437話 礼儀が全てではありません

 謎に包まれたドンロウ道場別棟への道を閉ざす重厚な鉄の扉が、獣の雄叫びのような軋みと共にゆっくりと開く。

 久方ぶりに外の景色を拝めたのは、僅か十名まで減った突入者たちだ。


 あの後、押し寄せるドンロウ道場の手練れ達に応戦する組と門を開ける組に集団は別れた。その片方は、今も門を抜けた十名には追いつかせまいと必死の応戦を続けている。


 この場に居るのはダーフェン、ホンシェイ兄弟、セドナ、ロマニー、役士三名、役人一名、残る二人は道場内で暴れ回っても尚体力の有り余る武人たち。青竜刀を担いでいるのがジェンウで、鉄のヌンチャクを持っているのがリオナン、二人ともドンロウ道場が幅を利かせる前までは有名な武人であったらしい。

 今からこれだけの数で別棟を制圧しなければならない。


(あれが別棟……宗国建築の名残はあるけど、警備面からか色々手が加えられてる気がする)


 セドナは、個人的にそれらの手が加えられた部分は王国や皇国の魔法研究所に似た印象を受ける。何かを閉じ込め、秘する人間が考えた閉塞的な隔離空間だ。

 別棟の周囲では既に戦闘が始まっていた。

 セドナは王国メイド隊と騎士を苦戦させる集団を見て我が目を疑った。


「なにあれ!? 豚さんみたいな色のオークが拳法してる!?」

「兄さん、僕は白昼夢でも見てるのかな?」

「ううむ、三人が目撃したとあらば夢にあらずと判断せねばならんが、しかしまさか……」


 兄弟の同様ぶりを見るに、宗国ではオークも拳法を学んでいる、ということはないようだとセドナは安堵する。同時に、あれは何なのかという根源的な疑問が湧く。ロマニーがすぐにダーフェンに確認を取る。


「オークの資料は一通り目を通したことがありますが、あんな肌色のオークがいるとは記載されていなかったように思います。宗国固有のオークですか?」

「まさか、聞いたこともありません! 我らの国でもオークは緑です!」


 ダーフェンは強い口調でそう言い切る。

 ロマニー相手に冷静を取り繕う余裕もない辺り、彼の焦りが覗える。

 無論、隠し事の焦りではなく、把握した状況が想像より遙かに悪かったことへの焦りだ。


 ともあれ別棟で証拠を押さえなければならないため、全員で走る。

 いよいよ大変なことになってきた、とセドナは固唾を呑み込んだ。

 あのオークたちは、恐らく人為的に手を加えられたオークだ。


 魔物の人為的な品種改良は、国際魔物取扱条約によって世界的に制限されている。これは地上に存在する全ての国家が締結を義務づけられていると言っても過言ではない鋼の条約である。この品種改良の具体的な該当項目と照らし合わせた訳ではないが、あのオークたちを見るに遺伝子レベルの干渉なくしてあの個体は生まれないように思える。


 もし事が世界に露見すれば、いくら国家主導ではないとはいえ宗国は非常にまずい立場に立たされることになる。ゴウライェンブ王も恐らくここまでのことをやらかしているとは想像していなかっただろう。

 しかも、既に王国の人間にそれを知られてしまったというのは、どうしようもない。


 ――なんということをしでかしてくれたのか。


 宗国の役人や役士は揃って歯を食いしばっていた。

 一方で、セドナは疑問も抱く。


(武術を極めようとしてるおじいちゃんが、いまさら魔物を手懐けて拳法教えるってなんか話が繋がってない気がする。手勢なら弟子だけで事足りる筈なのに。なんだろう……ピースが足りない……いや、それとももしかして……)


 考えかけたところで、囮部隊の二人、ジェンウとリオナンが声を上げる。


「おい、役人さんよ! 俺たちはどうすればいいよ!」

「外で暴れてるあのオーク共、放っておいたら外来の客人たちも危ねぇんじゃねえのか!?」

「……ぬぅ」

「兄さん、どうします」


 兄弟は唸る。

 彼らは当然、オークたち相手に苦戦しているのが王国の勢力だということには気付いており、想定外の出来事で厄介には思っている。しかし、彼らの大義名分が「セドナとロマニーの救出」ということであれば強く反論も出来ないし、事実として彼らのおかげか別棟の出入り口を封じる敵は数が少ない。


 もし王国の兵が押し負ければ、周囲をうろつくオークの拳士たちが一斉に別棟に突入してくることになり、そうなれば証拠を手に入れても脱出できず全滅しかねない。


「貴重な戦力だが、背に腹は代えられぬか……」

「お二方、王国の兵(つわもの)たちを援護し、あのオーク共を仕留めてくだされ! オークならば殺して結構!!」

「役人様のお墨付きだ!!」

「我らが武術、たとえ魔物とて耐えられるものではないわッ!!」


 ジェンウとリオナンは凄絶な笑みと共に荒々しい氣を放出し、武器を手に二手に分かれてオーク討伐に駆け出していった。対魔物戦闘を想定した武器ではない王国側としては有り難い援軍となる筈だが、如何せん二人だけなのでそう簡単に事は運ばないだろう。


 と、ロマニーがすん、と鼻を鳴らすと別棟の上を見上げる。

 彼女の視線の先には、宗国建築の趣と不釣り合いな煙突があった。

 煙突からは陽炎と薄い煙、そして微かな灰が立ち昇る。


「なにか燃やしはじめました! 資料の類を証拠隠滅の為に燃やしているのやもしれません!」

「ロマニーさん、先行して証拠を押さえて!!」

「しかし――」


 それでは護衛が出来ない、と言外に訴えてくるロマニーを、セドナはその気持ちを有り難く思いながらも急かした。


「四聖拳はここにいないし、負けないでいるくらいは出来る! 証拠を消されて何も成果が上がらなかったら本棟で足止めの為に戦ってる人達に示しがつかない!!」

「……最低限の証拠を押さえたら可及的速やかに戻ります。どうかご無理をされませぬよう」

「出来ることをするよ」

「……しからば!!」


 瞬間、ロマニーは裏伝の歩法を用いて凄まじい速度で加速すると同時にメイド服に隠し持っていたナイフを別棟の壁に投擲して突き刺し、守衛を一瞬で突破するとナイフを足場に建物を垂直に駆け上がる。そして屋根の上に乗ったロマニーはそのまま鉄製に見える窓を縁ごと蹴破って内部に侵入し、あっという間に見えなくなった。

 

 余りに鮮やかな手際に敵も味方も一瞬呆気にとられたが、セドナが肩を叩いて急かすとすぐに別棟の守衛――人も混じっているがオークが中心だ――に向けて濃密な氣を練る。

 ドンロウ道場最大の秘密まで、残るは扉一つ。

 セドナが以前ヴァルナから聞いたオークとの戦い方を必死に記憶の中から抽出する。


「えーっと……オークと格闘する際は胴体は狙わずに足を崩し、続く一撃を首や顎、側頭部に全力で叩き込んで二撃決殺を心がけるべし!」


 ホンシェイが尋ねる。


「オークが拳法を学んでおり、体幹がしっかりしてる場合は如何すれば?」

「なお、素手で戦う状態に陥った時点で本来は撤退すべし、だったかな!」

「ですよねぇ……」


 ――結論から言うと、少々手こずったが、比較的短期間で倒すことが出来た。


 拳士オークは手ごわいものの、総合的にみると野生オークと比べて極端に強化されているとまでは言えない。それが、対オーク戦闘を知らないなりにセドナが導き出した結論だった。


 そもそもオークは二足歩行と四足歩行を使いこなして行動する生物であり、それが二足歩行前提の人間の拳法を学んだことは逆に獣特有の予測が難しい動きの減少を意味した。これは一長一短である。

 とはいえ、防御や回避といった攻撃をいなす行動と、拳や蹴りといった動きが洗練された点、そしてオークという種族の強固さは存分に戦闘能力に反映されていた。


 勝利できたのは、偏に技量の差。もしこれらのオークが格闘ではなく武器を用いた戦いを習っていれば、齎す結果は大きく変わっていただろう。

 また、このオーク達が時折人語を喋るのが、セドナはたまらなく嫌だった。不快感が湧いて出たという訳ではないが、言語を操るというのは感情を持った知的な生物の象徴的な特徴と言える。犬猫も多かれ少なかれ鳴き声で意思疎通をとることはあるが、人間の言葉を使うとなると感情的な印象が大きく変わってくる。


 最終的に双子に匕首(ひしゅ)で喉元を掻き斬られて自らの血で出来た血だまりに沈むオークが時折「イタイ」、「クルシイ」と呟く度に、セドナの背筋に言い知れない悪寒が走った。


 ヴィーラは人に近い魔物。

 ナーガは人に近い魔物

 ハルピーは人に近い魔物。


 では、より人に近づいたこのオークはどうなのだ。


 拳法を学び別棟にいたということは、彼らは少なくとも拳法を習った相手にある程度従順であったということだ。言語を操るだけの知能があることも確認出来ていた。人の真似事だ、とヴァルナなら断じるかもしれないが、それを言えば人間だって親や周囲の人間を模倣して言語を学ぶ。そこに一体何の差異があるだろう。


(……今は、目の前のことに集中しよう。それにしてもロマニーが戻って来ない。中も防備ガチガチなんだ、きっと)


 王宮メイドの頂点たる彼女ならオークとの戦闘中に仕事を終えていてもおかしくないが、そうではない所を見るに、設備としてのセキュリティか人員的セキュリティか、或いはその両方なのだろう。ロマニーに限ってつまらないミスはしないだろうと思ったセドナは、残った六人と共に施設の扉の前に行く。


 この扉も宗国の建築からすると不釣り合いな扉だ。

 本棟から別棟に続く扉に比べれば簡素で小さなものだが、見たところ帝国から輸入した最新型の鍵を備え付けた鉄製の扉のようだ。試しに押したり引いたりしてみるが、びくともしない。


 しかし、これも予想通り。

 ここを開ける為に、ダーフェンとホンシェイが長きに亘る道場潜入の末に作り上げた合鍵がある。警戒心が強く常に鍵を懐に入れていたバンが見せたほんの僅かな気の緩みによって手にする機会のあった鍵で型を作り作成したものだ。


 ダーフェンが鍵を差し込んで捻ると、がちゃり、と呆気なく解錠され、扉がゆっくりと開いていく。


 そこは、天窓から光が差し込む吹抜けの広い空間だった。

 端にある木人形や用途の分らないいくつかの道具、そしてステージ状の頑丈な足場。ここでオーク達に指導をしていたのではないかとセドナは推測する。上にも階層がいくつかある他、地下に続く階段も見受けられる。

 上の階から時折男性の悲鳴や物騒な物音が聞こえることから、ロマニーは上階で戦っているようだ。しかし、幾ら侵入者が出たからといって、何故この空間には誰もいないのだろう。


「――へぇ」


 それは、吹抜けの二階フロア、丁度侵入したセドナたちの真上に近い場所から聞こえた男の声。全員が声の主に視線を注目させるが、相手はそんな視線など感じていないかのように二階の手すりに腰掛け、虫けらの動きを観察するような視線で見下ろしてくる。

 足をぶらぶらさせるその男は――この場にいない筈のレン・ガオランだった。


「な、何故……?」


 誰の声かは分らないが、それはこの場の全員の心境を代弁するもの。

 レンは、それに答えたとも独り言とも知れない言葉を返す。


「バンが急に留守番だなんて言い出すから何事かと思ったけど、侵入者ってやつだ。怖いなぁ、バンは怖い。なんでそんなこと分っちゃうんだろうね?」


 柔らかい声色なのに、そこに優しさは感じられない。

 バンのことを怖いと良いながら、怖さなど欠片も知らないかのようだ。

 自分たちと同じ人間の筈なのに、その男は、何かが決定的に違った。

 男はその場で準備運動のようにぐりぐりと首を回すと、つま先で飛んでセドナ達の進行方向、訓練場の中央に音もなく着地する。あれだけの高さから降りて、どんな技術を使えばそれほど静かに着地できるのかセドナには理解できない。

 そして、意味が理解出来たダーフェンとホンシェイが即座に拳法の構えとともに剥き出しの氣を放つ。それは、このままでは自分たちが負けるという本能による防衛行動に近いものであった。


「上の人の方が面白そうだけど、上の階のみんなが遊びたがってるみたいだし、君たち、お稽古しようか」


 ぐにゃり、と粘性の物体が滴るような柔らかい動きでいつの間にか構えていたレン。

 瞬間、爆風でも浴びせられたと錯覚するほどの殺意がその場の全員の体を突き抜けた。それは敵を絶対的に打倒する否定の意志に非ず、さりとて敵の武を前に高ぶる感覚にも非ず。


「宜しくお願いします、は? 道場では行儀正しくが基本でしょう?」


 それは、命の重みを知らぬ子供が蝶の羽を毟るような、躊躇いのない力。

 自分を中心に世界が回っていると信じる者の、残酷なまでの純粋さ。

 セドナは、自らの体を震えさせる感情の正体を知らない。

 それが恐怖だということを、まだ、知らない。

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