【第1章】The Revenge

【プロローグ1】戦後の世界

 昔々、空高く浮かぶ灰色の月には王国がありました。


科学技術で創られた王国を治めていたお姫様は月を見上げる蒼い惑星ほしに憧れを抱き、いつからか"自分の物にしたい"という野望を抱くようになってしまいました。


そして、凄惨な内戦の末に月の支配者となった彼女は野望実現に向けて動き始めます。


蒼い惑星の内部事情を探るために多数の工作員と偵察衛星を送り込み、数十年に亘り情報収集に努めたのです。


慎重に慎重を重ねた調査の結果、お姫様は勝算を見い出しました。


蒼い惑星は拮抗した力を持つ多数の国家が群雄割拠する、全宇宙でも珍しい場所。


そのような下等文明に惑星国家たる月の民が劣るはずが無い――この時点ではお姫様は侮っていたのかもしれません。



 一部の人々の努力も空しく、蒼い惑星と灰色の月は戦争を始めてしまいます。


月の民が"天空の星の都"を大地へ落として一つの大陸を滅ぼすと、星の民はその行為に激怒し徹底抗戦の道を選びました。


それは……血で血を洗う、人間の本性が露わになるほど醜い争いだったと言い伝えられています。


兵士たちは命令のままに殺し合い、そうでない人々も地獄の業火に呑み込まれ理不尽に死んでいく。


蒼い惑星を包み込んだ戦火はやがて灰色の月まで燃え移り、月の民は自らが点つけた炎に巻かれてしまったのです。


この世を滅ぼさんとする戦争を終わらせたのは、蒼い惑星で生まれ育った一人の勇者でした。


彼は祖国に伝わる"勇気の女神"の名を冠する神器を駆り、同じく神器の力を持つ月のお姫様に一騎討ちを挑みました。


互いの死力を尽くしながらも正々堂々とした果たし合いの末、勇者は狙ったモノを必ず貫く"蒼い光の槍"でお姫様を討ち取ったのです。



 かくして、おびただしい数のしかばねを築いた戦争は終わりました。


犠牲に犠牲を重ねながらも辛うじて勝利を収めた蒼い惑星の国々は、二度とこのような悲劇が起こらないよう対策を打つことにしました。


彼らは自分たちの軍隊を月に駐留させると、まず初めに反乱の可能性を防ぐため全ての軍事力を取り上げ武装解除させました。


続いて月の民が研究を進めていたあらゆる技術を「将来的な軍事転用の防止」という名目で全て没収しました。


そして、戦争に少しでも協力的だった人々を追放し、それに応じず抵抗した場合は戦争犯罪人として処刑したのです。


本当に戦争犯罪を犯していたのはごく一部だけで、実際には濡れ衣を着せられた人の方が多かったにもかかわらず……。



 "少なくとも今後十数年は蒼い惑星の脅威となり得ない"都合の良い小国へと作り変えるべく、進駐軍は灰色の月から名前と国土と主権を奪いました。


進駐軍主導で制定された新たな国名は「暫定ルナサリア共和国」。


その名の通り旧体制を刷新した月側の権限は大きく制限され、実態は蒼い惑星の傀儡かいらい国家でした。


占領下に置かれた月の都は進駐軍を構成する国々によって分割統治され、それぞれの管理領域を主張するように有刺鉄線や巨大な壁で隔てられた結果、検問所の設置と合わせて月の民たちは自由な移動が不可能となってしまったのです。


後に「ホウライサンの壁」と呼ばれるようになるこの壁の存在は戦後復興を阻害したばかりか、各国の熱意や財政事情に起因する格差を生んでしまいました。


北の雪国や東洋の島国は占領地域と言えど一般市民が暮らしている以上、戦前と同程度の生活水準は確保するべきだと考えていたため、必要最低限の衣食住を提供できるよう最善を尽くしました。


一方、戦争で国土を蹂躙された西洋の合衆国は自分たちの復興で精一杯であり、とてもかつての敵国に手を差し伸べられる状態ではありませんでした。


――いや、彼らは最初からそのつもりなど無かったのかもしれません。




 月面都市ルナ・シティ第19ブロック――。


この街区を含む月面都市東部を占領するアメリカ軍はこう呼んでいるが、それを聞くと戦前から暮らしている現地住民は露骨に嫌そうな顔をする。


まるで旧世紀のゲットーのような劣悪な環境での生活を強いられている市民曰く、ここの本来の地名は"ホウライサン第十九区"なのだという。


「ふぅ……スッキリしたぜぇ」


「こっちでの唯一のお楽しみだからなぁ……もう地球の女じゃ満足できねえかもしれねぇ」


第19ブロックのとある裏路地に2人のアメリカ軍兵士がいた。


警備任務中に尿意でも催したのか、彼らはカチャカチャと金属音を立てながら下げたズボンを戻している。


立ち小便中に交わしていた会話の内容はあまり上品とは言えなさそうだ。


「んじゃ、そろそろ帰るとするか。ウチの兵舎の軍曹は門限に厳しいからな」


「……あの……」


片方の兵士が愚痴りながら街路の方を向いたその時、今にも消えてしまいそうなほど弱々しい声がそれを引き留める。


「あん? 代金はそこに置いてるだろうが。お前の希望通り200ドルちょうどだ」


「……190ドルしかありません……」


不愉快そうに眉をひそめた兵士は声の方を振り返ること無く"代金はちゃんと支払った"と答える。


しかし、戦災孤児と思わしき少女はたどたどしい英語で10ドル足りないと指摘していた。


「おいおい、ウサギ女は紙幣を数えることもできねえのかよ」


「ナメないでください……だったら、あなたたちの目の前でもう一度数え――」


差別的な表現を交えながらバカにしてくるもう片方の兵士の態度が頭に来たのか、月の民特有のウサ耳が特徴的な少女は男たちに近付き代金を再確認させようとしたが……。


「地球人を無礼るなよッ!」


「ぐッ……!?」


次の瞬間、ようやく振り返った兵士は気付くのが遅れた少女の顔に裏拳を叩き込む。


屈強な成人男性のパンチを受け止め切れるはずも無く、少女は手に持っていた紙幣を撒き散らしながら地面に倒れ込んでしまう。


「こっちも10ドルが惜しいぐらい生活が厳しいんだ……お前らが俺たちの国を滅茶苦茶にしてくれたおかげでなッ!」


もう片方の兵士も右頬を押さえながらその場にうずくまっている少女の所に近付くと、追い打ちだと言わんばかりに彼女の腹部めがけて強烈なキックを見舞うのだった。



「がは……げほッ……」


執拗な攻撃に晒され、今度は腹を押さえて悶え苦しむ戦災孤児の少女。


「これ以上痛い目に遭いたくなけりゃ、敗戦国の分際で一丁前の口を利くのはやめるんだな」


「ここは今はアメリカの占領地域なんだ……つまり、俺たちの方がルールブックってことだ。分かるか?」


その光景を見下ろしながら軍人としては不適切な言動を取る兵士たち。


前の戦争で大損害を被ったアメリカ軍は深刻な人材不足に陥っており、本来なら軍隊に相応しくない人物まで動員しなければいけないほど人手が足りていなかった。


「ぐッ……」


「おい、誰が金を拾っていいと言った?」


それでも何とか身体を動かし紙幣を拾い直そうとする少女だったが、今度は兵士が携行していたアサルトライフルの銃床により頭を地面へ押さえ付けられてしまう。


「いいこと教えてやる。お前、アンダーグラウンドで自分を売った方が今より稼げるぜ」


兵士たちは200ドルという代金を支払うことで"商品"を購入した。


今回の場合、"商品"とはアンダーグラウンド(地下経済)でなければ取引できないような代物――あえて断言するならば少女自身を使った各種サービスのことだ。


「初物じゃないのはマイナスだが若くて締まりも感度も最高だし、ウサギ女は使い勝手が良いから高く売れる。2万ドルぐらいは出す物好きがいるかもな」


アサルトライフルで脅している方の兵士は"商品"を使った際の感想を基に売却価格を予想する。


前大戦末期の本土決戦で荒廃したルナサリアでは深刻な人道危機が報告されており、特に戦災孤児を狙った人さらいが多発していた。


その主な目的は性産業に対する労働力の供給であり、薄給に悩む兵士にとって人身売買のバイヤーが支払う報奨金はリスクのわりにハイリターンだったのだ。


「ま、世の中には常人には理解できない性癖の持ち主もいる。そういう金持ちに買われたらご愁傷様ってことだ」


運悪く人身売買の商品にされたルナサリア人を欲しがるのは性産業だけではない。


もう片方の兵士曰く、容姿端麗且つ都合の良い特性を持つ月の女は一部の大富豪にも需要があるという。


何のために高値で購入するのかはあまり想像したくないが……。


「「ギャハハハハハハ!」」


「(何を言っているの……? なんでこの人たちはゲラゲラ笑っているの……?)」


下卑た笑い声を上げる兵士たちの姿に少女は困惑する。


彼女の独学の英語力では複雑な会話は理解し切れなかった。


「さてと、お前には少し……眠ってもらう!」


「ッ――!」


ところで、バイヤーの元へ持って行く際に暴れられると少々面倒臭い。


大声で助けを呼ばれる前に兵士はアサルトライフルで少女の後けい部を再び殴り、気絶させてからファイヤーマンズキャリーの要領でゆっくりと持ち上げるのであった。

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