第二話 ありふれた日常

 一応、俺は学生である。高校生だ。


 世間一般だと、高校生活と言えば青春がどうのこうの、といった感じらしい。


 二年目に入る今のところ、そのような気配はない。


「おはよー山瀬」


 教室に入ると、暇そうにしていた田中が手を振ってきた。俺も右手を振り返す。脇腹に痛みはなかった。


 田中真理。

 俺の同級生。小中高と同じ学校に通っている。腐れ縁と言うものだろうか。


 田中は栗色の髪をボブにしている。

 明らかに地毛ではない髪色で、何度か生徒指導を受けているが、その度に雑極まりない弁明で回避してきた実績を持つ。


 田中曰く、

『母親がアメリカ人でして』

『コーラを頭にかぶっちゃいまして』

『太陽を浴びすぎまして』

『いい感じにストレスで色抜けまして』

 ……と様々な理由を使ってきたらしい。いつネタ切れになるか楽しみだ。


 ちなみに、小中は黒髪だった。また、授業参観のときに田中の母親を見たことがあるが、ガッツリ日本人だった。卒業式に見た父親も醤油顔の日本人だった。


「どした? 眠そうだね?」

「……そうだな、クソ眠い」


 昨日あんなことがあり、朝はあんな状況で起床し、それでも登校している自分を褒めてあげたい。国民栄誉賞とかもらえるかな、別に要らんけど。


「またビデオ屋?」

「……まあ、そんなところ」

 

 俺がそう返すと、田中はため息をついてお手上げのポーズをした。


「このご時世に、なんていうか奇特といいますか……。山瀬おじいちゃんは知らないかもしれないけれど、今は動画ストリーミングサービスってのがありますよ?」

「知ってるよ。でも、俺は自分でジャケ見て借りる方が性に合ってるから」


 それに、夜の街を散歩するのは好きだ。家に居て全てが済むなら、その爽快さを味わえなくなるではないか。


「ああ、パッケージ詐欺とかあるもんね」

「うんうん……うん?」

 田中の言葉に、何かひっかかりを覚える。


「やっぱ自分の目で見てオカズは決めないとね」

 なるほど、やっぱり下ネタ方向に持っていったか。この手のやりとりも、慣れている。


「……お前な、俺はそんなの借りてないから。っていうかまだ年齢的に無理だから」

「ははは、冗談冗談」

「……ほんとかよ」

 笑って誤魔化そうとする田中に、怪訝な視線を向ける俺。


「で、何借りたの?」

「洋画。アイアン●ンとか」

「アーンイヤーン●ンじゃなくて?」

「パロディAVの話をするな」


 なんて軽口を田中と交わしていると、担任教師が入ってきた。


「あ、じゃね」

「じゃあな」

 田中がそそくさと自席に帰る。俺は軽く手を振って、田中を見送った。


 田中は隣に座る友人――確か、加藤と言ったか――と会話をし始める。

 そんな田中を横目で見つつ、俺とは人間の質が違うな、と淡々と思ったりした。

 どっちが好ましいかは、言うまでもない。


                  〇 


 本日の授業及びホームルームが終了した。


 それにしても。


 昨日のことは、一体何だったのだろうか。

 俺の傷跡から考えて、実際にあったことなのだろう。


 ならば、どうして戦闘の痕跡がない?

 それに、あの少女はどうして怪物と戦っている? しかも、なんか宙に浮いていたし。


 あの怪物は何だ?


 というか、どうして俺は生きている?


 あの少女が最後に言った言葉は、どういうことだ?


 疑問が疑問を呼び、頭が混乱しそうになる。


「おーい山瀬ー」

 帰ろうとしたところを、田中に呼び止められた。


「どうした?」

「ああいや、大した用じゃないんだけど、カラオケ行かない?」

 田中の誘いに、俺は思わず目を丸くする。


「……カラオケ?」

「あ、カラオケご存じない?」

「いや、知ってるけど。……どうして?」

「いや、人数欲しいし。嫌?」

「……まあ、嫌だな」


 単純にめんどくさいし。あとカラオケで何歌ったらいいのかわからん。


 俺の返事を聞いた田中は、両手をお手上げのポーズにして首を横に振った。


「言うと思った。人の誘いを受けないと、次第に誰も誘ってくれなくなりますヨ?」

 田中が意地悪い笑みを浮かべる。


「……それはそうかもしれんが」

「あと、宿題とか見せてあげませんヨ?」

「うっ……、そう脅してくるか」


 自慢じゃないけれど、俺は課題をしっかりやってくるタイプではない。


 ぱっと見は真面目っぽく見えるらしく、『見た目だけ真面目系』などという陰口を叩かれることもある。まあ、夜に一人で出歩いているし、否定はしないけど。


 一方の田中はこんなチャランポランな感じなのに、実は成績学年トップという逸材だ。人は見かけに寄らないというか、なんというか。

 そんな田中に、俺は何度か宿題を見せて貰っている。


「借り、ありますよねアナタ?」

「……あるけど、っていうかなんだその話し方は」

「気分。まあ、借りを返すと思ってさ」

「……わかったよ」

 俺は諦めて首を縦に振った。


                 〇


 学校から最寄り駅前に行き、カラオケボックスへ。

 メンバーは、俺、田中、加藤の三人組であった。男女比が偏っている。


聡子サトコ、何歌う?」

 と田中。俺は今この瞬間、加藤の下の名前を初めて知った。


「そうだね、えーっとー……」

 田中と加藤はリモコンを操作し、曲をどんどん追加していく。その様子は、実に手慣れている。


「山瀬くん、何入れる?」

 と加藤。加藤は黒髪を長く伸ばした、垂れ目の女の子だった。たぶん可愛いと呼ばれる枠に入る。


「あー、えっと」

 何を、と考えたところでフリーズする。


 俺みたいな滅多にカラオケに行かない人間は、立ち回りがわからない。無難に最近の曲入れる? いやでも、最近の曲知らないよ?


「山瀬」

 とここで田中が口を出す。


「何だ?」

「タンバリン叩く役があるよ」

 田中はその手にタンバリンを持っていた。


「シャンシャン鳴らしとけばそれっぽいよ」

「……………………」


 俺はしばらく逡巡した後、そのタンバリンに手を伸ばす。シャン……という弱々しい音が、虚ろに響いた。


「まあ、それだけじゃ寂しいだろうから、適当に知ってる曲入れなよ。そんな上手く立ち回ろうとしなくていいし」

「…………む、わかった」


 田中は俺の内心を見透かしていたらしい。俺は言われたとおり、知っているロックバンドの曲を数曲入れておいた。たぶん歌える……はずだ。歌詞はうろ覚えだけど。


「あ、トップバッター私だ、いくね」

 加藤がそう言ってマイクを持ち、電源を入れる。


「いよっ、待ってましたー!」

 と柏手を打つ田中。お前はおっさんか。


 加藤が歌ったのは、つい最近流行った……らしい、曲だった。確かアイドルグループのやつ。


 加藤の歌声は、素人の俺が聴いてもわかるぐらいには上手だった。俺の手に持つタンバリンは、この歌の前では雑音にすぎないだろう。


 しばらくして、加藤の曲が終わる。田中も俺も拍手をする。


「さて、次は私の番だね」

 田中が立ち上がる。俺はタンバリンを鳴らす準備をした。


                  ○


 しばらくの間、俺たちはカラオケに興じた。


 加藤は歌が非常に上手く、田中は途中からネタに走り、俺は二曲を歌ったあとはタンバリンと拍手係に専念した。


 そうしていると、室内に電話のコール音が鳴る。田中が取った。


「……はい、はい。わかりました。そろそろ終わりだって。延長する?」

 と田中が問う。俺は首を横に振り、田中が苦笑した。


 加藤は俺を横目で見たあと、田中に視線を送る。田中は首肯し、「延長無しで」と言い受話器を置く。


「というわけで、ラスト一曲……はサトコ先生に」

 田中が少し冗談めかしてそう言うと、加藤は照れた表情を浮かべ、


「先生なんて言われるほど上手くないよ~」

 と謙遜しつつ、曲はしっかり入れていた。


 加藤が最後に歌った曲は、女性シンガーソングライターの曲だった。恋やら愛が内容の、静かな曲だ。


 安っぽい音の伴奏に、加藤の声は不釣り合い過ぎた。加藤は淀みなく、惑いなく、高らかに、透明な歌声を響かせる。


 途中、加藤と目があった。加藤が、少し笑う。

 俺はその表情に少しの疑問を抱きつつ、ただ静かに歌を聴く――。


                  ○


 そんなこんなでカラオケが終了し、俺たちは帰宅する。


 加藤はこの近くに家があるらしく、自転車を漕いで帰っていった。

 俺と田中は電車に乗る必要がある。二人で、駅の中へ。


「ねえ山瀬」

「なんだ」

 改札を通ると、田中が俺を見上げつつ口を開く。


「サトコ、良い子だったでしょ」

「…………まあ、そうだな」


 きっと、加藤のような人間を世間では良い人と扱うのだろう。それの基準になぞらえるなら、田中の言っていることは間違いない。


「どうだった?」

「いや、そりゃ良い人だと思うけど」

 俺がそう返すと、田中が微妙な表情になる。


「……それ以外は?」

「それ以外……ああ、歌が上手かったな」

「どう?」

「……どうって?」


 田中の意図を掴みかねて、俺がきょとんとしていると、田中は深くため息をついた。


「……あんたねえ、普通、察するでしょ」

「……ああ、そういうこと」


 加藤の視線と、田中の言葉、それらの意味が結びつく。

 もっとも、どの程度で捉えたらいいのかわからないが。


「加藤が?」

「……まあ、そういうことよ」

「……なるほどな。どの程度」

「わりかし」

「……ふーん」


 そうか、そんな感情を俺に向けていたのか。他人事のように、そう思う。

 別に加藤がどうこう、といった問題ではない。


 けれど、俺はそんなこと今はどうでもよくて。……いや、今までもどうでもよかったか。


「……はあ、なんていうか山瀬、あんた枯れてるねえ」

 田中がお手上げのポーズをして、首を横に振る。


「…………そうだろうか」

「そうに決まってんじゃない。サトコ、人気あるのよ?」


 などと会話しているうちに、ホームの待機列に並ぶ。


 そこで俺は、一人の人間に注目した。田中ではない。

 その男性は、待機列の先頭にいた。灰色のスーツを着ており、表情に生気がない。


「……へえ」

 田中の言葉に生返事を返しつつ、そのサラリーマンを観察する。


 一見、どこにでもいそうなサラリーマンだ。……しかし、俺は何かおかしなものを感じていた。


 それはその人の表情のせいかもしれないが、それだけでは説明できない違和感を伴っている。


 言うならば、その人は虚ろなのだ。この場にいる無数の人間の中でただ一人、中身が詰まっていないような、そんな印象を与える。


 そして、何よりも。


 その人の周囲には、黒い瘴気のようなものが漂っていた。

 俺は、その黒に見覚えがある。


 脇腹の傷跡に意識を向ける。傷跡が、疼いたような気がした。


 やがて、ホームに電車の到来を知らせるアナウンスが鳴る。

 ブレーキ音。風の音。


 そして。


 警笛がけたたましく響く。その音は、場の空気を異常のそれに染め上げる。


 俺は線路の方を見る。

 先ほどの男性が、跳んでいた。

 死へ、終わりへ。


 悲鳴が響き、どごぼっ、という何かが弾けてまき散らされる音が聞こえる。

 血肉が周囲に飛び散り、電車が常時とは違う、中途半端な位置に停車する。


「えっ? えっ、なに⁉」

 田中は、露骨に混乱していた。

 俺はそんな田中を放置して、線路の方へと向かう。


 ある人はスマートフォンを操作し、ある人は顔を背け、ある人なにやら興奮した様子で友人と話している。

 そんな人たちをかきわけているうちに、人垣が途絶える。


 線路が見えた。


 そこには、人間の成れの果てがあった。灰色のスーツは、少し前の面影など欠片も残さず、ズタボロになっていた。


 赤がぶちまけられたその場には、黒い瘴気は存在していない。

 先ほどのアレは見間違いだったのだろうか。


 そう思っていると、上方にただならぬ気配を感じ、目を向ける。


「…………マジか」

 駅のホームの屋根、そこには黒い怪物がいた。


 傷口がうずき、全身が総毛立つ。


 今ここでアイツが暴れたら、間違いなく俺は死ぬとか、どれだけの犠牲が出るとか、そんなことはどうでもいい。


 ただ、田中がいる。数少ない、友人がいる。

 こいつだけはなんとか生かさないとな、と構えていると。


「……あれ?」

 怪物は屋根を跳び、どこかへと去って行った。俺は肩すかしをくらったような気分と、安堵を同時に覚える。


 田中は両手で口を覆い、事故現場からは目を逸らしている。

 俺はそんな田中を横目で見つつ、どうやって帰ろうかな、と考えたりした。


                  〇


 翌日、電車を降りると、昨日のことを思い出した。


 この街の近辺は自殺者が多いらしい。全国的にも顕著だそうだ。


 理由はよくわかってないし、この街に住んでいる俺もわからない。


 別に曇りがちなわけでもないし、空気がジメジメしているわけでもない。人間性が陰湿という話も聞かない。


 風水的なサムシングか、電磁波的なサムシング……まあ月刊ムー的な原因もあるのかもしれないが、そんなことは知ったことではない。

 まあ、あの黒い怪物は明らかに月刊ムー案件だろうけど。


 現場は、綺麗になっていて何の痕跡も残っていなかった。


 昨日、田中はショックを受けていて、しばらく元気が無かったが。

「おっはよー山瀬」

 今日はこの通り元気だった。


「今日も元気だなお前」

「そりゃそうよ、人生何があるかわかんないんだから、元気で明るくいないとね」

「……そんなもんかねえ」


 田中の口から人生訓のようなものが聞けるのは珍しい。昨日のことで、何か思うところがあったのだろうか。


「そんなもんですよー。やっぱせっかく生まれたんだし、世界を楽しまないと」

 にっ、と笑って田中は言う。俺はその意見に同意しかねつつも、首肯して返しておいた。


「で、昨日のカラオケどうだった?」

 と田中。


「どうだった、とは?」

「楽しかったか、と聞いてるんですよわたしゃ」

「……まあ、楽しくなかった、とは言わないよ」


 あのような現場や空気が少し苦手なのはあるけど。とはいえ、昨日は少人数だったし、友情! 青春! ウェーイ! みたいなそれではなかったので、全然マシだけど。


「そか、じゃあまた今度も誘うね」

 田中はそう言って笑った。


「……ん、それはどうも」

「あはは、お礼が下手だなあ」

「……うるせえよ」


「おーいお前ら席につけー」

 俺と田中の会話に、教師の声が割り込んでくる。

 田中は慌てて席に戻ろうとするも、そこで固まった。


「どうした?」

「いや、サトコ……遅刻かな、珍しい」

 加藤の席を見ると、空席だった。


「休みじゃねえの?」

「かなぁ? ライン送っとこ」

 田中はそう言って、自席に去る。

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