438話 助けてください
四聖拳の一角、ドンロウ道場最高戦力の一人。
無敗の拳士であり、同じく四聖拳で無敗のユージーとは兄弟関係。
それが、セドナが事前に聞いていたレン・ガオランの情報だ。
逆を言えば、他に殆ど情報がないと言える。
この異常な情報の少なさは、ヴァルナを始めとした面々も警戒していた。
だからこそ、最悪勝てなくとも道場の外に引きずり出しておけば問題ない筈だった。
「どういうこと……? じゃあ五行試合に出てるレン・ガオランは? 会場入りしたあの男は、誰なの……?」
「うーん、喋っても良いけど、代わりに聞いたからには絶対にもう外に出られないよ?」
まるで常識を説くかのように当然に、レンは言い切る。
だが、問答はそこまでだった。
ダーフェンとホンシェイが弾かれるように疾走し、一気にレンに肉薄したからだ。
「教えていただかなくて結構!!」
「道場の外に引きずり出し、洗いざらい喋って貰う!!」
巧みに複雑なステップを刻んで相手の視線を惑わし、注意力を削ぐ――それが双子の兄弟の必勝パターンだ。しかも二人で言葉なく意思疎通が出来ているので、二対一でも多対二でも最大効率で戦うことが出来る。
突入からずっと、この二人は味方の中でも別格の強さだった。
流石はこのような荒っぽい現場をゴウライェンブ王に任されるだけある。
レンはそれに対し、興味深そうに笑う。
「噂の双子の嵐撃か。話にしか聞いたことはなかったけど――」
ダーフェン、ホンシェイがそれぞれ別の角度からタイミングをずらして攻め立てるのを、レンは後退しながら両腕を器用に使って捌いていく。力で弾くのではなく、脱力した腕に最小限の力だけを込めていなすことで衝撃を殺している。
セドナでは確実に捌ききれないであろう手数と鋭さの攻撃をいなすとは、恐ろしい技量だ。
(まるでお兄さん……ユージーの受け流しみたい。兄弟揃って同じことが出来たんだ)
しかし、いなしてばかりで反撃に転じられないため、レンは段々と壁際に追い詰められていく。双子はこのまま押し切るとばかりに氣を膨れ上がらせた。
双子が走り、交わる。
幾度とないフェイントと曲芸めいたすれ違いを交えて、時間差攻撃にも左右からの同時攻撃にも一人を囮にした全力の攻撃にも見える動きで翻弄していく。恐らく、そのどれを選んでも相手を必ず仕留めるであろう達人の動きは、やがてある一瞬だけ完全に交わる。
完璧なタイミング、完璧な呼吸、完璧な動きで、二人の右足と左足が同時に放たれた。
「「双襲牙顎(そうしゅうががく)!!」」
互いに共鳴するかのように高まり交わる氣を乗せた、必殺の蹴り。
壁に背を預けたレンはこれを絶対に回避出来ない。
なのに、セドナの口から咄嗟に出たのはその事実を否定する声。
「何か仕掛けてくるっ!!」
――それは、セドナの経験則からきた、第六感的な確信だった。
聖盾騎士団は、護衛や犯罪者の追跡、確保など、相手の不意の行動に対処する術とそれを見切る観察眼を求められる。咄嗟に逃れようとする人間は、逃れるために視線を動かす。最初から逃れようとしている人間は、逆にその一貫性が態度に出る――といった風に、相手の僅かな仕草や気配から行動を先読みしなければならない。
勘は勘、本来は何の証拠にもならない。
しかし、悪い勘は当たるというのが聖盾騎士団の考えだ。
疑いすぎず、しかし可能性を心から排除するなとセドナは教えられた。
AとBの可能性があれば、どちらが起きてもその際の行動を想定しておけと。
結果として――。
「面白い動き。でも覚えても役に立たないかな。合わせる相手がいないし」
「な……!」
「馬鹿な……」
二人の渾身の蹴りは、レンの両掌とそこに込められた濃密な氣によって受け止められていた。いや、それだけでは終わらない。レンの両掌に収束された氣が爆発する。
「はい、辛鎧掌!」
「「なに!? ぐああああッ!!」」
双子は互いに突き出した足から吹き飛ばされ、地面に転がり悶絶する。
今のは、四聖拳の火行・イェンが特異とする蒐氣による遠当て、辛鎧掌。
それだけで必殺たりうる技を、相手の全力の攻撃を防いだ上で重ねて両手で放つなど、一体どれほど技量に差があれば可能になるというのだろう。
気付けば、二人が吹き飛ぶか否かのタイミングで既に役士三人が駆け出していた。
「二人はやらせない!」
「二人でなく三人であれば!」
「レン・ガオラン! 覚悟ォッ!!」
たかが三人、されど三人。
もとより突入する役士は王が選んだ精鋭揃いなのに、そこから更に実戦で最後まで残った最強の役士たちだ。一人一人の実力は師範代に近く、また、役士として実戦慣れしている。三人はこのまま間断なく攻めてレンの体力を削ぎながら、ダーフェンとホンシェイが立て直す時間を稼ぐ腹づもりだ。
流石はその道の達人なだけのことはある。
己もそういう作戦なら役に立てるとセドナも続く。
しかし、その作戦は――圧倒的な暴力の前には、無意味となる。
「計都的殺脚、だったかな? はっ、ふっ、せや」
ボボボッ、と、三連続で高く上げたレンの足がぶれ、直後に接近した三人の役士の顔面が貫くような蹴りで打ち抜かれた。己の足のリーチを最大限に活かした、華麗な足捌き。それはまるで四聖拳・水行のリューリンの如く。
口から鮮血を漏らして仰向けに倒れ伏す三人の役士と、未だ強烈な氣の衝撃から立ち直れないダーフェンとホンシェイ。
まさに圧倒的。
否、もしかすれば四聖拳最強。
どんな手品を使ったのか、バンは最強の番犬を用意していた。
この面子を歯牙にもかけない異次元の力を見せるレンに、残る一人の役人がパニックになる。
「う、うわぁぁぁぁ!! 化物ぉぉぉぉ!!」
恐慌状態で冷静さを失った役人は、ただ自分が生き延びる為という生存欲求に付き従って逃げ出す。責務も同僚も放り出した彼は別棟の扉を開けようとし――。
「ありがとうございました、は? 道場では行儀正しくが基本だと言った筈だよ」
「――ッ!?」
一瞬だった。
風が通り過ぎたと思ったときには、レンは既に別棟の出入り口の前で背の後ろに腕を組んで待っていた。瞬間、身を屈めたレンの背中から掌底が放たれ、役人の鳩尾にどず、と沈む。
「お、ブ、がっ……」
役人は悶絶し、レンが拳を引いて一歩下がると同時に胃の中身を全て吐瀉して倒れ伏す。口から泡を吹き、白目を剥いた役人をレンは少し不快そうに蹴って退け、扉の鍵を閉める。
「道場は綺麗に使うのが基本だろうに。ああ臭い、ちょっと待っていてくれ」
レンはまるで日常生活を送るように道場の隅のバケツとブラシを持つと、バケツの中に溜められていた水で吐瀉物を洗い流す。部屋の隅に側溝があるらしく、彼はそこめがけてブラシで吐瀉物を流し落としていった。
まるで日常の切り抜きのような光景。
意識を取り戻さず完全に失神した四名と、呼吸を整えてなんとか立ち上がろうとする双子と、異常な空間に精神が追いつかないセドナ――まるでこちらが置いていかれているかのような錯覚を覚える。
一通り掃除を終えたレンはふと、おもむろに壁にあったレバーを引いた。
直後、ガゴォン!! と、大きな音が吹き抜けの上階から響いた。
音の正体を、セドナはすぐに知る。
先ほど閉ざされた出入り口の扉の奥に、更に一枚鉄板のシャッターのようなものが落ちてきたのだ。
「そういえば忘れてた。侵入者が来たらこのレバーを引くんだったか。この建物の全ての出入り口、窓、扉を閉鎖するものらしいよ。上のメイドも……うん、閉じ込められたか」
設備チェックをするような気楽さで告げられた言葉に、セドナは腹の底が冷えていく感覚を覚えた。もはやこの場で無事なのはセドナのみ。ダーフェンとホンシェイに頑張って欲しいが、既に力量差は歴然だ。
(ロマニーを行かせたの、失敗だったかな……ううん、作戦に参加したこと自体が? わからない、私、どこで間違って――)
「とりあえず、力加減はもっと抑えていかないとすぐ壊れちゃうことも分かったし、のんびり稽古を続けようか」
それは、死刑宣告に等しいもの。
このとき、意識のある三人が覚えたものは、恐怖、それのみ。
最初に倒れたのはダーフェンだった。
一体全身の何本の骨を折られたのか、死んではいないがそれだけという風体になるまで嬲られ、部屋の隅に転がされた。
ホンシェイは、断腸の思いで兄を囮に果敢にレンを攻めたが、辛うじて当たった何発かの攻撃も碌にダメージが通らず、兄と同じ運命を辿って吹き飛ばされた。
途中、顔面に攻撃を受けて失神していた役士たちが目覚めたりもしたが、彼らは一様に目覚めてしまったことを後悔することとなった。
外からは何の情報も入らず、出ることも出来ず、ただ人間が嬲られる音と悲鳴、そしてそれらをまるで玩具遊びでもするかのような気楽さで行いながら場違いな感想を漏らすレン・ガオラン。
その魔手は当然のように、最後まで残されたセドナにも伸びた。
この男は、人間じゃない。
人間のふりをしているだけの、化物だ。
セドナは嘆くように思いながら、今までの人生で一度も受けたことのない暴力の嵐に身を晒された。
――そして、時はヴァルナが五行試合にて勝利を収めた時間に戻る。
(そっか、私……)
セドナは、自分が強烈な、それでいて人体が完全に破壊されないよう手加減された殴打を受けて意識が一瞬飛んでいたことを認識する。
レンの拳は、時間が経つにつれて力の緻密さに磨きがかかっている。
彼の言うことには、なるべく長く遊べるよう壊さない努力なのだそうだ。
(狂ってる。まともじゃない)
こんなことならば意識を取り戻さなければよかった。
考えているうちにもレンは笑顔で拳、蹴り、手刀、膝など様々な技を繰り出して、セドナは痛みから逃れようと必死に防ぎ、努力も虚しく全身を何度も痛みが襲う。
「ぅあ、が……」
「女の人は簡単に壊れると聞いてたけど、迷信だったみたいだね。君は丈夫だ」
(やめて……もう、やめてよ……)
防いでも防いでも、痛みは襲ってくる。
誰も立ち上がり、助けてくれない。
外からも、誰も来ない。
(助けて……)
視界が滲む。
思い出すのは士官学校からずっと親友だった二人の顔。
(助けてよアストラエくん)
意識の中から次第に遠ざかっていく、無駄に自信満々な笑みの王子。
(助けてよ、ヴァルナ、くん……)
いつも甘えれば許してくれるけど、訓練では手を抜かない、セドナの唯一の――。
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