5.「もし海付がまだそいつのことを好きだったら」

 アーケード街の一角にあるアミューズメント施設の地下一階。ゲームセンターはタバコの臭いに満ちていた。

 各機器からは電子音が鳴り響き、たくさんの人が台を叩いて騒ぎ散らしている。どこか埃っぽいニオイもして、とても居心地のいい空間とは言い難い。


 分かっていながらもそんなところに足を伸ばした理由としては、頭の中にある思考の不純物を取り除きたかったからだ。一度整理する必要があると思った。カフェでコーヒーを啜っていては同じ考えばかりが巡る気がして、敢えて落ち着かない場所に身を置こうと考えた。

 それと、待ち合わせの時間までの暇つぶしをするために。


 ゲーセン奥のコインゲームコーナーで五百円だけを課金し、マリオの台に腰を落ち着けた。目の前の画面内でマリオがすごろくマスの上に止まっていて、両サイドの投入口からコインを入れればマリオが勝手にサイコロを振って進んでいくというシンプルなルール。ボーナスマスでコインが増えたり、ミニゲームで勝てばまたコインが増えたり、ゴールすればゲームにチャレンジすることができ、上手くいけばコインが増えたり。

 言わずもがなコインを増やすゲームである。目的は明白で、僕はそれに向かって淡々とコインを投入していけばいいだけの話だ。


 単調な時間はあっという間に過ぎた。

 コインを投入し続けていた手から感触が無くなった。台上の凹みを見ればコインがもう数枚しか残っていない。ああ忘れていた、これは運も必要なゲームであることを。

 五百円分のコイン数ではマリオをゴールに導くことも叶わず、これといった大きなイベントを起こすことも出来なかった。残りのコインには夢も希望もなく、あとは消化試合で全て投入するしかない。


 スマホを確認すると時間は十五分も経っていない。暇つぶしにもなっていない気がして次はどの台で遊ぼうか考えながら最後の一枚を投下させる。コインはガラスの中で前後する台に乗っかり、二枚ほどを下段に落とすも手許に戻ってくることはなかった。


 余韻に浸ることもなく座り心地の悪い椅子から尻を上げたその時、脇から妙にゴツゴツした太い腕がニュウ、と伸びてきた。


「連コイン」


 勝手に投入されたコインは台に乗っかり、数枚を下段に落下させ、続いて三枚が手前の穴へ落ちていく。コインを溜めておける凹みの中に、その落ちた三枚がチャリンチャリンと現れた。


 僕は目線を三枚のコインから隣にやった。濃い眉毛を強調するかのように前髪を上げたそいつは緒方おがた幸四郎こうしろうだった。手には黒いカップを持っていて、その中には大量のコインがジャラジャラと入っていた。


「いくら課金したんだよ」


 挨拶も脇に置いてまず気になったのがそれだった。

 幸四郎は得意げな笑みを僕に向けると、構いもせず二人用の椅子の半分を占領してくる。僕も合わせるように浮かせた尻を左に避けた。


「カウンターに預けてたやつだ。たまに来んだよここ。とりあえず三百枚ある」

「とりあえず? 一体いくらのコイン貯金が……」

「雑に遊んでも三時間は潰せるくらいかね」


 僕は少し考えてみたが、パッと思い付けなかったので考えることを止めた。


「それで、海付うみつきがどうかしたのか?」


 プレイヤーとなった幸四郎が、リズムよくコインを投入しながら訊いてくる。ふむ、確かに慣れた手つきだ。


「幸四郎、覚えてる? 海付さんの元カレのこと」

「ああ、中学んときの? 通り魔に刺されたっていう」

「うん」


 マリオがどんどんマスを進んでいく。途中にあるブロックを壊せば、ボーナスコインとして五十枚を獲得した。端の機械から、同数のコインが大胆に投げ入れられていく。


「その人に、さっき会ってきたんだよ」

「はあ? どういう繋がりだよそれ」


 幸四郎は僕を訝し気に見るが、ゲームの方でまたイベントが始まったので横目でこっちの様子を窺いながらも画面へ視線を戻した。


「たまたま会ったんだよ。最初は僕も気付かなくて」


 要点を抑えつつ簡略的に経緯を話す。


「それで気付いたってわけか」


 マリオがゴールマスに到達する。軽快な音楽と共にチャレンジゲームがスタートした。幸四郎がタイミングよくボタンを押すと、画面の中で矢が六マスのダーツボードに刺さる。五コインゲット。これはハズレみたいだ。


「まさかとは思ったけど、間違いないよ」

「東京からわざわざ、ねぇ」


 二本目の矢が飛ぶ。五コイン。チャンスはあと一投。


「それで、何を心配してんだよ。恋敵が現れて焦ってんの?」


 最後の矢が飛ぶ。三十コイン。まずまずの結果に終わった。


「バカ言うなよ」

「ただの冗談だろ」

「僕と海付さんはそういうんじゃない」

「分かったって。お前が心配してんのも何となく分かってんよ」


 本当か? 睨んで見せると、幸四郎は抜け感のある笑顔を浮かべている。腹が立った。


「もし海付に未練があるなら、ぶっちゃけ会わせるのはマズイわな」


 ちゃんと分かっていたことに、僕は怒りを引っ込める。

 画面に視線を戻すと、早々に次のステージでのゲームが始まっている。幸四郎のコインはまだほとんど減っていないように見えた。


「呪いが発動するかもしれない」

「たしか海付は、感情に左右されんだよな。恋愛間で人を好きになったら、好きになった相手が不幸になる」

「さっき会ったその人はすでに海付さんから呪いをうけてるんだ。下半身不随で車いす生活を強いられた」

「難儀だな」


 幸四郎の言う通りだ。連コインする手は止めないものの、その言葉には重みがあるように思える。

 矢津田やつださんは犠牲者となってでも海付を追ってここにやってきた。その執念深さは本物だ。呪いのことを知らないにしても、不自由な身体になってしまえば感情には折り合いがつきそうなものだ。それがなかったのだから、仮に矢津田さんが海付の秘密を知ったところで、その感情は変わらない。

 真っすぐな愛は、今の海付にとって厄でしかない。


「やっぱり、会わせるわけにはいかないよね」

「そりゃそうだが……何か引っかかってそうだな」

「うん、まあ。矢津田、あ、海付さんの元カレの名前だけど。矢津田さんと話すと良い人だって分かるんだよ。海付さんのことを真剣に思ってるし、だから、邪魔したくないって気持ちもあるんだ」

「まあ、人の恋路を邪魔するのは引け目感じるわな」

「だろ?」

「俺たちは損な役回りだな」

「……うん」


 幸四郎はまるでもう選択を絞ったかのような言い方をした。僕は曖昧にしか頷けなかった。


まこと、分かってんだろ。自分がやるべきことを」

「うん」

「お前の目的は、海付の目的でもあるんだぞ。俺にとってもそうだし、赤星にとってもだ」

「ああ」

「悩む必要があるか? もし矢津田ってやつと海付が会ったらどうなるか想像できてるだろ。もし海付がまだそいつのことを好きだったら」

「分かってる」

「だから、俺をここに呼んだんだろ」


 見透かされている。腐れ縁の友人は、僕よりも僕のことを知っている。


「ちょっと意見を聞きたかっただけだよ」

「なら、いい。協力はするぞ」

「うん。じゃあさっそくだけど、明日から三日間空けて」

「……は?」


 初めて幸四郎の手が止まる。僕を見る。僕は真顔を崩さず濃い顔を見返す。


「それから海付さんと赤星さんに連絡とって。三日分の着替えと、動きやすい靴。軍手と帽子と雨具とお小遣いを持ってくるように伝えて」

「ちょっと待て何をやる気だよ。てか何だその準備物、まるで去年あった林間学校みたいな……おい、まさか」

「うん、キャンプに行こう。とりあえず二泊三日で」

「どうしてんなぶっ飛んだ話になんだよ」

「今の目的は矢津田さんと海付さんを会わせないことだよ。一番いいのは物理的に距離を開けること」

「だからって、急に、しかもキャンプってよ」

「ホテルに泊まるお金は無いし。キャンプ場なら一泊の料金も安いし備品の貸し出しもやってるところがある。低コストでいけるんだよ」

「はあ、なるほどな。いや理屈は分かったがよ、んな急に集まるもんか? それぞれ都合ってもんが」

「集めるんだよ。協力してくれるんだろ?」

「んん、言った手前否定はできん」

「じゃあ、よろしく。もう予約もしてあるから、今さらキャンセルはできないからな」


 一人椅子からおりる。ふと画面を見れば、ボーナスゲームが始まろうとしている。そんなことに気付かない幸四郎はただ僕の顔ばかりを見詰めてきていた。

 げんなりな表情をしていた。


「だあ! もう分かった。損な役周りには慣れてっからな」


 幸四郎は投げやりに言うと、ゲームに向き直り腹いせのように連続でコインを投入し始める。そんな忙しい背中を横目に、「頼むな」と吐きつつその場を後にする。

 覚悟を決める為に拳を固めた。それは矢津田さんに対する罪悪感を掻き消す為でもあった。自分がやらねばならないことを、今一度再認識した。


 その日の夜八時ごろに、海付から電話があった。

 出ると開口一番、キャンプへの説明を要求された。不満を爆発させたような声だった。幸四郎が説得に失敗したのだと分かっててきとうな嘘をついた。魔女の手がかりがあるとか何とか、そんな理由を。

 海付は疑い半分に何度も理由を深堀りしてきて、僕は多少苦し紛れにも嘘を貫き通した。最終的には「そんな急に行けるか」と怒鳴られ電話は切れた。


 どうしたものかと思っていた矢先、今度は赤星から個人でLINEが届いた。幸四郎から事情を聞いたと、そういった節の内容が二行でまとめられ、海付の説得は任せてくれと頼もしい一文が最後に乗っていた。

 

 僕は赤星を信用して全てを託すことにした。

 ゲジ眉ゴリラの頼りなさにため息をつきつつ荷造りを終えて、早々に就寝する。終業式を終えてから一日中動き回ったせいか、瞼を閉じると意識は柔らかな布団の中に深く吸い込まれていった。


 早朝、五時。

 快眠を経て目覚めた僕は枕元のスマホを確認した。

 海付から一件のLINE通知があって、開く。


 『行ってあげるわ。当然、旅費はそっち持ちよね?』


 そう来たか。

 まあ、その考えが全く無かったわけでもない。小遣いを使い切ればギリギリ足りる金額であることは、昨日の内から計算していた。

 返事を打って、洗面所に向かう。

 三日間のプランとは別に、今後の小遣い稼ぎのことも考えながら。


 とりあえず、幸四郎を巻き込んで短期バイトでもやろうかな。

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