【14】BEOWULF
ロシア北部の軍港都市ムルマンスクに寄港した翌日――。
同地で一晩を明かした短距離戦術打撃群は早朝から出撃準備を進め、午前中には護衛のロシア北方艦隊と共に港を出る予定だったが……。
「(酷い濃霧……視程はせいぜい250メートルといったところかしら)」
旗艦アドミラル・エイトケンのブリッジ(艦橋)から双眼鏡で外の様子を確認するメルト艦長。
彼女の視界に広がっているのは一面の白い世界。
自分の足元以外はほとんど何も見えない、これまで経験してきた中でも最悪の濃霧であった。
甲板上など屋外で活動中の乗組員からも"視界不良で作業継続は困難"という報告が多数寄せられている。
「ゼル中尉、天気予報はどんな感じ?」
双眼鏡を下ろしたメルトはサブオペレーターを務めるゼル・ガディス中尉に今後の天気予報について尋ねる。
「ハッ、最新情報では少なくとも2時間ほど濃霧が続くとのことです」
定期的に地元ロシアの気象機関から発信される気象情報を傍受していたゼルによると、出港予定時間までに朝霧が晴れる可能性は極めて低いという。
「艦長、この状況での航行はさすがに危険だ。地元の海に詳しいロシア海軍の連中からも忠告を受けている」
「『霧の海には魔物が潜む』――言語は違えど船乗りにとっては万国共通の認識というわけね」
護衛に就くロシア北方艦隊の関係者とのすり合わせを任されていたシギノ副長も気象状況には懸念を抱いているらしい。
それに同意するようにメルトもオリエント圏における船乗りの合言葉を引き合いに出して肩を竦すくめる。
「どうする? 出港予定時間を遅らせるか?」
「副長、貴官の意見を聞かせてちょうだい」
シギノ副長の意見具申は至極当然な内容だが、部下の提案に依存して動くわけにはいかない立場の人間としてその根拠を聞き返すメルト。
「我々は『第4艦隊事件』の悲劇を忘れてはなりません。ミルクの霧の中を進む時こそ用心に用心を重ねるべきです」
「……ポリャールヌイ海軍基地に通信を繋いで」
第4艦隊事件――。
オリエント国防海軍の軍人ならば誰もが知っておくべき出来事について丁寧な口調で言及するシギノの真剣さを認め、メルトは艦隊が投錨しているポリャールヌイ海軍基地への連絡を試みる。
「私たちだけならともかく、ロシア海軍の人たちを危険な海へ連れて行くわけにはいかない」
無償の厚意はありがたく受け入れるにしても、それ以上の支援を求めるべきではないと彼女は判断したのだ。
同時刻、ポリャールヌイの北に位置するバレンツ海の洋上にMFを中心とする航空部隊の姿があった。
「――
作戦エリア上に設定されていると思われる位置座標の通過を報告したMFドライバーの男はロシア語訛りであり、濃霧で判別しにくいが搭乗機もロシア製MFの"Gr-9B マーキス"のようだ。
ただし、肩部に描かれているはずの国籍マーク(赤い星)は白い三本線で塗り潰されているように見える。
「よーし、ロシア軍内部に潜む同志たちの工作は機能しているみたいね」
あからさまに怪しい編隊の先頭に立ち、航空部隊を率いているのはオリエント人のMFドライバーだ。
既存のどの機種にも該当しない新型MFを駆る彼女は不敵な笑みを浮かべていた。
「ベーオウルフより各機、無線封鎖の前に一つだけ伝えておきたいことがある」
TACネーム"ベーオウルフ"を名乗る女は無線封鎖に入る直前、数少ない有人の僚機たちに向けて簡単な訓示を行う。
「これからあなたたちは同胞と戦うことになる。それは本当はあってはならないことなのかもしれない」
ベーオウルフが率いる部隊は主力の有人機とそれを守る無人戦闘機の混合編成となっているが、前者はロシア軍を離反した比較的若いMFドライバーが大半を占めており、彼らを同胞と戦わせることは個人的には本望ではなかった。
「だけど……心の底から革命を志すならば躊躇うな。いざという時は迷わず行動しなさい」
しかし、世界に対する革命軍たるレヴォリューショナミーの主要メンバーの一人として、あえて厳しい言葉を突き付けるベーオウルフ。
穏やかな口調とは裏腹に彼女の熱意は本物であった。
「……分かっている。覚悟はある……俺たちは闘う」
「それじゃ、次は接敵の直前に会いましょう」
僚機のロシア語訛りの覚悟を聞き遂げたベーオウルフは満足げに微笑むと、通信システムを一時的にオフして無線封鎖を開始する。
「(この濃霧なら攻撃ポイントへ到達する前に発見される可能性は極めて低い)」
自機から発せられる音以外は何も聞こえず、真っ白な濃霧により何も見えない世界を超低空飛行で突き進んでいく。
計器に頼らなければまともに飛べないほどの視界だが、それは相手も同じ条件のはずだ。
「(しかも、ムルマンスク
先ほどベーオウルフが言及した"同志たちの工作"とは、ポリャールヌイ海軍基地を含む軍港都市ムルマンスク一帯をカバーするレーダーシステムの無力化のこと。
そのおかげで彼女の部隊は沿岸部まで接近しているにもかかわらず、未だに防空網には引っ掛かっていなかった。
「(私たちの戦力は決して多くない。でも、所属組織の中で活動する協力者も決して少なくない)」
レヴォリューショナミーの総戦力はビッグ3(日本・アメリカ・オリエント連邦)のいずれかが本腰を上げれば容易に押し潰されてしまう程度でしかない。
だからこそ列強諸国による月という名のパイの奪い合いを嘆く、表向きは所属組織に従順な潜在的協力者たちが様々な形で支援してくれるおかげで初めて戦えるのだ。
「(獅子身中の虫には気を付けることね……特にブフェーラ隊の皆さんは)」
ベーオウルフ――彼女の本名はホロ・ウォルフ。
レヴォリューショナミー独自開発の超高性能MF"XREV-006 イセングリムス"を与えられた、元オリエント国防空軍所属の隠れたエースドライバーであった。
一方その頃、こちらは短距離戦術打撃群旗艦アドミラル・エイトケンのブリッジ内。
「ほわぁ……」
「大丈夫? あと30分で私と副長以外のブリッジクルーはBチームに交代するから、それまでは持ちこたえてね」
「あ……すみません」
朝早くからの勤務で眠たいのだろうか?
大きなあくびをする姿をメルトに見られたレーダー管制官のエーラ=サニアはビクッと背筋を伸ばし、私物のマグカップに残っていたコーヒーを飲み干し眠気を吹き飛ばす。
このシフトを終えてBチームのレーダー管制官に業務を引き継げば、自分は部屋のベッドでぐっすり眠ることができる。
「……?」
レーダーシステムの調整をしながらレーダー画面を見ていたその時、ほんの一瞬だけ現れた白い光点に首を傾げるエーラ。
白い光点は所属不明のアンノウンを意味している。
現段階ではそれ以上の詳細は分からない。
「どうしたの?」
「……ッ! 艦長! 対水上レーダーに感あり!」
普段と違う様子を察したメルトが心配そうにエーラの座席へ近付いた次の瞬間、今度は先ほどよりも近い位置に複数の白い光点が現れて消えた。
表示時間は相変わらず一瞬だったが、前回よりは明らかに長くレーダー画面に映っていたように思える。
「何ですって!?」
「一瞬ですが、確かに反応が――ほら!」
メルトの表情が途端に険しくなる。
次は見逃すまいと彼女がレーダー画面に顔を近付けると、エーラの報告の正しさを証明するかの如く再び白い光点が現れる。
レーダーが捕捉するたびに数が増えているのはおそらく見間違いではない。
「水上艦にしては速すぎる。速度的には航空機並みだけど……」
アドミラル・エイトケンに搭載されている超高性能な多機能レーダーシステムは、捕捉したアンノウンを"水上を高速滑走する小型戦闘艇"だと自動認識している。
しかし、水上艦では時速600キロ近い速度など出せるはずが無いとしてメルトは情報を鵜呑みにはしなかった。
「素早いな……この数のアンノウンが全て敵だとしたら、今すぐにでも戦闘態勢へ移行しなければ間に合わない」
「総員、第一戦闘配置! 甲板上の乗組員は直ちに作業を中止し配置に就け!」
シギノ副長の懸念に答えるようにすぐさま第一戦闘配置を発令するメルト。
250メートル先しか見えない濃霧の中、バカみたいな速度で艦隊に接近してくる奴らが味方だとは思えない。
「これは誤報では無い! 繰り返す、これは誤報では無い!」
彼女は艦長席のコンソールパネルを操作することで警報音を鳴らし、全乗組員に戦闘準備を急がせる。
「エミール中尉! 全ての僚艦とロシア艦隊に打電!」
より安全なCIC(戦闘指揮所)へ移動するための準備を進めつつ、メルトはメインオペレーターのエミールに以下のような内容の通信文作成を命じるのだった。
「『敵襲ニ備エヨ。本艦ノ電探ハ世界最高ノ探知能力ト信頼性ナリ』――!」
アドミラル・エイトケンの超高性能レーダーが捕捉したアンノウンの正体は、水面ギリギリを超高速低空飛行で翔け抜けるMFと無人戦闘機の混成部隊。
彼女らは電子的沈黙を維持したままポリャールヌイ海軍基地の喉元まで忍び寄っていたのだ。
「――誤差プラスマイナスゼロ、予定通りね」
その沈黙を破るように混成部隊を率いるホロはタイムスケジュールに1秒もズレが無いことを報告する。
「全機、無線封鎖及びFCS(火器管制システム)のセーフティを解除!」
僚機に指示を出しながら自らも乗機イセングリムスのコンソールパネルを操作し、戦闘態勢を整えるホロ。
「主目標はオリエント国防海軍の水雷戦隊! その撃滅を優先しつつ可能であればロシア艦隊及び地上施設を破壊せよ!」
オリエント国防空軍時代のホロはオリエント連邦北部の基地に所属するMF部隊の小隊長だった。
ルナサリアン戦争でも本土防空隊の一員として戦果を挙げており、指揮能力の高さには定評がある。
「地上施設は無人機に任せる。私たち古き良き"有人機"は艦隊の相手をするわよ」
当時の部下たちは全員祖国に置いてきてしまったので、今のホロの仲間はレヴォリューショナミーに参加してからの知り合いばかりだ。
大切な同志をあまり危険な目には遭わせたくないが、柔軟な対応が求められる対艦攻撃は腕利きの有人機で済ませた方が効率が良い。
「有人機――特に"マーキス"に乗っているドライバーは敵味方の誤認に気を付けるように」
また、今回の作戦では"マーキス"――Gr-9Bによる同士討ちの可能性をホロは懸念していた。
ポリャールヌイに駐留するロシア北方艦隊の一部艦艇もGr-9Bを艦載機としているため、同一機種の対決は少々厄介かもしれない。
「この濃霧では肉眼による識別は難しい。IFF(敵味方識別装置)を逐一確認しながら攻撃対象を選択すること。いいわね?」
「「了解!」」
世界に敵対するテロリストになったとはいえ、職業軍人だった頃から変わらず部下想いなホロの気配りに力強い返事で答える僚機たち。
「無人機の行動パターンに変化あり。戦闘モードへ移行する模様」
「そろそろね……全機、ドロップタンクを切り離せ! 交戦を許可する!」
自身専属の副官として宛がわれ、戦場でもバイオロイド専用MF"RMA-25B リガゾルドB型"を駆って帯同する個体の報告を聞いたホロはついに交戦許可を出す。
「ウルフパックに襲われる獲物の恐怖――その身を以って教えてあげる!」
腐敗した世界を噛み殺すべく、革命の牙を研いできた狼の群れによる"狩り"が幕を開ける……!
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