるだけだ。
アメヌイの父は平原区にある「職人の谷」で、一、二をあらそう腕を持つ鍛冶職人だった。彼の打った鉄は輝きをはなち、なめらかな切れ味を持った。
だが、この国でもっとも尊敬される石職人とちがい、わざわざ鍛冶職人の道を志す者はいなかった。常に火をあつかい、危険をともなう仕事だ。長年携わっている者の中には、目や手足の欠けている者も多い。
美しい装飾をほどこされた剣や小刀なら、自国の職人の作ったものよりも、大陸から買い取ったもののほうが良いとまで言われ、鍛冶職人の肩身はいっそうせまかった。
それでもアメヌイにとって、これ以外の職につく未来は思い描けなかった。物心つくころより父が槌をふりおろす背中を見つめていたのだから。
職人の谷でいちばん多いのも、やはり石職人だった。彼らは王室に特別目をかけられた連中だったが、他の職人は影で「崩し屋」と呼んであざけっていた。もちろん、それには嫉妬もこもっているのだが。
石職人には、王都の神殿を建てるという華々しい仕事が与えられている。
王都には東側と西側にひとつずつ、それぞれ王都広場がある。この広場には、その時代のテリ王のためだけに神殿が建てられる。つまり、王が死に、世襲が継いだら、また新しい神殿を建てるのだ。現王の神殿が西側の広場にあるなら、亡きあとは東側の広場に新王の神殿を建造する。
六十年、五十年、下手をすれば一年しかもたない王もいる。そのたびに神殿を建て、古くなったほうを崩す。
崩すのも、建てるのも、石職人の仕事だ。王が変わるたびに仕事をもらえる彼らを、市民の大部分は「名誉な職」ともてはやしたが、明日食うのにも困る他の職人たちは、影で「王の死を喜ぶ不遜なやつら」と愚痴をこぼした。
しかし、石職人はまだいい。職人の谷からほど近い石切り場で、毎日のように肉体労働にあけくれているのだから。
虫が好かないのは建築家だ。役人でも書記官でもないのに、のうのうと王都に住み、職人に無茶な指示をして、王からお褒めの言葉を受け取る。
鍛冶職人や革細工職人、彫刻家や画家は、普段の生活でこまごまとした言葉を並べた。なにかずるをした者がいれば、おまえは建築家でも目指しているのかい、と皮肉り、仕事に疲れれば、いやあ、よく働いた、少なくとも建築家よりは、ずっと役に立つことをしたぞ、と言って仲間と笑った。
そんな環境で育ったアメヌイが、父から「おまえは平原区を出て行く」と言われたとあっては、眉をひそめたとて無理はない。
平原区を出て、王都やその外周にある城下町に住むのは、本来喜ばしいことだ。そこに住む者は兵役を課されず、子は王都学園に通うことを許される。しかし職人にとっては、王都や城下町に移り住むことは、ひとえに「建築家になること」を意味していた。
「いいじゃないか、建築家。アメヌイなら何でもできるって、ご主人様はお考えなんだろ?」
裏庭でアメヌイがぼやくと、同い年のレンナンが共同井戸の水をくみながら笑った。
褐色の肌を持つアメヌイとちがい、レンナンはすきとおるような白い肌をしていた。太陽の光できらめく金色の髪を頭の下でひとつにくくり、緑色の瞳を無邪気に向ける。目の覚めるような紫の服の下にぴたりとした黒の肌着がのぞき、その白い肌を少しでも隠していた。
テリ人であるアメヌイは、もう少し涼やかな格好をしていた。首元で留める薄い緑色の半袖のシャツに、七分丈のズボンをはき、腰に濃い緑色の帯を巻いている。オレンジ色のベストと、同じ色の帽子をあわせている。
「もし王都に引っ越すようなことがあったら、おれも連れて行けよな。建築家様になるんなら、奴隷は大勢必要だろ? 紙の上に図面を引くお仕事は、さぞ大変らしいからなー」
「おまえ、ばかにしてるだろ」
アメヌイはむっとしてレンナンをにらんだ。レンナンは白い歯を見せて肩をすくめる。
「おや、ばれちまいましたか。申し訳もございませんねえ、ぼっちゃま」
とってつけたような言葉を使い、からからと笑った。
レンナンは、本当に奴隷の身分なのかと、目をこすりたくなるくらいに無邪気な少年だった。どんなときでもその場をぱっと明るくすることができるから、仕事が雑でも、ときどき言いつけをすっぽかしても、大目に見てもらえることが多い。
アメヌイとは正反対だ。彼は愛想こそないが、正確さと記憶力ではだれにもひけを取らない。しかし、ぶっきらぼうな態度が災いして、どんなに仕事を完璧にこなしても、人からうとまれることが多かった。
アメヌイは、雨水が入らないように一段高い裏口の敷居に座り、ぶあつい本をひざの上に広げていた。家の中は暗すぎるが、日向で本を読むと、紙が反射して目がくらむ。木影が落ちる裏口の敷居に座って本を読み、井戸から水をくむレンナンとむだ話をするのが、アメヌイの日課になっていた。
本来なら、本を読むひまもなく鉄を叩き続けるのが、鍛冶職人の跡取りとして正しい姿だ。が、父は息子に本を与えた。王都学園の子どもたちが学ぶような、歴史、政治、経済、大陸の国々との交易、石職人や建築についての本を。
与えられるまま、アメヌイはむさぼるようにそれらを読んだ。鍛冶は好きだが、知識を増やすことも、同じようにアメヌイの心を満たした。
庭で遊んでいたティがサンザシの枝を拾って、にこにこしながらレンナンにさし出した。耳には金のピアス。わきに切れ目の入ったすその長い緑色の服に、薄いピンク色のゆったりしたズボン。
これは結婚していないテリ人女性の一般的な服装だ。結婚すると、テリ人の女性たちは巻きスカートをはく。
井戸に落とした水瓶をひっぱりあげていたレンナンは、縄を足で踏みつけて、にっこりしながらティのサンザシを受け取った。
「おやまあ、ティ。これをおれにくれるのかい?」
ティはこくんとうなずく。間の抜けた笑顔を浮かべ、レンナンも笑顔になった。
ティは、ものを話したことがない。笑ったり、うめいたり、言葉らしき何かを言うことはある。だが、あきらかに人とはちがった。
はじめは、言葉が遅いだけだと考えられていた。まだ二つか三つだったとき、親たちはまだ楽観的に考えていた。ふたつ上の兄であるアメヌイが少しばかり賢すぎたのもあって、ティが遅れて見えるのは気のせいだと考えられた。
しかし、ティは言葉だけでなく、理解することも、喜ぶことも、怖がることも、あきらかに同年代の子どもとは違っていた。彼女は七歳になっても、歩きはじめたばかりの赤ん坊のようだった。
この状態を、テリ人はよく思わない。母や父はいくどとなくティに言葉を教えこもうとした。厳しく叱りつけ、なだめすかした。王都の神官に診せたこともある。しかし、ティにはあらゆるしつけも祈祷も、意味をなさなかった。
彼女は何も語らず、難しいことはいっさいできない。父や母は、ティから目をそらした。
彼女の世話は奴隷のレンナンに任された。レンナンはあれこれ雑用をこなしながら、どこへでもティを連れて行く。
「ありがと、ティ。でもこれは、おれたちケルティス人にとっては……その……」
普段からぶしつけなくらいしゃべりまくるレンナンが、頬を赤らめて困ったように笑う。なんだよ、とアメヌイがあごをつきだした。
「ケルティス人にとっては、なんだって?」
「その……恋の印、みたいな?」
アメヌイはすっくと立ち上がった。涼んでいた木陰から出てきて、レンナンから、ティのサンザシをもぎ取った。その拍子に縄をおさえていた足がずれて、井戸の底に水瓶が落ちる。
ティが「あー」と水瓶の行く末を見届けた。アメヌイが妹の肩に手を置く。
「ティ。おまえにはもっとふさわしい男がいるぞ。こんなちゃらんぽらんじゃなくて」
「ちゃらんぽらんとはなんだよ? おれ、働き者だろー」
「うるさい、口先ばっかりの怠け者」
レンナンが笑う。ティも笑う。ティはアメヌイからサンザシを取り上げて、井戸に落とした。水の上にものを落とすのが、気に入ったようだ。
「こら、ティ、だめだ」
思わず強い声が出た。ティはびくっとして、あわあわとレンナンのうしろに隠れた。
しまった。アメヌイは後悔した。こういうとき、妹は厄介だ。どうなだめすかしても、怖がり続ける。
「いや、いいんだ、ティ。怒っているわけじゃないんだよ。ただ……」
「ここにぽいしちゃいけない、ね?」
レンナンは井戸にものを落とすしぐさをして、すぐに首をふった。
「ね? これはだめ。やってごらん。ぽい、だめ。な?」
ティは首をかしげて、黒い瞳をレンナンに向ける。
緑色の瞳を物おじせずにまっすぐに見つめることができるのは、ティだからこそかもしれない。アメヌイはそれをじっと見つづけることができなかった。もちろん、本人に感づかれないよう、細心の注意を払ってはいたが。
ティは井戸にものを落とすしぐさをして、すぐにしかめつらをして首をふった。そうそう、とレンナンが笑う。
「ティはいい子だなー」
「あい」
「あはは、ティはいい子、いい子。だーい好き」
レンナンはティを抱きしめ、手をひっぱって井戸から遠ざけた。
「ほら、ティ、占いをやろうぜ! 木の枝を集めてきな」
ティはにこにこしながらこくんとうなずく。裏庭を歩きまわって、枝を探した。
かなわないな、とアメヌイは思う。
アメヌイはティの相手が苦手だった。ティが本当に理解しているのか、アメヌイにはさっぱりわからない。何を言っても、結局意味がないような気がする。
しかし、レンナンはちゃんとティに話しかける。辛抱強く、優しく、楽しそうに。
ティはレンナンが語りかけると、普通の子どものようになる。他の人が教えても、無視したり、泣きわめいて手が付けられなくなったりするのに。
ティが庭中を走り回って枝を拾い集めているあいだに、レンナンは水瓶を井戸に落として上げ下げした。不自然な動かし方に、アメヌイは眉をひそめて井戸を見おろした。
「何してるんだ?」
「まあ、見てろって」
レンナンは何度か水瓶をひっぱりあげ、とうとう歓声を上げた。水瓶にたっぷり入った水の上に、サンザシの枝が浮かんでいた。レンナンは枝をつかむと、木陰の向こうに投げ捨てて井戸の上にふたをし、アメヌイにウインクした。
「ほらな、ちゃんと真面目に働いてるだろ」
アメヌイはふんと目をそらした。
これは長屋の共同井戸だ。もしもどこかの家の水桶にサンザシの枝が入っていれば、レンナンが罰を受けることになるだろう。レンナンの首に巻きつけられた青銅の首輪は、彼が一生奴隷であり続けることを示している。
どんなに気さくに話しかけようと、どんなに心をゆるそうと、テリ人はケルティス人を奴隷として扱う。この国ではずっとそうだった。テリ人がこの島に攻め込んで、ケルティス人の国を奪ってから、ずっと。
ティが笑顔で集めてきた木の枝を、レンナンは六本選んで、同じ長さになるように折った。それをティに渡し、「ぽい」と言いながら落とすしぐさをする。
ティはレンナンの真似をして枝を地面に落とした。ふむふむ、とレンナンはしゃがみこんで散らばった枝をながめ、「やっぱり、ティの木はハリエニシダだなあ」と言い、ティと顔を見合わせ笑う。それから木の枝をかき集めてアメヌイに差し出した。
「ほれ、アメヌイぼっちゃまも、おひとつどうぞ」
アメヌイはぶすっとした顔で枝を受け取ると、同じように枝を投げた。心はここにあらず。なぜ、父は自分が建築家になるだなんて言ったのだろうと、またそれを考えはじめていた。
「うん、アメヌイはハシバミだな。やっぱ、持って生まれた木の運命は、変わらないんだなあ」
「占いなんて、ばかばかしい」
アメヌイは木陰に座り、置いておいた本を手に取った。アメヌイは庶民文字だけでなく、高等な学を受けた者しか読めない神聖文字も読めるようになっていた。
レンナンが笑う。
「ケルティスの占いは当たるんだぜ?」
「占いも神もみんなでたらめだね。本当に効果があるなら、ティはありがとうのひとつも言えるはずだ」
王都の神官たちは、ティのためになんの役にも立たなかった。アメヌイは彼らを信じることをやめた。信仰を持たないのはテリ人にとって罪深いことであるから、アメヌイはこれを誰にも言ったことがない。ケルティス人であるレンナンをのぞいては。
「きっと、ティには『ありがとう』なんて言う必要がないんだ。そうだよな、ティ?」
レンナンはティに笑いかける。ティは嬉しそうにレンナンの鼻をつまんだ。いてて、とレンナンが涙目になる。
「言えたほうがいいに決まっている。このままのティを嫁にもらってくれる男がいると思うのか?」
レンナンはティに枝を手渡し、黙りこくった。ティはにこにこしながら木の枝をめちゃめちゃに折りはじめた。レンナンはこちらへ歩いてくると、アメヌイの前に立って見おろした。
アメヌイは本に落としていた目を上げて、レンナンをにらんだ。出来るだけ、怒って見えるように。そうでないと、怖がっているのがばれてしまうと思った。
背の高いレンナンは、笑っていないと怖く見える。何を考えているのかわからない。同じ家で育ったはずなのに、家族も同然なのに、近い人のほうが、ときどきわからなくなるときがある。
「なんだよ?」
「……きっと、ケルティスの巫女様なら、ティは変わる必要がないって言うさ」
「は?」
聞き捨てならない言葉だった。アメヌイは本を閉じ、立ち上がる。敷居の上に乗り、自分よりも背の高いレンナンと同じ目線に立った。
「ティは何もしゃべれないんだぞ。変わる必要がないって、どういう意味だよ」
「ティは祝福されてる」
レンナンは笑わずに言う。
「ティは誰よりも、幸せなんだよ」
「……そんなことを真顔で言うから、ケルティス人は頭の中まで真っ白だ、って言われるんだぞ」
アメヌイは言って、また座り込んで本を開いた。レンナンの目を見つづけられなくなったのだ。
レンナンはにやっと笑って、「それに、おまえはやっぱり、ハシバミっぽいぜ」と言った。
「は?」
「ハシバミの言葉は、ひらめきと知識を求めよ」
レンナンはくるりとふり返ってティの頭をなでに行き、水瓶を頭に乗せてこちらを向いた。
「そして、知恵を得よ。勉強ばっかしてるおまえに、ぴったりじゃん?」
レンナンは水瓶を家の中へ運ぶ。ティがそのあとを追いかけて歩く。まるで親のあとを追いかけるひよこだ。
「じゃ、ティの占いはなんだよ?」
家に入るレンナンの背に、アメヌイは叫んだ。
「なんにも言わないティに、ぴったりな言葉って、いったいなんだよ?」
笑い声がして、冷たい石の壁を震わせながら、レンナンの楽しげな声が返ってくる。
「ハリエニシダ。楽観と信頼の象徴!」
「……は」
アメヌイは本に目を落とし、肩をすくめる。誰にも聞こえないくらい小さな声で、呟くように認めた。
「確かに、当たってる」
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